妖と巫女の補佐
「せっかく逃げ切れたのに、貴女も勿体ないことをしますね」
麗華を攫った犯人が、彼女の耳元で囁いた。とても聞き覚えのある声だ。
麗華を救い出し、導き、裏切ってどん底へと叩き落とした懐かしい声。
「黒鵜?」
麗華が囁くように問いかけると、腕の拘束が僅かに緩んだ。
「はい。ご無沙汰しております、麗華様」
やはり、答えたのは予想通りの人物だった。麗華は、体の向きを変えて彼を睨みつける。
「嫌味な人ね。そんなことより、お祖母様はどこなの?」
「お言葉ですが……麗華様こそ、そんなことよりも、ご自分の身を案じた方が良いですよ。貴女が逃げ出したときは、このまま見逃してさしあげてもいいかと思っていたのですが、こうして舞い戻って来られたからには逃がす訳にはいきません」
いけしゃあしゃあと、ふざけたことをぬかす黒鵜に、麗華の目が険しく吊り上がる。
「見逃す気なんてないくせに、図々しい。早く、お祖母様を出しなさい!」
「貴女はもう少し聡明な人間だと思っていたのですが……私の買い被りだったのかもしれません」
残念そうな声とは裏腹に、彼の表情は笑っている。暗闇でも麗華にはそれが分かった。
「黒鵜、あなたはどうしてこんなことをするの? 人間なのに、妖に手を貸すような真似を……そこまでして権力が欲しいの?」
「ふふ……最初はそうでしたねえ」
今は違うとでも言うのだろうか。こんな、巫女を妖に売るような真似をしておいて……
麗華の心の声が伝わったのだろうか、黒鵜が楽しそうに答えた。
「今は違いますよ。楽しくてこの仕事をしているのです。良い暇つぶしですね」
なんという男だ。人の生死さえ彼に取っては暇つぶしだと言う。
巫女を迎えに行く途中で誰が犠牲になろうが、都で妖が出ようが、巫女が食われようが、彼は何の痛みも抱かないのだ。
「最低……」
「麗華様は潔癖すぎるのが欠点ですね。自分の価値観と反するものは受け入れられない……ツマラナイ、人生損してますよ? 尤も、もうすぐ妖の餌になってしまいますから、今更な話なんですけど」
話せば話す程、黒鵜は嫌な男だ。人間として壊れている。
そんな彼を目の前にして、麗華は何もできずに歯嚙みした。
※※※
次代の巫女である麗華と話しながら、黒鵜はここに来た経緯に付いて思いを馳せていた。
黒鵜は貧しい農家の長男で、なんの変哲も無い普通の少年だった。
勉強が好きで、村の博識な老人から読み書きを教わっていたが、下に弟や妹が増えていくにつれて余裕はなくなっていく。
そのうち自分の時間は消えてしまったが、運良く通りかかった役人に取り入り、黒鵜は家出をして都で働き始めた。
何の希望もなかった自分、ずっと、あの狭い村で与えられた人生を歩むしかないのだと思っていた。
家を継ぎ、嫁をもらい、子を育てて畑を耕して……
そこから救い出してくれたのは、その役人だったのだ。
彼は、その後の黒鵜に何の関心も持たなかった。もう黒鵜を都へ連れてきたことすら忘れていたのだろう。
だが、彼の行動は確かに黒鵜を救ったのだ。
取り入り、学び、蹴落とし、這い上がり……黒鵜は着実に宮殿の中枢に近づいていった。
そんな時に出会ったのが、あの妖と現巫女だ。妖の方は人に上手く化けて宮殿内部に紛れていた。
黒鵜はそのとき行き詰まっていた。宮殿の中で、実力だけではこれ以上先へは進めないところまで来てしまっていたのだ。
ここから先へ進むには身分がものを言う。農家出身である黒鵜に、もう道は残されていなかった。
そんな時、妖が黒鵜に取引を持ちかけてきた。妖達が動きやすくなるように、宮殿内部で立ち回って欲しいと。引き換えに、宮殿の中で巫女に次ぐ上位の位をやるという言葉と共に。
黒鵜は、一も二もなくその提案に頷いた。
ずっと抱いていた、自分が何処まで上り詰められるのか試してみたいという思いに火がついてしまったのだ。
そうして、ついに黒鵜は巫女の補佐筆頭の座についたのである。
その頃、黒鵜と取引した妖は、宮殿内部をゆっくりと浸食していた。妖の目的は現巫女、菫子だ。
見ていて滑稽なくらいに、その妖は菫子に執着している。
普通、妖は巫女を食らうと力が増して寿命が延びるというが、その妖は一向に菫子を食う様子を見せない。
しかし、巫女以外の宮殿内部の人間は別だ。妖が次から次へと宮殿内部の人間を食い散らかしたせいで、大幅に役人が減ってしまった。
黒鵜は遠慮なく彼等が抜けた穴にも手を伸ばした。こうして彼は、宮殿内の実権を少しずつ確実に握っていったのである。
しばらくして、黒鵜は妖からある依頼を受ける。それは、「次代の巫女を連れてきて欲しい」という内容だった。
問えば、食うためだと言う。
なるほど、と黒鵜は納得した。妖が現巫女に執着する様子は異常だ。
お粗末な話だが、現巫女を大切に思うあまり、食えなくなってしまったのだろう。
代わりに用意するのが次代の巫女という訳である。
黒鵜は二つ返事で妖の依頼を引き受けた。面白くなりそうだと、ほくそ笑みながら。




