紀一朗の亡霊
山田鈴子は、動物霊園に使える土地を捜していた。
新しい事業を思い立ったのは、ある大型犬の死がきっかけだという。
所有するアパートの近くで飼われていた犬だった。
飼い主は愛犬の亡骸を運搬する車も人手も持ってはいなかった。
<ゴミ>扱いで処分するしか無い状況だ。
(結局その犬は、聖へのプレゼントになった)
「もちろん、ペット業界は火葬、埋葬まで広がってる。けど、まだ世間に良く知られてない。どんだけ金かかるのかウチもようしらん。この不景気で人間の墓も建てられへん人もいるのに、ペットに何十万も出せる人は限られてる」
鈴子は<格安>のペットセマタリーが必要だと語った。
「ほんでな、墓地の案内所に、剥製を飾るつもりや。埋葬するつもりで来た客が、剥製もいいかもって、思うかも知れないやんか」
提携しよう、と誘う。
聖は先の商売の事より、山の猪たちが気になった。
ガーネットの小径のことも、知らせておくべきだと気を回す
「にいちゃん、猪の心配はいらん。使うのは、広い山の、ほんの一部や」
そして<ガーネットの小径>の、位置を知りたいと言った。
小屋の北東だと告げると、電話は切れた。
「ペット・セマタリーだって」
聖は何となく、剥製達に呟いていた。
「火葬して骨を埋めるのかな。それとも土葬かな」
ふと、コイツラには墓は無いと気付く。
剥製に使わない部分は焼却炉で焼いて、骨と灰は山に蒔いている。
「そうか、ペットが死んだら土に埋めてやるか、生ゴミ処分するか、それとも剥製にする、の三択なのか」
人間よりはバリエーションが多いのだ。
と、今更ながらに思った。
<イノシシ事件>の報道は、そう長く続かなかった。
自白だけで物証は無いと思われたが、証拠は出た。
須永の家の掃除機の中から被害者とKの髪の毛が出た。
Kの髪は河原で作業中に衣服に付き家まで運ばれた。
被害者の髪も(作業が終わって着衣した)服に付いて来た。
血を浴びぬよう裸で作業したが、抜けた長い髪の一本が風に舞い
まるで選んだように数分後に須永の服に落ちたのだ。
須永の想定外の事では無かった。髪の毛が付いているかも知れないと、
家に帰ってすぐ着ていた服に掃除機をかけた。
その慎重さが災いして証拠を造ってしまった。
Kの衣類や犯行に使った道具を早々に処分したのに
掃除機の中を忘れたのはミスだろう。
月が変わった頃には、もう、ネット上の話題にもならなかった。
隣組の会合でも、事件の話は出なかった。
競売に出ていた山を、大阪の会社が買ったと、その話は皆知っていた。
「動物霊園やて。それやったら紀一朗も本望やろ。獣扱いして欲しかったんやから。よかったやんか。きっと成仏できる」
酒屋のお婆さんが、眼を潤ませて言った。
他の人たちも、この意見に同調していた。
聖は、よく分からないが、紀一朗を知っていた人たちが言ってるんだから、その通りなんだろうと思う。
「その、大阪の会社から、<赤い橋>を付け替える件で電話かかってきて、俺、全然知らなかったけど、あの橋、親父が架けたらしいですね」
この人達なら、父が橋を寄贈した経過を知ってるかもと、聞いてみた。
「そうやで。紀一朗はな、山へ行くのにセイちゃんとこの<橋>、渡って行ってたんや」
「そうなんですか」
「確か、息子が怖がる、言うてな……。見かけは、ちっとも怖くなかったけど、セイちゃんは敏感やから、本性を見抜いてたんやろうな」
酒屋のお婆さんは、そこまで喋って
「多分、そんな、ことやった」
話を終わらせた。
その夜、
聖は吊り橋の上にシロといた。
「紀一朗は、初めは、この吊り橋を渡って、小屋まで行ってたんだ。親父は、俺が紀一朗を見て怖がるから……」
何を怖がったか、考えるまでも無かった。
……戦地で何人もの首を斬った手を自分は見たのだろう。
……手が……指が……幾重にも重なってイソギンチャクのようなのを。
「<赤い橋>は親父が、俺のために架けたんだ」
雪がうっすら積もっている。
風は無い。雲も無い。
月が妙に明るい。
聖は白衣の上にダウンコートを羽織り、懐中電灯を握っている。
「……最後に一回渡りたくなった。付いてきて」
裏山に入る。
シロは目的地を理解したのか、誘導するように前を走った。
おかげで<赤い橋>まで、迷わず行けた。
「こんなに小さい橋だったんだ」
手すりの位置が記憶より低かった。
自分が大きくなったから、そう感じるのだ。
「シロ、帰ろう。気が済んだ。まだ取り壊されて無くて、良かった」
来た道を戻るんだ。
あっち、と指差す。
でもシロは座り込んで動かない。
「どうした?」
顔を近づける。
「ううう」
聖が指差した方向に唸っていた。
「何?」
懐中電灯を向けようとした。
だが、明かりで照らす前に、人影を見た。
その人は、闇の中にいるのに、見えている。
薄ボンヤリだが身体が光っているのだ。
「誰?」
聞いた次の瞬間、すぐ側に、男の顔が現れた。
聖と同じ位の身長だ。
帽子を被り、眼鏡を掛けている。
白髪で口ひげも真っ白だ。
……この顔は知っている。
……いつもスーツ姿で帽子を被ってる、老紳士。
「神流さん、わたしね、おおきな勘違いを、してたようです」
生身のヒトではない。
それが知り合いのように、普通に話しかけてきた。
柔らかい声は、川の音に消されることもなく、耳の奥に届いた。
「戦地でね、わたしは、満足のいく仕事が出来なかった。何回やっても、きれいに斬れ無かったんです。一回では無理で何回も刀振ったり、一回で切れたと思ったら、位置がズレて、顎を残したりとか。勢い良すぎて、頭が飛んでったり。ほんま、下手くそやったんです」
首斬り紀一朗の亡霊は
恐ろしい話を始めた。
「戦争は終わり、私の仕事も終わりました。しかし、出来なかった事の、悔しい思いは消えなかった。上手な首斬りになりたかった」
……それで、そんな、理由でイノシシの首を斬って練習を重ねてたのか?
……正真正銘の狂人だ。
聖は、金縛りにあったように瞬きも出来ない。
おぞましい亡霊から逃げられない。
「本当は人間の白い首を斬りたかった。でも辛抱しました。獣の太い首で我慢しました。でもやっぱりイノシシじゃアカンかったんです」
人を斬ってしまう前に、自害した。
その程度の理性はあったと、説明する。
「……ここでな、綺麗な首斬りを見ましたんや」
紀一朗は黒目だけを下に向けた。
「邪魔な髪の毛を下から掴んでました。それで刃の付いた機械使って斬ってた。切り口は真っ直ぐでね、骨も綺麗に切れてました」
須永が女の首を斬るのを見ていたのだ。
「あの機械さえ使えば、あんなに綺麗に切れるんです。首斬りの技を磨くのは無意味やと気付きました……。機械に勝てそうにありません」
もう思い残しは無いとか、言う。
「ただね、神流さんには世話になったから、一目会いたいと……それだけが心残りだったんです」
自分を、死んだ父と思ってると、聖は理解した。
「この橋、私の好きな色にするって、言ってくれはったやんか。嬉しかったんです。私、赤い色が大好きやと言いました。血のような赤い色が好きやと。そしたら、その通りにしてくれた……嬉しかったんです」
紀一朗は一歩後ずさり、深々と一礼した後に、
消えた。
シロが吠えながら、何かを追うように駆けていく。
が、
すぐに戻ってきた。
「も、もう、消えたんだな」
聖は金縛りから解き放たれ、喋る事が出来た。
しかし、膝に力が入らない。
しゃがみ込む。
シロが頬を舐める。
滅多にしてくれない愛情表現だ。
「怖かった。すっげー、怖かった」
シロをしっかり抱いた。
最後まで読んで頂き有り難うございました。剥製屋事件簿シリーズ、まだ続きます。読んで頂ければ嬉しいです。 仙堂 ルリコ