感情に蓋をする、らしい
心の中に強力な産廃処理場がある気がする…。
この場合の産廃とは普通には処理できない感情である。
これらを処理場にかけることで……
何を考えているのか分からないクールな性格だと思われるのかもしれない。
本当は違う。
私だって人並みの喜怒哀楽がある訳で。
そしてストレスが行き過ぎると通常の感情まで産廃処理場に回してしまう?
この性格、どうにかしたいー!!と今更ジタバタする三十路女子。
以前、親よりも歳の離れた先輩カウンセラーに言われたことがある。
絶望的なシーンで
私は感情に蓋をする、んだって。
千本の槍の雨に対して
痛くなーい
とメイドさんのように暗示をかける辺り、そうなのだろう。
この防衛反応に気づいたのは
父が亡くなった時である。
この時も喪主の挨拶をした。
(喪主は母だったけれど、代わりに)
泣かずに立派にやらないと、と思って
方法は忘れたけれど心に蓋をした。
恙無く挨拶はできたけれど
その代わり半年位喜怒哀楽が薄くなる、という
副作用みたいなものが出た。
今回も同様だ。
私にとって最大のストレスは
困難を破る方法が見つからないこと、だ。
それはポジティブな未来を描くことができない、という
ことでもある。
千本の槍の雨が降ったら、
何が何でもASAPでその場を切り抜けたい。
それができなかったとしたら……すごくヤダ。
故人の病が篤くなり
もう自分にできることはないんだ、と思った時から
ストレスメーターがウナギ登りにググッと上がった。
感覚的には逆に
簀巻きに重石を装備した状態で光の差さない深海を
スィーっと沈んで行くようだった。
連日言われる先生からの言葉は、
仕事で叱られる何億倍もグサグサ心に刺さるのである。
(今思えば、もう少し表現の工夫どころはあるような
…実に写実主義な先生だった)
あの頃は病院の帰りの、大通りに出るまでの暗い道で
目が華厳の滝になった。
誰にも見られたくないから、大通りに出ると滝は枯れるのである。
God knows how I cried.
そして流れた分だけ、喉が渇く。
Give me ジョッキの生ビール。
シリタガーリ族との攻防は近しい人に話したけれど
あの絶望感は誰にも言ったことがない。
あんな気持ち、私だけで十分十二分だ。
ともかく
そうしている中で、たぶん無意識に心に蓋をしたのだと思う。
いつからか華厳の滝が疲労感に置き換わるようになった。
悲しいとか無力だとか思わなくなった。
でもとにかく、疲れがとめどなく流れ出ていた。
無重力状態でたゆたう、みたいなことをしたい!とか変なことまで考えて
塩水に浮かぶフローティングボートなるものに申し込もうとまでしていた。
葬儀が終わって手続きに追われて
仕事に復帰してから仕事に打ち込んで。
何となく、喜怒哀楽に乏しいことへの自覚はあった。
勿論、面白いことがあれば笑うし面白くないことがあればカチンときたりもするけれど、
フワーッとしていて感情が外に出なくなった。
かといって無表情、とも違う。
暫くそんな摩訶不思議な状態が続いた。この間は食事も景色もあまり色彩がなかった。
鬱なのか?とも思ったけれど、その割に仕事は普通にできていた。
それから少しずつ喜怒哀楽は外に出るようになった。
でも昔みたいな屈託さは無くなってしまったかもしれない。
あの絶望感から抜け出す代償だったのかもしれない。
精神的な、いろいろなものと引き替えに還ってきたような気がする。
……。
心に蓋をする方法は良くないんだと思う。
私は周りや自分で思う程、強い訳ではない。
だけど、変な意地があって
何が何でも潰れたりしない!なんて思っているものだから、こんな風な防衛反応が出るのだろう。
どうしたものかね。
しょうもないことだけど、不器用だなあと思う。