1.新学期
―私立清陽学園
学園の歴史としては長く、今年で創立150年を迎える。学園は市街地から少し外れた山間に位置し、周辺は閑静な住宅街があるのみ。
少し遠くにはこの地域を囲むように連なった山々の稜線がくっきりと見える。時々サルの出没騒ぎなんかもある田舎の学校だ。
実家に帰省し自分の部屋に籠っていただけの春休みが明け、今日から新学期が始まる。
昨日のうちに春物の荷物は全て寮へ運び終えている。制服に着替え、買っておいた菓子パンで朝ごはんを軽く済ませ、いつもより10分以上早く寮を出て校舎へと向かう。
始業式といえばやはり気になるのはクラス発表。玄関に貼り出されたクラス分けの一覧から自分の名前を探す。
「…俺の名前は…どこ…に?…」
『あった!』
俺と同じ8組に自分の名前を見つけたらしいその子は、…バドミントン部で何度も入賞していた、名前は確か…。
「…秋元さん?だったっけ?」
「湊でいいよぉ。相田君も同じクラスなんだねっ。ヨロシクねっ」
ショートボブの髪をぴょんぴょん跳ねさせながら話す彼女は、秋元湊。昨年の新人戦では優勝するほどの実力者だ。何度か表彰されていたのを覚えている。
2人で新しい教室に向かいながら話す。
「えっと…湊さん。なんで俺の名前を…?」
「さん付けも禁止っ。もちろん覚えてるよぉ。そっちの仕事もがんばってねっ」
1年生の間、特に目立った行動もしていない俺だが…
「…やっぱり覚えられてますよね。すごく緊張してるから応援してくれると助かるよ」
「うんうんっ。全力で応援するっ。…それにしても…」
「うん…」
クラス分けの時点で分かってはいたが、8組は一番最後のクラス。教室の場所はB校舎の中でも玄関から一番遠い端にある。
『遠いねぇぇー』
この学園では学年ごとに建物が別れており、1年生はA校舎、2年生はB校舎、3年生はC校舎で、職員室や事務室が入っている管理棟や、今は部活棟として使われている旧校舎がある。他にも体育館が大小2つあったり、PC室、視聴覚室、化学実験室などが入った特別教室棟に食堂に学生寮に…
たくさんの建物が次々と増改築されていった学園全体はまるで複雑な要塞のようになっている。事実、学園の周囲には高い塀が立てられ、正門から見るそれは立派な城に見えなくもない。
ようやく8組の前に到着し、前方の扉に手をかけ、…開けるのを少し躊躇する。
「大丈夫だよっ」
隣で湊が励ましてくれる。
俺はぎこちない笑顔を作りそれに応え、扉を開けた。
■■■■
この学園への入学を決めたのはあまり前向きな理由ではない。
通っていた中学から離れていて、できるだけ俺のことを知っている人がいないということ。
その地域でまぁまぁ成績が良くないと入れないレベルの学校であること。
清陽学園は家からも遠く、電車で2時間ほどの山間にあり、寮も完備されているため寮に入ってしまえば毎日家まで帰る必要がない。
しかもこの辺りでは一番の成績優秀者が集まる学校でもある。俺は頭が特別良かった訳ではないが、ギリギリで入学できる程度の勉強はできていた。
また、清陽学園は生徒の自主性を重んじており、行事から規則に至るまでほぼ教師を介さず、全て生徒会を中心とした話し合いの場で決定される。そういった部分に少なからず興味を持ち、この学園への入学を決めた。
きっと何かが変わる。新しい自分の可能性に気付き、俺を中心にした何か…こう、わくわくするような新しい生活が待っている。
寮ではあるが初めて親元を離れて暮らし、たくさんの友達を作って…、部活なんかもやってみたい。
俺は文字通り新しく始まる高校生活に胸を踊らせていた。
しかし、現実は少し違った。
入学してからの生活に特に不満があった訳ではない。ただ、俺が思い描いていた高校生活と違っていた…とでも言えばいいだろうか。
友達もできたし、寮での生活もそれなりに楽しめている。勉強も周りに付いていくことだけで必死だが、嫌ではない。結局やりたいことを絞れず帰宅部ではあるが、放課後だらだら教室に残り友達と話したり課題を消化することも嫌いじゃない。
でも…ただそれだけの毎日だった。
1年生も終わりに近づいてきた頃に、入学してからの自分の生活を振り返ってみた。
―あまりにも平凡だった。
とても平和で、穏やかで、傷つくこともない。それはある日の中学生の俺が願った生活でもあった。
だからそれまでの生活に不満は無かった。
ただ…何も起こらなかった。
転校してきた美少女と仲良くなったり、自分の秘められた能力に気付いたり、ふとしたことから裏の世界の事件なんかに巻き込まれたり…
そこまでブッ飛んだことは望んでいなかったが、自分が主人公になれるような場面はとうとう訪れなかった。
―そんな毎日を変えたい一心で俺は生徒会役員に立候補した。
清陽学園の生徒会は年によって変動はあるものの、毎年5,6名の役員によって構成されており、生徒会長以外は全員2年生となっている。
生徒会長はやはり学園の顔という役割もあるため前年の生徒会役員の中から選ばれ、3年生が担当する。
生徒会役員以外にも各委員会の委員長、各部の部長は原則2年生が担当する決まりだ。部活連の代表に関してはスポーツ推薦が決まっている3年生が担当している。
生徒会を中心とした話し合いで行事や規則が決まるこの学園で重要になってくる生徒会、委員会、各部活動の代表の多くを2年生が占めている理由は、進学校ゆえに3年生という時期が忙しくなるからだ。
何か分からないことや相談したいことがあればすぐに前任の3年生に聞くことが出来るというメリットもある。
この生徒会役員についてだが、学年末に1年生の中から次期生徒会役員を決める生徒会役員選挙が行われる。
立候補については自薦他薦を問わないが、推薦人を1人立てて選挙にて考えを述べ、生徒全員の投票によって役員が決まる。この時点で役職は決まっておらず、後日生徒会長によって任命される。
昨年度は4名の席に対して、13名の立候補があった。…選挙前日の朝の時点では。
立候補締め切りである前日18時ギリギリで俺が立候補したため、昨年度の立候補者は俺を含め14人となった。
―そして、俺は生徒会役員になった。
■■■■
教室の扉を開ける。
ガラガラ響くその音が教室の中に居た生徒の視線を集める。
それまで楽しく話していただろう声が次第に小さくなり、入り口に立つ俺に無言の視線が浴びせられる。
…俺は…どう思われているんだろう。
…みんなからどう見えているんだろう。
確かに選挙で票を集めたのは事実だが、今まで人前に立つことも少なかった俺には実感がまるでなかった。
選挙が終わってから今日まで立候補したことは間違いだったんじゃないかと考えたことさえあった。
自分のことになるとかなりネガティブな考えになってしまう。そういうクセがついていた。
俺、顔色悪くなってるかも…
「相田君も8組なんだ!ヨロシクね」
「席は出席番号順だから相田君は一番前だよ!ドンマイ!」
「よぅ夏希!今年も同じクラスだな!」
予想とは異なったクラスメイトの反応に、…俺、たぶんますます変な顔してる。
「相田君?なんて顔してるの?」
「きっと生徒会役員になったから緊張してるんじゃない?」
「いやいやいや!あれだけ全校生徒の前で喋り倒した人が、そんな訳ないでしょー」
「あっ、秋元さんも8組なんだ!ヨロシクね!」
「よろしくねっ。みなとの席は相田君の後ろだねっ。えへへー」
えへへー。ってなんだよ。えへへーって。
予想外のクラスメイトの反応には愛想笑いしか返せず教室の一番左前、窓側の席に着く。
クラスメイトの視線はなおも俺に付いてきているような…
「もしかして相田と秋元ってそうゆう関係なの?」
「だから相田君そんな照れたみたいにしてるんだー?」
…え?
「そうだよぉ?バレちゃったらしょうがないねぇ?な・つ・き・くんっ?」
後ろの席から湊が身体を乗り出して俺の顔を覗きこんでくる。
「っちがっ!違いますって!…おい湊、変なデタラメ言うなよ。誤解されるだろ!」
「顔真っ赤だよぉ?照れてるのかなぁ?」
「っうっさい!とにかくそんなんじゃないし、さっき初めて話したばっかりだから!」
クラスメイトに弁解するも…
「相田君ってば手出すの早すぎー」
「顔は悪くないけどー、秋元さん。考え直したら?」
「いいなぁー。俺も彼女できないかなー」
「彼女!?だから違うんですよ?俺なんかよりもっといい男はたくさんいるし!…ね?」
みんなの笑い声が止まらない。
顔が熱くなっているのが分かる。俺は今どんな顔をしているんだろう。
「相田君って面白いね!いじり甲斐があるよ」
「いじり甲斐って…。あと、夏希でいいよ」
「じゃあ夏希君。…秋元さんを大切にね?」
「…だから違うって!」
「夏希君、変な顔ー!」
みんなの笑い声が教室を包む。
俺が春休みの間に抱えていた不安は杞憂だったようだ。
間もなくして教室の扉が開かれる。
「はーい。今日の流れを説明するから席に着いてね。去年も同じクラスだった人もいるけど、私が今年の2年8組の担任の須藤綾です。1年間よろしくお願いします」
須藤先生。先生という立場ではあるが、その可愛さに男子生徒はおろか女子生徒からの人気も高い。友達感覚で気軽に接してくれる性格でもあり、名前で綾先生なんて呼ばれたりしている。
須藤先生が黒板に今日の流れを書き始める。
「まずはこの後講堂で入学式を兼ねた始業式、そして生徒会の任命式があります」
黒板に向かっている須藤先生が一瞬俺のほうを見て笑顔をくれる。
「綾せんせー!夏希とはどんな関係なんですか?」
「教師と生徒のウフフな関係かなぁ?」
「っちょっと先生!そんな関係になった覚えなんてないですよ!」
「夏希君が忘れてるだけ。なんだよ?」
教室が一気に騒がしくなる。
須藤先生は去年俺がいた4組の担任でもあった。
そして、俺が生徒会役員に立候補した時の推薦人でもある。
「…147センチ。」
「なつきくーん?何か言ったー?」
黒板の上まで手が届かないため、須藤先生が書いた今日の流れは黒板の上部3分の1を空白にしている。須藤先生の行う数学の授業では黒板上部に綺麗に空白ができるため、生徒からはこう呼ばれている…
「…綾ベルト」
「夏希君は後で生徒指導室に来てねー?」
どっと笑い声が上がる。
…うまくやっていけそうかな?
これが初投稿となります。
読みにくい点も多々あるかと思いますが、今後も目を通して頂けると幸いです。