赤い小径
結月薫は持ってきたケーキの箱を自分で開ける。
光沢の在る金色の箱だ。
フード付きの黒いジャケットを着たまま応接セットのソファに座っている。
裏フリースっぽいジャージパンツも、ワークブーツも黒だった。
3個の丸いショートケーキ。
上にイチゴと、サンタクロースがのってる。
サンタクロースはチョコとホワイトチョコで造られたシンプルなデザイン。
トッピングに銀の粒。
ケーキが載ってるペーパーは緑色で柊を思わせるカタチをしていた。
シロが嬉しそうに尻尾をぶるんぶるん振って側に行く。
「セイ、先にシロに喰わせるからな」
薫はケーキの一つを床に置く。
シロは、食べてもいいかと、人間くさい仕草で聖を振り向く。
「せっかくだから、ありがたく、頂こう」
シロにいい、聖は幼なじみの向かいに座る。
そして手術用ゴム手袋の右だけを外す。
「クリスマスイブやからな」
薫は工房の中を見渡す。
「フォークがいる。それと、何か飲み物が欲しい」
要求もする。
「これ、どこのケーキ屋?」
一口食べて聖は聞いた。
見た目が感じいいだけで無く
生クリームの舌触りも素晴らしい。
「H駅の近くや。店の名前は忘れた」
薫は、さっさと食べ終わり、紅茶を飲んでいる。
H駅は和歌山県H市の中心地にあり、<イノシシ男>の遺体発見現場に一番近い駅でもあった。
「あ、そうだ、アレだ。アーモンドキャラメル。今、取ってくる」
H駅と聞いて、電話で話した証拠物件を取りに来たんだと、聖は気づいた。
幼なじみとはいえ、薫の訪問理由は仕事以外に無いと。
ケーキはクリスマスだから気を利かしてくれただけだ。
「ああ、キャラメルな……それは後でいい」
答える声が小さい。
あれ?
間近で見た幼なじみの顔つきが、半年前と変わっている。
五分刈りで、四角い大きな顔。
太い八の字眉毛。
いかつい造作の顔に迫力がない。
それに、口数が少ない。
黙ってケーキ食べて、紅茶飲んでタバコ吸って……。
「なあ、カオル、」
何しに来たと聞きかけたら、
「お前に頼みがある」
と煙を目で追いながら呟く。
「何?」
「一緒に来て欲しいねん」
「……どこに?」
「俺に付いてきて。行ったらわかる」
薫はボケットから黒い手袋を出し両手にはめて、立ち上がった。
「今からか?」
「うん」
もうドアに手をかけている。
否応なしに付いてこいという事か?
「ちょっと、待てよ」
聖の声に振り向きもしない。
絶対に付いてくると確信を持っている。
思わぬ展開に戸惑いながらも、
椅子に掛けたダウンジャケットを羽織り、外に出た。
がっしりしている筈の薫の背中が、きゃしゃに見えたからだ。
ダイエットでスリムになったのじゃない。
良くない変化だと、直感した
「あ、」
次に<こんなシーンは前にもあった>と感じる。
既視感<デジャブ>に捕らわれた。
コイツと、前にも同じやりとりをしたような……。
気のせいか?
いや違う。
赤い橋へ、行ったときだ。
あの時も薫は、<一緒に来て欲しいねん>とだけ言って
どんどん川を上っていった。
外は雪がちらついていた。
見上げれば白い空。
上にある太陽は見えない。
吊り橋の袂には、薫のオートバイがあった。
「こっちから、行くで」
薫は工房裏の雑木林へ入っていった。
右手に熊手を持っている。
外にぶら下げてあるのを、いつの間にか勝手に持っている。
シロが嬉しそうに薫の前へ回る。
行き先に見当は付いた。
<吉村紀一朗>がいた森へ行くつもりだ。
赤い橋の向こうへ。
川では無く森を抜けて。
それは分かったのだけれど、
携えている熊手の用途が、わからない。
「おい、そんなモンじゃ、イノシシを追っ払えない。エアガン取ってこようか?」
追い付いて聞いた。
イノシシを威嚇する道具と、真っ先に頭に浮かんだ。
「イノシシ? そんなもん、シロがおったら出てきえへん。大丈夫や」
薫はシロの頭を撫で、
「給水塔がここや……ほんでな、」
スマホの地図を見せる。
地図に道は無い。
しかし、今、足下には道がある。
道幅は一メートル。獣が通って出来た自然の道では無い。明らかに人が造った道だ。
「こんな道があるなんて、親父から聞いてない」
道を通すために伐採した木が辺りに朽ちている。
父がまだ生きていた頃から、この道は在った筈だ。
「首斬り紀一朗の小屋まで続いてる。だから秘密にしてたんやろ。川を上って橋を渡るより近道や……まあ、すぐやから、黙って付いてきいや」
薫と電話で話したとき、吉村紀一朗の名は出していない。
隣組の会合で、吉村に口止めされた。
紀一朗の存在を知っていたかと、聞けなかった。
降り落ちる雪の量が増えていく。
樹も葉も道も
ずんずん白くなっていくほどに。
薫は、紀一朗と<イノシシ男>が同じ姿だったと知っている。
と、聖は考える。
吉村紀一朗が自害した当時、村の駐在所に勤務していた薫の父も、当然知っている。
奈良県警内では、この気味悪い一致を把握しているのに違いない。
行く先は<首斬り紀一朗の小屋>なんだろうが、
幼なじみが、自分をその場所に誘う理由が見当も付かない。
そう長い距離では無かった。
20分ほど森の中を行くと、ソレまで上り坂だったのが、なだらかな下り坂になり、
先に、小屋が見えた。
いよいよ目的地到着かと、思えた。
<首斬紀一朗>の小屋でこの刑事は何を話してくれるのだろうか?
好奇心に多少テンションは上がった。
ところがだ、
薫が突然妙な行動に出た。
担いだ熊手で、地図に無い秘密の小径の落ち葉を
せっせと祓いだした。
「……お前、何してる?」
聖は聞く。
「すぐ、わかる。セイは高いとこから見とき」
この森は工房裏の雑木林と違って、杉が、枝が触れる間隔で立っている。
紀一朗の小屋は、一際太い木の下にあり、周り三メートル位だけ、伐採していた。
そして小屋はユニットハウスだった。
広さは十畳くらい。三角形を4枚くっつけた屋根は赤茶。
壁は白く、ドアと窓枠は緑色。
子供部屋風で可愛らしい。
クリスマスツリーのオーナメントにも似てる。
<首斬り紀一朗>のおどろおどろしいイメージと合わなくて、聖は笑ってしまった。
怪奇談よりは
おとぎ話が似合う、小さな家だった。
「セイ、」
声を掛けられ視線を降ろす。
「……なに、これ?」
落ち葉を払いのけたあとの黒い道が
赤い光をチカチカ放って見える。
目をこする。
幻を見ているようで現実感がない。
「びっくりしたか? 綺麗やろ」
嬉々として薫は隣に居る。
「うん。メチャ、綺麗。……でも、なにコレ?」
質問を続ける。
「なに、この……宝石みたいなのは?」
「宝石みたいか、」
薫は短く笑い、
「セイ、宝石や。これはガーネットやで」
丁度雲の隙間から一筋の光が差す。
積もった雪が銀色の光を放ち、一層<赤い小径>が浮かび上がる。
「……ガーネット」
初めて聞いた言葉のように聖は反芻した。
ガーネット(ざくろ石)の採掘現場写真は見た事がある。
けど、こんな大量に、密集してはいなかった。
「ずっとな、お前に見せたかったんや」
……そうなの?
……ずっと?
……何で今日連れてきた?
問いただそうとしたが、
「あかん、もうこんな時間や。三時過ぎてるやんか。病院に戻らなあかん」
と時計を見て、また謎のような言葉。
「病院って、誰か入院してるのか」
「……俺や。俺が入院してるねん。勝手に外出してきたんやけどな。五時から麻酔の説明を聞かなあかんねん」
「お、お前、に、に、入院中なのか」
驚きすぎて吃音になる。
「俺、先、帰る。セイ、悪いけど、大切なお宝、元のように隠しといて」
樹に立てかけた熊手を指差す。
「手も使った方が早いで」
聖の手(左手だけゴム手袋)を見遣り、
自分の右手から革の手袋を外して
「あげる」
と言う。
「……ありがと」
呟いたが、もう薫は森の中へ消えていた。
シロも居ない。
薫に付いていったらしい。
手袋をはめる。
幼なじみの体温が残っていて温かい。
ソレが酷く大切なモノのように思えて、
愛犬が戻って来るまで右手をしっかり握りしめて
同じ場所に佇んでいた。
髪に掛かる雪も払わずに。