神ノ46話「静謐ニ凍テ付ク装イ 其ノ弐」
神獣ネグローニ、四足の毛皮に覆われた竜で厳密には竜とも異なる。
爬虫類が空を獲得したのが竜であるならば、ネグローニは大地を獲得した竜とでも言えよう。
生態が大きく異なる。もっとも、アルスマグナの分魂は殊更に特殊であるためアジサイは何も驚かない。
そのネグローニが死去し、卵を火にかけるように頼まれたアジサイは、絶え間なく薪を炉の中にくべている。
炎魔術を使えば良いとも考えたが、魔術による炎は、大気や土、物質の中にある魔素と呼ばれるものを魔力で励起してあたかもそう言うものと同じ振る舞いをする物とエレインに教えられているため、炎の三日三晩卵を入れ続けるネグローニの言う炎を見た目や性質こそ似ているが根本は全く異なるのである。
魔術由来の炎:魔素が炎の役割を果たす。
本来の炎:光と熱が伴う激しい酸化反応。
酸素を取り込んで光と熱を発生させる化学変化ではない。ただし、熱を受けて木材などが引火する場合は普通の火になるため、見極めは難しい。
エレインから教わった話をアジサイは思い出している。
火にかけてから二十四時間が経過した。現在時刻は午後三時、そろそろ日没である。
あと四十八時間卵の面倒を見なければならない。
火を見守りながら、凍り付いた空色のような宝形に真ん中には白い雪の結晶のような模様の装具である。展開すると、空色を基調とした雪をモチーフにした柄の羽織が展開された。
手には黒いカーボン製のストックに黒い銃身を持つ、ポンプアクションショットガンM870であった。今まで入手した装具のどれにも属さない銃である。
アジサイは安全装置を解除しフォアエンドを引き薬室を確認する。フォアエンドを前に押し出してM870を構えて引き金に指をかけて力を入れる。カチンと音が響くと構えを解いて、銃の安全装置をオンにする。
銃の状態を把握すると、次に装具の能力をチェックする。
手のひらから冷気が放たれる。部屋の温度が一気に下がるのが感覚でわかったるほどの凄まじい冷気である。
凍装『山眠』――
ショットガンと冷気を操る装具である。
アジサイは凍装を解除すると、起装、雲装、枯装を取り出し、装具たちを重ねる。
季装『春夏秋冬』
これでまた一つ装具本来の姿を取り戻すことが出来た。
空気、電気、熱気、冷気を同時に操ることが出来るだろう。アジサイとしてはようやくこれで、ジークやミオリアに比肩できる力を入手したと安堵できる。
アジサイは季節『春夏秋冬』展開する。その名の通り、季節を現したような純白の羽織が展開される。周り環境に溶け込むように雪色の装具は景色に溶け込む迷彩のような機能を果たしている。
アジサイは煙草に火をつけると、煙を吐き出す。久々に吸った煙は口の中でスモーキーな香りと苦味を与える。
フィルターが粗悪品であるため肺まで煙は入れないが、満足度は十二分である。
卵を温め始めてからアジサイのいる領土ハスタート標高四千メートル地点に魔獣の姿が見られるようになった。ネグローニの気配が消えたのか、この山の覇権を競って次々魔獣が何かを探しているように山を登り始めている。
アジサイは拠点の外に出ると、ライフルの豊和M1500に弾丸をセットし、ストックを左肩に押し当てる。
吹雪の影響で三メートル先の景色も見えないほどホワイトアウトしている。アジサイは本能だけを頼りに銃の安全装置を解除し、銃を構えている。
雪と風の音の中にわずかに聞こえる獣の足音、スピカに教えられた音の聞き分け方をアジサイは思い出す。
肺の空気を五割にすると、アジサイは引き金に指を掛ける。
魔獣を視界で捉えると、頚椎を狙って銃弾を放つ。魔獣の悲鳴と共に、頚椎に銃弾は直撃し、魔獣は倒れる。
ライフルのボルトを下げて、空薬莢を回収するとボルトを押し戻して次弾を装填する。
昨晩だけでもこの手の魔獣を十体は狩っているが、いずれも大型の魔獣ばかりで、アジサイの五倍はある体高を持つバッファローのような魔獣もアジサイは狩っている。いずれも急所を外した時点でアジサイが大怪我してもおかしくない強さの魔獣ばかりである。装具の制限も取っ払い、全てを一撃で葬るくらいのことをしなければならない。
加えて、魔獣を掃除しながら薪の収集を日中はしなければならない。吹雪の中、危険だが
アジサイは樹木を切り倒して丸太を集める。
丸太はアジサイの起装と枯装の力で一瞬に炭となり、その炭をアジサイは集める。炭にすることで燃料を軽量コンパクトに少しでもするのが目的である。副次的に煙や煤の問題も解決できる。いいことずくめである。
三十キロほどの炭を集めると、アジサイは拠点へ戻る。この吹雪で拠点を目で探すのは難しい。アジサイは方位磁石を取り出し、方位を確認する。
拠点へ出る際は東に向かって歩いたため、西に向かえば拠点に戻れる。雪に足を取られながらアジサイは拠点へ向かう。
三十キロの炭と倒した魔獣を起装の空気を操る力で空中に浮かせ、ライフルの豊和M1500を構えながら慎重に前を進む。
拠点を見つけると、炭を置いてさらに西に向かい、魔獣の解体を行う。拠点との距離が近すぎると、臭いにつられて魔獣が来る可能性がある。
一時間ほどで内臓と皮、そして肉をナイフできれいに仕分けると。内臓はそのまま置き捨て、皮は回収する。残った骨は何本かキープし、肉は上質な部分だけを切り分ける。残りは腹を空かせた魔獣に与える。とはいえ、牛の三倍は大きい魔獣であるため、上質な部位と言っても何十キロもありアジサイ一人なら何日も充分食っていける。
改めて拠点に戻り、早速炭を炉の中にガサガサと放り込む。粉炭が一気に火花を立てて燃え始めてから徐々に大きな炭の塊に火がついて行く。
アジサイは炉の上にある手製の鍋から沸騰した湯を一杯コップに入れる。外に山ほどある雪を入れて温度調整した後、ぬるま湯を飲み干す。
体に熱を入ってくるのが分かった。ひと息つくと、金串に取れたての切り身を刺して炉の燃料投入口付近の地面に刺して置く遠火でじっくりと焼く。油が滴り始めると何とも言えない肉の香りが充満する。
お湯を沸かした鍋を持ってその中に雪をいくらか放り込みタオルを放り込む。濡れたタオルをよく絞り、アジサイは体を拭く。
いい加減に、湯船につかりたいところだが、この状況では文句を言っても虚しいだけである。
外は吹雪が酷く、ゴウゴウと風がぶつかり合う音が聞こえる。
肉が焼けるのを待つ間、アジサイは魔獣の骨を取り出すと、ナイフで何度が骨を叩き、骨髄を取り出す。それをそのまま口に入れて一気に飲み込む。強烈な獣臭と血なまぐさい嗚咽を催す醜悪な臭いを耐えながら胃袋に収める。
極寒の世界でビタミンやミネラルと摂取するのは非常に難しい。野菜などが手に入らないからである。そこでミネラルやビタミン不足を解消するために、血液や骨髄を食べる習慣がある。エスキモーたちもこうやって極限環境でも生き残る術を手にしている。それに倣ってアジサイも骨髄を摂取している。
この吹雪では日光もまともに浴びれない日が続いている。いつもの摂取している量の倍以上の骨髄をアジサイは胃袋に放り込む。やや気持ち悪くなるなりながらアジサイは骨髄を完食する。
肉が焼けると、かぶりつく。原始的な調理方法だがこれが肉で一番うまいとアジサイは確信している。
お湯を飲み、一息つく。
アジサイはテントの中に入り、眠りにつく。
暗転――。
「またかよ」
アジサイはいつもの墓場に付く。またあの夢である。
「そうですね、またです。と言っても私は初めてですが」
蒼白の着物に白い雪のような肌、雪女という言葉がピタリと当てはまる。アジサイはそんな女性の膝を枕に墓の階段に寝転んでいる。アジサイからの死角では女の大きな胸に阻まれて女の顔を見ることはできない。
彼女は冬の女である。
「ところで君がいるってことは、他の三人も来ると言う事かな」
「その通りだね」
アジサイは胸ではなく声の方に視線を移す。
紅葉色の着物が美しい女が本を片手にアジサイを見下ろしている。
「やぁ、秋の女」
「やぁ、アジサイ」
懐かしい顔ぶれにアジサイは穏やかな笑みを浮かべる。
「やっほー私もいるよ」
「お、春の女」
「私もいるぜい」
桃色の着物と夏らしい浴衣を着た女が並んでいる。
「お、夏の女」
アジサイは起き上がると冬の女の隣に座る。
冬の女は相変わらずの美女で、懐からタバコを取り出しアジサイに差し出す。アジサイは煙草を咥えると秋の女が火をつける。
「悪いね」
「いいんだよ」
「構うことないわ」
アジサイは煙をゆっくりと吐き出すと、静かに女たちを眺める。美女で眼福と言うのもあるが何よりも懐かしき顔ぶれにアジサイは泣きそうになっていた。盟友たちとの再会はアジサイの心を柔らかくする。
「ようやく私たちを集めたんだね、長かったよー、半年くらい?」
「頑張った方だと思うよ、ご褒美にハグしてあげよっか」
「やめときなさい夏の女、そんな貧相な胸で抱き付いたら洗濯と間違われる」
「誰が洗濯板よ冬の女!」
「まぁまぁ、そう言うな、さてと、それで俺に用があるんだろ?」
「いや、特に何もない」
秋の女が淡々と答える。
「え、あ、はい」
「ただ私たちが顔を見たかっただけ!」
春の女が楽しそうににっこりと笑う。
「と言ってもあまり時間は残っちゃいないわよ」
冬の女はため息を付く。
「え、まじ?」
「こうしている間にもアジサイ本体の近くに化け物が近づいているわよ」
「まじか、こうしちゃいられねえな」
「ごめーん、ね!」
「春の女お前ぇ!」
テヘペロと言わんばかりに春の女は、反省もなく謝る。
「じゃあ、よっこいしょっと」
アジサイはのろりと立ち上がると、背伸びをする。
季節の女たちは一列に並ぶ。
「じゃあ、うまくやるよ」
「私たちはお前が悪人になっても助けてあげますわ」
「いつだって君の味方だぜ!」
「そうーだともー!」
「じゃあ、気を付けてね」
冬の女、夏の女、春の女、秋の女は続けざまに言う。
「じゃあ、俺が大量殺戮者になってもよろしく頼むぜ、約束だ」
「ふっ、あんたにそんなことができるのなら、その時は味方しましょう」
最後にそう言われ、アジサイの意識は現実世界へ戻される。
目を覚ますと、季装『春夏秋冬』を発動させる。魔獣の足音が近い、急いでライフルの豊和M1500に弾薬を詰め込み、ボルトを前後させて薬室内に銃弾を詰め込む。
拠点の外に出るとアジサイは安全装置を解除して銃を構える。
獣臭い、まるで鼻先に魔獣の身体をこすりつけているような気分だった。
時刻は午前零時、最悪の二日目が始まった。
この世界の設定ですが、魔物とか魔術とかそういうのいっぱいあるけど、敗血症や壊血症など様々な病気なども存在しますので、私の知識の限りリアルに描写していきたいと考えています。