集落にて
翌朝、残された者らは跡形も無く食われていた。
生き残ったのは、敬子と空と海だけだ。 空と海は一晩中泣いていた。
生々しい血痕と人と獣だった残骸が残されている。血の臭いと死体の悪臭に吐き気が込み上げてきた。
「あ、あの……敬子様、ありがとうございます」
「いいえ、二人が助かってよかった」
敬子はあの時、黒鵜が叫んだ瞬間に逃げることができた。馬で駆けて、麗華達と一緒に。
今までの敬子ならそうしていたかもしれない。
だが咄嗟にそう出来なかった、空と海が居たから。麗華や黒鵜達と同じように、彼女たちを見捨てて自分達だけ安全な場所へ逃げ失せることに迷いが出たのだ。
慈悲の心からじゃない。里で暮らしていた時には得られなかった、初めて出来た友達といえる存在を失いたくないという自分の身勝手な欲からだった。
けれど、そんな敬子に空や海は好意を示してくれる。彼女らは感謝や尊敬やいろいろなものの混じった目で彼女を見た。
敬子は何とも言えない複雑な気持ちになった。
※
「さて、これからどうするかだけど……」
昨日狙われたのは巫女がいたからだとはいえ、敬子は都へ向かうのが怖くなっていた。
「村に引き返すのがいいと思うんだけれど」
こんな山の中に長居は無用だ。人里に降りねばならないと敬子は提案した。
しかし、姉妹は異を唱える。
「敬子様、巫女様を追うべきかと」
「昨日、妖蜥蜴達が麗華を追って行ったことは知っているでしょう。巫女達はとっくに逃げているかもしれない。また、あの妖達に鉢合わせする危険性もある」
「でも……それはできないのです」
そう言って、空は悲しそうに笑う。
「私達は、一年前に都に奉公に出されました。兄弟が多くて、私達が働きに出なければ家族が食べていけないのです。だから、都から離れて生きてはいけません」
彼女達は縋るように敬子を見た。
二人は敬子とは違う、長の娘としてお嬢様として何不自由なく大切にされてきた敬子とは。
空と海は、幼いながらも一生懸命働いて家族を食わせていく役目を負っているのだ。
頼りない敬子の術でも彼女達にとっては、妖から身を守る唯一の手段だ。一緒に来て欲しいのだろう。
海が敬子をじっと見つめる。
「巫女様は私達を残してお逃げになったけれど、敬子様は一緒に残って海達を助けて下さったわ。とても感謝しております」
「この上、都まで御同行を願うのは、無理なお願いですよね……」
空までが、同じように見つめてくる。
敬子は迷った。これほど純粋に、他人に必要とされたことが今まであっただろうか——
神楽の里では敬子は巫女の家のお嬢さんでしかなく、それ以上でもそれ以下でもなく、両親以外の誰かから気にかけられる事などない目立たない少女だった。
ましてや誰かに切に必要とされた事など——
敬子は唇を噛んだ。決意を表すように両の手を握りしめ、目を閉じる。
「……わかった! ついて行く!」
都に着くまでだ、彼女達を送り届けたらすぐに大叔母を頼ればいい。敬子は、今後の自分の身の振り方に関して、とりあえず保留にすることにした。
すでに、麗華の侍女になる気は失せている。
「都まで行きましょう、山を越えれば直ぐだもの。大丈夫よ」
三人は、昨日麗華達が泊まる予定だった集落を目指す。
敬子と空と海、年端もいかない少女だけというあまりにも心許ない面子だった。
※
昼前には山の中の集落に着いた。
驚いたことに、妖による被害は全く見受けられない。昨日妖の群れが向かったはずなのだが。
空が村長に事情を説明する。村長は熱心に耳を傾けていた。
「巫女様達は先に出られました。昨夜遅くに妖が現れ、巫女様達はその時に村を離れて都へお逃げになられた」
「すると、巫女様方はご無事なのですね!」
空が身を乗り出した。
「危ないところだったが、ちょうど村に退治屋が泊まっていてな。彼が妖を退治してくれた。彼も今朝発って行ったが」
「巫女様の従者がしきりに同行するように退治屋に言っていたのだがね、退治屋は素気無く断ったみたいだ。巫女様の護衛なんて光栄なことなのにな」
村長は不満げに行った。理解できかねるといった様子だ。
「あいつらは変わっているんだよ。大半が世捨て人さ」
茶を運んできた村長の妻が言った。言葉に刺がある。
退治屋とは人間を襲うような凶暴な妖を退治する職業だ。都周辺に多く、危険を押しても人々を守る為に妖に立ち向かうという。
「いい職業じゃないんですか?」
敬子が聞くと、村長は敬子の疑問に答えてくれた。
「そうでもないよ、あれは特殊な仕事だ」
世の中に必要な仕事だが、村長によると、その出自と職業柄、人々に疎まれることが多い職種なのだそうだ。
村長夫人も横から口を出す。
「あいつらは妖に対抗するために、妖から力を借りる契約をするそうじゃないか。妖と契約だなんて得体が知れないよ、あいつらはもう人間じゃないよ!」
村長夫妻は退治屋について良い印象は持っていないようだった。
退治屋は妖に対抗するために、別の妖から借りた得体の知れない力を使うという。
だとしても、妖から救ってくれた恩人に対してその言い草はひどいと敬子は思った。助けた相手に感謝もされないなんて退治屋が気の毒だ。
村長達に礼を言った敬子達は、そそくさと山の中の村を発った。
明るいうちに都に着きたかったのだ。