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会員登録チートで成り上がり ~時代の変化で界隈最強~

作者: 曇天紫苑

ふと考えて書きました。あくまで可能性の一端です。

 そもそも、なぜ小説家になろうは、投稿サイトの高みへ上ったのか?



 つい最近、他の方のエッセイに感想を書いていて、あれ? と、思いました。

 自分の中で抱いていた論が変わっている様な気がしたのです。




 かつて、いや今もあるのですが、「Arcadia」という小説投稿サイトがありました。


 そこはかつて多くの作者と読者が集まり、二次創作メインながらも多くの人に慕われ、オーバーロードや幼女戦記やダンまちやアクセルワールドを輩出した名サイトでした。

 が、感想の凄まじい厳しさ、掲示板形式だから作者には荒らしのブロックも削除もできない権限の少なさ、運営者の管理放棄、トドメのサーバーダウンと弱体化が重なり、ついには、一次創作と二次創作作者の大半を小説家になろうに、二次創作はハーメルンに奪われてしまいました。



 という、わりとよく言われている事は頭に入れていただけると幸いです。


 私も前にそういった趣旨のエッセイを書いています。






 ……しかし、Arcadiaが衰退したからなろうが頂点になったんだろうか? でもどうして衰退した? あのとき、なろうが大きくなっていった時はまだサーバーなんて落ちていなかったぞ?


 厳しすぎる感想を嫌がる人が増えた?

 いやいやいや。仮にも頂点にいた投稿サイトだ。前から厳しかったしその中でも沢山の人が書いていた。

 そもそも厳しすぎるといっても当時基準なら「まあ許容範囲」だった。

 管理放棄は確かに起きていた。が、なろうが大きくなるのはその前だった。あの頃はまだまだArcadiaにも沢山の作品が投稿されていた。



 頭の中でそんな囁きがありました。


 そこにはもっと大きな、大きな時代の流れがあって、なろうはそこに乗れたから、Arcadiaはそこから弾かれたから、今の立ち位置になれたのではないか?


 そんな風に思ったわけで。



 じゃあ、そこで、「Arcadiaが衰退したのっていつだっけ? あの時ネットでどんなことがあったかな、どんなサイトが盛り上がっていったっけな」と思い返して、やっと気づいたのです。




「あ、TwitterとPixivだ」




 これだ! と思いました。

 この二つと、小説家になろうには同じ機能がある!



 そう、会員登録があって、発言者一人一人に名前がついていた!




 大きな時代の流れとはつまり……「匿名の終わり」だったんだ!




 そんなひらめきがありました。






 あの当時、2010年の前後で匿名文化が表舞台から消えました。


 ……ああ、いえいえ。

 もちろん今も匿名文化は健在です。じゃなきゃまとめブログとかは存在しませんよね。ネットの深いところにはTorを使った更に完全へと近づいた匿名文化がありますし。



 でも「インターネットで作品を創って投稿する」場所は、どんどんと匿名じゃなくなっていった。

 作者の名前はアカウントと一緒に表示され、感想を書く方にも会員名があった。



 かつて、匿名とはインターネットの全てと言っても良かった。

 特にパソコン、現実の知り合いと関わらない場所でのインターネットとは、基本的に匿名だった。

 ケータイやmixi、ブログもその時すでにあったけど、オタク向けの、ライトノベルとかアニメとか漫画とか、そういう物は、そう、匿名文化の華である2ちゃんねるの中にあった。



 匿名だからこそ生まれた文化や価値観があって、Arcadiaはそこにあった。

 匿名という世界観の中にあって、小説投稿サイトの中で頂点に居たのがArcadiaだった。



 なろうは、そこにあったのだろうか? いや、ない。なかった。


 なろうは会員登録制のサイト。

 見るだけなら登録しなくても出来るけれど、投稿するにも評価するにも感想を送るにも会員登録がいる。(いらない場合もありますが)


 だから、会員登録を必要とするサイトは匿名ではない。


 Arcadiaは一応ユーザーネームがあるが、会員登録制度はなくて匿名に近い。誰でも好きに書けたし、誰でもすぐに名前を変えられる。

 なろうは会員登録を前提にしているから、匿名ではない。


 この一点は、ひょっとするととても大きな一点だったのではないか。



 あの頃、インターネット上のオタク創作サイトは「会員登録」が必要になるサイトが加速的に増えていって、雰囲気もまるで違う物に変わっていった。



 お絵かき掲示板やアップローダーはpixivに、

 面白フラッシュ保管庫はニコニコ動画やYoutubeに、

 個人サイトや創作スレでの発表だったフリーゲームは少し遅れてふりーむ!に、

 そしてArcadiaは、なろうへと。



 作品を創るにしたって感想を書くにしたって会員登録がいる、


 当時のインターネットにいた人なら、ひょっとすると感じていたかもしれません、ネット上で発表される作品と、それに対する付き合い方、一人一人の発言、言葉、考え方……何か、それ以前とは少しだけ変化していなかっただろうか?




 匿名と、非匿名の文化の違いってなんだろう。

 次に思ったのはそれです。

 これはそのまま、Arcadiaとなろうのユーザーの意識が違う事に繋がるんじゃないかと思います。



 そこで一つ思い浮かぶのが、これ。

 「趣味で作った物で金を取っちゃいけない」とか「趣味で作った物なんだから見返りは求めちゃ駄目」みたいな感覚。


 これは私にも昔はありましたし、今も言っている人が居る。

 私にも覚えがあります。かつてそんな風に感じていた時期もありました。

 これを、かつて私は自分のエッセイ内で「清貧信仰」と称しました。


 が、実際には、かつての匿名文化が持っていた性質を今も残している人達の感覚なのではないか?


 私自身も「みーんな名無しの誰か、名前有りで友達っぽいことするならチャットでやるべき、顔出しで動画配信? 狂ってんの?」みたいな時代にいました。だから、私が持っているのがかつての価値観だとしても不思議ではない。





 よく考えてみると、匿名でのエンターテイメントとして発表される作品は、「みんなに楽しく見て貰う」以外の価値が存在する事は許されなかった。

 というより、匿名が前提だからこそ、作者という個人が前に出てくる事は忌避された。


 匿名の、同じ趣味を持っているという一点で集まった集団だから、そこで生まれた作品は「そのサイトを使うみんなの共同財産」だった。


 権利意識も薄く「良い物は共有されるのが当然」という考え方が大きかった。だから無断転載はあ当たり前だったし、再配布といって削除された作品を配る善意の第三者も沢山いた。


 みんなの為のものだった創作物、

 そんな中で、「創った作品をみんなに読んでもらって、ついでに自分に利益を」あるいは「自分という個人として評価されたい」という意識を持っている人は、匿名という集団の利益の邪魔者として罵られた。



 つまり


月額制度や作品販売での

「収益化」


出版社に声をかけられてプロ作家デビューする

「書籍化」


面白かったという証明としてお金を貰う

「投げ銭」


出来るだけ沢山の人の目に見て貰いたい、賞賛されたいという

「承認欲求」


 今ではそこまで珍しくない事として扱われるこれら。

 こういった物を口に出す行為が、当時は好まれなかった。



 匿名の名のもとに、一つのサイトの中で共同財産を提供する存在が作者であって、人格を持つ個人ではなかった。

 ある意味では全体主義的だった、と言っても良いのかもしれません。

 営利活動から離れた大衆による大衆のためのユートピアです。




 そこには「作品とはみんなで共有して楽しむためのものであって、作者の所有物ではない」「作者は匿名の中の一部で、個人ではない」という感覚があったのではないかと思います。



 だからこそ「駄作と見られたもの」はこっぴどく批判されても文句は言えなかった。それで作者が傷つくなんて考慮する意味が無かった。


 だって作者も集団の中の取るに足らない一人だから。


 「友達でも仲間でもない名前も知らない大勢」の中で作品を見せた以上、駄作と思われれば叩かれる、罵声が飛んでくるのは当たり前、という価値観があった。







 そう、匿名という文化は人同士の距離感を大事にしていた様に思います。

 出会いは一期一会で、名前を持った個人同士ではなく、まして友達でも仲間でもない。


 人間同士の関係としては一歩引いたもので、相手を人とは見るけど個人とは見ない、という感覚、「大きな集団の中の一つ」として数える考え方です。


 会話している相手は友達でも何でも無い他人で、だけど誰もが「匿名」という仮面を持つからこそ、みんなで一緒になって行動し、楽しみ、時に罵倒合戦になる。




 ……今は、もう少し違う関係性になっていますね?





 この、「匿名という集団」だからこそ作られる、「作品はみんなのもの」という意識が消えた。


 「匿名の中の名無しの誰か」が「名前を持つ個人」になっていった。


 一期一会の、そのスレッドだけの出会いで終わる関係が、もっと長期的なそれに変化していった。



 そうしていく中で、個人の権利意識が芽生え、作品は作者個人の著作物となり、


 「言う側も言われる側も一人の人格持つ人間だから、相手に配慮しなければならない」となった。

 インターネットを使うオタク達にとって、それらがわりとありふれた考え方になっていった。

 その変化という時代の流れに晒されて、時代に合わなくなったArcadiaは衰退し、時代と合致したなろうは巨大化していったのではないだろうか?




 無論、それだけが全てではない事は明白。

 なろうとArcadiaの運命の分岐は、歴史上の多くの出来事がそうであるように多面的で、一つだけの事項に全ての責任を負わせる事はできません。



 だって、匿名の終わりがArcadiaを過去にしたのなら、規模こそ違うとはいえ、2ちゃんねるが今も一定の勢力を持っている筈が無い。


 Arcadiaに一切原因が無かった訳ではありません。

 長期間のサーバーダウンや、管理放棄、機能面で上位互換同然のハーメルンの登場


 なろうに一切要因が無かった訳ではありません。

 魔法科高校の劣等生の書籍化、自己管理が出来る機能、ランキング


 Arcadiaというサイトは確かに厳しい感想を推奨していましたし、なろうが作者に多くの権限を渡したのも、事実です。

 Arcadiaのサーバーダウン、にじファンの消滅、最終的にはなろうが天下を取ったのは必然的な事だった。


 スマホの普及に伴う文化の変化と、Arcadiaがスマホ向きでは無かったのもあるでしょう


 この世は全て因果の連なりからなる流動するものであって永久不変のものはない、と昔の偉い人は言いました。


 だから、こんな些細な歴史にも、多くの因果関係があったと思います。




 ただ、理由の一つとして「時代の変化」はあったのではないか?



 あのとき、なろうはスターダムにのし上がろうとしていた。


 それは時代の流れが生んだ必然だったのかもしれない。


 そんな風に、今は思うのです。

一面的にだけ物を見るのでは何も見えていないのと同じだと思っていたのですが、私自身もそうであったと思い知りました。

モラルが低かったから感想が厳しかったのか? それとも作者に職人意識を求めたから感想が厳しかったのか? それらも可能性としてはありますが、また別に「時代」という文化の根本があったようにも思うのです。

色々と考えると沢山の可能性が出てきて、これだから懐古からの思考はやめられませんね

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― 新着の感想 ―
[良い点] 確かに匿名と登録制だと意識変わります 面白くない&気に入らない=罵詈雑言の流れが無くなるだけでも感想欄が綺麗になりました 過渡期のにじファンのあった頃のなろうの感想欄は酷かったですよね […
[一言] 例えばの話ですが・・・ なろうにも、プロを目指している作者がいますね。私もいくつか、賞に応募しているのですが・・・ もしもですよ。受賞した場合って、作者が「表に」出るじゃ無いですか。その時…
2018/11/17 07:18 退会済み
管理
[良い点] 中々に深く推察されていると思います。 まぁ、基本は余計な諸々よりも”楽しく書いて、楽しく読んで貰える物語”であることに変わりはないと思いますが……
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