断ち捨てて、そして離れる
前に進むための通過儀礼。
目から汗が出ようと、腰がギクッとなろうと
必要なことだと思うから。
私の性格は、エンジンがかかると一気にやり切る短距離走タイプだ。
嵐のように去った一族、
急に静かになった部屋はごっちゃりしていた。
元々私は(掃除が楽だから、というしょうもない理由で)スッキリした部屋が好きだ。
しかしデッドスペースを埋めたい故人との数年間、さらに物が沢山あると安心する一族との数ヶ月間で家の中がドン・キホーテのようなジャングルになっていた。
そりゃあもう大きいものから小さいものまで。
何に使うんだ?と謎のようなものまで。
床が見えない場所もあり、作業工程を想像したらコンマ数秒程発狂しそうになった。
……。
初めにここ数ヶ月を過ごした一族の正体不明なオブジェや一族の脱皮の跡を捨てた。
それから故人の服やら私物やらを躊躇なく捨てた。
(華厳の滝程ではないけれど、目から汗が出た)
それからコレクションのフィギュアや難しい専門書は高く売れた。
(のでありがたく美味しい物を食べた)
それから希少なCDや機器もないのに取っておいた理由の不明なLP類は売る場所が悪かったのか、あまり高くは売れなかった。
(でもASAPで断捨離たかったので良しとしよう)
こうして書くと大したこと、無さそうだけど
0.1t以上のゴミやリサイクル品を搬出する「断捨離祭り」が少なくとも6回以上は催された。
毎回筋肉痛になったし、
ほぼ自分の物はなかったので辟易した。
でも私にとっては通過儀礼のようなものだった。
こんなにいーっぱいのー
きみの抜けー殻集めてー
無駄ーなー物に囲まれてー
暮らすのも幸ーせーと
……は断じて思えないの、私。
私は槇原敬之とは性格が異なるようだ。
だって、どう考えても使わないでしょ、これ。
サイズの合わない服なんて取っておいても着ないし。
読まない難しい本なんて重石にしかならないし。
元カノに返されたというリングなんてそれこそどうしたら良いのやら。
そういう訳で1年がかりで暇な時は
断捨離に勤しんでいたので
たぶん履歴書の趣味欄(何故にこんな欄があるのかも不明だけど)には
「断捨離」
と書いても許されるような気がする。