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Our Alice-ぼくらのアリス-  作者: 近藤 回
証言二十二
9/21

「彼女は、自らを選んでやって来たのです」 4

 ふと振り返ると、そこにはすでに森しかなかった。巨大キノコは欠片も見えなくなり、アリスはまた森の中をさ迷うことになった。

 アリスはなにも考えずにとぼとぼと歩いた。目的地のことすら考えずに地面だけを見ていた。

 嫌な気持ちばかりが湧いてくる。

 不安、恐怖、寂しさ、孤独、空しさ。

 そのどれも、はっきりしたものではなく、かといってなくなるわけでもない。

 未だにアリスは、傍観者でいるような気がした。当事者のど真ん中にいるはずなのに、自分ひとりだけが話についていけず、蚊帳の外だった。

 ああ、それならこのままでいるよりも、彼らの話を理解できるまでにはなりたい。

 それが叶わぬなら、いっそ、わからないまま終わりたい。

 止まっているのは、ひどくつらかった。

「アリス」

 ほかの誰よりも、親しみを込めて彼女は呼ばれた。

 アリスは顔を上げる。

「アリス、待ってた。ずっと待ってた」

 中性的な顔立ちの、アリスと同じくらいの歳の人物だった。

 その人物の服装、顔立ち、高いとも低いともわからない声、仕草。

 どれを取っても、性別が判断できなかった。

 その若者は明るい笑顔をアリスに向けていた。

「君は?」

 アリスは一歩後ずさった。

「ぼくは……そうだね、セリクサっていうんだ。君の味方だよ、アリス。君が来るのをずっと待っていたんだ」

 セリクサは白いマントを風になびかせ、アリスに一歩近付く。

「この世界はね、君のためにある世界だよ。君が来たことによって完成したとも言えるし、その逆も言える。君がいなければ、この世界は存在できない。だから安心して。君は自分のしたいようにすればいいんだよ。ここではすべてが意味のないことだから。いまはわからなくても、いずれわかるときがくる」

「いったいなんの話をしているの? 私を、私を除け者にするような世界が、私のためにあるはずがない。みんなみんな、わけのわからない話ばかりする。道理の通らない話ばかり。私だけおいてけぼり。そもそも私がわかる話なんてあるの?」

 アリスはいま会ったばかりの人物に思いの丈をぶつけた。もしかしたら、目の前の人物がなにかを教えてくれるかもしれないと思った。

「そうだね。君は自分をリセットしてしまったのかもしれない。だからぼくたちの話についていけずにいる。行動も起こせずにいる。アリスだったなら、自分がどう動くべきかわかっているはずだからね。無意識のうちに、考えもしないうちに」

「じゃあ、私はどうすればいいの? 私はどうやったら自分を思い出せるの?」

「思い出す必要は無いよ。君は自分をこれから作っていけばいいんだ。忘れてしまったことすら忘れてしまったことを、わざわざ思い出す必要もないのだから。けれど、すこし不便ではあるよね。だいじょうぶ。君が捨てたものも全部、ぼくが持ってる」

 セリクサは黒い袖から覗く、赤黒い手袋をはめた左手を差し出した。

 アリスは本能的に、その手を握るべきだと感じた。自分の左手を見て、それから両手でセリクサの手を握った。

 大きな波に呑まれたような衝撃が、全身に走った。


 不思議な空間を落ちていく少女。

 緑色の服を着た男が水タバコを吸って、少女に笑う。

 シルクハットを被った青年と踊る少女。

 クロケーをやる少女。

 ロブスターのカドリールを熱心に語る泣き虫な少年を、馬鹿らしく思う少女。そして不満そうな、翼の生えた青年。

 女とチェスを遊ぶ少女の、その歪んだ笑み。

 紺のマントをなびかせながら両手を広げる、王冠を戴く男。


『本当の彼女が来るまで、君に〈世界〉をあげよう。私が存在しない〈世界〉を』


 そして。


 血まみれの女と、死体。死体。死体。

 黒い刃物が舞う。何度も。繰り返し。


 そして。


 狂ったように、高らかに笑う女の子。

 目の前にいる女に勝ち誇ったように口の端を上げ、床に倒れた女の子。


 そして。

 男の、穏やかで澄んだ声。


『楽しみに待ってるよ。君がまた、ここに、私のもとに帰ってくるまで』


 唐突に返ってきた意識に、アリスは気持ち悪くなって膝をついた。

「……ごめんね。余計なものまで君に返してしまったかもしれない」

 セリクサは屈み、アリスをそっと抱き締めた。

「アリス、会いたかった。でも、これからを決めるのは君自身だ。わかっていた。ぼくがぼくを作り出したときから。待っていたよ、ずっと。……ずっと」

 セリクサの声が、ひどく懐かしく耳に響く。ゆりかごにそっと寝かされるように、安らぎがこころを満たしていく。

「君はアリスだ。この事実は、揺るがない」



「アリス? なにしてるの?」

「えっ?」

 見れば、三月ウサギがそこにいた。

「なにかあったの? ひとりでなにしてたの?」

 大きな目をしきりに瞬いて、三月ウサギはアリスを覗き込む。

「え、あ、え?」

 アリスはあたりを見渡した。当然だが森しか見えない。

 あのひとは、セリクサはどこにいってしまったのだろう。

「あ、ねぇ、***知らない? ――え?」

 セリクサの名を言おうとしたが、何故かことばにならなかった。

「アリス、誰かと会ってたの? あたしは誰も見なかったよ?」

 三月ウサギはきょとんとした顔のまま、首を傾げた。

「でもよかった。またアリスと会えちゃった。もう会えないかと思ってたんだ。またおいでよ。帽子屋のところに行こう?」

 アリスの腕を掴み、三月ウサギはにこにこ笑った。

「ええ、そのつもりをしていたの。喜んで行くわ」

 アリスはぶり返してきた空しさを引きずったまま、レストランへと向かった。



「あっれ~?」

 レストランの中庭に着いて早々、三月ウサギがあたりを見渡した。相変わらずヤマネは長いテーブルの席のひとつに座って、眠りこけている。どうやら肝心の帽子屋がいないようである。

「あたしちょっと捜してくる」

 三月ウサギは帽子屋宅へと入っていった。アリスはヤマネに顔を向ける。

「また会いましたね、アリス」

 薄っすらと目蓋を開いて、ヤマネは不敵そうに言った。

「もうすこし喜んでくれるかと思っていたけど?」

 アリスはニッと笑って見せた。

「おやおや、軽口を叩けるようになりましたか。大変な進歩ですね。まだ足りませんが、ないよりはマシでしょう。動くことによって、ようやく止まることができるというものです」

 ヤマネは手を叩きアリスを賞賛したようだが、明らかに皮肉だった。

「あなたの言っていたこと、外れたわね」

「ええ。掟は常に遵守すべきであり、また、破壊すべきもの。あらゆるものは常にそれを繰り返してきた。生あるものは必ず死す。形あるものは必ず砕けん。結果は必ずしも、同じものによってもたらされるわけではない。過程もまた、いくえにもあるのです」

「そんなの言い訳よ。あなたはそう言って、自分の言ったことに対する弁護をしたにすぎないわ」

「そうですね。それはそうかもしれません。ですが先ほども言ったように、結果は常に同じものによって引き起こされるわけではないのですよ。例えばそう、こんなふうに……」

 ヤマネはふと黙ると体をかすかに揺らして、椅子から地面に倒れた。

 アリスは一瞬迷ったが、ヤマネのもとに駆け寄った。ヤマネを抱き上げる。彼の口から顎にかけて、血が伝い落ちていた。アリスは驚いて、思わずヤマネを離してしまうところだった。

「とうとうワタシにも来たようですね。わかってはいましたが、名残惜しいものです。この世界に来られたことを最初は恨みましたが、いまとなっては嬉しく思いますよ。ただ、これほど苦しいとは思いませんでしたけどね。アリス、キミには彼がいます。気分屋ですから、気分がいいときは彼がキミを助けてくれるでしょうね。それともアナタは、自力で解決してしまうでしょうか。アナタがアナタを繰り返す意味。知るのではなく、わかりなさい。ああ、長い夢だった。やっと帰ることができるのですね」

 アリスはヤマネを揺さぶる。

「しっかりしてよ。こんなの逃げるのと同じだわ」

「ワタシがワタシを終わらせたのではありません。ですが、いまとなっては同じこと。いまさら言い訳などありませんよ……。それにワタシがいなくなったところで、困ることなどなにもありません。すぐに補われる。ワタシたちには代えがきくのです。ほら、アリス」

 ヤマネは震える腕を持ち上げて、アリスのうしろを示した。

 アリスは振り向こうとした。その瞬間首に生温かいなにかが流れて、咄嗟に首を押さえた。

「えっ、ああ……なん……っ」

 ……血だ。

 血だ。血だ。血だ。血だ。血だ。

 首から血が流れている!

 背中から冷たいものを突かれた。

 震えの止まらない首を下げてそれを見る。胸のところで、貫通したそれの切っ先が見えた。

 背中を靴底で踏まれ、勢いよく引き抜かれた。アリスはヤマネの上に倒れ込む。

 ヤマネは安らかな声で囁いた。

「アナタもまた、例外ではないのです」

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