愛すること、それを知ること
愛する人は見つけるものではない。
人は愛するという選択をするのである。
…アドラーって容赦ないなあ。
第4章でも書いたけれど、
私は思い出の中に生きるつもりはない。
さりとてこの数年についてを
抹消したい過去だとも思っていない。
確かに若気の至りのおかげで
いろいろな遠回りをしたかもしれない。
でもそこは
転んでもタダでは起きない図太い性格、
掴み&得たものも沢山あると思っている。
その中でも最も大きかったのは
「唯一無二の存在」になることを知った
…ことだと思う。
これがなかなか難しい表現である。
私はこれまで誰かにとっての
「唯一無二の存在」
になったことがなかった。
これはイジケた中二病発言ではない。
親にも友人にも恵まれた環境なのに
何を怪しからんことを、と言われそうだけど
また次元の違う話である。
*
私は
厳しい躾の中で育ったチャランポラン娘ではあったけれど
ある意味「心配されない子」だった。
身体が弱く(幼少の頃)
繊細な兄弟と比べても
身体は頑丈だし
泣いたりへこたれた姿を見せたこともないし
外面だけは360度 the 優等生だったので
内心汗ダラダラなピンチであっても
心配されにくい子供だった。
(今思えば信頼されている、ということだろうけれど)
ゆえに
子供の頃は寂しい気持ちになったものである。
やはり私は地元の何某川で拾われた子供なのか?
母にとって1番大切なのは父であり逆も然り。
友人にとっては…少なくとも私ではない。
昔付き合った人も恐らく(浮気という意味ではなく)私ではない。
そして
当の自分自身が誰を1番大切に思っているのかが分からなかった。
故人とはチームメイトとして
いろいろな 課題(文字通り、そして殆どは病関連の)を乗り越える中で信頼関係ができたと思う。
ときめきメモリアルは結局生まれなかったけれど、
愛情という意味では唯一無二の揺るぎないものがあった。
彼は親よりも親友よりも私を信頼していた。
「唯一無二の存在」であるという実感があった。
今振り返ると
困難続きでお腹一杯、
常に緊張感があって休んだ気がしない
…みたいな日々を何年も続けられた秘訣は
先の章の考え方とこの関係にあるのだろう。
*
ちなみに
20代半ば当時はまだよく分からなかったけれど
故人は奇才な人材だった。
一を聞いて十ならぬ百を知る。
ゆえに本質を見抜くのが異常に速かった。
(そして飽きるのも早いので物事が長続きしなかった)
一を聞いて辛うじて0.5を知る私からすると
一体全体どんなカラクリになっているかが謎!な思考回路を持っていた。
病を得てからはだんだん人間離れしてきて
最後は教祖だか仙人にもなりそうな、得体の知れない存在になっていた。
そんな人間が「唯一無二の存在」に指定してくれたことを誇らしく思っている。
(ただし結婚しようと考えた理由については「ベンチャー株若しくは割安株への投資だ」と言われた。
上手くいったら「売り抜ける」つもりだったのだろうか…)
だがしかし!
それは単なる思い出の一つ。
100%どうにもならないことに未練もヘッタクレもないのである。
ましてや、誰かと比べるべくもない。
アレはアレ、ソレはソレ。
*
故人がいなくなってから見つけた本で
私は人生の課題について考えた。
この歳でチームプロジェクトを終了した自分は次に何を成し遂げるのか?
不惑に間に合うのか?
(私は四十路になったらだいぶ大人になっているであろう自分をよく妄想する)
ムニャムニャ考えたせいか、結論は出た。
おそらく、次に私の為すべきことは
人を愛することである。
「唯一無二の存在」になったことがなかった、なんて言っているけれど
私は人よりは愛された、恵まれた人間だと思う。
世界の全てが敵になったこともない。
(ヤダ、そんなシリアスな展開)
だがしかし!
反対にそれを当たり前のように享受していたので私自身は周りに対して超受身であり
実は、誰かを愛したことが殆どないのだと思う。
……。
うわ、最低。
この事実に気づいた時はさすがにヘコんだ。
よく歌詞で
愛することを知らなかった
とか何とかがあるけれど
まさにそれだ。
愛は知っている。
でも愛することを知らない。
……。
これは私が中二病を拗らせたから、とかではなくて
意外といると思う、愛した経験のない人。
自分ではある!と思っている人ですら。
この愛、というのは
アドラーでも有名な「幸せになる勇気」にも書いてある
Agape(無償の愛)に近そうな愛のことを指す。
純度100%、エゴ無添加 な愛である。
そしてこの愛は見つけるものではなく、作っていくものだと思う。
たぶん、故人とはそれなりにイイ線までいっていたはず。
だから。
私はもう一度「唯一無二の存在」を作り
愛する関係を作るためにチームプロジェクトを始めよう、と思ったのである。