神ノ13話「芽吹きと間引き」
「貴様、その金属が擦れる音が不快なのだが?」
鑢を使ってアジサイは金属を削っていた。材料は不慮の事故で折れてしまったハルバードの先端部分である。
「まぁ、そう言うな、戦斧の折れた先端でナイフを作っているんだ」
「また武器か、武器なら私だけで良いだろう?」
不貞腐れるアルラウネは葉を茂らせながら日光浴をしている。長閑な朝の陽ざしが葉脈を透かしている。その木陰でアジサイは作業する。
「これは武器にもなるけど、サバイバル用だ。戦闘以外にも小さい刃物は何かと入用だからね。料理とかに使うものだ」
アジサイはこのナイフを作るために早朝、朝日が昇る前から炉に火を入れ作業をして、この時間でようやく形になった。現在は刃の調整を行っている。それも最終段階で、今はもはや趣味のレベルだ。
「よし、そろそろかな」
「ようやくか、私も十分陽を浴びた」
アンラは柄に枝葉を収めると、アジサイの身体に纏わりついた。
「して、次は何処に?」
「厨房さ」
アジサイはにやりと笑いながら歩き始める。
厨房に行くと、コックたちは慌ただしくしていた。アジサイはその中で、指示を出している料理長と思われる男を呼んだ。
「茶葉と酢が欲しい」
「どれぐらいだ?」
「コップに一杯と茶葉はコップに二杯、粗悪品でいい」
「すぐ持ってこさせる」
「あと石鹸も」
役職柄なのか料理長がいい人なのかアジサイは判断できなかったが、これで必要なものを揃えることができた。
貰い物を手にアジサイは自室へ戻る。
部屋にある鈴を鳴らしメイドを呼ぶ。
「御呼びでしょうか?」
即座に待機していたメイドが現れる。
「お疲れ様、これを1リットルの水で煮出してきてほしいんだ、二十分くらい煮出して濃く出して欲しい。それをトレーに入れて持ってきて」
そう言ってアジサイは茶葉を渡した。メイドは不振がりながら頷いて茶葉を持って出て行った。
「何をするつもりなのだ?」
「ナイフの処理さ」
ハンドルもついていない鉄がむき出しのままのナイフをアジサイは眺めている。
「そう言えば、貴様、ふかふかの腐葉土はどうした?」
「あっ」
「貴様ぁ!」
「いやぁ、ごめんて、でもどうせこれから旅に出るんだし、用意したところで……ねっ?」
アンラはアジサイの胸倉を掴んで揺さぶった。
「楽しみにしておったのだぞ!」
「ごめんって、魔力いつもより吸っていいから」
「ふん、まぁいい、この借りは高いぞ」
「ごめんごめん」
アジサイは平謝りして石鹸とナイフを持って席を立つと洗面台へ向かう。石鹸でナイフを二十分ほど良く洗い、タオルで水気をふき取り先ほどいた自分のテーブルへ置いた。
頃合いよくメイドが煮出した紅茶をトレーに入れて持ってくる。アンラが引っ込むの見てからメイドを招き入れる。
「お待ちしました……」
「ありがとう、テーブルに置いて」
指示通りメイドはトレーを置いて部屋から出て行った。
「さてと、やりますか」
アジサイは酢を紅茶の中に入れ、指でかき混ぜ、その中にナイフを入れた。
「臭いな」
「そだねー」
「いつまでこれを置いておくんだ?」
「夜までかな」
「随分手間のかかる作業だ」
「これを惜しむと面倒くさいことになるんだ」
アンラはそれ以上なにも言わなかった。
アンラは魔獣だが、意外と人間のやることに理解がある。それに加えて、アジサイの成すことに対して強い興味を示している。人間の文化に興味があるということが考えられた。この二点がここ二日のアジサイの所感だ。
アルラウネの種類の特徴なのか、それともアンラの個体差なのかは今のアジサイには決定できなかった。
昼餉の鐘が鳴った。
コンコンコンッ――。
ノックが三度鳴る。アンラはアジサイに纏わりついて透過する。
アジサイは返事をするとジークが顔を出した。
「飯行こうぜ」
「わかった」
朝から何も食べていないアジサイは、素早く席を立ち、食堂に向かった。
「そういや、武器はずっと持ち歩いていないんだな」
廊下を歩きながらジークはアジサイに尋ねた。
「隠し持っているだけさ、それに――」
「おや、誰かと思えばアジサイ殿ではないか」
「奇遇っすね」
タンドレッサが不敵に笑っている。
「昨日は剣を拾っていただきありがとうございます。しかし、おかしいですね、しっかりとベルトをチェックしたのに、どこも問題がなかったのですよ」
「妖精にでも悪戯されたんじゃないですかね?」
「はっはっは、面白いことを言いますね」
タンドレッサの目的が未だに理解できない。
目的はなんだろうか、アジサイは道化を偽り考える時間をできるだけ長くする。
そもそも決闘の動機は何だろうか――。
なぜ決闘を?
なぜアジサイに執着する?
そういえば、エレインに魔術を教えてもらっているところも知っている。
決闘の果てに何がある、アジサイが負けたところでアンタレスの意思が変わるのだろうか。
狙いが掴めない。わからない。アジサイは警戒心を募らせる。
「どうした、アジサイ殿、顔色が良くないが?」
「はは、健康ですよ」
「そうですか、それでは、明日、あなた達との決闘を楽しみにしています」
「ええ、正々堂々、互いの力量をぶつけましょう」
タンドレッサは一瞥して食堂の中へ消えていった。
ほんの一分にも満たない会話だったがアジサイの疑念は深まるばかりだった。
「アジサイどうした?」
「いや、なんか引っかかるな」
「そうかぁ?」
「考えすぎかもな」
アジサイは神妙な面持ちで食堂に入り、昼飯を摂った。
食事中はタンドレッサの発言が気がかりでしょうがなかった。
刻限はもう一日もない。調べる暇はそこまでないし、午後からはエレインの魔術指導がある。
アジサイは諦めるしかなかった。
「あぁ、なんかイラつくな」
「どうした急に?」
魔術の練習をしながらアジサイはぼやいた
「いや、タンドレッサのことが気になってさ」
「タンドレッサか……随分な野心家と聞いたし、アンタレスの護衛候補になったときは部下たちと城下町で随分騒いでいたらしいな」
エレインの耳にさえ入っているのなら、アジサイはかなりの恨みをかっていることになる。
「だったら恨まれるなぁ」
「差し詰め、決闘して力を誇示すれば護衛を見直してくれるというのが狙いだろう」
「護衛任務の件、断りてえな」
「文句を言うな、アイツの推薦でもあるわけだし」
アイツと言うのはミオリアのことだろう。ネフィリと二人きりで出かけているため未だご立腹である。
「ですよね……」
「全く、一日くらい待ってくれてもいいじゃないか、まったく……」
焼きもち焼いて不貞腐れる彼女を見てアジサイは微笑ましくなった。
「何んだ? アジサイ、そのにやけた顔は?」
「何でもないさ」
「いいから魔術に集中しろ」
「はいはい」
この三日間のスパルタ教育によって、アジサイは魔術を習熟はビギナーを脱せそうなレベルまで上がっていた。
「しかし、アジサイは、頑張ってはいるが……魔術のセンスは無い」
「そうか……」
「制御センスがゼロ、出力大きすぎて魔術が破綻してしまっている。暴発しないのが幸いだが下手すれば手足が飛びかねない」
「すいません……」
「しかし、それは私の間違いだったかも知れない」
「どういうこと?」
「例えば、通常、人間の魔力と言うのは、個人の素質で半分決まる。もう半分は努力だ。ショットグラスが元々の大きさならそれ二杯分くらいにはできる。壺なら壺二つ分くらいに増やしそれを制御する。ここまでわかるな?」
「うん、なんとなくわかった」
「では続ける、制御というのはこの壺からコップ一杯分を出すという感覚に近い。だが壺を傾けてコップ一杯取り出すのは結構難しい。傾き過ぎればコップは簡単に溢れてしまう」
「うん、うまくできなくてすまない……」
「ここらがアジサイの器の話になる。例えば、私が王城で一番大きい風呂だとしたときアジサイは、巨大な湖になる。巨大な湖を傾けてコップ一杯の水を取り出せというのは無理な話では? と私は考えた。だったら、初歩の少ない魔力で操る魔術ではなく、上位魔術、しかも大量の魔力使う魔術をやらせたほうが良いのではと」
「上位魔術?」
「魔術には下位、中位、上位、超位、神位の四つの段階があるのは教えたはずだが……まぁいい、上位魔術は大きく分けて二つある。制御系が難しく、繊細な操作が必要な魔術とそもそも魔力が足りな過ぎて発動できない魔術の二つだ。アジサイがやるのは後者になる。教えるからやってみて欲しい。私も何回もできないから一度だけだ」
「では、行くぞ――『メガーリ・フロガ』」
エレインの指先に蒼白い光が現れた瞬間、爆発するようにそれが前方へ飛んで行った。轟音と共に何メートルも離れていたアジサイの肌がヒリヒリする。
青白い炎がエレインの指から放出されたのだ。炎が通た後は、地面が溶融していた。
「これがメガーリ系列の魔術、魔力量に物を言わせて高火力の魔術をぶつけるものだ。構造は風を操る魔術と、炎を操る魔術を合わせただけの単純なものだ、やってみるといい」
アジサイは頷いてから、手を前に出す。
まず、空気を集める。手のひらに圧縮するように手に集めるように風を捕まえる。
「もっとだもっと魔力を込めていい」
アジサイは頷いて魔力の出力を上げる。
「その中で、炎を燃やした瞬間集めた風を前に解き放つ、解き放った風を発火させるような感覚だ」
アジサイは、空気を前に出し、炎魔術を発動させる。
前が見えなくなった。蒼白い炎が放出された。
エレインが見せたお手本よりもはるかに大きい炎がバーナーのように放出された。
数十秒放出したあと、炎は消え、目の前には溶けた地面が川のように何十メートルも続いていた。
「成功だな」
「これはすごい」
「あまり教えたくなかったがどうやら向いているようだな」
エレインは残念そうな顔をした。それにどんな意味が込められているのかアジサイの知るところではなかった。
「こっちの方が使いやすい気がします」
「そうか、それなら似たような奴をいくつか教えるが、明日の決闘では使うことを禁止する。闘技場内でこんなものを使った日には死人が出る」
「肝に銘じておきます」
エレインは頷いた。
それからエレインにいくつかの上位魔法を教え、この日の講座春桜は終わった。
日が暮れるまで上位魔法を練習したアジサイは、ちょうどいい疲労感に襲われながら自室に戻った。
浸しておいたナイフを取り出すとトレーの淵に置いて乾燥させる。
黒錆び加工と呼ばれるもので、鉄に赤錆が付かないようにする処理だ。これによって表面に赤錆が付かなくなるためメンテナンス面で手がかからなくなる。
二時間ほど乾燥させた後、あらかじめ作っておいた革ひもを巻いてナイフの柄を作る。完成したナイフをあらかじめ作っておいたシースにしまい完成させる。
処女作にしてはまずまずの出来でアジサイは満足だった。切れ味も申し分なく、使い勝手も良さそうだ。
それからアジサイは風呂に入り、少し早めに就寝した。
アジサイも夢を見る。
日本の田舎風景だ。
田畑があり、車は一時間に一回通るかどうかの道路、アジサイにとって懐かしき道だ。
田植えしたばかりの水田はまだ点のようにしか稲がいない。あと二か月もすれば稲の上を風狼たちが走ることを止まなくなるだろう。
この季節はアジサイが苦手な季節だった。
春は嫌いだ。特に五月は嫌いだ。
アジサイは顔をしかめた。
一生、雪の解けない季節が続けばいいとさえ思っていた。
そうすれば何も苦しくはないことを知っている。
冬はただ寒く、命の音がしない静かな季節。
嗚呼、冬がいい――。
アジサイは心底そう思った。
そんな春の暖かい陽気だ。
リーン
鈴の音がした。
アジサイは疲れた顔をする。
また暴風が来ると。
「やああああああああほっおおおおおおおお!」
鮮やかな緑と桜色の着物が艶やかな可愛らしい女性がいた。
彼女は名前をアジサイに呼ばせる。
「やぁ、今年も来たんだね」
彼女は春を司る神霊であり、春そのものを体現させたような霊だ。
「イェーイ、今年も来たよ!」
春桜は柄にもなく寂しそうな顔をしている。
「でももう会えないんだね」
アジサイは、目をつぶって、静かに微笑んだ。
「ああ、もう、お別れだ」
「それでいいの?」
「ああ、これで良いんだ」
「……そう、私たちは寂しい」
「ああ、そうだな、でも君らがどんなに自分を愛しても、人は人のままだったよ」
「みんな――」
「ああ、ごめんよ、でも、もう、決まったことなんだ。みんなによろしく言っておいてくれ」
「……あっちに行っても春を思い出してね」
「ああ、わすれない」
「ああって何回言えばいいのよ」
「……ごめん」
「そうだね。それから、思い出はあなたの中にある」
彼女はいつものように笑った。
「それがあなたの高みへと連れて行ってくれる」
彼女は、笑ったまま真剣な声になる。
「我々、汝と共におります」
アジサイは目を開くと、目の前には懐かしい顔が並んでいた。
「こっちの世界でも世話になるよ」
風景が崩れていく、ガラスが粉々に割れるように。
アジサイは体を返して、彼女たちに背を向けて歩む。
背中に追い風を感じた。
まるでいつものアジサイの背中のように――。
ここでは夢は終わった。
「もう、朝か……」
アジサイはベッドから起き上がり身支度をする。
それから装備を整え、食事を軽く摂り、外で準備運動をしながら青空を眺めた。
覚悟を決めると、闘技場に入り、手続きをした。
それまで戦斧を軽く振り筋肉を温める。
今回の決闘の取り仕切りがアジサイのところへ来て、魔力装甲の術式を発動させてから、形式に乗っ取り、グラスの三分の一に注がれたワインを勧めた。
アジサイの飲んだワインは苦味が酷く、粗悪なものだった。
闘技場の中に入るとタンドレッサがやけに落ち着いた顔で佇んでいた。
観客席は大賑わいでジークやアルスマグナ、エレインの顔が群衆の中から見えた。
そして、一番見晴らしのいい特等席に老婆姿のアンタレスが鎮座していた。
まるで古代ギリシャのコロシアムを彷彿させる建物に中世ヨーロッパの衣装のギャラリーが余計にそれを思い出させる。
「それでは、アンタレス様、始まりの合図を!」
先ほどまで騒いでいた群衆たちが息を飲むように沈黙を保ち始めた。
「良き力を! 始めなさい!」
アンタレスの掛け声を共に、銅鑼が鳴った。
「行くぞ!」
タンドレッサは剣を抜き、アジサイに斬りかかる。
アジサイは透過させたまま戦斧を構え、迎撃態勢を取る。
次の瞬間、アジサイの視界は歪んだ。
手元が歪になる。そしてアジサイは狼狽した。
透過させたはずの斧が見えているのだから。
それに気を取られ、タンドレッサの一撃に反応が遅れてしまう。アンラの独断でアジサイは後方に突き飛ばされたが右腕に浅くではあるが一撃が入る。
そのまま何度か転がったあと、手をついて起き上がろうとする。
「ゲホッ――!?」
それは紅い、紅い液体だった。
口から吐いたのは血液だった。
右腕を見ると血が滴っている。
歪んだ世界でアジサイは、今起きている状況をようやく理解した。
ああ、クソッ、嵌められた――。
心の中で呟くが、悔いる間もなく、アジサイの腹部に重い何かによって体が空中に浮いた。
なんとか13話っす。ブックマーク6名様、この度はこの異世界は酷く浅いをお読みいただきありがとうございます。ゆっくりではありますが話を書いていきたいところでございます。
読者の皆様も台風やら猛暑やら豪雨やらで何かと自然が牙を剥く今日この頃、夏風邪などないことをお祈り申し上げます。
さて、次回はアジサイの話。
第14話「空に落ちる鶻」