龍ノ103話「重金の竜ウルフラム」
最後の年を迎える。真冬の王城はがらんどう。
メイドも数が少なくなった。兵士はもっと少ない。城下町も活気はなく市場にだされている食い物も質が悪い。
長らく続いた天使との争いでイシュバルデ王国は疲弊していた。懐刀も円卓七騎士も既に半分は死亡しているとミオリアから聞いている。
状況は絶望的、天使族を何度撃退しようとも勢いは衰えず、一体一体が強力な魔獣ほどある敵に一人、また一人と敗れていた。
天使、或いは竜に。
天使はミオリアが対応し、竜はジークが対応する。
今日も明日も、ナトライマグナを倒すまでそれは変わらない。
そして今目の前にいる竜も――。
王城、城下町の大通りに奴は九年居座って眠っている。丸くうずくまり、スヤスヤと寝息を立てている。
あらゆる者がこの竜を葬ろうとしたが、倒すことが出来なかった。
そして不思議なことにこの竜に殺された者もいない。
この竜は巨躯を持たない。
この竜は翼を持たない。
この竜は咆哮を上げない。
馬車程度の大きさの、二足歩行のディノニクスのような姿で、それを覆うように白銀の鈍い金属が全身を覆う。
センザンコウのように敷き詰められた外殻は分厚くそして硬い。石畳を砕き沈めるほどの重さがそこにあった。
ジークは丸くなって眠っている彼の竜を撫でる。
竜は目を開け、ジークの姿を見据え三回瞼を閉じる。それからのそりと立ち上がると、牙をキーンと鳴らせる。
それから天に何か言い放つように声を上げると、ジークと相対する。
ジークは大太刀を抜く。
大太刀を見つめてから竜は笑うような声を出す。
おいおい、得物をダメにしちまうぞ?
と言わんばかりに余裕を見せる。
ジークは頷いて大太刀を収める、通りの端に投げると竜殻を全身に展開し拳を構える。
もう、竜は笑わない。
イシュバルデ王国、広大な大地に様々な強者が存在したが、この竜を打ち倒すどころか起こした者は誰もいない。
そして、それを起こした男はジークである。
重金の竜ウルフラムは竜狩りジークの挑戦を受け入れた。
一本道のこの大通りの真ん中で、竜と竜狩りは同じ空気を肺に入れる。
石畳の地面が砕ける。
何度かの衝撃と共にジークの竜殻は粉々に破砕する。それどころか脳梁は飛び散り、関節は曲がってはいけない方向に曲がり、鼓膜は肺から押し出された空気が耳からも飛び出し破裂する。
何が起こったか、シンプルである。
ただウルフラムが体当たりしただけである。
ジークは重機に轢き殺されたような気分だった。
傷は即座に再生し、意識を取り戻すが吹き飛んだ脳みそに先ほどの光景が焼き付く。
石畳は粉々に砕け、大通りに軒を連ねていた建物は粉微塵に倒壊していた。その災禍の中心にウルフラムはいた。
ジークは口に付いた肉片を拭い、ウルフラムを睨み付ける。
フォーミュラーカーに似た速度でウルフラムはジークに体当たりを仕掛けるが今度のジークは真正面からその攻撃を受ける。
筋肉の繊維一本一本を張り詰め、衝撃を受けきる。
体を押され靴底が焼き擦れると今度は竜殻が削れ始める。足ばかりに気を取られているとウルフラムの硬く重い頭突きがジークの脳天をかち割った。
地面にめり込み、ジークを中心とした衝撃は地面をめくらせてクレーターを作った。視界がチカチカとするなかで体を起こし、飛びかかるウルフラムの一撃をかわすが、その体が数メートル飛び上がるだけで地面は礫と成って周囲を破壊する。
破片がジークの肉体にねじ込まれる。
いつもながらの痛みを感じる。もはやどこかしらが壊れている方が正常であるような感覚だった。
拳を構える。
いつもながらの命のやりとりをしよう。
ウルフラムは歌うように鳴く。
それにつられてジークも言葉を重ねる。
汝は何者であるか?
ウルフラムは歌う。
其は厄災の覇者である。
ジークは歌を返す。
思いついた事を思いついたままに口ずさむ。
どのような意味があるかは知る由もない。
竜にしては小さい体を飛び上がらせてジークに襲いかかる。バックステップで一撃目を避けると、前に飛び出してウルフラムの頭を右拳で殴りつける。
呼吸を操作し、龍神演武炎ノ型と雷ノ型を同時に発動させて高速高火力の右ストレートがウルフラムの側頭部を弾き飛ばす。
拳がウルフラムの体に触れた瞬間、目を疑った。ウルフラムの体は元々小さかった訳ではなく、強固な外殻が密度を高めようと圧縮し続けるあまり小さくなったのだ。
たとえて言うなら、海底にカップラーメンを沈めるとミニチュアサイズに小さくなってしまうような現象に似ている。
ジークの目には、外殻が解き放たれたウルフラムの巨躯が鮮明に焼き付けられた。それは束の間の幻視であったが、自分の腕が砕けるほど重い頭部が現実を突きつける。
この竜も強い。再認識させられる。
殴られたウルフラムはジークが出た一瞬の隙を見逃すことなく、右腕に噛みつき竜殻諸共食いちぎる。
映像、千切れる感覚、それから激痛、全てが一拍ずつ遅れる。ウルフラムの顎の力と鋭く硬く、高密度の牙が、感覚より早くジークの腕を食いちぎったのだ。
その現象に不意を突かれ、ウルフラムは足に力を入れ、体当たりをジークにぶつける。大型のクマほどのサイズだが、その重量は千トンを超えている。そんな体に僅かな助走でも与えたとあれば生み出される衝撃は想像したくも無い。
ジークは呼吸を荒げ、龍神演武雷ノ型を発動、ウルフラムの側面に回り込み攻撃を避ける。間髪入れずに息を吸い込み龍神演武ノ炎型を練り上げ、臓腑がある位置に拳を入れる。
磨かれた一撃にウルフラムは軽くよろける。ジークは左手で同じ場所に打ち込み外殻を軋ませる。
しかし、ウルフラムの外殻は傷一つなく光沢を保っている。先ほどの軋ませた感覚もウルフラムが衝撃を逃がすためにやっていたことでジークの力では無い。
其は厄災の覇者、力で理を敷く者――
不気味な言葉が脳裏に浮かび、それを口ずさむ。
練り上げきった炎が純度を高め、赤から青、青から白へ変化する。
右腕を伸ばしてウルフラムに拳をぶつける。
衝撃波と共に石畳は吹き飛ばされ、ウルフラムは宙に放り出され建物にぶつかると瓦解させた。瓦礫の中から飛び出るとジークに襲いかかる。
其は厄災の覇者、力で理を敷く者、其は人を成す者、龍と人を繋ぐ者――
ジークの胸に描かれた爪痕の紋章が光り始める。
呼吸を荒げ、雷は紫電に染まる。残像だけが地面に佇んでいた。
ウルフラムの体躯は地面に押しつけられた。その次は投げ飛ばされていた。
残るのは白き炎と紫の雷である。
橙色の瞳の奥が灯る。篝火に集まる虫のようにその色に吸い込まれる。
翡翠の様な色の水がウルフラムの体を包み押し流し始める。周囲の建物を破壊しながら大通りを洗い流す。
王城の外壁まで押し流されたウルフラムの目には依然として竜狩りがいる。
ジークは一陣の風となって千里を駆ける馬のような速度でウルフラムの元に現れる。
両者相対する。
次で決着が付く。
ウルフラムは歌う。
汝は何者に成るのか?
ジークは思ったままを言葉にする。
其は厄災の覇者、力で理を敷く者、其は人を成す者、龍と人を繋ぐ者、故に其は龍の誇りと矜持を受け継ぎ渡す者也。
ウルフラムは然りと受け取り、天を衝く咆哮をひとつ打ち上げ、ジークへ手向けの一撃をぶつける。
大地を揺らし、土は踏み固められ盤石となる。
対するジークは、白き炎を口から漏らし、熱を体の芯へ芯へと深く焚き付ける。
白き烈火は絶え間なく魂を熱く滾らせ、紫電の雷は全身を駆け巡り、翡翠色の水が周囲を抑え必要以上の破壊を止める。一陣の疾風がジークの心を昂ぶらせた。
両者大地を蹴る。
激突するのはジークの右拳とウルフラムの頭部。
ジークの右腕はぐしゃぐしゃに粉砕し、肉片を飛び散らせるが、完全にウルフラムの動きを止める。
左拳でウルフラムの右側頭部を殴り、頭をよろめかせる。
完全に再生しきっていない右拳がウルフラムの左側頭部を打ち付ける。
ウルフラムの外殻はそれでも傷つかない。変形する兆しもない。
それでもジークは拳を止めない。それどころか活性化した全身が再生を始め、壊れるより早く両腕を完全修復する。
右拳、左拳、右拳、左拳――。
ウルフラムは左右に頭を振り続けるが外殻はそれでも傷つかない。
ジークの魂は臨界点を突破する。
何度も何度も何度も何度も、拳を振るい続ける。
ウルフラムの頭は重い。殴った拳骨が何度も砕ける。だが一撃も手を抜くことなく渾身の一撃を繰り出し続ける。
拳の応酬は十、百、千と過ぎ、千と八百と四十九回を超えた。
ジークの体力が底を尽き、その場に崩れ落ちる。
ウルフラムの外殻は、依然として金属特有の鏡のような光沢を放っている。
ジークの攻撃は外殻に一切通用しなかった。
だが、ウルフラムもまたその場に崩れ落ちた、轟音と共に地面に沈ませながら静かに眠る。そして光となり、ジークの肉体に吸収されていった。
ジークの攻撃は少しずつ、ウルフラムの内部を破壊していたのだ。
だが、竜の意地と矜持を以て、その外殻に一切の傷は無かった。
重金の竜ウルフラム、討伐。