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妖精と黒獅子

皇帝陛下の幼馴染

作者: 水仙あきら

「ねえ、聞いて。今、陛下が何だか、変な事を言っていたのよ!」


 親友の居室を訪れるなり、レナータは開口一番叫んでいた。

 焦げ茶色の髪は乱れ、エメラルドグリーンの瞳が戸惑いに揺れている。すっかり取り乱した様子の訪問者を見るや、部屋の主は青い瞳を丸く見開いた。

 ここは皇族が住まう宮殿の奥。皇帝陛下の四人の側室のうちの一人、セラフィナの自室である。レナータとセラフィナは互いに側室なのだが、二人が気の置けぬ間柄なのにはもちろん訳があった。


「レナータ、まずは座って下さい。息が上がっていますよ」


 輝かんばかりの美貌を持つ姫君は、たおやかな仕草で応接テーブルを指し示した。セラフィナはレナータより二歳年上の二十歳なのだが、癖だからと言って敬語を崩そうとしない。

 彼女がお茶の準備を始めたので、レナータも逸る気持ちを抑えてソファに腰掛けた。ただしその間も口は回り続けている。


「私の勘違いで無ければ、陛下は側室達を降嫁させるつもりだって言ってたわよね」

「そうですね。降嫁先も間を置かず決めるつもりだと」

「側室制度を廃止するって、面と向かって言われたもの」

「ええ、そうですね。陛下は本当に、無駄を嫌うお方なのですね」

「指一本触れられた事ないのよ」

「その通りです。私もお陰様で気楽に過ごさせて頂きました」

「私、私は……!  ディートの事が、好きなのに」

「……ええ」


 最後の言葉だけは震える声で絞り出すと、セラフィナは痛ましげに目を細めた。

 そう、弱冠二十の皇帝ディートヘルムは、「側室制度は廃止する。必要ない」という徹底したスタンスの持ち主なのである。

 セラフィナなどは隣国から無理やり嫁がされて来た身の上なので、夫がそんな考えを持っていたことに心底安堵したそうだ。

 しかしレナータは違う。幼馴染でもあるディートヘルムの事を、物心ついた頃から密かに想ってきた。だからこそ、側室を全員降嫁させるつもりだと聞いて、輿入れ時は本当に落ち込んだものである。

 それなのに。


「それで、陛下は何とおっしゃったのですか?」


 セラフィナがティーカップと茶菓子を載せた盆を手に戻ってくる。普通なら侍女の仕事なのだが、彼女は身の回りの世話を焼かれるのを苦手としているのだという。

 問いに応えようとして、レナータは言葉に詰まった。そこで自分が混乱の最中にいる事を殊更に自覚して、頭を抱えたい気分になる。


「えっと、その。私、いまいち意味がわからなかったんだけど」


 差し出されたティーカップから紅茶の香りが立ち上っている。走ったせいで喉が渇いていたので、レナータは赤く透き通ったそれを一口含んでから、意を決して顔を上げた。


「皇后になって欲しいって!  もう本当にわけわかんない、助けて!」


 一体なぜ彼はそんなことを言ったのか。まったく意味がわからず、レナータはお手上げ状態だった。

 セラフィナはたっぷり五秒ほど静止して、親友の言を噛み締めたようだった。やがて口を開いた彼女は、わかりやすく困惑の表情を浮かべていた。


「ええと……それは、ただそう仰られたのですか?」

「そうよ。図書館にいたら急に現れて、何の前置きもなくそう言ったの」


 レナータが真顔でそう返すと、セラフィナは弱り切ったような溜息をついた。何時も穏やかに微笑んでいる彼女にしては、珍しい仕草だった。


「ああ、それは……意味がわかりませんよね。そんな言い方では」

「そうでしょ!? だから私混乱して、つい逃げてきちゃったの」

「もしかして、そのままここへ来たという事ですか」


 無言で頷いて見せると、セラフィナは苦笑を零したようだった。それはいつもの、姉が妹に向けるような、慈愛に満ちた微笑みだった。


「そうだったのですね。さぞ驚いたでしょう」

「ええ、それはもう。ねえセラフィナ、陛下ったら、一体何を企んでいるのかしら?」

「さあ、どうでしょうか。ただ、私から一つだけ言うとするならば」


 セラフィナはそこで紅茶を口にした。次に彼女が浮かべた微笑みは、確信に満ちたものだった。


「陛下は、あなたを皇后にお望みと言うことです」

「セラフィナ、貴女ねえ……」


 レナータはがっくりとこうべを垂れた。文脈からすれば当たり前の指摘をしただけなのに、この姫君はなぜそんなに満足げにしているのだ。


「とにかく、もう一度陛下と話し合う必要がありますね」

「……それは、わかってるわ。このままにしておくわけにはいかないって事くらい」

「はい。きっと、陛下も貴女を探してーー」


 何の脈絡もなく部屋の扉が開かれたのは、その時の事だった。

 レナータは反射的に扉の先に視線を飛ばした。そこに居たのは、今一番会いたいようで会いたくない人物だった。


「陛下」


 何も言えなくなっているレナータに代わって、セラフィナが小さく呟いている。彼女は落ち着いたもので、もっとも格式高い礼でこの国の最高権力者を迎えようとしたのだが、その対象によって制される方が早かった。


「レーナ、探したぞ。脇目も振らずに逃げ出しおって」


 皇帝ディートヘルムは、美しい翡翠の瞳を不機嫌そうに細めていた。輝く銀髪は少しばかりほつれ、彼に要らぬ苦労をかけさせてしまったことが見て取れる。

 しかし多少身なりが乱れていても、彼の圧倒的美貌は揺らぐことはない。ディートヘルムは堂々たる態度と政治手腕によって、民から絶大な支持を得る稀代の名君なのだ。


「な、何で、ここに」


 礼を取ることも忘れて蒼ざめるばかりのレナータは、ほとんど無意識に立ち上がって後ずさりを始めていた。この後に及んで逃げようとするその様子に、皇帝の眉間に新たな皺が刻み込まれる。


「お前の行くところなど知れている。……セラフィナ」

「はい、陛下」


 急に話を振られたセラフィナは、それでも慌てる事なく応じて見せた。


「これを借りて行くぞ。構わぬな」

「はい。陛下のお望みのままに」


 そう答えた彼女は、何故だかとても嬉しそうな笑みを浮かべていたのだった。



 ***



 親友の部屋から引きずり出され、歩いた先に辿り着いたのは皇帝陛下の私室だった。

 場所は知っていたけれど、実際に足を踏み入れるのは初めてだ。ディートヘルムはさっさとソファーに腰掛けてしまって、目線だけで自分の隣を指し示した。

 レナータは恐る恐る同じソファに腰を据えた。ごく浅く、しかも彼から極力離れた位置取りで。

 ディートヘルムは何か言いたそうに目を細めたが、一つ溜息を吐くだけで何も言わなかった。


「……まだ話は終わっていなかったのだがな」

「ご、ごめんなさい、ディート」

「私に歯向かってくるのも、話の途中で逃げ出すのも、お前くらいのものだ。レーナ」


 苦笑を浮かべたところを見ると、思ったよりも怒っていないらしい。ほっと胸を撫で下ろしていると、彼は懐かしそうに目を細めた。


「覚えているか。幼い頃、よく喧嘩をした」

「ええ、そうね。懐かしいわ」


 二人は幼馴染だ。レナータの父は先代皇帝の頃から宰相を務めており、小さい頃からよく遊ぶ間柄だった。

 ディートヘルムの俺様ぶりは昔からで、育った環境によるものというより根っからの気質なのだろう。彼によって困らされる事も多々あったが、それよりも助けてもらう方が多かったように思う。


「お前を貶めようとした側室どもの減刑を願い出たのも、他ならぬお前だったな」

「……そう、ね。だって、あの子達は、ディートの事が好きなだけだったんだもの」


 その気持ちは痛いほどわかった。この美しくも苛烈な皇帝陛下は、どんなことをしたって手に入らないのだという絶望感。彼女達は政治犯ではなく、ただの恋に狂った乙女達だった。


「お前は勇敢で誠実で、慈悲深い。お前こそが皇后にふさわしいと、私は思う」


 ああ、そういうことか。

 ようやく納得がいって、レナータは苦笑をこぼした。

 わかっていた事だけれど、この男は優しくはない。自分の妻ではなく皇后を選ばなければならないという、冷酷な視点から物事を見るのだ。

 政治的に利用価値があるかどうかが全て。相手が自分のことをどう思っているのかなんて、ましてや自分を慕う女性にこんな事を告げたらどう思うかなんて、一切考えるつもりはない。

 けれどレナータは、そんな彼だからこそ、いままでどれ程の努力と苦悩を積み重ねてきたのか知っている。

 将来皇帝になるために。民が安らかなる国を造るために。沢山のものを犠牲にしてきたことを、知っているのだ。


「……わかったわ。その役目、引き受ける」


 結局のところ、これが惚れた弱みというやつなのだろう。

 彼が認めてくれた事が嬉しくて仕方がなかったし、引き受ければこの先ずっと側に居られるのだから、断ることなどできようはずもなかった。

 例え一生、最も欲しいその心が手に入らなかったとしても。

 しかしせっかくこちらが覚悟を決めたというのに、ディートヘルムは変な顔をしていた。怪訝そうに眉をしかめたその表情は、近頃はとんと見ることのなかったものだ。


「お前、わかっておらんな」

「何がよ?」

「私は、お前の事が好きだから皇后になって欲しい、と言っている」


 落ち着き払ったまま告げられた言葉は、すぐには飲み込めない程予想外のものだった。

 レナータは文字通り固まった。思考回路まで機能不全を起こし、二の句が継げなくなってしまう。

 ディートヘルムがじっくり待ってくれているのを良いことに、時間をかけてその言葉を噛み砕いていく。そして最終的に思ったことは。


「いや、言ってないわよね、それ!?」


 気付いた時には思ったことがそのまま口から飛び出ていた。

 喜びよりも衝撃が勝って、不敬である事も忘れて声を荒げてしまう。


「お前が話も聞かずに逃げるからだろう」

「それはそうだけど! そんなこと、今まで一度だって言わなかったじゃない!」

「言えるはずが無かろう。それを言えば、お前は間違いなく側室どもの標的になったはずだ」


 レナータは不意を突かれて言葉を失った。

 そんな。それではまるで、守ろうとしてくれていたみたいだ。


「まあ結局、発狂した奴らは手当たり次第に周囲の女を貶めようとしたわけだがな。できることならお前を危険に晒したくなかった。側室制度の廃止が叶ったら、ようやく伝えられると思っていた。……しかし、残念だ。それなりに態度で示してきたつもりだったが、伝わっていなかったか」


 ディートヘルムはあくまでも飄々としているが、話す内容はとんでもないものだった。

 そのどれもが聞いたことのない話ばかりで、困惑と羞恥と喜びが、胸の内で渦を巻いている。


「伝わるわけないじゃない……! 面と向かって側室解散宣言されてるのよ」

「そうか、それは悪かったな。だが私はお前の想い、しっかりと受け取っていたぞ」

「なっ……!?」


 じり、と秀麗な美貌が迫る。レナータはソファの背に限界まで体を押し付けたが、そんな事で逃げられるものでも無かった。


「レーナ。皇后に、なってくれるだろう……?」


 もう少しくらい文句を言いたかった。何ならその綺麗な横面をひっぱたいてやりたかった。

 しかし些細な抵抗も、薄い唇に自分のそれを塞がれた瞬間、力を失ってしまう。

 ひどい人だ。俺様で傲慢でその上冷酷。レナータが断るだなんて、これっぽっちも考えていない。

 そしてその通りなのだからどうしようもなかった。まともに物が考えられなくなるような幸せの中、せめてと意趣返しを思いつく。

 レナータはディートヘルムの胸を押し返すと、耳元に濡れた唇を寄せて囁いた。


「私もあなたが好きよ。大好き」


 顔から火が出そうな思いだったが、レナータは何とか噛まずに言い切った。

 さあ、彼はどう出るだろうか。少しでも照れてくれたら万々歳だが、そんなにうまくいくはずもーー。


「……」


 と、思っていたのに。予想外にディートヘルムが息を飲んだまま静止したため、レナータはちょっと驚いてしまった。

 こんなにも無防備な表情は初めて見た。

 これはもしかしなくとも、不意打ち成功、というやつではないだろうか。

 しかし喜びも束の間、ディートヘルムの腕が伸びてきて、今度は深く口付けられる。

 あまりのことに受け止めるだけで精一杯になっていたら、気付いた時にはソファに押し倒されていた。いつのまにか見上げる形になった彼の顔は、凄絶な笑みに彩られている。


「自分でも意外だ。ここまで嬉しいものだとはな」

「あの、ディート?」

「十分すぎるほど待った。もう、いいだろう……?」


 熱を宿した翡翠の瞳が近付いてくる。レナータは三度目の口付けを受け入れながら、逃げるという選択肢など存在しないことを悟るのだった。




 ***



 ふと集中が途切れたため、セラフィナは手元の刺繍から顔を上げて息を吐いた。

 このハンカチが完成したら、近々皇后になる親友にプレゼントするつもりだ。

 今頃は上手くいっただろうか。……いや、上手くいったに決まっている。なにせあの皇帝陛下の望みなのだから。

 この国に来て以来、かの皇帝陛下にはいくつかの頼み事をされてきた。それは小さなことから大きなことまで様々だったが、結果的には側室解散への歯車になりつつも、レナータを守る事に繋がっていたように思う。


「本当に、恐ろしいお方です……」


 セラフィナは独りごちて、親友の行く末を想った。

 どうか彼女の未来に幸多からんことを。

 けれど自分が祈るまでもなく、きっと大丈夫なのだろう。何せディートヘルムの想いは本物だ。人と相対するとき、まずは政治の手駒になるかどうか考える彼が、唯一純粋な想いを向ける人。側室制度を解体してまで愛した相手。

 それがレナータなのだから。


 セラフィナは一つ笑みをこぼすと、針を手に取り刺繍を再開した。いつまでここに居られるだろうかと、完成までの期限について考えながら。

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― 新着の感想 ―
[良い点] よく読んできた展開でしたが なぜ 良き〜 と感じるのでしょうか…… おそらく 言葉選びですよね! 作者さんの書き方がとても好きです〜! この作品 幸せ世界〜 という感じで、癒されました!…
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