はじめ
その瞬間、何もない白一色の空間に自分独りが居た。
周囲を見回しても何もない。
足下も白い雲にでも乗っているようで覚束無い。
置かれた状況を理解する傍ら、ここが何処なのか何故ここに自分は居るのか、祖父から貰った愛刀を右手に身構えた。
ついさっきまで自分は祖父の道場で鍛練していた。
愛刀で型をなぞっていた足元が光り、光ったと同時に床が消え奈落へ落ちた。
降下する体に禍々しい闇の玉がぶつかって来るのを見て、躊躇いなく一閃に切り捨てた。
その次の瞬間、自分はここに居た。
友人から借りる本にこんな場面の描写もあったが、現実に起こったとか笑えない。
真っ先に頭に浮かんだのは明日の入学式だった。
剣道の強い高校を受験し明日を楽しみにしていた。
入学式の前に此処から抜け出さないと、そう思う気持ちだけが焦った。
『小室透くん』
四方上下、この場所のそこかしこから声が聞こえた。
「誰だっ!ここは何処だっ!何故連れてきたっ!」
頭が考える前に言葉が出ていた。
声の主から答えが返ってくるとは思ってなかったが少しでも此処から脱出し道場へ戻るヒントが欲しかった。
声の主の場所が解れば捕まえて問い質す事も出来る。
『此処は世界と世界の狭間』
やはり声は四方から聞こえてきて声の主の場所は掴めない。
「狭間?」
『君が異世界からの召喚で向こうの世界に出る途中此処へ引き寄せたんだよ』
「召喚?」
確かに本では読んだこともある。
それはファンタジーを信じてる奴だけが巻き込まれる現象だと思っていた。
「召喚されたのなら何故ここにいる」
ここよりは召喚先の方が戻る可能性が高いと思えた。
『あまりにも強引な召喚だったから上位神が君を此処へ引き寄せたんだよ』
「強引?引き寄せた?」
聞いてる意味が正確に理解出来なかった。
『君が切り捨てたあの黒い輪は隷属の鎖といって君の意志を奪い言いなりにさせる禁忌な魔法なんだ』
「隷属」
何度も本では見た単語だったがそれが現実に起こるなど信じられなかった。
あの闇が?
『君が鎖を自力で壊したから上位神は君を助けた』
「助けた?これで?」
きつい口調になったがそれが本心だった。
『怒ってるね。これを見てくれ』
目の前の白い空間に、突然中世の城の中のような絵が表れた。
牧師のような黒っぽい服を着た何人かが床に書かれた丸い直径2メートル程の円を囲んでいた。
手に持っているのは杖か?
凝視しているとスローモーションのように絵が動いた。
『これが君を召喚した魔方陣だよ。そして周りに居る魔法使いが今唱えているのは…』
「あの切り捨てた闇か」
魔法使いの杖の先に闇が産まれていく。
『万が一鎖が発動しなかった時の為に彼等は待ち構えている』
声が出なかった。
本当にこれが現実なのか。
それすら分からないこの現状で、これが自分の未来だと見せられて誰が納得できる。
ぶつけるところの分からない怒りが生まれる。
握っている刀を更に強く握って…つっ!
愛刀が無かった。
刀だけでなく自分の腕さえ其処に無い。
体を見下ろして、息を飲んだ。
『此処に君の体はないよ。此処に居るのは君の意識だけ』
意識だけ?
体は別にあると言いたいのか?
『そうだよ』
相手に意識を読まれてる事実に気付かないほど動揺していた。
目の前の映像が煙のように消え失せ、丸いシャボン玉の中に胴着で寝ている自分が映った。
手に愛刀を握っているのを見て意味の分からない安堵から緊張が途切れた。
『今は世界と世界の中間で上位神の力に守られている』
「今は?」
『君の選択が君の未来を決める』
声は其処で一度途切れた。
「僕が決めるなら御爺様の道場に戻りたい!」
『今すぐは無理なんだ』
「何故!」
『君を召喚したため空間が歪んでて元に戻るまで君たちの時間で10年かかるんだよ』
「ぇっ!」
10年。
その時の長さに絶望しか感じなかった。
10年?
25の僕が道場に?
25の僕が?
想像できなかった。
ぐるぐる回る思考を止めたのは見えない声だった。
『君は召喚された場所に召喚された時の姿で戻れる』
「このまま?」
『そう、空間が戻れば上位神が君の時を戻して送り届けてくれる』
「それまでの10年。ここで暮らせと言うのか?」
考える前に無理だと思った。
御爺様なら瞑想して10年くらい過ごしそうだが、それを自分に出来るとは思えなかった。
10年。
「体はどうなる?」
『君が此処に留まる限りあのままだよ』
「留まる限り?」
『君はこれからの10年の過ごし方を考えた?』
まさに考えていたから返事が出来なかった。
『良ければだけど。君が召喚された世界を10年旅してみないかな』
「旅、僕が?」




