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悪夢の宴

 困った事態が起こったのは、そのすぐ後のことだった。

 祝いの席で座敷に現れた使者が突如「ぜひ巫女に」と、敬子以外の人間の手を取ったのである。


 使者が手を取ったのは巫女になるのが決まっていた里長の娘の敬子ではなく、敬子の斜め向かいに座り、祝いの席に参加していただけの従姉の麗華だった。

 使者は敬子には見向きもせず、微笑みながら麗華のほうに歩み寄る。


「お迎えに上がりました。巫女様」

「……わ、私ですか?」


 巫女と呼ばれた少女、麗華は目を見張った。

 長い睫に覆われた大きな瞳が、驚きに揺れ動いている。


 ————何故?


 使者達は先ほどの挨拶の時に、そんなことを一言も言っていなかった。

 確かに、麗華も現巫女である祖母の血を引いている。素質はあるのかもしれない。

 しかし、巫女になれるのは直系の血筋である里長の長女に生まれついた者唯一人で、長の家に女子が生まれないとき以外は、傍系の出番はない。


 今回も麗華は敬子の従姉として参加しているだけで、巫女に選ばれる資格は持っていないのだ。

 突然の出来事に、里の者が大勢集まっている座敷は騒然となった。

 ざわめきが徐々に広がり、座敷にいる人々を巻き込んで大きなものになっていく。


「静まれ!」


 広間中に通る太い声で里長が一喝すると、途端に沈黙が訪れた。

 誰もが気まずそうに、ちらちらと敬子と麗華を見比べる。敬子は、急に居心地が悪くなった。



 麗華は、敬子とは比べ物にならないほど出来の良い少女だった。

 誰もが認めるほどの美しい外見を持った少女で、気立てもよく、利発で勉学にも芸術にも秀でている。

 里の男子達は皆、彼女を嫁に欲しいと望み、その母達にも「ぜひうちの嫁に」と絶大な人気を誇っている里のお姫様のような存在だ。

 当然、同じ里の娘達の憧れの対象となっている。

 敬子は少なからず、麗華に引け目を感じていた。


 同い年の従姉である敬子と麗華は、昔から事ある毎に親や親戚達から比べられてきた。

 しかし、何においても敬子が麗華に勝った記憶はなく、同じ歳の従姉というだけでいつも引き合いに出され麗華の比較対象にされてきたのだ。

 自分はまるで麗華の引立て役だった。


 麗華は敬子が望んでも手に入らないものを、いつも易々と手に入れてしまう。

 敬子が苦しみながら対峙している壁を、隣で軽々と飛び越えてしまう。

 そして、悪意のない笑顔でこちらを振り返り、手を振るのだ。


 敬子は決して、麗華のことは嫌いではない。そう思っている。

 けれども、何度も見せ付けられる自分との差に、敬子は軽い嫉妬心を覚えてしまうのだった。いけない事だとは分かっていつつも。


 今回もそうだ。巫女のお役目は生まれてきたときから敬子のもの。

 本来敬子が引き継ぐべきもので、今までそのために巫女について勉強したり結界を張る練習をして、努力もしてきた。

 次期巫女であることが、何の才能もない、何も優れた所のない敬子の僅かばかりの矜持であり、心の支えでもあったのだ。

 たとえそれが、里長の娘という身分によってもたらされたものであっても。


 自分には優れた所が無くても、何一つ従姉に勝てなくても、巫女のお役目がある。

 敬子は、いつも自分にそう言い聞かせてきた。

 それなのに、この使者は自分ではなく麗華を選んだ。

 唯一敬子に残っていた誇りを、あっさり取り上げ、麗華に渡した。

 敬子はあまりの出来事に混乱し、目の前が真っ白になった。





 そんな娘の様子を見かねたのだろう。

 敬子の父である里長が、集まった人々に向かって重々しく口を開いた。


「都からの使者殿にお聞きしたい。巫女は、代々我が里長の子が受け継ぐはずだ。本来ならば、我が娘で長女の敬子がお役目を引き受けるべきではないのか?」


 広間は静まり返っている。敬子は期待を込めて父のほうを見た。


「畏れながら、申し上げます」


 里長の言葉に使者の一人が答える。

 口を開いたのは漆黒の髪を短く切りそろえた美しい青年で、名を黒鵜といった。

 この青年が、都から来た使者達の代表だ。


「巫女を決めるに当たり、我々はその素質のある者全員を対象として見ております。貴方のご息女だけでなく現巫女の血を引くもの全員を……恐れながら今回の場合、誰が見ても巫女に相応しいのは麗華殿の方でしょう」


 黒鵜は座敷にいる全員に対して、きっぱりとそう告げた。

 髪同様、漆黒の瞳が真摯に里長を見つめている。


 敬子は、あまりの理不尽さに絶望した。「誰が見ても」とは、なんだ。

 自身でも薄々気づいてはいたが、それをこんなに大勢の前で突きつけなくともよいではないか。

 分かっていた。自分はどんなに頑張っても麗華には敵わない。

 唯一勝てていた身分さえも、今、覆ってしまった。


「あの……」


 静まり返った座敷で恐る恐る口を開いたのは、当の麗華だった。


「巫女のお役目は私ではなく、敬子が引き継ぐべきものです。どうか、彼女を巫女に……」


 敬子達親子に、気を使っているのだろう。

 争いを好まない親戚の何人かが、麗華の意見に同意を示した。


 けれども、彼女の言葉は益々敬子を惨めにするだけだった。

 巫女に望まれてもいない自分のことをこの場において持ち出すのはやめて欲しい。いっそ、この場から消えてしまいたい。

 しかし、敬子の惨めさに使者の言葉が追い討ちをかける。


「なりません、巫女は我々が見定めたものでなくては。我々は敬子殿ではなく麗華殿、あなたを巫女に選んだのです」

「でも、私より敬子が……」


 麗華はしきりに、敬子に巫女の役目を譲り渡そうとしている。

 その「本来役目を担うはずであった敬子に、気を使ってあげる心優しい私」というそぶりが、敬子にはもう耐えられなかった。


 いつもいつも、麗華はそうだ。

 そうやって気付かないうちに善意で相手を貶める。

 敬子は昔から、麗華の場をわきまえずに良い子ぶるところに嫌悪感を抱いていた。

 そうまでして良い人間を演じたいのか。そうまでして他人に好かれたいのか。

 本人にその気がなくとも、ここで敬子が麗華に同意したら都の使者を始めとして、敬子に対し多くの人間がよい印象を持たないだろう。反比例して麗華の株は上がる。

 敬子が同意しなくとも、麗華にはなんら被害は及ばない。優しい少女と人々は彼女を持てはやす。


 もう十分だ。これ以上、惨めで情けない思いをさせないで欲しい。

 選ばれたのは麗華で、敬子はもう巫女として必要とされてはいないのだ。

 巫女にと望まれている恵まれた人間に、こんなことを言われるなんて……


 麗華に悪意は無い。

 彼女は他人に対して悪意を持つような人間ではないし、敬子もつまらない嫉妬心は無くすべきなのだ。

 分かっているのに。これが敬子の自分勝手な怒りだということは理解しているのに——胸の奥のもやもやが無くならない。

 けれど、敬子が切り出さない限り、この場に収拾はつかないだろう。

 だから、敬子は口を開いた。柔らかな笑みを顔全体に貼り付けて。


「私のことはいいのよ、麗華。この国の大事なお役目を引き受ける巫女になるのですもの。やはり実力で巫女のお役目に一番ふさわしい人が選ばれるべきだわ」


 本心をひた隠し、この場で心にも無い優等生の返事を返す。

 この場でこんなことを口にできる自分を褒めてやりたい。


「でも……敬子……」

「巫女は、お情けで選ばれるべきじゃない。本来の適性と実力を持って選ばれるべきなのよ。選ばれたあなたがなるべきだわ」


 それでもなお食い下がる麗華に、敬子は苛立ちを感じた。

 口調が無意識にきつくなってしまうのを止められない。このままでは、いけないのに。


「選ばれたのは、あなたなの。巫女は使者によってきちんと定められるもの。同情で、いいかげんに決めてしまって良いものではないことくらい、分かっているでしょう?」


 それ以上は言葉にならなかった。これ以上言葉を続ければ、確実に泣いてしまいそうだった。この場にいる誰よりも一番悔しいのは敬子だ。

 しかし、皆の集まっているこの席で今泣くわけにはいかない。

 寧ろ、一族の長の娘として……率先して皆の前で巫女になった麗華を快く受け入れなければ。


 でも———


 本当は敬子だって選ばれたかった。巫女になりたかった。

 今ほどに麗華を疎ましく思ったことはない。

 敬子は自分の内に黒い嫉妬心が、どろどろとした靄の様に渦巻いていく気がした。

 悔しさから湧き出る憤りと憎しみとやるせなさ。それらが胸の内で混じり合い、煮え立つような感覚に吐き気を覚える。


 それでも、敬子は巫女の選定が無事に終わるまでは笑顔で座敷に座り続けていた。

 こんなところで、醜く取り乱したりなどするものか……

 敬子は見栄だけでその日を乗り切ったのだった。


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