キャラメル
「赤い橋で女の人が殺されてた事件の<イノシシ男>と、そっくり同じでしたんや。全くどういう訳かわかりませんが」
古賀ツヨシが描いた拙い絵が
吉村家に与えた衝撃は計り知れない。
紀一朗の亡霊を見た気がしたと、
吉村は言う。
否が応でも十五年前の出来事が、
鮮明に蘇ってしまったと……。
紀一朗の亡骸は小屋の近くの、穴の中で見つかった。
狂人は、自分で掘った<墓穴>の中で息絶えていた。
「『私は畜生でごさいます。兄様、ご先祖様と同じ墓に入れません』
とな、短い遺書がありましたんや」
穴はもう一つあった。
随分深く大きくて、イノシシの首と胴体が放り込まれていた。
「もったいない、罰当たりなことやった。殺生したんなら、肉を頂かな、あきませんがな」
と酒屋のお婆さんが言う。
一瞬、昔食べた牡丹鍋の味が、聖の舌に蘇る。
あれは、美味かった。
でも、そんなことを思い出してる場合じゃ無い。
紀一朗の自殺遺体と今回の<イノシシ男>が同じ姿だった。
マユが、
赤い橋のむこうの山にいたのは<イノシシ男>かもと、
言ってはいなかったか?
その事が……どうしてだか心にひっかかる。
マユは何故わかった?
どう推理した?
頭を巡らせて、考えろ、
「怨霊やと、いう人もあるんです」
吉村は、タバコに火を付けた。
「じつはね、娘の結婚が決まったんです。紀一朗のことは嫁ぎ先には話してません。変わった自殺をしましたが、戦地で何人もの首を斬りましたが、犯罪者ではなかった。死んでから十五年も月日が経ってます。たとえ人殺しでも時効です。遠い昔の話なんです。わざわざ話さんでも、ええやろうとね」
しかし<イノシシ男>騒ぎで、
紀一朗を知っていた者なら誰しもが
あの死に様を思い出しただろう。
そうして誰かに喋ったとしたら……どこまで拡散するかわからない。
世間の好奇な目が、吉村家に向けられる可能性もある。
娘の縁談(見合いらしい)に差し支えるような事態だけは避けたい。
幸いなことに、当時のことを知っている人間は限られていた。
吉村は、二つの集落と、山の剥製屋に口止めに回ればいいのだった。
「紀一朗はん、成仏してないんやで」
ぽつりと呟いたのは、湯本家の爺さんだ。
八十過ぎで禿げ頭。耳も遠い。
でも足腰はしっかりしている。
柿畑の斜面で軽々作業している。
「このさいやから、寺に供養してもうたら、どうや? お経の一つ上げたってない。墓石も戒名もなし。山に埋めたきりでは、畜生扱いやないですか」
<イノシシ男>=<紀一朗の幽霊>といいたいのか?
「兄ちゃん、吉村の先代は、なんでか知らんけど、わざわざ届けだして紀一朗はんを、土葬にしたんやで」
と老人は聖に話す。
「……親父は、紀一朗の遺言に従ったんやと思います。望んだようにしてやった、だけです」
吉村は弁解する。
紀一朗の遺体は、警察が検死した後、穴に戻して埋めた。
墓標も立てなかった。
「山を手放したんがアカンと思うで。紀一朗が埋まってる山を売りに出すから、祟ったんかも知らんで」
分家の借金を本家が肩代わりして競売にかけられている土地を取り戻せと
酒屋のお婆さんが言えば、皆が頷いた。
<イノシシ男>は紀一朗の祟りだとも、口々に言う。
「そんな、祟りなんて、頼むから言わんといて下さい。よその人にも絶対に言わんといて下さい」
吉村は、一度深く頭を下げて、つと立ち上り、
「約束しましたからね。絶対に余計なこと喋らんといてくださいよ」
頼んでいると言うよりは
脅している感じの、大きすぎる声で言った。
そして、そそくさと、逃げるように会合の座から去って行った。
「ワン、」
と外で短くシロが吠える。
多分、くつろいでいたところに吉村が出てきたので驚いたのだ。
「シロが気になるから、俺も失礼します。繋がれるのに慣れてないから可哀想で」
話はだいたい終わった。
もう帰ってもいいだろうと聖は思った。
「そらアカン。はよ、自由にしたり」
「なんや、連れて入ったら良かったのに」
「繋がんでも、放したったらええやんか」
「放して県道に出たら危ないやんか。車に当たる。はよ、山に連れて帰ったり」
隣組の人たちはシロには優しい。
聖を見ると、シロは嬉しそうに短く「クワン」と鳴いて
それから一回りして、
次にこっちを向いたとき、口に何か咥えていた。
めっちゃ、嬉しいようで、目尻が下がってる。
「シロ、何持ってる?」
食い物に決まってると見当を付けながら顔を近づける。
シロが大事そうに咥えているのはキャラメルの箱だった。
「何処で見つけた?」
聞けば、違うと言いたげに首を傾げる。
拾い食いなんかしないと。
「誰かに貰ったの?」
聞いて手を出す。
シロは聖の手に、そっとキャラメルの箱を載せる。
「アーモンドキャラメル、だよな」
ごく最近、同じ箱を手にした。
「あ、あの時だ」
バスの中で、<佐々木ミキ>が落っことしたのも、アーモンドキャラメルだった。
「偶然だよな」
何気に振れば
カラカラ音がする。
中身を見る。
三粒入っていた。
これも、あの時拾ったのと同じだ。
「感じが悪い偶然だな。シロ、誰にもらった?」
聞けば、くん、くわわんと、吠えた。
多分、質問の意図を理解し、答えてくれてる。
「よおし、わかったぞ。ありがとう」
せっかく<喋って>くれたので、犬語がわかる振りをする。
「でもキャラメルは歯にくっつくから没収な。俺のチョコレートと交換しような」
作業室の冷蔵庫に板チョコがある。
シロも知ってるから嬉しそうに尾を振る。
聖はキャラメルの箱を無造作に、白衣のポケットに突っ込んだ。
箱に血痕が付いてると
気づかないで