四章・大人の罪科(1)
「どうしてわかってあげられなかったの!? もう、みんな大嫌い!!」
宿屋の扉を開けた途端、我が子の怒声が響き渡る。驚きのあまりカタバミは入口で足を止め、固まってしまった。
スズランは帰って来た母に気付かず、何故か宿の二階へ駆け上がって行く。続けてドアを乱暴に閉める音。どうやら療養中のクルクマの部屋に入ったらしい。
「ちょっとちょっと、どうしたの?」
呆気に取られたカタバミに代わり、中へ入って問いかけるレンゲ。彼女と夫の経営する宿の一階には衛兵隊を除く村の全住民が勢揃いしていた。椅子が足りず大半は立ったまま暗い顔で俯いている。
「おかえり……その、色々とあってね」
カズラもまた沈痛な面持ちで経緯を語り始めた。それを聞いたレンゲ達も、やはり衝撃を受ける。
「村が……無くなる?」
「嘘だろ……」
唐突過ぎて、事情を聞いてもまだ信じられない。だが、ここに集まった皆が嘘をついているとも思えなかった。おそらく事実なのだろう。
「おにいちゃん、どういうこと?」
「わかんない……」
妹に問いかけられたモモハルは首を横に振る。彼にもまだ話が飲み込めない。でも大人達の様子から見て、けっして良いことではなさそうだ。それだけは察せられた。
「な、なんで? いや、それより、どうしてスズが怒ってたの?」
ようやく我に返り、夫を問い詰めるカタバミ。彼女にとっては村が無くなってしまうことより先程の娘の姿が信じられなかった。あんなに怒ったところは自分でさえ見たことがない。ましてや大人達に対し“大嫌い”なんて、そんな言葉を叩き付けるとは想像もしていなかった。
よほどのことがあったに違いない。それはきっとスズランの心を深く傷つけたのだろう。だから心配なのだ。
「教えてよあなた。村が無くなりそうなことはわかった。でもさ、それでどうしてスズがあんな風に怒るの? 土地を奪いに来た連中に対してならともかく、皆に対して怒る理由なんて無いじゃない」
すると、夫は彼女の両肩を掴み、しっかりと支えるようにして口を開く。
「カタバミ、よく聞いてくれ」
「な、なに?」
「……ナスベリがいたんだ。王命を伝えに来た騎士団と一緒に彼女が来た。だからスズは僕達に訊ねてきたんだ。昔、この村と彼女の間に何があったのかって」
「──ナスベリ?」
信じられない名前を聞いて、けれど、その瞬間に腑に落ちた。どうしてさっきから老人達が貝のように口を閉ざしているのか。そして何故スズランがあんなにも怒ってしまったのか。その名前一つで理解出来た。
「……モモ、ノイチゴ、スズちゃんが心配だから様子を見に行ってあげて」
同じく事情を察したレンゲが自分の子供達に上へ行けと促す。二人は少し迷っていたが、父親からも「スズちゃんを頼むぞ」と言われ頷いた。
「いこう、おにいちゃん」
「うん」
そうして子供達が全員二階へ上がったことにより、一階には大人達だけが残される。
かつての子供と、その親の世代だ。最長老のウメだけはさらに一世代上だが。
「……あたしも」
「駄目だ」
モモハル達の後を追い、二階へ上がろうとした妻を引き留めるカズラ。カタバミは焦燥感を募らせ、その腕を振り解こうとする。
「だって……!」
「さっきの様子を見ただろ。今は話を聞いてくれない。幸いクルクマさんの部屋に入ったようだから、あの人が宥めてくれていると思う。だから少しだけ待つんだ」
「……わかった」
たしかにその通りか。スズランの実母の友人で、あの子の師でもあるクルクマなら多分なんとかしてくれるだろう。
でも、カタバミは悔しかった。こんな時に頼ってもらえない自分は母親失格だと烙印を押された気分になり惨めだった。
それもこれも──
「話したのね、あの頃のことを。スズに……あんた達がしたことを話したんでしょ!?」
娘と同じように激昂したカタバミの言葉で、老人達の顔に浮かぶ苦渋の色がさらに濃くなる。それは彼等の悔恨から滲み出たものだった。
──三十六年前、タキアはまだ貧しい国だった。そのせいだと言い切ることはできないが、なんにせよ素直に認めなければならない。かつてのココノ村は今よりもっと閉鎖的で外部の人間に対し冷たかった。
そんな頃だ、彼女が村を訪れたのは。何か目的があってやって来たわけではなく、単に行く当て無く彷徨った末、偶然立ち寄っただけだったそうだ。すぐに通り過ぎるつもりで、けれど結局そのまま居着いてしまった若い魔女。
それがリンドウだった。
当時の年齢は十九歳。なのに言動の端々に幼さが見えた。彼女が留まった理由は単純で村の若者に惚れたのである。トリトマという名で若年層の中心的存在だった人物に。
だが彼には許嫁がいた。互いが十八になったら結婚する約束で、その式の日取りはリンドウが村へやって来た日の一週間後にまで迫っていた。
なのに彼は土壇場でリンドウを選び、婚約者だった少女を捨てた。
「ワシらは……特に愛娘を傷付けられたツルニチは、どうしてもあの二人を許せんかった。だから……」
後悔の念に苛まれつつ、再び過去の自分達の行状を思い返すクロマツ。日に焼けた肌に刻まれた無数の皺がさらに深くなる。
「どうしても、あの二人を受け入れてやれんかった……」
当時の大人達は、つまり今の老人達の世代は結婚した二人を許さず、徹底的に村八分にした。そもそもよそ者を村に迎えること自体に抵抗があった時代だ。そのよそ者が若者を婚約者から寝取り、彼女とその家族を深く傷つけた。だから攻撃することに一切躊躇いが無かった。それが当たり前だと思い込んでいた。
リンドウだけでなくトリトマも村にはいられなくなり、やがて少し離れた東の森の中に館を建て、そこで二人で暮らし始めた。けれど、遠く離れたどこかへ消えたならともかく、当てつけのように近くに居座った彼等を村の住民はいっそう疎ましく思った。
「ワシらは間違っとった。あの時、それに気付いていれば……」
クロマツには後悔してもしきれない過去がある。
彼の妻は当時、珍しい病を患っていた。治療薬はすでに存在していたものの、高すぎてとても買えない。妻は頻繁に発作に苦しめられていたが、彼にはどうしてやることもできなかった。
だが、ある時、リンドウが薬を調合したと言って持って来た。散々村の人間に疎外されながら、それでもあの娘は困っている者を放っておけない性分だった。
なのに彼は信じなかった。貰った薬を妻に飲ませる勇気が出せず、結局は戸棚の奥深くに仕舞い込んで隠した。
リンドウの優しさに嘘が無かったことを知ったのは、妻が死んだ後だ。葬儀の後、どうしても気になってしかたなかった彼は街へ行き、薬の成分を調べてもらった。すると薬師は間違いなく治療薬だと断言した。それも既存のものより遥かに効果の高い新薬だと。
もっと詳しく調べたいから売ってくれと頼まれ、断った。なのに帰りの道中、何者かに襲われ薬を奪われてしまった。多分あの薬師かその手の者だったんだろう。
帰宅後、怪我を見た息子に何があったのかと問い詰められ、全て正直に話した。息子は「母さんを助ける手段があったのに使わなかったのか」と激怒し、それからしばらくして家を出て行った。それ以来、一度も会えていない。
(すまんかった……)
妻が死ぬ前に薬を調べてもらっていれば。いや、そもそもリンドウの厚意を信じることさえできていたら家族を失わずに済んだ。だからあれ以来、ずっと悔やみ続けている。