捨てられた男
<人殺し>とわかっていながら逃がしてしまった。
……通報しても証拠が無い。
<人殺しは見ればわかる>力なんて役に立たない。
無力感と、弁の立つ須永に言い負かされた敗北感に、しばし捕らわれた。
ドアを開け放したまま、どれだけの時間闇を凝視していたのか不明。
「きゅん、くうん」
シロが子犬のように鳴いてじゃれつく。
(はやく、アレを食べよう)
須永が持ってきた発砲スチロールの箱に、飼い主の注意を促す。
「そっか。食い物だったな」
送り主は山田鈴子。「歳暮」とある。
開ける。
三段の重箱が出てきた。
「おせち、だ。こんなの、久しぶりだ」
高級料亭の名が入った「おしながき」が添えられていた。
よだれを垂らして待ってるシロに、かまぼこを摘まんで口に入れてやる。
「美味そう……けど、こんな高価な物、なんで、送ってきた?」
山田鈴子が、意味も無く人に振る舞うと思えない。
不動産関係業者のように継続的に取引がある関係では無い。
<お歳暮>は、変だ。
訝った。
箸を握った手が止まる。
「喰っていいのか? 厄介な依頼の前金替わりだったりして」
独り言に答えるかのように、携帯電話が鳴った。
山田鈴子からだ。
時計を見れば九時五十分。
九時に時間指定の荷物。
届いた時刻を見計らって電話を掛けてきたらしい。
「兄ちゃん、届いたか? 実はな、送り先の一軒で年末に不幸があったんや。さすがに正月料理は送られへん。キャンセルは無理や。つまり、余ったんや。事情を知ってる連中は、嫌がるやんか。あほらしいやろ。もったいないやろ。兄ちゃん食べて。犬と食べて」
用件を伝えて、電話は切れた。
事情は理解した。
この贈り物は、ただの余り物と分かった。
「じゃあ遠慮無く……食べよっか」
一口食べて、空腹に気づく。
「腹が減っては、戦は出来ないと、いうからな。まずは腹ごしらえなんだ」
聖は、人殺しの須永を絶対に見逃さないと、心に決めた。
「証拠、だよな」
シロに、<数の子>を与えながら呟く。
愛犬は上機嫌だ。
「お前は、<人殺し>にも懐くんだな。……アーモンドキャラメル、アイツに貰ったんだろ?」
答えるはずも無いが問うていた。
須永はシロに馴れ馴れしかった。
名前まで呼んでいた。
須永が佐々木ミキを殺したのなら
シロにアーモンドキャラメルをやったのも須永だと見当は付いた。
隣組の集会の間、酒屋の店先にいたシロに
須永なら、接触可能だ。
配達ルートの県道を頻繁に往来しているのだから。
自分が殺した女が持っていたキャラメルの箱を
須永は捨てずに持っていた。
処分するのを忘れたのか、安全な捨て場所を探していたのか、どっちかは分からない。
「お前が懐くのは、アイツがお前に友好的だから。アイツはお前が甘い物を好きなのも知ってる」
語りつつ、<栗金時>を与えれば、シロは嬉しそうに食べた。
「何で知ってるか? それは前にも甘いお菓子を食べさせた事があるからだ」
須永が荷物を届けるようになって何年経つのか?
記憶を辿ってみる。少なくとも、五年以上だと答えを出す。
把握していなかっただけで、須永とシロが触れ合う時間は合ったのだ。
出かけるときには、シロを工房の中に入れて行く。
川や森に放すのは不安でそうしている。
万が一、車を追いかけて付いて来ないかと心配で、外に放しては出かけない。
そして工房のドアには鍵が無い。
「アイツ、ドアを開けてたんだ」
……今夜のように作業室にいたら、外から呼んだ位では気付かない。
須永は、そういう事情も心得ていた。
ドアを開けて「宅急便です」と声を掛けるのは、咎める事ではない。
一人で作業室に居たり、買い物に出たときに、須永とシロだけの時間があった。
慣れ親しむ位に何度も。
「でもさ、キャラメルの箱に指紋が付いてるなんて期待できないな」
須永はいつも手袋をしている。
素手で触ってはいないだろうと考える。
「ま、明日考えよっか」
満腹になり思考能力と緊張感が薄れてきた。
早く眠って朝考えようと決め、パソコンの電源を落とすついでに、ニュースをチェックする。
すると、
眠気がいっぺんで飛んで行くような文字が眼に入った。
<速報「イノシシ男」の死体を遺棄したと兄夫婦が自首>
「なに、これ?」
詳しい記事を探す。
和歌山市内に住む会社員とその妻(共に四十代)が病死した弟Kさん(同居)の遺体を和歌山県の山中に捨てたと出頭してきた……と、あった。
「近所の人は、Kさんの存在を知らなかった、って書いてあるね」
気がついたら、隣にマユが居た。
嬉しい。
細い指が画面を指差していた(半分透けている)。
「殺して、捨てたんじゃないのか。病死した家族を、何でわざわざ捨てる?」
「それは……まだ記事には出てないみたいね。でも、出頭した理由は、はっきりしてるわ」
弟は<イノシシ男>に仕立て上げられた。
自分たちだけが事実を知っている。
黙り通すことは出来なかった。
「遺棄した時、Kさんは、腰までの長髪で、髭も伸びていた……犯人が散髪して髭も剃ったのね」
「外見は浮浪者か引きこもり、っぽいな。……使っても身元が分かりにくいとは考えただろうな」
「そうね。もしや家族かもって思っても、猟奇殺人の犯人でしょ。名乗り出てこないとも、計算したのよ」
「そう。けどさあ、まさか誰かが運んだ死体だとは、頭のいい須永も、想定しなかったんだ」
聖は思わず笑ってしまった。
須永の罪を暴くために、
自分は何もしなくていいかも。
状況は変わった。
容疑者だった<イノシシ男>は捏造されたモノだと判明した。
警察は、再び古賀を徹底的に調べ上げるだろう。
そして須永は共犯者と疑われる。
偶然通りかかった遺体発見者では無く、容疑者となるのだ。
Kの髭一本でも出てくれば、それが証拠だ。
「宅急便の須永って人が、殺したのね?」
マユが顔を覗き込む。
好奇心に眼を輝かせて。
「そう。さっき来たんだ。あいつは人殺しだった」
聖は須永とのやりとりを
思い出せる限り話す。
「古賀さんの母親と須永さんの父親は<イノシシ男>に出会ったあとに死んだのね」
自分の推理が正しかった喜びより、犯人二人の境遇に同情して、悲しげに呟く。
「二人は<イノシシ男>の祟りと思ってるらしい」
「入ってはいけない森に入って、見てはいけない<イノシシ男>とガーネットを見てしまっただけなのにね。……すっごい祟りね」
「偶然が重なっただけだよ」
「でも、古賀さんの母親が死んだのは偶然だけじゃ、ないでしょ?」
「偶然だよ。交通事故だから。たまたま<イノシシ男>に会った夜だっただけ。すっごい偶然だけど」
「そうかな。……私は、その話聞いてすぐに、お母さんはガーネットを見に行って事故に遭ったんだと思ったけど」
(古賀の母親は、息子が眠ったあと、単車で家を出た。
夜から激しい雨が降っていた。
事故現場はH市内から県道に入って最初のカーブだった)
「その可能性も確かに有りかも……俺、全然考えなかったけど」
母親は子供の話を聞いて、かねてより噂で知っている<イノシシ男>より、<キラキラ光る赤い径>に興味を抱いた。
そうマユは推理した。
「ガーネットかどうかは分からなかったでしょうけど、赤い宝石の原石かもしれなと思った。気になって見に行ったのかも」
「宝石に、金に、眼が眩んだのかな。佐々木ミキもそのせいで殺された。<イノシシ男>の祟りと言うより、ガーネットが、欲深い人を引きつけたってことか。須永と古賀も、ようするに、宝を自分たちだけのモノにしたかっただけ。いずれガーネットを金に換えるつもりだったのかな」
聖は何故か、結月薫を思い出した。
カオルは、<ガーネット>を金に換える気など無い。
<綺麗な赤い径>に価値を見いだしてるのだ。
石を取り払えば、あの風景も失われる。
……そう考えて、
もしかしたら、須永と古賀もカオルと同じかもしれない。
なんでだか、そんな気がした。
「ガーネットの原石はね、赤と黒が混じったような、暗くて地味な色。高価だけど、エメラルドやダイヤモンドとは比較にならない。だからね、あちこちに採石されないまま残ってるんだと思う。……雪が積もった日に見たんだよね? その時は雪の白い光の力で特別、キラキラ光って見えたんだよ。綺麗に見える条件が揃ってるのを見計らって、カオルさんはセイを連れて行ったんじゃないかな」
「<聖地>だと、須永は言っていた。あれは、そのまんまの意味なのかな。佐々木ミキは<ガーネット>が、金に見えたから殺されたのか? しっかし、いくら綺麗で珍しくても<聖地>は、大げさすぎ。それで侵入者を殺すなんて、友達に、つきまとってただけのオバサンを殺すなんて……」
須永の精神状態は異常なのかも知れない。
聖は、正常な思考から外れた人間の行動理由を推し量っても無意味だと
なんだかアホらしくなってきた。
「古賀さんは、被害者を<イノシシ男>が殺してくれたらいいのに、って言ってたんだよね? 彼は<イノシシ男>に捕まって脅され、名前を呼ばれた。とても、恐ろしかったでしょうね。一緒に居た三人の、他の二人とは比べものにならないほど<イノシシ男>はトラウマでしょうね」
「名前を呼ばれたと言うけど、本人しか聞いていないんだ。聞き違えかも。吉村紀一朗が、古賀の名前を知ってる筈ないしね」
「そうかな。確か経歴は、税務署に勤めていて後に税理士、よね。それがH市での事なら、面識があったかも」
マユの推理に、
吉村紀一朗が何処に住んでいたか知らないのだと気がつく。
本家が隣組だから、紀一朗も近くに住んでいたとは限らない。
が、<赤い橋>から遠い場所ではないのは間違い無い。
一番近い税務署はH市にある。
H市に住んでいた可能性は高いのだ。
古賀の家は<うどん屋>だった。
紀一朗が客として通っていたかもしれない。
「自分の母親が死んだように、被害者も、秘密の場所を教えて<祟>で死ぬならいいのに。<イノシシ男>に殺して欲しい、そう古賀さんは須永さんに言った。そうよね」
マユは悲しげな眼をして、重要な事のように聞く。
「うん」
「古賀さんが、そう言ったから、須永さんは被害者を殺したのよ」
マユは、あたかも真実を告げるように、低い声で呟いた。