#3 完璧である。
理解から最も遠い感情。
「ギァカ!すぐそっから離れろ!」
フォンデ軍の、誰かが叫んだ。
「グァリグさん、すぐここから離れてください」
クルィム帝王国の、帝王が言った。
帝王歴三七二年、十二月。
時刻は、午後二時を少し回った所。
場所は、フォンデ国領内・ファウンテン要塞。
暗雲立ち込め、強風吹き荒れる戦場にて、今まさに。
神話として語り継がれるであろう、我が主の新たなる伝説が、生まれようとしている。
その予感が、俺の心を、踊らせる。
「立てますか?」
「は、はい…!」
「軍を後退させるのです。よろしいですね?」
我が主に続き、そーっと地上に降り立った。
我が主の超絶かっこいい登場シーンを邪魔する訳にはいかない。
かっこよかったなぁ、落雷と共に降臨する我が主。
それにしても、我が主のお優しい事。
苦戦し多くの犠牲を出した挙句、君主の手を煩わせるなど。他国であれば、極刑でも足りないくらいの大罪であろうに。跪いて、視線を合わせ、身体を気遣い…何より敬語で接している!(こちらに関しては誰に対してもであらせられるが)
「ヴァスキンさん!」
「はい! 何でしょうか、ハーグェン様」
突然呼ばれて、声が上ずってしまった。
いけないいけない。集中せねば。
「彼を連れて後送してください。怪我をしています」
えっ、ちょっ、しょっ、少々お待ちください。
「私は大丈夫です。この程度の傷…」
そうだよねぇ〜! 見た感じ内臓逝っちゃってそうだけど大丈夫だよねぇ〜!
「しかし…!」
「ハーグェン様、本人もこう言っておりますし」
何より。
「何より私は、貴方のお側を離れる訳にはいかないのです」
断じて。離れてなるものか。
短い人の生の中で、最強の伝説を目の当たりにできる機会など、限られている。
争い事がお好きでないハーグェン様が、戦場においてその力の真髄を披露なさる、数少ない機会。
誰よりも近くで見届けたい。
その為に必死に勉強して、成り上がって、この位置に就いたのだ。
「そう…ですか」
そうですよぉ?
「隊長ォー!」
あぁ、ちょうど良かった。生き残っていたグァリグの部下達が、上官を心配して駆け付けてくれたらしい。
我が主の優しさが、国民一人一人の心にも輝きをもたらしている、良い例であろう。
グァリグは後送された。
残るは俺と、我が主。
そして無数の敵と、難攻不落の要塞。
完璧である。
「おい聴けェ! クルィムの独裁者!」
フォンデの犬どもが、遠くで何やら吠えている。
口の利き方にカチンと来たが、この程度の事で憤怒するのはスマートでない。
「億刀流だの、不死身だのと! 虚言を広めて調子に乗っているようだが、我々はそんなものに怖じたりしない!」
さっき大声で「そっから離れろ!」とか何とか言ってたのはあんたじゃないか、全く。
無知であり、無恥である。目障りだ。不愉快だ。
スマートでないかも知れないが、これ以上、駄弁を弄す事によって、我が主の耳を汚し、俺の興を削ぐのは許し難い。
やっちまおう。
腰のツイン・アサルト・ショットガンに手を伸ばし…
「お待ちなさい」
…我が主?
「手を出してはなりません、まして殺すなど」
「しかし奴は…」
「私が、やります」
そう仰ると、我が主は歩き始められた。
その目には、決意が宿っている。
おお、ついに。ついに来る。
胸が高鳴る。
「フンッ!」
お左手をお天にお掲げなさって、お叫ばられた。
いかんいかん。落ち着け。
雲の切れ間から、僅かに陽の光が差し込み、我が主を照らした。あぁ何と…神々しい…。
大気が震える。草木が騒めく。
おお自然よ、お前たちも感動しているのか。
「……!」
来る。
天空から。
我が主の左手に、吸い寄せられるように。
あれが飛来する。
……来た!
それを手を取った瞬間、真紅の光が、我が主の身体から放たれた。
すごい。眩しい。すごい。伝説の通りだ。
やがて光が収まった時、そこに居るのは我が主であり、我が主でない。
「……ハーグェン様?」
俺の呼び掛けに振り向かれた、我が主の顔は。
漆黒に染まっていた。紋様である。
その瞳は紅く輝き。
その左手には、鞘に入った刀が握られている。
「どうなさったんです、ヴァスキンさん?」
「いえ…!」
涙が溢れるのを、気付かれないよう堪えるので精一杯だった。打ち震えている。
「アホみたいな顔をして…殺されたいのですか?」
へ?