幽霊のアドバイス
工房に戻ると、ドアに紙切れが挟んであった。
見れば宅急便の不在票だ。
「うわー、タイミング悪すぎ」
配達の人に悪いことをしたと、思う。
県道に車を停め、山道を下り、吊り橋を渡って……往復十五分はかかる。
只でさえ面倒な配達先なのに、不在だなんて、うんざりしてるだろうと。
再配達にならぬよう、平日の午前中は家に居ると伝えてあったこともあり、
なんだか約束を破ったようで申し訳ない。
「済みません、隣組の急な集まりがあって。もう、ずっと居ますから、何時でも、」
シロにチョコレートを与えてから、
担当者の携帯電話に電話をかける。
配達員は<須永>と書いてあった。
「了解しました。三十分程で、お伺いできると思います」
聞き覚えのある声だ。
あ、
あの人だ。
カラスとシロクマを配達してくれた……
<イノシシ男>事件でテレビに出てた人に、違いない。
有名人に会うような気分で。
ソワソワと、工房の中と外をシロと一緒に出たり入ったりして待った。
須永は、駆け足で山道を下りてきた。
「済みません、」
聖は吊り橋を渡る。少しでも時間を取らせたくない。
須永は<冷凍>の文字の入った、小ぶりの箱を携えている。
中身は、先週注文が入ったハリネズミだと、見当は付いている。
聖は改めて須永の横顔を盗み見る。
やや面長の輪郭に一重の目
鼻も口も特徴がない。
あまり印象に残らないありふれた顔つきだ。
しかし、その声は違う。
声優並みの、よく通る、いい声だ
「申しわけないです。例の、<イノシシ男>のことでね、近くだから色々とね……」
何か話してくれないかと期待して喋ってみる。
あれ、通報したの、僕なんです、とか。
でも、
須永は接客顔を崩さない。
「そうですか」
と短く答え、聖に寄り添うシロの頭に軽くタッチして
さっさと行ってしまった。
少々残念だが、仕方ない。
須永は、偶然自分が関わった事件についてペラペラ喋るような、下世話な男で無かっただけのことだ。
関心は、すぐに、胸に抱えた冷たい箱に移る。
シロが臭いを嗅いでいる。
「ハリネズミだよ。お前、見た事ないだろう」
近頃ペットショップで売られてるのは知ってたが、剥製依頼は初めてだった。
「ちょーかわいい。針は案外楽かも。折れてるのを整えたらいいだけじゃん。問題は肉が薄い、ちっちゃい顔だね」
作業室でハリネズミを取り出すと、聞き慣れた<声>がまず、聞こえる。
数秒遅れて、声の主が姿を現す。
オレンジ色のジャージが、ふわっと浮かび、
頬がふっくらして、顎の細い、白い横顔が、すぐそばに在る。
浦上昴が、出てきた。
双子の兄に殺された事も、自分が死者だとも知らなくて、
初めから、幽霊状態で工房に来た。(剥製屋事件簿その七初登場)
生きていないと、自覚し、成仏したかと思われたが、
時々作業室に現れる。
「マスターは、きっと、普通に内蔵取り出す為に腹にだけメスを入れるつもりだ。だけどさ、今回のハリネズミに限っては、頭と手足切断しちゃった方が、後の作業が絶対楽。仕上がりもクール」
美少年の幽霊は熱っぽく語る。
彼は生前、剥製にするためだけに子猫を何匹も殺した。
剥製への執着が、此処に留まらせているのかも、
と、聖は解釈している。
「うるさい、それに、マスターと呼ぶな」
と、言い慣れた答えをする。
しかし、昴のアドバイスは無視できない。
この数ヶ月で、剥製作りの工程を理解していたし、
剥製への<愛>が凄まじい。(執念というべきか)
昴が仕事に口出しすると、なんでだか、シロが、返事のように短く吠える。
それにも、意味がある気がする。
「確かにな、とげとげの背中と、他の華奢なパーツは別モンだよな」
と、幽霊の言葉に従い、ほそい尻尾を切断した。
「あ、マスター」
と昴が妙な声を出した。
「ん? 切って、いいんだろ?」
「ハリネズミじゃなくて……マスター、ポケットに何入れてんの? すっげー感じ悪いんだけど」
と言う。
「ポケット?」
白衣のポケットを弄れば、アーモンドキャラメルの箱が指先に触れる。
「これか? これが感じ悪いのか?」
昴は汚物を見るように眉をひそめ、口に手を当てる。
「それ、人間の血が付いてるよ。綺麗な血じゃ無い。汚い死体の血だよ」
思いがけない言葉に、キャラメルの箱を見直せば
さび色の汚れがあった。
「怪奇小説の世界だね」
マユは、首切り紀一朗の話に目を輝かせた。
時折朧気になる姿も、今夜はくっきりしている。
聖が今朝、隣組の会合で仕入れた情報に、
好奇心が一層刺激されたようだ。
「セイのお父さんが赤い橋まで行くのを禁じたのは、キイチロウの狂った姿を見せたくなかったからだね。……、<イノシシ男>のように、全裸で猪の頭を被って自殺してたんだよね、もしかしたら、猪の首を斬るときにも、その姿だったかも」
吉村紀一朗と、<イノシシ男>は無関係では無いと、熱く語る。
では、どう関係しているのか?
聖は今のところ、全く分からない。
マユの推理を聞きたい。
だが、取り急ぎ謎を解いて欲しいのは、別のコトだ。
ポケットの中で握りしめている、アーモンドキャラメルだ。
「セイが、バスの中で拾ったのが、コレかも知れないの?」
殺された佐々木ミキが所持していたモノが、
なぜ、今工房にあるのか?
「隣組の会合場所で、シロは誰かにコレを貰ったってことよね?」
マユの大きな目は瞬きも忘れ、ディスプレイの前に置いたアーモンドキャラメルの箱を見ている。
「犯人特定に繋がる重要な証拠物かもしれないのね? 警察に知らせた方がいいよ。バスで被害者を見た事もね、自分から話した方が良くない?……猟奇殺人事件なんだよ。本当に被害者の血だったら、持ってるの、マズいよ」
マユの指摘は尤もだ。
でも、少々厄介な問題があった。
キャラメルの箱をスライドさせて、マユに中身を見せる。
「二粒、だよね。なんで? さっき、残り三粒なのも同じって、言ってなかった?」
「うん。間違いなく三粒だったんだけど、……宅急便待ってる時に、何気なく、ポケットに手が……証拠物かもって、頭に無かったから」
「まさか、食べちゃったの?」
マユの目が、まん丸だ。
驚き、呆れてる。
「喰っちゃった」
アーモンドキャラメルは懐かしい味がした。
初めて口にしたのではないが、
最後にいつ食べたか覚えてもいない。
箱入りのキャラメルなんて、大人の男は買わない。
「食べちゃったものは、仕方ないね。その事も正直に話さないとね。なるべく早く警察に電話した方が、いいよね」
聖は、警察になんと話せばいいか、頭の中でシュミレーションしてみる。
「俺、怪しいヤツと思われるかも」
「多分。……あ、そうだ、幼なじみの刑事さんに、相談したら、いいんじゃない?」
結月薫に連絡を取るべきだと、
マユは言った。