綺麗すぎた死体
「須永は荷物を届けに、ここに来てた。……顔見知りなんだ。ほら、事件の時にインタビュー受けてただろ? 顔は出てないけど、声でさ、分かったんだ」
聖は(言ってなかったっけ?)
なるべく軽く答えた後、慎重に言葉を選び、
当たり障り無さそうな、事実を語った。
内心では(ヤバイ、ミスった)と狼狽えていた。
須永の手を見て<人殺し>と知ったとは、言えない。
自白ともとれる内容を聞いたとも、相手が刑事ではマズイ。
「成る程な。確かに此処は須永の配達範囲や。しかしですね、自首したのがソイツやと、どうして分かりましたか?」
薫は隣の椅子(マユ用)にどっかり座った。
顔が近い。
四角い輪郭に、太い八文字眉毛。
子供の時から顔変わってない。
と、思う。
その次に、この顔は、自分も須永と知り合いだと
全然思っていない、と感じた。
……十七年前の夏、彼らと会ったのを、忘れたか?
……いや違う。
……あの時の二人が、須永と古賀だと、知らないのだ。
「きっかけは隣組の集まりだ。吉村さんから<首斬り紀一朗>の話を聞いた」
薫の眉毛が少し動いた。
「それで?」
と、先を促す。
「<イノシシ男>は紀一朗のコピーだと推理した。犯人は、紀一朗を知っている人物だと」
「その通りやで」
薫は頷いた。
警察も、事件と<首斬り紀一朗>の関係を、追っていたのか?
「吉村さんの話を聞いて、<赤い橋>まで行くのを禁じられていた理由が、わかった。五年のときだっけ。お前と<赤い橋>まで行き、親父に殴られた。なんであんなに怒ってたのか、ずっと不思議だった」
目の前にあった薫の顔が、若干離れる。
少し間があって
「あ、」
と一声だけ出した。
「あの時、橋に、二人居たよな? 知らない奴らが」
「おう、そうや、おった。二人、」
薫は、ちょっとは思い出したらしい。
自分の膝を、大きな手でパンパン叩く。
「山の向こうから川を下ってきた奴らが、おった」
「被害者の連れの男と須永が、あの時の二人かも知れないと閃いた。年齢が合うし、須永がH市の出身とも聞いてた。もしそうなら、山で<紀一朗>を見たかも。最初の供述も絵も紀一朗を真似た狂言。つまり二人で殺したんじゃないかと……」
全部、ただの推理だと、取り繕う。
背中に汗が滲む。幼なじみとはいえ、相手は警察官だ。
「なんか、須永には、ずっと前に会った気がしてたしね、(これは嘘)」
「そうや、あいつらと、ガーネット見つけたんや。ほんで紀一朗のオッサンを、一緒に見た。アレが須永と古賀やったんか? 待てよ、そういえば、一人がもう一人をツヨシ、て呼んでた気が、せんでもない。……古賀の名前はツヨシや」
「コガって、被害者の連れの男なのか(知ってるけど聞く)? 俺の推理、合ってたのか?」
「それはわからん」
(いや、事実なんだって。須永はお前の名前、覚えてた)
と、喉まで出かかったが、我慢した。
「そういえば、五年の夏休みやったな……ガーネット見つけたのは」
薫は遠い夏に思いを馳せ……一人で何度も<赤い橋>を渡っていたと、語る。
駐在の父親と、村人の会話を盗み聞き、
面白そうだから、見に行ったと。
「お前、一人で行ってたの?」
初耳だ。
怖くは無かったのかと、聞く。
「紀一朗のターゲットはイノシシやで。子供の首斬ったり、せえへん。怖いのはイノシシや。ほんで、シロに付いてきて貰ってた」
「それも……全然、知らなかった」
当時から、シロは放し飼いで自由だった。
「あの日は、シロがおらんかった。ほんで、セイが川におった」
「シロの替わりに、俺を誘ったの?」
「それだけやない。セイにガーネット見せたろかと、思った」
「けどさ、俺はガーネットを見てないじゃん。森にも入ってない。お前に、橋の上に置き去りにされた」
「そう……やったかな?」
覚えていないのか、トボけてるのか、分からない。
「それでさあ、あの時、お前は須永達と、<イノシシ男>状態の、紀一朗を見たの?」
(須永に聞いた)事実を、確認する。
「うん。赤い径に、おった。顔見られたらアカン。俺は、必死で走って逃げたんや」
「他の二人も走って逃げたのか?」
「そうやと思うで。真っ先に橋まで戻ったのは俺やった。それは覚えてる」
(コガが紀一朗に捕まったのを知らないのか?)
確かめたいが、聞けない。
「親父にバレたらえらいことやと、ビビった……きっちりバレてたけど」
「俺の手に赤ペンキが付いてたから。それでバレて……、」
聖は言いかけて、いや違う、と気付く。
河原に二人の父親は並んで立っていた。
あれは、息子達が川上から戻ってくるのを、待ち構えていたのだ。
「紀一朗のオッサン、俺の顔見たんや。ほんで、すぐ親父に電話したらしい」
「電話……かけたの?」
にわかに信じがたい。
<イノシシ男>のいでたちで、携帯電話を持ってた。
イメージできない。
「親父はお前のとーちゃんに知らせた。セイもおらん。さては一緒やと、なったんや」
「……なるほど」
記憶の、曖昧な点がすっきりした。
薫は父親を恐れるほどには紀一朗を恐れていなかった。
紀一朗のプロフィールを知っていたからだ。
変人、狂人と噂の、変な<人>と認識していた。
<化け物>ではない。
古賀が<祟り>を恐れたなんて、想像もしなかっただろう。
「セイ、実はな、初めから、やったんは古賀やと、なってたんや」
内緒話のような口調で言う。
幼なじみへの疑惑は消えたようだ。
「状況から推測して?」
「もちろんそうやけど、様子がな、自分が殺したと言うてる、ようなモンやから」
「精神錯乱状態なんだよな。<イノシシ男>と<首無し死体>みたショックだと報道されてた」
「あんな、亡霊やねん」
「亡霊?」
古賀は事情聴取の初めから、酷く怯えていた。
取り調べ室のあらぬ方向を見ては、ヒイ、と叫び、(許して下さい、ゴメンナサイ)と言う。全く会話が成立しない状況だった。
どんな亡霊だったのか?
首の無い姿を見たのか?
自分が殺した女の亡霊に取り憑かれ、正気を失った……。
それは須永にしたら、想定外の事態であっただろう。
「<イノシシ男>は狂言。モデルは吉村紀一朗と推測。古賀が落ちるのは時間の問題やった。でも、ややこしい死体が出た」
須永の思惑通り、一旦は古賀犯人説が崩れたのか?
<イノシシ男>の死体が身元不明のままなら、迷宮入りだったのか?
「それはない。初めから死後に細工したと判ってた。警察をなめたらアカンで」
「そうなんだ。でもなんで判ったの? カラスがつついてボロボロだったのに?」
「うん。下半身は魚に喰われてズタボロや。ほんでもな、あのホトケは綺麗すぎたんや」
ズタボロでも綺麗な死体?
「そう。死体につきものの、体液がなかった」
「……あ、そうなんだ」
聖は納得する。
須永は、とんでもないミスを犯した。
死体を加工する前に洗ってしまったらしい。
「哺乳類の死体を扱い慣れてるヤツは、こんな単純な失敗はせえへんな」
「はあ? なんだそれ。……まさか、俺、疑われてた?」
薫は答えない。
ちょっと笑っただけで話を進めた
「死体を<イノシシ男>に仕立てるのは一人では不可能や」
共犯者として真っ先に、須永が捜査対象にあがる。
「古賀の実家はH市内の<うどん屋>や」
二十坪に満たない、古い連棟住宅。
一階が店で、二階の六畳と四畳半の二間が住居だ。
「借家で、大家が須永やねん」
須永はマンション、借家を多く所有しているという。
「親の遺産らしい。不労所得が充分あるのに、請負で宅配業してたんや。なんでやろ? 暇つぶしかな。手の込んだ事件やりよったんも、暇つぶしに、変わった事、してみたかったんやろか」
薫は須永の動機を<暇つぶし>と言い捨てた。
マユは<友情>と推理していた。
それはマユが<いい人>だからと、昴は言っていた。
では殺人の動機が<暇つぶし>という刑事は、どういう人だろう?
昴に聞いてみよう……と、聖は思った。
「古賀は、六年の時、母親を亡くし孤児になった。ほんで施設で育ってる。高校卒業後、施設を出て、派遣で働きながらアパートや寮を転転としてる。……ところがな、月に数回は<うどん屋>に来てたんや。家賃は支払ってない。須永が無償で使わせてたようやな」
警察は二人の濃い関係を、掴んでいた。
「捜査の手が間近に迫ったのを察して、須永は自首したんだな」
「まあ、そんなところやな」
薫は、立ち上がり、大きく伸びをした。
一通りの話は終わった、という風に。
応接セットに戻り、テーブルの上にあった(聖の)タバコを吸っている。
「お前、いいのか? 肺の手術したばっか、だろ?」
心配で声を掛ける。
「あかん、忘れてた」
すぐに吸うのを止めた。
「忘れてた?」
呆れた。
しかし薫らしい。
コイツはきっと長生きすると思う。
「そや、」
薫はシロの頭を撫で(またな)と去りかけて、
振り返った。
「何?」
「あの山な、売れたらしいで。差し押さえられて、競売に出てたんが、売れたんや」
猟奇殺人事件の現場。
全国に知れ渡った事故物件を、買う物好きがいたと言う。
「あ、確か山には……紀一朗の死体が埋まってるんじゃなかったっけ?」
正しくは、土葬で墓標の無い墓だが。
「そうやんか。もちろん、墓のことも承知や。
大阪の不動産屋らしいで。
聞いた話では『たかが墓一つで、嫌がる人もおるんでしょうね。あほらし』と、言ったんやて」
(あほらし)
聖は同じフレーズを、
最近、聞いた。