#1 書き遺しておこうと思う。
帝王歴三七二年、十二月。
クルィム帝王国と、南の隣国・フォンデ連合共和国は戦争状態にあった。
大陸最強を誇るクルィム帝王国軍・陸戦部隊は、着実にフォンデの地を支配しつつあったが、首都・シュロマまで後一歩の所で、予想外の苦戦を強いられていた。しかし、兵士達の間には楽観があった。年越しまでには帰れるだろう、と。
陸戦部隊・野戦陣地の中央。
彼らの主君であり、当代最強の剣士が、其処に鎮座していたからである。
「ハーグェン様」
背後から、彼の声が聴こえた。よく響く低音の声。
振り向くと、やはり彼が居た。いつもそうだ。
気が付くと、常に私の背後に立っている。
口角を限界まで上げ、しかし決して歯は見せない。
独特の笑顔をその顔面に貼り付けて。
髪は黒のオールバック。白を基調とした軍服に身を包み、腰には二丁の散弾銃をぶら下げている。
メィジ・ヴァスキン。
年齢不詳。三十代前半くらいに見える。
性別は、まぁ男だろうが、誰も裸を見た事がない。
秘密主義者である。
『帝王警護官』という、特別な役職に就いている。
つまり、私を守るのが彼の仕事だ。
彼と知り合い、共に生活をするようになってから、来月で四年になる。にも関わらず、私は彼をよく知らない。だから、書き遺しておこうと思う。
彼という謎を、私一人で解き明かすのは、少々骨が折れる。だから後世の歴史家達にも、一緒に考えて貰いたいのだ。彼は嫌がるだろうが。
「ハーグェン様?」
「ん、あ、はい。何でしょう」
そう。念の為、私についても記述しておこう。
一体いつ歴史から消されるのか、わからないから。
後の世の評価を恐れたのではない。
ただ、忘れ去られるのが悲しいだけである。
ハーグェン・ダッツァ。
年齢は忘れてしまった。
『帝王室清掃員』のダニエリ爺さんも自分の年齢を忘れてしまっているので、別に珍しい事ではない。
性別は男。趣味は読書で、特技は読書。休憩時間は読書に費やし、休みの日は読書をして過ごす。
その割には文章が下手だという後世の歴史家達の批判は甘んじて受け入れよう。
読書の合間に『クルィム帝王国』の領主を務めている。帝王である。威張りたい訳ではないが。
「最前線の第三中隊、グァリグ中隊長より支援要請。四機の改造兵士を中心とした敵増援部隊の襲撃を受け、隊戦力は既にその四十パーセントを損失。曰く、死屍累々。全滅待った無し。奴らには全く敵わない。バケモノにはバケモノをぶつけ…おっと!」
わざとらしく、驚いたような仕草で。
口を噤んだ。
「無礼でした。お赦しを」
と言って、頭を下げた。
私の方が背は低いので、少しだけ、彼の顔が見えた。
独特の笑顔を崩していない。
すごいなぁ、と思った。
くだらない感想だが、実は複雑な感情の混濁によって生み出された言葉でもある。
驚き、恐怖、呆れ、安心感、疲労感、その他諸々。
筆舌に尽くし難い。
「構いませんよ。それより」
私は、マントを羽織った。
黒地。
小さな赤い菱形の模様が、縦に二つ並んでいる。
私のエンブレム。
「ええ、急ぎましょう」
クルィム帝王国・帝王ハーグェンとして。
果たすべき使命がある。