惨劇
松明は全て消え、辺りは闇に包まれた。
一人、また一人と喉を噛み千切られ、体を引き裂かれて倒れていく。少し離れた場所にいる敬子達にも、血の雨が降りかかった。
妖蜥蜴達は、敬子らに構うことなく食事を始める。犠牲者の体を引きちぎり、内臓を辺りにぶちまけて中身をすするその光景に、敬子は悲鳴を上げることもできなかった。
静かな山の中で臓物を引きずり出す音、肉を引き千切り骨を砕く音だけが響く。残された者達の中には恐怖しかなかった。
十匹の巨大な蜥蜴の腹を満たすには、今犠牲になった者の人数だけでは足りない。
ここにいる者全員が食い殺されるまで、惨劇は止まらないだろうと思われた。
敬子達の間近にも、一匹の妖蜥蜴が迫ってきた。
大きく開けられた口の中に血に染まった牙が鈍く光っている。守ってくれるものは、何もない。
このままじっとしていれば、必ず殺されてしまう——
妖トカゲの牙が迫った瞬間、敬子は咄嗟に里で学んだ巫女の術を頭に思い浮かべた。
今ここで何もしなければ殺される——
妖蜥蜴の前に手を突き出して敬子は叫んだ。
「け、結界!!」
敬子がそう叫ぶと同時に周囲に透明な光る壁が生まれ、妖蜥蜴を後方に弾き飛ばした。
不意打ちを食らった蜥蜴は、後方に生えていた木に勢いよくぶつかり、気を失って地面に伸びる。
巫女の結界は、本来は都への妖の侵入を防ぐためのものだ。
けれど、使い方によっては、結界の外側にいる妖を弾くことも可能である。
敬子はどちらかというと、巫女の力を安定させて長時間結界を張るよりも、瞬時に力を放って対象物を弾くこちらの使い方の方が得意なのだ。
威力はともかく、敬子の術は効いたようだった。
間近にいた空と海は、敬子の巫女の力を目にした驚きで目を丸くしている。
「敬子様、今のは何ですか?」
「空、海。早くこっちに来て!」
姉妹の問いには答えずに、敬子は急いで自分を含めた周りにもう一度小さな結界を張る。
敬子と空と海の三人は、結界の中で身を縮めた。
薄く頼りない結界だが、今の敬子の力ではこれが精一杯なのだった。
「皆さんも。こちらへ来てください!」
空と海が、周りの者らにも呼びかける。
しかし、他の者は敬子達から離れた場所にいる上に、間を蜥蜴達に阻まれているため、結界まで辿り着くことが出来ない。
敬子も結界を張るので精一杯で、結界の外にいる者達の所まで向かうことが出来なかった。
次々と人が体を引き千切られ、噛み砕かれて地に倒れていくが、敬子には彼らを助け出せる程の余力がない。
情けない思いが込み上げてくる。
「私なんて、巫女になれなくて当然よね」
敬子は、自嘲気味に言った。
自分の周りの人間も助けることが出来ないで、何が巫女だ。
今、周囲に張っている結界も、維持するのがやっとの中途半端なもの。
黒鵜に指摘されても仕方のない、明らかな力不足だった。
※
空と海は結界の中で目を瞑り、耳を塞いでいた。
取り残された者達は、結界の中の敬子と空と海を除き全員が息絶え、山に静寂が戻る。
敬子の気力も限界に近付きつつあった。力を使い続けたために息が上がっている。
「あの蜥蜴は夜行性だから、朝には引き上げるはず。それまで、持ちこたえれば……」
敬子がそう答えた直後、不意に妖蜥蜴達が左右に分かれた。
その中央から、一きわ大きな黒い妖蜥蜴が近づいて来る。今まで姿を見せなかった個体だ。
また新手かと焦った敬子の目の前で、その妖は立ち止まった。
「小娘。オ前ハ巫女カ?」
黒い蜥蜴が尋ねた。
人語を解するのは高等な妖だ。この妖蜥蜴が頭のようである。
敬子は恐怖で引きつった喉の奥から声を絞り出した。
「……私は巫女じゃない。見ての通り、巫女は逃げたわ」
そう、巫女は逃げた。
忠実な従者達を残して——見殺しにして……
「巫女ノ気配ガ……フタツアル……」
「巫女なら、こんな場所に置いていかれる事はないでしょう、私は巫女の里の出身だけど、巫女になり損ねたのよ!」
もうやけくそだった。
事実だが、自分でこんなことを言うなんて、敬子も情けなくなってくる。
けれど、それを聞いた蜥蜴の頭は、意外にも敬子の言葉に納得したようだった。
「通リデ……オマエ、チカラ弱イ。国宝ノ巫女ノ首飾リノ気ガ、感ジラレナイ。国宝の力ヲ得タ正式ナ巫女デナイナラ、我ガ食ウ価値ガナイ……時間ノ無駄……」
「食う?」
「ソウダ! 巫女ヲ食エバ、寿命ガ延ビ、チカラガ増ス……時間ガ無イ」
黒い蜥蜴は、踵を返した。
「逃ゲタ奴ラノ方ダ!早ク追ワナイト、都ニ入ラレタラ厄介ダ!」
蜥蜴の頭は、何やら焦っているように見えた。
「コノ先ノ集落ニイル方ガ、本物ノ巫女ダ! 気配ガスル、急グゾ!」
黒い蜥蜴は仲間を引き連れて、麗華の逃げ去った方向へと素早く走り去って行った。
「……助かったの?」
敬子達は、取り残された結界の中でただ震えていた。