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マユの命日

聖は

女々しく薫の手袋を握りしめ

パソコンの前で

隣に椅子を置いて

マユを、待っていた。

……あと一回来る

薫が前に言い残した言葉が蘇り、不吉な予感に捕らわれている。

麻酔医の説明、と喋ってた。

明日にでも手術すると、いう事?

痩せた背中は悪い病気のせい?


<イノシシ男事件>など、今はどうでも良かった。


「ガーネット、だったの?」

本当に、ガーネット?……とマユは繰り返した。

聖の話を疑っているのでは無い。

宝石の原石を見つけたと聞いて、単純に興奮しているような

反応だった。

聖は少し意外だった。


でも、実は全然そうでは無かった。

マユの頭の中では<ガーネット>のパーツを得たことで、

新しい推理が、始まっていたのだ。


「カオルさんは、五年生の夏休みに、聖を赤い橋に誘ったんだよね。それは、ガーネットを見せる為だったのかも」

「……そうなの?」

「でも、聖は、その時は見てない。……何故かしら? 変よね」

「知らない奴らがいたから、引き返したんじゃないのかな」

「橋の上に三人居たのね」

「うん。上を見たら、三人居たよ」

「その後、どうしたの? 手に橋の、赤い塗料が付いたと、言ってたわよね」

「俺は……赤い橋の上に暫くいたと思う」

馴染んだ吊り橋より幅は狭く、下の川が遠い。怖かった。それで手すりをしっかり握った。

「……ねえ、セイは橋の上で、ひとりぼっちだったの?」

マユは立ち上がり、背後からセイの顔を覗き込む。

聖は、多分そうだったんだろう、と答える。

側にカオルが居たら、黙ってじっと川の流れを見つめたりしない。

「うん、そうだよね。……じゃあ、何故、一人で居たのかしら?」

「……え?」

「カオルさんと、三人の男子は、その時、何処で何をしてたのかしら? 」

「分からないよ。覚えてない」

聖は、どうしてマユが、こんなにも、あの日の事に拘るのかわからない。

「覚えて無くても、考えなきゃね」

ぴしゃりと言われる。

薫の身を案じてナーバスな気分でいた。

しかし、マユの熱心さには逆らえない。


「みんなは、森の中に行ったような気がする。俺だけ遅れて、仕方ないから待ってた」

「みんなって?」


「三人だよ。ああ、そうだ、三人走って戻ってきたんだ。カオルが一番先頭だった」

欠けた記憶の一片が、数秒のシーンがポロリと蘇った。

「……変よね」

聖にとっては、忘れていて不思議で無い、何でも無い光景が、

酷く重要だと、マユは言う。


「橋の上に三人居たんでしょ? カオルさんと、その子達が一緒に森に行ったのなら数が合わないじゃ無い」

「そうなんだ。でも……森から走ってきたのは三人だった」

「言い切れるの?」

「三人、みんな帰ってきたと思った気がする。実際は四人だったかも知れない。随分昔のささいな出来事だから記憶に自信はないけどさ」


橋から戻って父に酷く叱られた記憶は強烈だ。

余計に、その前の<悪い行い>の記憶は薄い。


「四人だったとしても、カオルさんが、セイの知らない子達と行動を共にしたのは間違いなさそうね」

「カオルの性格なら、初めて会ったヤツと遊んでも不思議じゃ無いよ」


「ちょっと待ってよ、川で遊んでいて、知らない子達と合流したんじゃ無いのよ。カオルさんはガーネットを見せるためにセイを誘ったのよ」

「本当に、そうなのかな。カオルに聞いてみないとわからないよ」


「行くなと禁じられてる場所でしょ? 五年生の男子が<人斬り紀一朗>の存在を知ってたら、好奇心で見に行くかもしれない。ソレが一番考えられる理由だと思ってたけど、カオルさんは、ガーネットを、ずっとセイに見せたかったと、言ったのよね?」

「……うん」


薫は、あの日、ガーネットの赤い小径を見せる為に自分を誘った。

でも、自分は森に入っていない。

薫は橋の上にいた知らない男子と、森から走って戻ってきた。


聖は僅かな<事実>を並べてみる。


「ねえ、こういう可能性もあるのよ、セイが橋の上に三人いたのを見た、その中にカオルさんが居た、と」

「……?」

それは無いと、聖は言えない。逆光で顔は良く見えなかった。

薫はずっと前を歩いていた。

先に橋へ辿り付いていたかも知れない。


「セイは、その子達と面識はなかったのよね、」

「知らない奴らだったよ。顔も覚えてないけど」


「でもカオルさんは違う。二人を、前から知っていた」

二人、とマユは言い切る。

「カオルさんと、二人の子は森に入り、ガーネットを見つけた。狂人を見るのが目的で行って偶然見つけた」


橋の向こう側から来た二人は<紀一朗>を知っていた。

マユは、これもキッパリ言う。


「吉村紀一朗さんの奇行を語るのは、この村ではタブーだった。それは吉村家への気遣いでしょ? H市の隣町ではタブーにする理由がない。森でイノシシの首を斬っている男は有名だったかも知れないでしょ」


あの時会った男子達が、川上流の隣町以外から来たとは、考えにくい。


「ガーネットは三人だけの秘密だった。けど、カオルさんはセイにも見せようとした。でも鉢合わせしちゃった。仕方ないからセイを置いてきぼりにして行った。宝物がある場所へ。……ところがね、紀一朗さんが居たのよ。<イノシシ男>の姿でね。三人は恐ろしくて走って戻ってきた」


隣村の二人は<人斬り紀一朗>の姿を見た。

そして、二人は自分と同じ年くらいなのだ。


聖は、マユの推理がどこへ向かっているか、やっと分かった。


「もしかして、その時の二人が被害者の連れと、須永さんだとか、思うわけ?」

強引な推理だと、思う。

あの二人と(三人かも)今回の事件に関係する二人の男の共通点は、住んでた場所と年齢だけ。

ほかに何も無い。

それに、<イノシシ男>は遺体で見つかっている。

解決していないのは身元不明の一点だけだ。

犯人の行動は意味不明ではあるが。


「最初は、狂言だと疑われてたのよね。それか、妄想だと。被害者の連れの男が描いた<イノシシ男>は存在しないと。実際に<イノシシ男>の死体が発見されたんで<絵>は真実を写し取った物だと信じていいのかしら? <絵>は嘘で、後から嘘に合わせて<イノシシ男>を造る事もできるじゃないの」


裸男の死体、山にあったイノシシの頭、被害者の頭、被害者の鞄とコート。……裸男が犯人じゃなかったら、誰かが全部のパーツを揃えた。

昴が言っていたのを思い出す。


「裸男以外は犯人なら揃えられるけどさ、罪を擦り付ける為にもう一人殺すだろうか?

そんな面倒くさい事しないだろう」


「面倒よね」

とマユは微笑む。


「もう一人殺したんじゃない。死体を見つけたの」

「はあ?」

 

「殺人方法を考えてる時に、死体を見つけたの。山の中で行き倒れになった遺体を」


ここいらの山間部では、毎年のように<行旅死亡人>が発見されている。

発見されていない遺体はもっと在るだろう。

山本マユもその一人だ。


「まず、捜索願いが出されてるかどうか確認したでしょうね。スマホ持ってたら、その場で調べられる」

「男の死体を<イノシシ男>に仕立て上げようと計画したのか? 突飛すぎない?」

「最初は、自分が<イノシシ男>の姿で、被害者を殺そうと計画していたとしたら? もし目撃されても顔が見られる心配が無いからね。ところが死体を見つけて、別のもっと安全な方法を考えついた。被害者を殺して<イノシシ男>を捏造し、後で嘘の帳尻を合わせる事が可能だと」

「犯人は、一緒にバスに乗っていた男だと思ってるんだよね。……普通に橋から突き落とす方が簡単じゃないのかな」

「職場の同僚よ。二人だけで出かけてたんだ。絶対疑われるよ。死因が不審だったら徹底的に調べられる。死体をどこかに埋めても、いつか見つかるんじゃ無いかと一生怯えなきゃいけない。……被害者は二人の男に殺されたんだと思う。小柄な痩せた人でしょ。男二人いれば、首を落とすのも運ぶのも簡単よ」


二人の男と、マユは言う。

やはり、宅配便の須永が共犯者だと決めつけてる。


実は、

初めから須永を疑っていたと、マユは言う。


「なぜ彼が怪しいと?」

「男が道路の真ん中で喚いていた。だから車を停めたって言ってた。それはあり得るけど、その後が不自然よ」

「一緒に橋まで行ったんだのが、変なの?」

「そう。宅配便のドライバーがそんな事するかなって。時間指定の荷物もあるだろうし。幼なじみとは、その時は気づいていないんでしょう? <イノシシ男>って奇天烈な事言ってるんだから、その時点で、警察に電話する筈よ。県道で二人が、へんなやりとりしてるのに、通りかかった車が素通りしたのも不自然だと思う」


確かに妙だ。

県道は交通量が少ないが全然無い分けじゃない。

夜中でない限り、

村の高齢者の運転する車が、ゆっくり走ってる。

おおむね暇な人たちだ。

のどかな山の県道で男二人が言い合っていれば車を停めるに違いない。


マユは路上での話は全て嘘だと言う。


「怪しいけど、動機が想像付かなかったの。被害者と接点の無い男がなんで共犯者なのか。でも、ガーネットで謎が解けたの」

「ガーネットが動機なのか?」

 何で?

 聖にはマユの推理が、まだよく見えてこない。


「宝石で出来た径、なんでしょ? 石を採って売れば大金になる。犯人はね、ぽろっと、被害者に喋ってしまったんじゃないかしら。欲深い人なら山にある宝石に興味を示すわ。場所を教えてと言うでしょうね。連れて行ってと、しつこく要求したかもしれない」


聖はどんよりした目をした古賀ツヨシの顔を思い出した。

ついでにハイテンションだった被害者の横顔も。


「拒否すれば他の方法で場所を探そうとするだろうな。もっと欲深い第三者に喋るかも知れない。確かに推理通りだと厄介な存在だっただろうな」


納得出来なかったマユの推理を、あり得ないことでは無いと考え始める。


「バスを降りた二人を須永は森で待っていたのかな。被害者をどこで殺した? 連れの男に被害者の血が付かないよう、須永一人でやったとして……首を落としイノシシの歯形を付ける作業を橋の上でやったのか? 誰にも見られない保証はない。それに……首と遺留品は何処に隠したんだ」


「車の中で作業したんだと思う。バスから降りてすぐに拉致したの」

「それは無理。特異な状況を考えれば、通報者の車内も調べるだろう」

やっぱり、須永は無関係だ。

聖の推理は止まる。


「宅配の車じゃ無いわ。別の車。それなら可能でしょ?」


二人がバスを降りてから通報まで一時間二十分。

その間に車を入れ替えたとマユは言う。


「ワゴン車なら、連れの男が運転してる間に、通報した方が作業出来る。首と遺留品を最初の車に隠して、宅配の車で元の場所に戻り、遺体を橋に置く。可能でしょ? 遺体を運ぶときに、首から流れる血が問題だけど」


「ドライアイスで冷却してサランラップ巻いて、ポリ袋巻き付けたら、なんとか」

喋りながら情景を思い浮かべて、聖はぞっとする。

「警察は橋の周りと森をまず捜索するわよね。連れの男の家も捜索対象。通報者の車の中も見るでしょう。でも髪の毛一本探すような詳細な捜索はしなかったと思う。当然、通報者の家をその日のうちに捜索するとも考えられない。証拠隠滅の時間は充分あるわ」


確かに、マユの推理は不可能では無い。

では、五日後に発見された<イノシシ男>の遺体はどうだ?


「都合良く、死んですぐの遺体を見つけたのか? 発見されたのは事件の五日後だ。その間どこに隠してたんだ? どうやって須永一人で、発見場所まで運べたと思うの?」


「運んだのは犯行の日よ。二人で冷凍していた裸男の遺体を発見現場まで運んだの」

「れ、冷凍してたの?」

「業務用冷凍庫なら出来るでしょ」

出来る。

工房の冷凍庫も、しきりを外せば大男一人入れられる。

それに中古品ならそう高くない。

簡単に手に入る。


「見つけた、新鮮な身元不明の遺体を二人で運んで冷凍保存してたの。もしかした車の中に置いていたかも」

それなら、車まで運ぶ人手はいらない。


<イノシシ男>の遺体が発見された場所は県道から徒歩五分程度。

男二人で運べば一〇分で終わる作業だ。


「事件の五日後に発見されたのは、結果でしかない。発見時間は、事件当夜と明くる日以降なら問題無かった。夜に川上まで捜索する可能性は低い。翌日は橋の周りと森を捜索していた。当初は、連れの男が第一容疑者だったと思う。<イノシシ男>なんて、普通狂言と思うから。橋の付近に凶器と遺留品があると見込んだに違いない。そういう事も犯人は計算してたと思う」


聖はだんだんとマユの推理に吸い寄せられていた。

唐突に女を襲って殺し、

首無し遺体を橋の上に放置。

で、裸でイノシシの頭を被り、女の首を抱いて死んでいた男の、

動機と事情が推し量れないのは

別の事実があるからだと

そんな気がしてきた。


「だけどね、私の推理は違ってるかも。だって、セイは宅急便の人に事件の後会って、人殺しの印は見なかったんだから」

と、ため息をついてマユは椅子に、隣に座った。


「いや、それは……」

聖は須永の<手>を見ていない。

彼の手は、ドライバー用の手袋で隠されていた。

まさか人殺しと疑っていなかったから

今まで気がつかなかったが。


「ちゃんと見てないんだ。……わかった。なんか荷物来るように注文して、あの人に会えるようにして、ちゃんと見る」

マユの推理が当たってるか否か

須永の手を見れば、はっきりする。


「もう夜が明けるね」

マユは窓辺に立っている。

閉じたカーテンの隙間から、オレンジ色の光が差している。


「イブが終わって、今日はクリスマスか」

また薫を思う。

「あいつ、クリスマスに手術なのかな」

心配になってくる。

死んだりするなと強い思いが、こみ上げる。


「大丈夫だよ」

とマユが微笑む。

「手術が出来るんだから、心配ないよ……バイクに乗って此処まで来るほど元気だし、大丈夫だよ。死んだりしないよ」

と聖を安心させる言葉。


綺麗な髪が透明になっていく。


マユが死者だと思い出す。

ついでに、この綺麗で優しい人が死んだのは、クリスマスイブだったということも。


「マユ、」

名前を呼んだ。

何が言いたいのか分からない。

ただ名前を呼びたかった。

答えも姿もないと知っていても。


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