序章・呪縛
「おい、どうした愚図。こんな簡単な魔法も使えないのか? オレが五歳で覚えた術だぞ。なんでそんなに要領が悪いんだ?」
“それは私に、あなたのような才能が無いからです、兄さん”
「ちょっと、私の友達が来ている時には引っ込んでてって言ったでしょ。恥ずかしいのよ、出来損ないが身内だなんて。せめてエリカ姉様みたいにさっさと嫁いでくれたらいいのに、あなたの器量じゃそれも難しい。あ~あ、本当に可哀想で、目障りな妹」
“ごめんなさい。二度と間違えないから許して”
「この親不孝者。どうしてお前は私を苦しめる? 努力が足りないわ。あの人と私の血を引いていて、その程度のはずが無い。無能はエリカ一人で十分よ。きちんと魔力を持って生まれたからには、名家の子として相応しい実力を身に着けなさい。お前がそんなだから私が夫になじられるのです」
“ごめんなさい、お母様”
「家にいると息苦しいでしょ? うちの人を説得するから、しばらく私達の屋敷で一緒に暮らさない? お父様は意地でも貴女を魔道士にしたいようだけれど、魔力の弱い貴女が無理する必要なんか無いわ。夫に頼めば良い嫁ぎ先も見つけてもらえる」
“ありがとう。でも、私はまだ諦めたくないの、姉さん”
「馬鹿が、隠蔽魔法を一つ覚えた程度で喜びおって! お前はいったい誰の娘だと思っている? 我が家は何故今の地位にあるのかわかっておらんのか!? 無能と謗られることが嫌なら努力を怠るな! もっと学び、もっと磨け! せめて私の顔に泥を塗らん程度にはなれ!」
“はい、わかりました。でも、先に手当てをさせてください。あなたに殴られて歯が折れたんです。ものすごく痛いんですよ、お父様”
「愚鈍で無能で、どうしようもない娘だね。お前はこの先、何年アタシの手を煩わせれば気が済むんだい? やれやれ、泣くんじゃないよ。泣きたいのはこっちの方だ。せっかく拾ってやったのに全くの役立たずときた。恩知らずが、さっさと立って働きな。これ以上もたもたするようなら、その目玉を抉り出して口に突っ込むよ」
“いつか、いつか必ず殺してやる……糞婆ぁ”
繰り返し浴びせられる罵声。嘲笑。暴力。
蔑まれ、疎まれ、憎む日々。
次第に心が重くなる。傷付き、膿んだところへ無理矢理詰め物をして動く。
知識を学び、技術を磨き、研鑽を重ね、それを金に換える。
稼いで、安心感を買って、どうにか自分を納得させる。
私は正しい。間違っていない。しかたなかった。
そんなはずがないのに。
本心を隠すために鎖を巻き付け、自分を守るための虚像を作り、嘘ばかりついていたら、そのうち何が本当で何が嘘かもわからなくなってしまった。
全部、自業自得。
自らの手で招いた災い。
でも──
「天才ですわね、クルクマ!」
──その一言を聞いた瞬間、彼女を縛りつけていた呪いは解かれ、新たな呪いで自らを縛った。
けっして正体を知られてはならない。それでも離れることなど絶対にできない。初めて自分を認めてくれた相手。他の何より大切な存在。かけがえのない友情。
だから必ず守り抜く。どんな手を使っても。どれだけ手を汚しても。どこまで堕ちたとしても。
“私は災呈の魔女”
恐れよ罪人共。
この名がもたらすものに慄き、そして縋り付け。
慈悲を求めろ。この身と同じように、彼女の前で頭を垂れろ。
世界を救う女神に許しを乞え。
さもなくば、幾万幾億の死が訪れるだろう。
黒い津波に姿を変えて。