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Our Alice-ぼくらのアリス-  作者: 近藤 回
証言七十六
16/21

「彼女の名前は、本当にそれかはわかりません」 3

 たとえ堂々巡りになったとしても、それしか手がかりが無い以上はそれを頼りに突き進んでいくしかない。アリスはまたしてもハートの城の中へ潜入した。いったいあと何回潜入しなければならないのだと、内心は呆れていた。これが最後であってほしい。

 アリスには、もしかしたらだいじょうぶかもしれない、という思いが浮かんでいた。頭のほうは不安なことばかりを飽きもせず考えてくれるが、いまは捨て置く。

 何度も繰り返してきた世界の中でわかったこと。

 それは、同じ世界を繰り返していても、繰り返すたびにわずかなズレが生じ、それが後々の出来事をまったく違うものへと変えていく、ということだった。その世界で、時間で、体験していないことを体験したアリスがいる。それだけでズレは容易に発生し、何度も現在が変わっていった。

 アリスは溜め息をつく。

 いまさら隠れるのも馬鹿らしくなり、堂々と階段を上って行った。もちろん見付かるのではないかという臆病な考えもある。しかしアリスは迷うことなく最上階へ上った。ゆっくりと上がったがやはり息が切れた。

 そして左側を見て、アリスは自身の勘が正しいことを確信した。

 はったり扉の右下、ちいさい扉のほうが斧かなにかでズタズタにされ、部屋の内側に倒れていた。鎖も釘もすべて無用の長物になっていた。

 喜々として扉に向かった。くぐり、そして愕然とした。

 ハートの女王がその部屋にいた。絨毯に座り込んだ、不安そうな顔のハートの女王は、いまにも泣き出しそうだった。

 アリスは反射的に足を止めた。ただごとではないと察知し、ふとベッドに目を向けた。

「!?」

 天蓋の薄いカーテンが取り払われたその向こうには、誰の影もなかった。ただしわの寄った敷布が見えるばかりだ。

 ハートの王がいない!

「そん、な……」

 アリスは頭を鈍器で殴られたようなショックを受けた。

「ふふ……あやつを……捜してたのであろう?」

 憎きアリスが来たというのに、ハートの女王は立ち上がろうともしなかった。

「わかっておったぞ。貴様の浅はかな考えなど、考えに及ばぬ。残念であったな。ここにはもう……あやつはいない。妾は……」

 ハートの女王は気持ち悪い角度に首を捻り、嘲笑うようにアリスを見た。

「くくっ、ふふっはあはははははっっ!! ざまをみろぉぉお小娘がぁぁああああっ! 貴様がなにをしようと妾には敵わぬのだっ!! その間抜けた面に書いてあるだろうなあ? 『牝牛の如く愚鈍な存在である』となぁああっ! 貴様がこの世界に来おったから、こんなことになってしまったのだ。貴様がすべての元凶だ! 貴様の顔など見たくもない! トランプ兵!」

 ザッと音が立った。アリスの周りを、トランプのカードを人並みにでかくして、頭と針金みたいな手足を付けたような生き物が取り囲んだ。庭園で見た、白い薔薇に赤いペンキを塗りたくっていた彼らと一緒だった。彼らは各々ハートやクラブの形を先端にあしらった槍を持って、それをアリスに突き付けた。

「その者を地下牢へ連れてゆけっ! 貴様の処分はのちほどしてやるぞ。恐怖に慄きながらそのときを待っておれ……」

 そういうとハートの女王は、また勢いを失くし、俯いて顔を手で押さえた。

 アリスは場違いとわかりながら、無性に同情したくなった。



「ったぁ……っ」

 トランプ兵に無言で地下牢に放り込まれたアリスは、ブーツ越しの膝と手を擦った。痛みを和らげようとしばらく手を揉んでみる。

 薄暗くじめじめした牢屋内を見渡した。四角い形の牢屋は、鉄の扉以外はすべて石で作られていた。扉とは反対側に鉄格子のはまった窓、というかただの空気穴みたいなものがあったが、頭すら通すことができないほどの大きさだった。そこから外が見えるに、そこがちょうど外の地面の高さなのだろう。完全には地下ではないようだ。

 まったく、絵に描いたような地下牢だ。

 ざりざりと音を立てて石造りの床を歩き回ったアリスは、やがて窓の真下に座った。唯一明かりが入ってくる窓である。牢内がほこりっぽかったこともあって、光を可視できた。いつかの窓から見た、雲の隙間から漏れいでる光の筋よりもはっきりとしていて、掴めそうなほどだった。

 アリスは情けなくて、膝を抱き、頭をうずめた。

 これから自分は殺されるのだ。なにもできずに。

 不安と恐怖だけを抱えて、また殺されるのだ。肩が震えてきた。

 ハートの王らしき人物はいったいどうなってしまったのだろう。ハートの女王の様子を見る限りでは、彼女が始末したわけではないようだった。とはいえ、期待していた切り札がなくなってしまったわけで。結局ハートの女王を止めることができなくなってしまった。

 それにしたって、最初のアリスはいったいどこにいるのだろう。白ウサギの言うこと以外に、ほんのすこしの情報もない。彼女がどこにいるのか、誰も知らない。

 彼女は本当にこの世界に存在しているのだろうか。

「絵に描いたような牢屋だね。綺麗な牢屋のひとつやふたつくらい、あってもいいのに」

 アリスはびっくりして、その場から数センチ浮いた。

「え……なっ……」

「森で会った以来だね、アリス」

 同じように座っている人物が隣にいた。

 白いマントに赤黒い頭巾をかぶり、セリクサは穏やかに笑っていた。黒い服を着ているせいで、牢屋の暗さに溶け込んでしまいそうだ。こころなしか表情が前よりも薄くなっている。

「あなた、どうやってここに……?」

「ぼくはアリスがいるところであれば、どこにでも行ける。君の味方だもの。君が危険なときは、いつでも来るよ。でも、大したことはできないのが歯痒い。幽霊みたいなものだからね。こうして話し相手くらいにしかなれない」

「じゃあ、ここから出してはくれないのね」

 アリスは悲嘆に暮れる。

「うん。……ごめんね」

 セリクサはもどかしそうだ。

「別にあなたのことを責めるわけじゃないの。ただ……せっかく見付けた手掛かりが消えちゃって、ちょっと落ち込んでいたっていうか、結構落ち込んでいたというか……」

「だいじょうぶだよ、アリス。君はきっと助かる」

「助かる? 誰か来るの?」

「うん。助けが来るまでの辛抱だよ。だいじょうぶ。彼ならきっと来てくれる」

 セリクサは柔らかに笑い、アリスの頭を撫でた。

「ぼくはずっとそばにいるよ。君が、この世界にいる限り」

 アリスは、ほっとした。アリスは頭を撫でてもらうのがすきだった。体にたまっていた空気がすべて抜けていくように、力が抜けた。と、セリクサはぽつりとことばを零した。

「本当は、君には会いたくなかったんだ」

「……え?」

「ぼくはね、自分の存在を自分では認めることができなかったんだ。昔は、曲がりなりにもちゃんと存在していたのにね。みんなと一緒に存在していたのに、ぼくはいつもすぐに殺されて、みんなと過ごすのはほんのすこしだけだったよ。まるで、みんなと仲良くしちゃいけないみたいだった。でもそれはきっと、アリス、君のためだったんだね。だってここは」

 突然耳を圧迫するほどの大きな音が間近で聞こえ、アリスは体を強張らせた。牢屋の扉が内側に向けて倒れる。はた迷惑なほどうるさい音を立てて。

 アリスはいったい何事かと目を見開いていると、舌打ちがかすかに聞こえ、それから声がした。

「まさか本当にここにいるとは……」

 その妙に呆れた声に、アリスは驚きながら言った。

「グリフォンなの?」

 相手は溜め息だけを返し、中に入ってきた。窓から漏れる光が当たらずとも、背中に翼を生やした青年であることが確認できた。

「さっさとここを出るぞ」

 グリフォンはいつもの苛々した様子で、地下牢の扉がなくなった場所を顎で示した。どうやって壊したかわからないが、とんだ怪力の持ち主だ。

「……あ、え、待って!」

 アリスは周りを見渡した。セリクサは登場したときも唐突だったが、いなくなるときも唐突だった。アリスの隣は、ちいさなほこりだけが舞っていた。

「いないっ……どうしよう……っ! どうしよう、セリクサがいないっ!」

 アリスはハッとした。いま、セリクサの名前を言えた!

 グリフォンはそれまでの態度を変えて、血相を変えてアリスの肩を揺さぶった。

「どういうことだ。ここに彼女がいたのか?!」

 牢屋内に彼の声が反響した。

「セリクサがわかるの? どうして? でもセリクサは女の子じゃないわ」

 ただ、男の子でもない気がした。セリクサは、青虫のように性別という概念をなくしてしまった存在なのだろうか。

「俺はセリクサが見える。セリクサも言っていた。俺には自分を見ることができるって。さっきはじめて会ったが、俺には到底、女にしか見えなかった。こたえろ。セリクサがここにいたというなら、どこへ行ったというんだ」

「知らないわ。だって本当に、さっきまでわたしの横にいて……」

 セリクサが突然消えることはいまにはじまったことではない。けれど本当に消えたと形容していいのか核心が持てなかった。万が一、ということもある。

 グリフォンは悪態をつくとアリスの腕を掴み、扉のなくなった空間を出た。地下牢を出ると、ほかにもまだ沢山の地下牢の部屋があるらしく、廊下を挟んで鉄の扉が均等な距離を保って並んでいた。この世界の住人のすべてが入ってもなお余るほどの数である。どれだけのひとを閉じ込めるつもりだ。

「ちょっ、どうするの!?」

 アリスはグリフォンに掴まれていた腕をほどいた。

「彼女を見付けだす」

 グリフォンは真剣にこたえた。

「どうして」

「彼女が……アリスだからだ」

 アリスは口元を押さえた。

「うそ……っ」

「俺が待っていた、最初のアリスだ。すくなくとも俺にはそう見えた」

 話している最中でも、グリフォンは地下牢の扉を手当たり次第に開け、必死にセリクサを捜していた。その姿を見ているアリスは、複雑だった。

 本来なら自分が、グリフォンが必死になって捜すその『相手』だったはずなのに。

「セリクサが……アリス? 有り得ないわ……」

 アリスは鼻で笑った。アリスは信じられなかった。自分がアリスであるはずなのに、ほかにアリスがいるはずがない。それなのに、アリスが存在している。

 このわたしを差し置いて。

「認めない……。どうしてわたしじゃないのよ……。だって……わたしがアリスのはずでしょう?」

 認めない。

 わたしを差し置いて、そのような立ち位置にいることを。

 そこはアリス(わたし)の場所。

 奪う者は、許さない。

「グリフォン。わたしを連れて早くここから出なさい」

 アリスははっきりと言った。声色に含まれる威圧に、グリフォンは不審そうに顔を歪ませながら振り返る。アリスは彼を睨んだ。

「さあ、早くしなさい。わたしがアリスよ。わたしを連れて出なさい!」

 アリスは怒鳴った。グリフォンは雰囲気に圧されたのか、わずかに口を開けていた。しかしすぐに真剣な顔になる。

「それはできない」

「どうしてよっ!」

「俺にとってのアリスは、おまえじゃないからだ」

 アリスはカッとなって彼の頬をはたいた。

「わたしはアリスよっ! 正真正銘のアリスよっ! なんでそれがわからないのよ、バカっ!」

「なっ!」

 グリフォンはバカという単語が素直に頭にきたらしい。器用に片方の眉だけを吊り上げた。

「バカって言ったやつがバカなんだよ! おまえはバカ以上のバカだ! 俺は認めない。おまえはアリスなんかじゃない! 勝手に行けばいいだろう! どこへでも! 俺はもう知らん」

 グリフォンはぷいとそっぽを向くと、別の扉を開けて捜索を再開した。

 アリスは怒りに二、三度地団太をし、トランプ兵に見付かることもいとわずにドスドスと足音を鳴らして、適当に出口へと向かった。

 地下牢には誰もいなかった。見張りの兵もいなかった。兵たちの怠慢に怒りをぶつけながら、アリスは思いっ切り壁を殴った。こころなしか、石造りの壁に手の跡のようなへこみができた。

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