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#7.5 帝王警護官・身辺調査記録 第一項

この資料は、第十五代・帝王警護官であるメィジ・ヴァスキン氏の、過去の行動・生活から現在の思想・信条に至るまでの、あらゆる情報について、本人の供述・過去を知る人物の証言などから、信頼に足るものを纏め、身辺調査記録としたものである。


クルィム帝王国軍・陸戦部隊・第一大隊長

カテリーナ・シャーバート

子どもの頃、男は飢えていた。

気持ちの問題ではない。シンプルに空腹だったのだ。


身寄りは皆、何処かへ消えてしまった。

元々、産み落としてもらっただけで、大して良くしてもらっていた訳でも無いので、血の繋がりに特別な意味を見出す事もない。


我が友は 流れる雲と 花ひとつ 川のささやき


だったか、そんな歌が流行っていたように思う。芸術とは縁遠かった。


とにかく、腹が減って仕様が無かった。

ひどい時は、川の底なんかに生えている訳の分からない草をちぎって、口の中に放り込んだりした。

何故わざわざ川の底なのかというと、丘に生えているのと比べて、ちょっとだけ塩っぽい味がする気がしていたからである。


そう、貧しい癖に、味の好みにはうるさかった。

嫌いなもの、不味いものは何が何でも食べなかった。

例えば、毎年夏に大量発生するホップメガホッパー。

ご馳走だご馳走だと言って、虫取り網片手にバタバタと走り回る仲間の浮浪者たちを、彼はいつも、心底軽蔑したような目で見ていた。

あんなものを食べるくらいなら、死んだほうがマシであると、心の底から思っていた。


そんな捻くれた性分をしているもんだから、近所の暇を持て余した子どもの集まりに、よく蹴られていた。

石をぶつけられ、心ない言葉を投げつけられても、彼は意に介さなかった。


「俺は忙しいんだ」


とだけ言って。実際、口に合うディナー探しに多忙を極めていたのだ。


そんなある日、ちょっとした事件が発生した。

いつもの子ども連中が、超えてはならない一線を超えてしまったのだ。

彼のディナーを台無しにした。

泥だらけの靴で踏みつけて、ぐちゃぐちゃにしてしまったのだ。


それはもう烈火の如くに怒った。

生命の危機であり、それ以上に精神の危機であった。

騎士が貴婦人に忠誠を誓うように、彼は自らの食事に身命を賭していたのだ。

一人を蹴飛ばし、一人を投げ飛ばし、一人の首を絞め上げた。

泣いて赦しを請う相手の顔が、青黒く腫れ上がってもなお殴り続けていると、突然、身体が宙に浮いた。

地面に叩きつけられ、起き上がる事が出来ない。

何とか目線だけを動かして、状況を把握した。


憲兵だ。

最初は、子どもの喧嘩になど関わるまいと傍観していたようだが、どうも様子がおかしいらしいと気付いてやって来たのだ。そして彼を蹴飛ばした。


重い痛みに身体が震えた。元から脆かった歯が何本か折れた。血の味は、存外悪くなかった。


憲兵に首を絞められ、罵声を浴びせられる。

彼が死んでも、誰も何も言わない。

つまり彼を殺しても、誰にも咎められない。

彼の身なりからそれを察した憲兵は、彼を再び地面へ叩きつけて、顔を踏んだ。

このままでは、何処の誰とも知らぬ憲兵の憂さ晴らしに利用されて死ぬ。彼は悟った。

そして思った。

死にたくないと。

そう、強く思った。


死を見つめる事から生が始まる、だったか。

何かの作家か哲学者が言っていたような気がする。

芸術とは縁遠かった。


それまで、例え三日食わない日が続いても、彼は自分が死ぬことなど考えなかった。

死というものが、よく分かっていなかったのだろう。

それは死に触れた経験が少ないからではない。むしろ逆で、幼い彼の周りには、そこら中に死がゴロゴロと転がり落ちていたのだ。

気まぐれで餌をやっていた野良猫が、次の日には浮浪者の爺さんによって丸焼きにされていたり。

その浮浪者の爺さんも、次の朝にはカラスにつつかれてたりする。野良猫なんか食うからだ。

とにかく、死はありふれていた。恐怖を抱くには、あまりにも身近な距離にあった。


そして今、彼は初めて死にたくないと思った。

自分の人生に価値など見出せる環境では無かったが、名前も知らない憲兵に強制終了させられるのは、やはりどうしても気に食わなかったし、虚しかった。

それに。


「まだ…」


やり残した事が。


「まだ晩ごはん食べてないんだよ!!!」


最高のディナーになるはずだったのだ。

あいつらに邪魔されなければ、人生最高の食事になるはずだった。それを食った後ならば、幾らでも殺されてやって構わないのだが。

食うはずだったそれを食うまでは、死ねない。

死にたくない。

生きたい。

強く思った。


「おおおぉぉぉぉ……!!」


身体の内側から、力が溢れ出て来る。

顔を踏み付ける憲兵の足を跳ね除け、立ち上がった。

怯む憲兵の顔を見て、怒りが頂点に達する。

その怒りが、そのまま力となって、彼の身体を突き動かした。


「オラァッ!!」


彼の渾身の蹴りを食らった憲兵の身体は、雲に呑み込まれるんじゃないかと思うくらい、高く高く打ち上がり、やがて大きな音を立てて、地面に激突した。


彼の身に、魔法が発現した瞬間である。


足元の水溜りで、自らの顔を確認した。

左頬に、確かに黒い紋様が現れている。

まだ小さく、色も薄いが。


そのまま彼は街を離れ、何処かへ消えてしまった。

彼の人生がまた別の方向へと動き出すのは、それから六年程経った頃。


ホップ・クルィム戦争が、開戦した。

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