大晦日
十二月二十五日から
聖は毎日、翌日配達希望のネット注文をした。
須永に会い、
その手に<人殺しの徴>があるか確かめるために。
本、DVD、工具。
でも、他の配達員が来た。
配達を請け負っているのが他の業者なら、須永が来る訳がないと、
昴に言われて
気付いたのは大晦日だった。
「仕方無い。正月過ぎてから、やり直しかな」
シロに呟く。
<イノシシ男>の続報は無い。
マユも来ない。
結月薫からの連絡は無い。
「どこの病院か聞いとけば良かったな……俺って、間抜けかも」
後悔しても遅い。
それに、腹が減った。
一日作業していて、昼飯を食べていない。
シロが、じゃれつくのは、ご飯の催促だった。
冷凍庫の中に食料はないかと探す。
「マスター、肉も魚も無いと思います。あるのは野菜とパスタだけ。茹でて余ったのを冷凍庫に入れたでしょう。それだけです。ちなみに、今他に在る食料は米とレトルトカレー、インスタントラーメンに、カステラ」
昴の声。
シロにも聞こえたのか、人語を理解出来るのか、
悲しげにクンと鳴く。
「そうなの?」
言われてみれば、頼んだ宅配便を待って、クリスマスから一度も工房を離れていない。
食料の買い出しに行っていない。
今から買い物に行くか、
ラーメンで我慢するか、ちょっと迷う。
その時、シロが耳を立て、短く吠えた。
「誰か来た?」
大晦日の午後九時。
もう、届く荷物は無い。
作業室を出る。やっぱり、誰かがドアを叩いている。
「はい、」
出ると、須永が立っていた。
発砲スチロールの箱を持っている。
「え? ええつ?」
聖のただならぬ狼狽を心当たりが無い荷物だからと受け取ったのか
「山田鈴子さんからです。お歳暮です」
須永は言葉を添えた。
……手だ、手を見るんだ。
聖はなすべき事をする。
しかし、無理。
須永は、やはり薄手の手袋を付けていた。
「ハンコか、サインお願いします」
抑揚は無いが、いい声だった。
「はい、ハンコ、どこ、だったっけ?」
時間稼ぎに、ドアを開けたまま室内をうろつく。
剥製陳列棚に置いてあるハンコを探すフリをして。
……どうしたらいい? 手袋を外させるなんて、そう簡単にはいかない。
手段を考えていなかった。
やっぱり自分は間抜けだと、また凹む。
と、その時、
背後で、「うわ」と須永が妙な声を出した。
振り向くと、シロが飛びついている。
須永は荷物を高く上げて、
その左手にシロが食いついてるじゃないか。
「……こら、シロ」
何が起こったか理解するのに数秒、こういう場合、飼い主がすべき行動に移すのに数秒かかった。
「す、すみません」
まず謝り、荷物を受け取る。
シロは、荷物に付いてくる。
文句を言われるだろうと覚悟する。
けれど、須永は笑っていた。
「食べ物だから。たまにあるんですよ」
気にしないでという風に、左手を軽く振る。
洗いざらしの、白い手袋が目の前にある。
聖は
「あっ、」
と、やや大きな声を出した。
須永の親指の付け根あたり、僅かに血が滲んでいた。
「なにか?」
須永は右手に持った伝票を差し出して聞く。
さっさとハンコを押してくれと思ってるに違いない。
でも、聖はハンコを押さない。
「手、血が出てますよ、すみません。さっき、コイツが、噛んだんですよね、し、消毒しなきゃ、ね、すぐマキロン持ってきます」
……やった、手袋を外すチャンスだ。
……でかした、シロ。
小躍りしそうなくらい、嬉しい。
「あ、これですか、たいした事ないから大丈夫ですよ」
と須永は言う。
「いや、血が出てるんだから、明るいところで、ちゃんと見た方がいいです。あ、中入って下さい」
と、荷物を応接セットのテーブルの上に置き、救急箱を取りに、作業室に入った。
まだハンコを押してない。
須永は、仕方ないから中に入って来るだろう。
傷を消毒して絆創膏を張るだけ。
数分かからない。
後の配達に大きな支障は無いはずだ。
聖の思惑通り、
作業室から出ると、
須永は工房の中に居た。
右手に、外した左の手袋と伝票を握ってる。
「この犬、剥製じゃないみたいですね。呼んだら、こっちにきそうだ」
剥製棚の前に立ち、
アリスを見つめていた。
手袋を外した左手がアリスに触れたいかのように上がる。
……それは、
……女の手だった。
カボチャ色のごてごてしたネイルアート。
佐々木ミキの、<手>だった。
聖はゴクリと生唾を飲み込む。
<今、家に中に人殺しがいる>
と思う。
どうする?
須永の温厚実直そうな横顔は、
<人殺しの徴>とのギャップがありすぎて、かえって不気味だ。
確認は終わったし、さっさと追い出すべきかと、頭を巡らせる。
救急箱を胸に抱え、何故か側で立ち止まってる、<客>に、
須永は、言葉をかける。
「神流さんは、<霊感剥製士>って有名らしい、ですね。こんな、生々しい剥製作れるのは、噂通り、特別な力があるからですか? 死んだ動物の霊魂とコンタクトとれるとか? 幽霊見えたりも、するワケですか?」
社交辞令丸出しの薄ら笑い。
<霊感剥製士>を小馬鹿にしている。
<霊魂>の存在など、この男は信じてはいない。
話が、こういう流れになったのなら、乗ってみようかと、聖は思う。
「まあね。他にね……俺、<人殺し>は見れば解るんですよ」
あっさりと、告げた。
須永の目が一瞬大きくなる。
続いて、とって付けたようにワハハと笑う。
「それは凄い。見ただけで人殺しがわかるんやったら、警察なんかいらん」
あんまり長く笑うから、
耳障りで不愉快。
黙らせたい。
「でも、本当に見たら解るんです。須永さんが、実は、例の<イノシシ男事件>の被害者、佐々木ミキさんを殺したっていうのも、俺、知ってるんですよ」
聖は、冗談のように言ってみる。
もう、
黙って須永を工房から出す気は無い。
とことん対峙する気になっていた。
須永は、聖の言葉は聞こえた筈なのに、
何も答えず暫く一人笑い。
やがて咳き込み……それが収まると、
「それはな、妄想やで。……アンタ、多分病気やな。幻覚に妄想。精神病の症状や。あほらし。……さっさと、ハンコ、押してくれますか」
と、冷たい口調で早口に言い捨て、伝票を、聖の顔に差し出す。
「山で偶然死体を見つけたのが始まり、女を殺すのに、利用できると閃いたんでしょ、イノシシ男に、仕立て上げることができると、ね」
聖は、ハンコを押した後(押印を拒否する理由はない)、
去って行く須永の背中に、要点だけを一気に喋った。
どう出る?
今喋ったマユの推理が当たっているのなら、聞き捨てならないだろう。
「面白い妄想やな」
須永の足は、ドアの前で止まった。
「事件当日、被害者と共犯者がバスから降りた所を、車で拉致したんだ。宅急便の車じゃ無い。別のワゴン車で。車の中で、被害者を殺し、首を切断した。そのあと車を乗り換え、予め<イノシシ男>の姿で冷凍保存していた遺体を川の上流に、首無し死体を赤い橋の上に、置いた。大きなポリ袋被せて、山道を二人で運んだんです」
あたかも一部始終を見ていたかのように、聖は喋ってみた。
須永は、こっちを向いている。
ドアを背中で塞ぐ位置に立っている。
もう笑ってない。
聖を見ないで工房の中を見回してる。
……ヤバイ。口封じにコイツも殺そうと考えてるかも。
……一人殺すも二人殺すも一緒、とか、思ってたりして。
ありうる危険に、今更気付く。
(ま、襲ってきたら、作業室に誘い込めばいいか)
チェーンソー(太い骨の切断用)
メス、
金槌、
劇薬、
使い慣れた<武器になるモノ>を思い浮かべて安心する。
(こいつデカいけど、熊に比べたら動きはトロいし、大丈夫)
川で熊と鉢合わせになった状況に比べれば、ちょろい。
と思う。
「その妄想、なかなか面白い。今聞いた限りでは、あながち不可能でもない。死体さえ手に入ったら、出来そうやんか。俺と古賀が共謀したら可能な筋書きやな。……アンタは、俺が古賀を手伝ったと、思ってるんやね?」
須永の視線は聖を避けるように揺れる。
心の動揺は声の震えにも現れていた。
マユの推理は、当たっていたのか?
「手伝ったんじゃ無い。須永さんが、あの人を殺そうと、決めたんでしょ?」
須永が主犯と、マユは推理していない。
聖が、今、そう感じたのだ。
生気の無い表情で佐々木ミキと同行していた古賀に
冷酷な殺人計画は似合わない。
「それは無いで。あのオバサンに会ったこと無いんやで。俺には、殺す理由が無いやろ? 警察もな、被害者と接点の無い、俺の事なんか、全く疑って無いんやで」
「接点はなくても、動機はあったんです。それも俺、霊感でわかってるんですよね……ガーネットでしょう? 古賀さんがね、うっかり被害者に、赤い橋の向こう側に、ガーネットを敷き詰めた赤い径があると、喋ってしまった。被害者は古賀さんに、その場所に案内するよう、しつこく要求する。困った古賀さんは…… 」
須永は、<ガーネット>の言葉を聖が発した時点から、目つきが変わっていた。
作り笑いも止め、まっすぐに聖を見ている。
細い一重の目は、瞬きも忘れ、鋭く光っていた。
「タバコ、吸わせてもらいます。それと、厚かましいんやけど、水か何か、頂けませんか? 喉が渇いて、たまらんのです」
言いながら須永はふらふらと移動し、倒れ込むように、応接セットに寄っていき、壁側の椅子に腰を落とした。
部屋の隅で座っていたシロが、
なんでだが、須永に付いて行く。
「シロ、悪いな。今日は、ポケットに、何にも持ってないんや」
<人殺し>が愛犬に囁くのを背中で聞きながら、
聖は作業室に入る。
暖房が効き過ぎて工房の中は暑い。
ペットボトルのコーラかジュースに、氷を入れようと思う。
でも、無い。
食料だけでなく飲料も切れていた。
水しかないと、がっかりしてると、
「マスタ-、開封してないカルピスが冷蔵庫の奥にありますよ」
と昴が教えてくれる。
「カルピスか。なんか、久しぶりな感じやな」
須永の友好的な笑顔に、聖は戸惑う。
「カルピスって、なんか、夏休みのイメージやな」
美味しそうに、ゴクリゴクリと半分飲んで、
「いっつも片手だけ手袋してるよね」
と言う。
「……」
聖はどう返答したらいいか迷い、
ただ頷く。
向かいに座ると、須永の左手がよく見える。
<人殺しの徴>の佐々木ミキの、<手>に気をとられてしまう。
「俺たち三人が、<イノシシ男>に追いかけれた、あの日に、片手に手袋してるヤツがいたんや」
須永の声は優しい。
遠い昔を懐かしむような目をしている。
聖は、(俺たち三人が<イノシシ男>に追いかけられた、あの日)は、結月薫に誘われて、赤い橋を渡った日だと、推測する。
マユの推理は正しかったのだ。
<俺たち三人>とは須永と古賀と薫だ。
三人は、あの日に、<イノシシ男>人斬り紀一朗に、遭遇したのだ。
「カオルから、ガーネットの事、聞いてたんやろ? 俺たち三人だけの秘密やったけど、カオルは、約束を破って、アンタに教えてたんやな。……成る程、そういう事か」
須永は、また笑う。
何が面白いのか、聖には判らない。
「アンタも知ってた。でもあの山にガーネットが在ると世間にバレてない。それは、アンタも秘密を守ってた証拠やな。……霊感、ちゃうんやろ?<イノシシ男事件>に、俺と古賀が絡んでるのを知って、推理しただけやろ。あの下品なオバハンは、俺たちの聖地に、ちょっかい出そうとした、だから始末したと、わかったんやろ。俺と古賀とカオル、三人の聖地と思ってたけど、アンタも仲間やったんや。四人の聖地やな」
須永は左手を、聖の手袋に隠した左手の上に重ねた。
「カオルから聞いてる? あの時、一番足の遅い古賀が、<イノシシ男>に捕まったんや」
十七年前、
聖が一人赤い橋の上で、縮こまっていた間に
三人の少年と、人斬り紀一朗の間に
何があったかを……語り始めた。