イノシシ男
十五時一〇分発のバスの乗客は
三人だけだった。
「めっちゃ、綺麗、」
と
神流聖は久しぶりに乗った路線バスの中で呟いた。
自分で運転していては、こうゆったりと眺められない。
イチョウの黄色と、もみじの赤。
柿もすっかり色づいて採り入れ間近。
バスに乗っているのには理由があった。
朝、冷蔵庫の食料が僅かなのに気づいた。
買い出しにいこうとしたら、
車の下に<ウリ坊>が二匹チョロチョロしていた。
この時期にイノシシの幼児を見るのは珍しい。
猛暑の影響で繁殖タイムがズレているらしい。
自治会からの<お知らせメール>で、
今年はイノシシが異常繁殖とは知っている。
ウリ坊は可愛らしいし、無害。
でも、姿は見えないが、きっと近くにいる親は、怖い。
シロの威嚇で退散させるのも気が引ける。
哺乳類の幼児は気まぐれだ。暫く<ロッキー>の下で遊べば他に移動するだろう。
そんな事情で、車を使うのを諦め、一番近いG駅前のスパーマーケットまでバスを使うことにした。
しかし、
午後一時から五時まで、3本しかない。
乗客は少ない。
車が無いと生活できない山村では、
バスなんか、誰もアテにしていない。
で、
このバスを利用するのは
村人を尋ねてきた来客か(普通は駅まで迎えに行くので、まれ)
あえて、
吉野の裏景色を眺める路線バスにのって、十津川温泉辺りへ行くコースを選択した観光客だ。
聖はG駅前まで、行きは一人だった。
G駅前は、奈良県から和歌山へ至る道(旧紀州街道)の最後の繁華街で
ファミレス、量販店、ホテル、何でも揃ってる。
江戸時代のまんまの通りも、聖は好きだった。
ブラブラ歩き、帰りのバスまでの2時間、そう退屈しなかった。
早めにバスターミナルのベンチに座る。
晴天で、
十一月中旬にしては異様に温かい。
黒の細身パンツに白シャツ(年中、コレ)
上に羽織ったリアルムートンのコートが、少々暑苦しい。
父のクローゼットから、適当にチョイスした。
仕事上知り合った毛皮を扱う業者から、義理で買ったか、貰ったのかも知らない。
メンズのリアルムートンコート、しかも、珍しいグレー。
高級でレア。保温効果は高かった。
そんなコト、聖は全く頭に無いが。
リッチなコートとちぐはぐな、左手だけの薄汚れた軍手。
その上、コートの下から、赤茶けた染み(もちろん動物の血)が付いた白衣の裾がはみ出ている。
少々不気味だけど、本人は、コレもまた無頓着。
バスターミナルに、聖の後から男女二人連れが来た。
女は、スマホ片手に、「うあん」「あん、あ、でたよ、ちょっと、コレ、めっちゃレア。」と、言いながら、隣のベンチに座った。
モンスターを集めるゲームをしているのだ。
と、すぐに分かった。
女は、聖に聞かせたいかのように、必要以上に声が大きかった。
喉声が耳障りだ。
黄色っぽい茶髪のロングヘアは髪の量が少ない。
たるんだ顎と枯れ枝のような細い足。
五十は過ぎている身体に
カボチャ色の(多分ハロウィンデザイン)ネイルと、ながすぎる人工睫。
白いスカートは下着が透けてるし……黄色のアンサンブルニットのスパンコールはところどころ欠けてる。白のダウンジャケットと、小ぶりの、ブランドロゴ入りトートバッグが手荷物だった。
……なんか、ヤバそうなオバサンなんだと、なんとなく感じた。
聖が、バスが到着するまで、女を、盗み見てしまったのは、
特別女に興味を覚えたせいではない。
連れの、
自分と変わらぬ年頃の男が気になったからだ。
黒いGパンに同じく黒の薄手のダウンジャケット。
ベージュのリュックを背負っている。
黒縁眼鏡で、面長。短髪。
几帳面で神経質そうな佇まいだ。
そして、全く覇気が感じられない。
女は一人喋り続けていた。
連れの男を、<コガ君>と読んでいた。
ところが、そのコガ君が発した言葉は
「ああ、そうですね」
が2回だけ。
彼の表情は見えないが、2回声を聞いただけで
オバサンと何らかの事情で、嫌々同行している、息が詰まりそうなんだと伝わった。
オバサンはバスの中でも、スマホを触りながら甲高い声で、ずっと喋っていた。
手を振り上げ、腰を浮かす大きなリアクションのついでに、
キャラメルの箱が、飛んで、斜め後ろに落ちた。
(手に握っていたらしい)
聖の手が届く位置だったので、仕方なく拾って、渡すしか無い。
「あ、あ、ゴメンナサイね、どうも、ありがとうございます」
大げさな言葉で小首を傾げ、両手をヒラヒラさせてから受け取った。
アーモンドキャラメルで、残りは三粒と分かるくらい、何でも無い動作に時間を掛けて。
聖がバスから降りたとき、まだ二人は乗っていた。
山のいくつかの集落に用事があるのか?
それとも、
案外、ずっと先の温泉宿にでも行くのかな、とチラリと思った。
と、珍しく行きずりの他人に下世話な感想を抱いた。
連れの男の生気の無い気配が何故か、工房に戻っても頭に残った。
「二人がさ、なんか不自然な組み合わせなんだよ。夫婦、カップル、友人、親子、兄弟、仕事関係……どれも当てはまらないんだ」
と、シロとスーパー横のケーキ屋で買ったモンブランを食べながらブツブツいってしまう。
聖はスイーツはそう好きでは無い。が、時折無性に栗ケーキは食べたくなる。でも、一個で充分。しかし、世間に疎いとはいえ、ケーキ屋で、たった一個買うのは大人の男として無粋だと知っている。だから、三個買う。余分の二個は、甘い物好きのシロが食べてくれる。
「ま、どうでもいいんだけどね」
どういでもいい他人が記憶に残ったのは
災いの前兆、あるいは予知だったと後になって聖は思い当たる。
次の日、ヘリコプター一機が、山の上を舞っていた。
焼却炉に火を起こしていた……昼過ぎの事だった。
「まさか、」
マユの遺体が(草に隠れているのを確認したけど)見つかったとか?
何かわかるかも知れないと
ネットのニュースを見る。
<和歌山県H市の山間部に女性の首無し死体>
<付近に居た挙動不審の男性が、イノシシ男(?)に襲われたと証言>
「これか……でもイノシシ男って、なんだ?」
H市の山間部とは、工房の下を流れる川の上流だ。
つまりとても近い。
もしやと、昨日の二人連れの……<コガ君>の顔が脳裏に浮かんだ。