#7 見下ろすような格好になる。
誠意は玄関先に。悪意はベッドの下に。
哲学者:セド・ドミレスコフ
「おはようございます。ハーグェン様」
「シャーバートさん、おはようございます」
帝王歴三七二年、十月。
場所は、ハーグェン城。
朝の柔らかい光と、秋の緩やかな風。
古今東西、数十万冊の蔵書を抱える『帝王書庫』で、城の主は紅茶を嗜んでいた。
「書庫内は飲食禁止でございますよ」
「書物を汚すようなヘマはしませんよ。一体何処の誰です、そのようなルールを作ったのは」
「洗面所の清掃は済んでおります。お顔を洗ってらっしゃいませ」
パドヴァ・シャーバート。六十四歳。男性。
クルィム帝王国の首相である。
帝王が国の政治に関わる事はできない。
ずっとずっと昔に、帝王自らが決めた事である。
それでも、最高権力者は帝王である(事になっている)ので、首相は、帝王から全ての政策決定権を『委託』されたという形で、政権を運営している。
パドヴァは元・帝王警護官である。
首相に就任した後も、暇を見つけては、帝王と世間話をし、身の回りの世話をした。
「お忙しいでしょうに。あなたが無理なさらずとも、ヴァスキンさんが全て上手くやってくれますのに」
「なっ! 余計なお世話という事でしょうか!?」
「い、いえそんな! ありがたく思っておりますよ! 私はただ、あなたの身を気遣って…」
「それに、ヴァスキンさんはまだまだ青二才です」
頬を膨らませて、わざとらしく意地悪な口振りで。
「そんな事ないですよ。彼の料理、とっても美味しいんですから」
「確かに手料理は絶品でしたが…彼はまだ未熟です」
「どのような点で?」
「精神面。帝王警護官としての、心構え」
その言葉の真の意味を、ハーグェンが理解するのは、もっとずっと先のお話。
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銃声。と言うより破裂音、爆発音に近い轟音。
現実の叫び。命が終わる音。
凍える程冷たくて、火傷する程熱い、鉄の怒号。
帝王は、我に返った。
「なにを…」
鎧を着込んだ大男が、大男であったものが、力無く地面に倒れ伏した。
「なにをやっているのです!!!」
声を荒げた。
帝王の刀は、隣に立つ男の首元に突き付けられた。
「…ご無事ですか?」
撃ったのだ。この男が。
腰にぶら下げていたショットガンを抜き、一瞬で終わらせた。何もかも。
「言ったはずです…手を出すなと」
「ええ、私は主君の命令を無視しました。どのような処罰を与えてくださっても構いません。しかし」
ショットガンをホルスターにしまい込んで、帝王の方に向き直った。そして続けた。
「私が撃たなければ、あなたは死んでいた」
「…彼の攻撃に対応するくらい、造作もありません」
「本当に?」
ヴァスキンの方が、背は高い。
自然、見下ろすような格好になる。
「彼に攻撃される直前、何やら苦しんでいた様にお見受けしましたが」
「あれは…」
「どうやらハーグェン様は、あの絶大なる力を制御し切っておられない」
そう言うと、ヴァスキンは跪き、帝王の手を握った。
今度はハーグェンが、ヴァスキンを見下ろす格好になった。
「万が一、いえ、億が一の事があっては困るのです。ご理解頂けますか?」
「…そういうのは、騎士が貴婦人にするものです」
「左様でございましたか」
笑っている。いつもの、独特の笑顔。
あぁやっぱり不思議な男だ、と帝王は思わずにいられなかった。
撃たれた彼の、鎧を脱がしてやろうとしたが。
どんな構造をしているのか、ビクともしない。
仕方なく適当な布を敷いて、その上に安置した。
我々ではなく、彼の仲間が、彼のあるべき場所に埋めてくれるであろう事を期待して。
帝王歴三七二年、十二月。
ファウンテン要塞、陥落。