敬子の決意
敬子の薬師修行が始まった。
大叔母はまず、敬子を雪峰山に連れて行き、薬草の種類を教えた。
これからは、山に薬草を採りに行くのが敬子の仕事になる。調合はまだまだ先だ。
似たような草が多く、物覚えの悪い敬子は早速混乱した。
加世に心配された通り、自分に薬師は向いていないのかもしれないと思う。それでも、一生懸命に薬草を探すほかない。これが今の敬子に出来る唯一の事だからだ。
途中、豪也の家から香葉が遊びにきて、敬子が間違った雑草を毟るのを見る度にけらけらと大笑いした。
どうやら、植物の妖だけあって、香葉には薬草の種類が分かる様である。
敬子の事を揶揄うが、助言してくれる気はないようだ。
「香葉、邪魔……集中したいんだけど」
敬子が言うと、香葉がまた面白そうに笑った。
「これくらいで集中力が途切れるなんて、やっぱり薬師には向いてないんじゃない? 退治屋に転向しなよ」
「むむっ……」
「ちなみに今手に持ってるのも、薬草じゃない。ただの雑草」
「わかってる! 薬草が見つけやすい様に草むしりしてただけよ!」
真っ赤になって敬子は反論した。
※
事件が起こったのは、その日の晩だった。
どんどんと大きな音で加世の家の扉が叩かれる。
敬子が表へ出ると、彩夏の町の住人が数人立っていた。その腕には二人の血まみれの少女が抱えられている。
「村の入り口辺りに倒れていたんだ、加世先生を呼んでくれ」
その少女達の顔を見て、敬子は凍りついた。すぐに大叔母を呼びに走る。
「どうしたんだい、真っ蒼な顔をして」
敬子は蒼白な顔をして震えている。
尋常じゃない敬子の様子に、加世は急いで玄関に向かい絶句した。
敬子と年の変わらない少女が二人、土間に横たえられていた。
二人の少女は、全身が傷だらけで赤く染まっており、片方は腹に、もう片方は右腕に大きな裂傷があった。相当長い距離を歩いたらしく、二人ともぼろぼろだ。
「可哀そうに。よくもまあ、ここまで」
加世はすぐに二人の少女を寝かせて手当てした。大きな妖にやられたようで、傷は深い。
「空、海」
敬子は泣きそうな顔をして加世を手伝っている。別れたのはつい何日か前のことだ。
二人とも、敬子を頼ってここまで歩いて来たのだ。こんなに傷だらけになって。
「紅尋で何かあったんだわ」
「この娘達はあんたの知り合いかい」
「そうなの。都まで一緒に旅をしていたのよ、麗華の従者なの」
大叔母は顔をしかめた。
「巫女が代わったばかりだからかねぇ、これからしばらくは都が荒れるかもしれない」
次の朝、紅尋で大規模な妖の被害があったという知らせが届いた。
巫女に守られているはずの紅尋の中心部が妖に襲われたらしい。妖は宮殿の門の近くに出現し、宮殿の周囲に住んでいた人間はほぼ全滅だそうだ。
現れたのは、真っ赤な猫型の妖が三匹。最終的には宮殿の兵士に始末されたそうだが、被害は甚大だった。
午後になると、海が目を覚ました。空は依然、眠ったままだ。
「敬子様……。よかった、私、辿り着けたのね」
海は目に涙を浮かべて言った。まだ、顔色は良くない。
「海、どうしたの。何があったの」
海は敬子にしがみつくと、大きな声で泣き出した。
「私達、巫女様のいる宮殿に帰ったんです、宮殿の門をくぐろうとしました。そうしたら、門前に真っ赤な大きい猫が現れて、襲いかかってきました。それを見た門番が私達の目の前で慌てて門を閉じてしまったのです」
海はきつく拳を握っている。
「私達は、必死で門を叩きました。私達は巫女様にお仕えする者です、中に入れて下さいって。しかし、扉は固く閉ざされたままで、私と姉は……」
そこから先は声にならなかった。海はがたがたと震えている。
敬子はしっかりと海を抱きしめてやった。
「宮には既に妖共が巣食っております。人という冷酷な妖です」
敬子は唇を引き結んだ。心の中は、宮の人間達への怒りで一杯だった。
私は、巫女になどならなくて良かった。
巫女なんて、最低な人種だ。敬子は麗華達を心の底から軽蔑した。
この時、敬子の心にある決意が浮かんだ。
敬子は海にもう少し休むように言うと、すっと立ち上がり雪峰山を目指して駆けて行った。




