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命懸けの山越え

 夏は日が沈むのが遅い。

 だんだんと辺りが薄暗くなってきて、周りの兵らが松明を灯す。

 里を出て二日が経ち、一行は二つ目の山の中腹辺りまで来ていた。

 山の中には人が通れるような道はあるが、少し外れると草木が生い茂っている。


「急な山道ね」


 敬子が言うと、傍にいた下働きの娘が答えた。


「そうですね。でも敬子様、この先の道がもっと厳しいのです。来る時に通りましたが、更に酷い山道です」


 そう言って目を細め、可愛らしく笑うのは、空という名前の少女だ。

 空は敬子より二歳年上の十四歳の娘で、妹の海と二人でこの隊列に参列していた。


 彼女達は、麗華に仕える予定の下働きだ。

 二人とも気だてがよく、年が近いこともあって敬子とはすぐに仲が良くなった。


 海は十一歳で敬子の一つ下だが、年下だとは思えないくらいにしっかりしている。

 この姉妹は大変仲が良く、仕事中もいつも一緒に行動していることが多かった。そこに、敬子も混ぜてもらう。


「もう少し進んだら集落がある、今日はそこで休むぞ」


 黒鵜が指示すると、周りの者達から同意の声が上がった。

 巫女を運んでいる途中なので、なるだけ野宿は避けたいのだろう。

 一行は山道を黙々と進む。集落まで辿り着くのは、まだ少し時間がかかりそうだった。

 それにしても大所帯だ。馬の兵士、徒歩の兵士、下働きの男女。

 神楽の里とは別の場所にも待機していた人間がいたらしく、途中で合流して徐々に人数がふくれ上がっている。



 険しい山道の中腹にさしかかったとき、ふと、何か奇妙な鳴き声が聞こえた気がした。

 キィキィと甲高く鳴く不快な声。鳥にしては濁った音だ。

 すると、その声に反応したかのように、急に敬子の馬が暴れ出した。


「こら。どうしたの」


 手綱を引いて馬を静める。

 敬子の馬だけじゃない。他の馬も、荷物を運ぶために連れている牛までもが暴れ出し、ただならない様子を見せている。

 そのうち、数頭の馬が乗り手を振り払って逃げ出し、隊列に動揺が走った。


 敬子は嫌な予感がした。肌がゾワゾワする。

 鳴き声は止まず、徐々に距離が近くなってくる。

 キィキィという耳障りな音が今度は、間近にはっきりと聞き取れた。


「走れ!」


 突然、黒鵜が叫んだ。

 彼は輿から麗華を降ろし、急いで自分の馬に乗せる。

 馬を持っている者達は一斉に駆け出した。鳴き声はすぐ間近に迫っている。


「ま、待ってください。黒鵜様、私達徒歩の者はどうすればいいのですか」


 下働きの男が悲痛な声で叫んだ。

 しかし、黒鵜は意に介さない。


 すぐに、近くの藪がガサガサと動いた。

 残された徒歩の兵士達が、その周辺を松明で照らし、剣を抜いて構える。


 それと同時に茂みから黒い塊が飛び出した。女達が悲鳴を上げる。

 その塊は一瞬にして手前に立っていた男の喉笛を切り裂いた。

 鮮血が飛び散り、降って来た生暖かい液体が敬子達の顔にもかかった。空と海は目を覆っている。


 黒い塊の正体は、不気味な鱗に覆われた巨大な蜥蜴だった。

 人間の大人の倍はある大きさだ。異様に鱗が逆立っており牙と爪が長い。

 巨大な蜥蜴は、不気味に血走った赤黒い目で獲物を狙っている。


「妖蜥蜴だ!」


 誰かが叫んだ。

 妖蜥蜴は山に住み、夜になると家畜や人を襲う妖だ。狼などよりも凶暴で知能が高く、その牙には毒があると言われている。


 ガサガサとまた近くの茂みが揺れ、今度は別の蜥蜴の群れが現れた。

 十匹以上はいる。


 下働きの男が持っていた松明が消えた。

 空と海は抱き合って震えている。二人とも、自分の馬を持っていないのだ。

 二人だけじゃない。同行している者達の半数は馬を持たず、逃げる術がない。

 彼らは次々に運んでいた荷物を降ろし、身一つで逃げようとした。


「急げ。追いつかれるぞ」


 黒鵜達は、彼らを無視して集落へと馬を走らせる。


「待ってくれ!」


 残された者が必死に追い縋るが、無情にもその背を妖蜥蜴の鋭い爪が抉った。


「ぐあぁぁっ!」

「うあぁ!」


 しかし、彼らの声を無視して、馬は去っていく。

 敬子も黒鵜らに倣って、馬に跨がろうとした。


 だが、その瞬間、自分を見つめる空と海と目が合ってしまった。

 二人は何も言わない。一人で逃げようとする敬子を批難しない。

 自分の運命を覚悟しているかのように押し黙り、ただまっすぐに敬子を見つめていた。寂しさと諦めがない交ぜになった視線で。

 敬子は戸惑い、思わず馬に乗ろうとする手を止めた。


「空、海……」


 二人は里長の娘という身分に関係なく、初めて出来た敬子の友人だった。

 子供三人なら……速度は落ちるが、馬で逃げられるかもしれない。

 敬子は、二人に向かって手を伸ばした。


「こっちへ来て! 一緒に……っ」

「どけ!」


 その時、近くにいた一人の男が敬子を突き飛ばし、馬を奪った。

 敬子は突き飛ばされた勢いのまま地面に転がる。

 一瞬の出来事で、敬子には何が起こったのか分からなかった。


 地面に手をつき起き上がると男の顔が見えた。昼間に敬子達と仲良く話していた下働きの男だった。

 男は敬子の馬に乗って、来た道を一目散に駆けて逃げて行く。


 擦りむいた両手を握りしめ、敬子は唇を噛んだ。

 突き飛ばされて転んだ時に切ったのだろう、口の中に鉄の味が広がった。

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