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Our Alice-ぼくらのアリス-  作者: 近藤 回
証言二十二
7/21

「彼女は、自らを選んでやって来たのです」 2

「ヤマネー、三月ウサギが来たのは、アリスが初めてここに来たあとだよなー?」

 帽子屋がもう一度訊ねると、ヤマネは眠たそうに頷いた。

「その通り、デス」

 言い終わる前に、余程眠たいのか頭がカクンと項垂れた。頭がそのまま取れてしまいそうだった。

「四月ウサギはお城からやって来まシタ。でもお金は持っていませんでシタ。ハートの女王様から追い出されたからデス。だから帽子屋は、レストランを営んでいるのデス。帽子屋なのに、おかしな話ダネ。だからあんまりイカれてないのかモネ」

 キキキと笑いながら、眠さで頭が傾いていくヤマネ。

「……おーい、アリスー? 起きてるかー?」

「?」

 アリスはハッとした。慌てて周りを見渡して、それから目の前で、白い手袋をはめた手を振っている、黒いシルクハットを被った青年を見た。

「どうした、ぼおっとして。ヤマネを見て眠くなったか?」

 帽子屋は怪訝そうに眉をひそめた。

「え、と、……?」

 あれ? と、帽子屋のそれがうつったかのように、アリスも眉をひそめた。

「で、さっきの話のつづきだけど、三月ウサギはハートの女王の娘なんだ」

 帽子屋が補足説明をした。

「ああ、そうなの? というか、どうしてハートの女王様に追い出されたの? 母親なんでしょう?」

 アリスは三月ウサギを見た。三月ウサギは慌てたように帽子屋のうしろに隠れた。恥ずかしいらしい。三月ウサギはちいさい声でこたえた。

「そうだけど、そうじゃないの」

「? どういうこと?」

「確かにハートの女王が母親だけど、違うってことさ」

 帽子屋はこともなげに言う。アリスはわけがわからない。

 アリスはこんがらがった頭を抱えながら、目の前のピザに気が付いて、お腹がぐうと鳴った。急いで食べはじめた。

 そうだけど違う、だなんて、どこかの少年も言っていたことだ。

 アリス以外はおもむろに席に座って紅茶を飲んでいた。良い香りだ。嗅いだことがある。キッチンのどこかにあった、紅茶の缶の中身と同じ香りだ。

 はて、どこに置いてあったかな。

 アリスがピザを食べ終わって紅茶に口をつけたとき、帽子屋がつと唸りながら言った。

「そういえばアリス。あんたはもうすこし髪の色が濃かった気がするんだが、色でも落ちたのか?」

 アリスは首を傾げた。

「私は最初からこの色の髪をしていたけど」

「どれくらいの『最初』?」

 帽子屋は訊ねつづける。

「どれくらい? 最初っていくつもあるものなの? ああ、でも確かに……」

 アリスはひとり納得する。

「私がここに来て草むらで気が付いたときからだと思うけど……」

「ふーん。それより前は?」

「前?」

 正直、そんな質問をされるのに驚いていたが、その問いにこたえるためのものがアリスの中にはなかった。

「そう。ここに来る前。この世界って言ったほうがいいか」

 帽子屋は手首だけを上下に何度も動かして、何度もアリスを指差した。

「覚えて、ない」

 アリスに言えることはそれだけだった。アリス自身、過去だの記憶だの、それほど気にならなかった。いま自分を成り立たせているものが、この世界に来たときから、あるいは『いま』からできているせいかもしれない。

 彼女には、彼女自身もわかっていたが、なにもなかった。

 帽子屋は仕方なさそうに溜め息をつく。

「それに、目も、そんな色をしてなかったはず……だと思うんだけどなぁ」

 帽子屋はテーブルに肘をつき、掌に顎を置いた。ますます混乱しているようだ。前にウサギ耳の少年が言ったことと同じように、『自分を忘れたアリスなど前代未聞』と思っているのだろう。

「私の目はどんな色をしているの? 自分じゃ見えないから」

 アリスがいくらぐりぐりと眼球を動かしても、一向に瞳が見えるわけでもなく、かといって眼球を取り出すわけにもいかない。鏡もなかったので、手っ取り早く訊いた。

「緑、だけど、青もちょっと入ってるかな。それにおかしいな。俺があげたリボンもしてないし」

 帽子屋はむうと唸る。どうやら帽子だけでなくリボンも扱っているらしい。いまはレストランを営んでいるようだが、まだそれらは残っているようだ。アリスは話を流すように、紅茶を一口飲んだ。

「ちょっと待ってろ」

 帽子屋はむすーっとしながら店の中へと入っていった。三月ウサギも黙って彼についていく。庭の席には、アリスと眠っているヤマネだけになった。

 アリスは椅子の背にもたれて、ふうと息をついた。

 髪の色か。

 物心ついた頃からこんな色をしていたものだから、色落ちしたのかなんて言われたときは正直呆れた。なんとこたえたらいいのか困る。ふつうは年を取りでもしない限り色なんて落ちないだろうに、帽子屋はなんとも豊かな発想を持った御仁である。

 失礼だとは思わなかったが、誰かと間違えているんじゃないだろうか?

 そうだ、きっとそうに違いない。

「キミも大変ですね。アリスに選ばれて。いや、アリスを自分から選んだも同然でしたかね、確か」

 急に声がして心臓が飛び出るかと思った。首を巡らすが、この場にはヤマネしかいない。

「こんにちは、アリス。自らを選びし者」

 薄っすらと目を開けたそのヤマネが、こちらを見て微笑んだ。

「しゃべった!?」

 先ほどもしゃべっているところを見たというのに、アリスは思わず声を上げた。

「ワタシは喋りますよ。なんてったって口がありますし、折角ある口に申し訳がありませんから。口がなければ申し訳もできないわけですが」

 ヤマネはくつくつと笑った。まるで、うまいことを言ったと言わんばかりの。

 アリスはようやく次のことばを吐き出した。

「驚いた。ちゃんと話せるなら最初からそうしなよ。みんなの前にいるときも」

 心臓に悪いことは事実だ。

「残念ながらそれはできません。ワタシは終始眠たそうにしていなければなりませんし、口を開けば二、三のデタラメしか出ないことになっているのです。フリをするのは大変ですが、騙すのはこの上ない愉快と緊張を味わえる娯楽。手放すのは惜しい」

 ヤマネは澄ましたように目を伏せて、口元を袖で隠した。所作がとてもなめらかで、柔らかかった。

「つまり、みんなの前では演じてるってこと? どうして?」

「楽しいから、と言いたいところですが、そういうわけではありません。演じているのは、ワタシに課せられた役目であるから」

 そう言っているヤマネは、先ほどまでの『寝ても寝足りない』というような様子は露ほどに見せなかった。澄ましているが、呆れているような眼差しでアリスを見ていた。

「じゃあどうして私の前では演じないの? 信頼されるほどの仲になったとは思えないもの」

 アリスはその眼差しがこわかった。自分以上に、自分のことを見透かされている気持ちになった。底を、見られている気がした。

「もちろん演じていますよ。アリスの前でのヤマネを、ね。信頼などというものはこの世界では皆無に等しい」

「わけがわからない」

 アリスは思わずつぶやく。するとヤマネは薄く笑った。

「キミもそのわけがわからないものに支配されているのですよ。まったく悲しいことですけれど。いや、楽しいことかな?」

「君はいったいなんなの? 誰なの?」

「ワタシはヤマネ。それ以上でもそれ以下でもありません。ワタシが、あるいはキミたちがそう認識している限り、ワタシはヤマネで在りつづける」

「お願い、やめて。わけがわからなすぎる。寝ててよ、さっきみたいに。ずっと寝ててよ」

 アリスは俯いていたが、目は見開いていた。手に力が入る。

「前にも同じようなことを言われた気がします。しかし、嘘は真実になり、事実に至る。範囲を超えた言動も、慣習になれば新しい決まりごとになる。これからあなたの身の上に起こることを思うと、こころが痛みます。なにせ死んでしまうのですから」

 ヤマネは手の出ない袖を胸に添えて、ほんのすこしだけ寂しそうにしながら首を振った。

「……死ぬ? お、脅しているの?」

「いいえ。我々にとっての事実です。あなたにとっての嘘。あなたは死ななければならない。我々のルールに則って、アリスはハートの女王に首を刎ねられなければならないのです。一番古く新しいルールに則って」

「や、やめてっ! そんなことを言うために君がおかしくなったのなら、もうしゃべらないで! わからないものはわからないの!」

 アリスは頭を抱えて叫んだ。

 真実? 嘘? ルール?

 わからない。ヤマネがなにを言っているのか。

 それ以前に、どうしてこんなにも彼のことばを聞きたくないのだろうか。

 まるで足元を泥で固められていくような、そんな錯覚を覚える。

「ワタシがアリスの前にいる限り、それはできません。このことを言うためだけに口を開いたのは事実ですが、それはヤマネの役には無い事柄。有益な情報をアリスに伝えるために、ワタシは危険を冒しているのです」

「いや、聞きたくない! もうなにも言わないで! 誰か来てっ! お願い……っ」

 これ以上、余計なことを知りたくない。

「どうしたー?」

 帽子屋と三月ウサギが慌てた様子で駆け付けた。目に涙を浮かべているアリスを見て、一歩後ずさった。

「なに、どうしたんだよ? なんかこわいことでもあったか?」

「ヤッ、ヤマ、ネがぁ……っ」

 アリスはつっかえながらどうにかことばにして、ヤマネのほうを指差した。

「ヤマネ?」

 帽子屋が目を向けると、そこには頭をぐらぐらさせて眠っているヤマネしかいなかった。アリスは愕然とした。

「眠ってるじゃないか。なんかデタラメなことでも言われたのか? こわがるほどのデタラメなんてあったかな?」

 帽子屋は顎に手を当てて唸った。

「ちが、違うのっ。さっきまでヤマネは」

「まーまー、気にすんなって。ヤマネはああいうやつだから、気にせずに聞き流したほうがいい。ほれ」

 と帽子屋は手を差し出した。黒いリボンがその掌にあった。

「これでもつけて、元気だしな」

 アリスは目元を拭ったあと、まだしゃっくりがつづいていたが、黙ってリボンを受け取った。しかし、いったいどこにつけようかとしばらく悩み、一応髪を結んで、そこにあとからつけようとしたが、なかなかうまくいかない。いつも自分では髪を結ったことがなかったし、リボンも自分ではつけたことがなかった。

「あーもう、見てられん。三月ウサギ、くしと鏡」

「はーい」

 帽子屋が三月ウサギに頼み、彼女は家の中へと入っていった。帽子屋は指示したあと、アリスの座っている椅子のうしろに立った。とても苛々している。

「ほら、それ貸せ」

「……はい」

 アリスは観念してリボンを渡した。

「ったく、このくらいできるだろう」

 戻って来た三月ウサギがくしを渡した。アリスは、帽子屋にされるがままに髪をとかされた。やがて、ふつうに結ぶのもつまらないと思ったのか、帽子屋はアリスの髪を右側に集めて、サイドテールにした。とても手馴れている。やはり帽子を扱っているだけに、被る頭のほうにも気を遣うのかもしれない。その割に彼の髪の毛はぼさぼさだが。

 そしてそのサイドテールにするために使った髪ゴムの上から黒いリボンを結んだ。キュッと音がして、完成の合図となった。

「はい、終わり」

 と帽子屋は手鏡を渡した。アリスは自分の綺麗に整った髪型を見て、おおっと感動した。そして改めて鏡に映った自分を見る。

 初めて自分の顔を見た気がした。

「俺にはこんなことしかできないが、まあ、ヤマネのことは許してやってくれ。たぶん、悪気はないと思うし」

 帽子屋は溜め息をついて席に戻る。

「かわいいなぁ、アリス。髪が長くて羨ましいなぁ」

 三月ウサギがひょっと顔を出した。キラキラとした目があった。

「あたし短いから、髪型、変えられなくて」

 ひょこひょこと茶色のウサギ耳が動く。割と速い。

「そんなことないよ。ちょっと重いし」

 髪のほぼすべてが右に寄っているから。

 帽子屋がショックを受けたように項垂れた。彼としては、褒めてもらいたかったようだ。

 と背後に気配を感じて、アリスは振り返った。しゃっくりはいつの間にか止まっていた。

「……アリス」

 戸惑った声で、ウサギ耳の少年がそこにいた。

「申し訳ありません、アリス。ぼく自身の名を名乗ることを忘れていたなんて、お恥ずかしいです」

「白ウサギ、でしょう?」

 アリスはさらりとこたえた。アリス自身、あれ? と思った。

「そうです、その通り。って、アリス、まさか思い出してくれたんですか? ご自分のことも?」

「それはまだ……」

 白ウサギは途端にガックリとして、しかしすぐに頭を上げた。

「いえ、すみません。取り乱してしまいましたね。アリスがご自分やこの世界のことを忘れたのは、きっとなにか大きなことがあって、そのショックで忘れてしまったのでしょう。焦ることはありません」

 白ウサギは何度も頷いた。

「それでアリス、その、ぼくがこちらに伺ったのはほかでもありません。あなたを迎えに来たのです」

 白ウサギは恭しく一礼した。

 アリスは一瞬躊躇った。あるはずのない記憶が、経験が、行ってはいけないと警告していた。それでも、アリスはなにかに促されるように立ち上がった。

「わかった。……行く」

 手が、震えていた。

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