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祖母の罪

 敬子は、結界の中から麗華達の様子を見守っていた。

 麗華達は、しばらく言い争いを続けていたが、最後に黒鵜が鼠に向けて衝撃的な言葉を放った。

 それを聞いた巨大な鼠が、敬子の方へと向き直る。敬子が巫女になり得るという情報を聞いた鼠は、ターゲットを敬子に絞ったらしい。

 鼠は、そのまま敬子の結界に突っ込んできた。敬子は、力を込めて結界を維持する。

 麗華の叫び声と、祖母の悲痛な呼びかけが、真っ暗な部屋に虚しく響いた。


「おやめ、おやめ六角! 巫女を食べたいのなら、私を食べればいいじゃないか!」

 立ち上がり、鼠の背後に必死で取りすがる祖母。菫子を無視して結界に体当たりを続ける巨大鼠。

 鼠の体当たりの威力の凄まじさに、敬子は結界の限界を感じていた。

 しかし、ここで敬子が諦めれば、敬子だけではなく怪我人達や幼い子供までもが犠牲になってしまう。敬子は辛くても歯を食いしばって耐えた。


「敬子!」

 香葉と豪也が、焦った様子で敬子を見ている。豪也は、嵐達と共に小さな鼠を蹴散らしながら、敬子の元へ向かおうとしていた。


「六角、悪いのは私なんだよ! 私が間違っていたんだ!」

 敬子の祖母の菫子が、悲痛な声を上げながら巨大鼠の説得を続けている。

「お前をここへ引き入れるべきではなかったのに……! 分かっていたのに! 私は、巫女でいることの孤独に耐えられなかったんだ!」

 巨大鼠は、尚も結界への体当たりを止めない。

「やめておくれ、孫達を巻き込むのだけは……!」


 敬子は、視界の隅で香葉がちらりと菫子と巨大鼠の様子を伺ったのが見えた。

 こんな状況だというのに、彼の口元には笑みが浮かんでいる。敬子は、嫌な予感がした。

 香葉は、あろうことか腕から鋭い木の根を生やし、それを菫子目掛けて振り下ろす。

「ちょっと、香葉!!」


 敬子の叫びに反応した菫子が背後を振り返り、香葉の根を確認して硬直したように固まった。

 根から逃げようにも、祖母の動きでは間に合わないだろう。

「お祖母様!」

 麗華も、部屋の反対側で叫んでいる。


 だが、根が菫子に直撃する瞬間、驚くべきことが起こった。

「グェアアアア!!」

 祖母の上に、あの巨大鼠が覆い被さったのだ。香葉の木の根は、菫子を庇った巨大鼠の背を直撃した。

 鼠の背を覆っていた厚い皮膚が破れ、裂けた傷口からじわじわと黒い血が溢れ出す。

「六角っ! あんた!」

 菫子は、自分に覆い被さる鼠を見上げた。



 菫子は十五歳の時に巫女になった。

 慣れ親しんだ故郷を離れ、一人都へとやって来た菫子が目にしたのは豪華な宮殿。

 しかし、菫子はその華やかさに喜ぶことができなかった。ただ、故郷や家族が恋しかった。

 巫女になれば、引退するまで宮殿を出る事は叶わない。自然と目に涙が浮かぶ。


 都で暮らしていくうちに、次第に菫子は巫女としての生活に慣れていった。侍女達は皆親切で、何不自由のない生活を送ることができている。

 しかし、時折この生活がとても息苦しく感じるときがあるのだった。


 そんなある日、菫子は宮殿の裏門のすぐ外で小さな鼠を見つけた。

 黒い毛並みに紅い目をした愛らしい鼠。

 菫子の手のひら程の大きさのそれは、二本足でちょこんと立って円な瞳で菫子を見上げる。

「おや、お前……妖なの?」

 妖というには、弱々しい小さ過ぎる生き物がそこにいた。


 鼠は、毎日宮殿の外に現れる。

 菫子は門の内側から毎日それを観察した。餌になりそうなものを中から放ってやると、鼠は両手で器用にそれを掴む。

 いつしか、その鼠は菫子の心を慰める存在になっていた。宮殿の外の世界との唯一の接点。


 鼠はすっかり菫子に懐いた。

 しかし、鼠が現れるのは門の外。菫子は門の中から出ることが出来ない。

「お前に触れられればいいのにね。羨ましいよ、外を自由に歩けるなんて」

 鼠は分かっているのかいないのか、菫子の言うことに、ただ聞き耳を立てている。


 ある日、菫子は禁を破った。

 門の外にいた鼠を、宮殿内へこっそり引き入れたのだ。

 彼女は、一瞬だけ結界を解いて、その隙に宮殿内へと鼠を連れ込んだ。

 鼠は結界が解かれるや否や、菫子に駆け寄り、彼女の肩へと登る。

「お前、人懐っこい鼠だねえ」

 これが、菫子の犯した最初の間違いだった。


 菫子は、宮殿内で巫女として申し分のない働きをした。

 だが、その裏で妖の鼠を手引きし、自らの部屋へと連れ込んだのである。


「ねえ、六角。お前と話が出来ればいいのにねえ」

 宮殿内の侍女や役人達、使用人達は概ね菫子に好意的だが、巫女の立場に遠慮して距離を取る。

 周囲がそうせざるを得ないことを理屈では分かっているのだが、菫子の孤独は益々大きくなっていくばかりだった。

 両親に会いたくても会えない。夫とも会えない、生まれたばかりの双子の我が子にも。

 気休めになるのは、傍らの小さな鼠だけだ。


 この鼠は菫子の言うことを理解しているが、喋ることが出来ないので会話は成立しない。いつも、菫子が一方的に話しかけるだけであった。

 けれど、それだけでは菫子の孤独を埋めるには物足りない。

「妖は巫女の血を飲む生き物……お前は小さいし、少しくらいなら大丈夫だろう。力がついたら、私と話せるようになるかもしれない」


 愚かな考えを実行に移してしまうほど、菫子は精神的に追い詰められていた。

 菫子は傍らにある剃刀を手にして自らの指を切り、そこから滴る血を鼠に差し出す。

 鼠は菫子の指の側へと駆け寄ると、彼女の指から流れる血を大事そうに嘗めた。

「良い子、良い子だね。お前は弱くて小さいから、きっと少しくらいなら大丈夫だ」

 これが、菫子の犯した二つ目の間違いだった。

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