奪 わ れ た 王 女
(1)
朝にギールを発ち、一日乗用陸鳥を走らせて、バートたち一行は日が落ちかけた頃に「道の駅」の小屋に辿り着いた。つくりはピラキア山脈ピアン側の麓で泊まった小屋とほぼ同じで、いくつかの二段ベッドと、部屋の中央には大きめのテーブルが置いてあった。
ギールで食材を買い込んでいたので、四人でシチューをつくることにした。小屋の中のテーブルで野菜を切り、小屋の外にあった竈に鍋をかけて水と牛乳で煮込む。四人はシチューを食べながらパンを食べ、サイナスからの餞別である葡萄酒の栓を開けた。
「それでは、あたしたちの楽しい旅に。乾杯ー」
サラが言って、四人はそれぞれのコップを掲げた。バートとサラとリィルは中身を一気に飲み干した。しばらく後、バートは顔を真っ赤にしながらわけのわからないことを語り始め、サラは楽しそうに笑い声を上げ、リィルは机に突っ伏して寝息を立て始めた。キリアは三人の様子を気にしながら、サラに相槌を打ちつつ、ちびちびと飲んでいた。
(誰が後始末するんだろ、これ……)
はっと我に返ってみたものの、キリア自身もお酒の所為かちょっと楽しい気分になっていたので、まあ良いか、とか思っていたりした。
*
翌朝、サラが目覚めると小屋の中は葡萄酒の香りで満ちていた。テーブルの上には空になった葡萄酒の瓶と、コップが四つと、シチューの皿が散乱していた。バートとリィルとキリアはそれぞれのベッドで眠っているようだった。
(あら? あたし、どうやって自分のベッドに入ったのかしら……)
サラは昨夜、自分でベッドに入った記憶がなかったが、気にしていても仕方がないので立ち上がった。テーブルの上の皿を四枚重ね、コップも四つ乗せ、小屋の扉を開けて外に出る。小屋から少し離れたところにあった水場で皿とコップをきれいに洗った。
洗いものを終えて小屋に戻り、小屋の扉を開けた瞬間――サラは何か違和感を感じた。眩暈がして一瞬意識が飛ぶ――。陶器が砕け散る音。はっと我に返ると、サラは床に座り込んでいた。目の前に、砕けた四枚の皿と四つのコップの破片。床に手をついて立ち上がろうとしたとき、指先に鋭い痛みを感じた。飛び散っていた陶器の破片で指を切ってしまったらしい。その痛みで、目が覚めた。
サラは口元に手を当てて軽く咳き込んだ。小屋の中はひどく空気が悪かった。
「みん、な……!」
サラは息を止めて小屋の中に駆け込んだ。一番近くのベッドの中に横たわるバートを思い切り揺さぶる。反応は無い。サラは夢中でバートを担ぎ上げると小屋の外に出た。地面にバートを下ろすと、再び小屋の中に駆け込む。リィルも同じようにして小屋の外に担ぎ出す。続けてキリアのベッドの脇に駆けつけ……キリアがそこに居ないことに気が付いた。
「キリア?!」
サラは小屋の中で叫ぶ。小屋の中を隅々まで見渡したがキリアの姿はない。サラは小屋の外に飛び出して、声を限りにキリアの名を叫んだ。返事は返ってこない……。
「そんな……キリア……」
サラは大きく息を吸って吐くと、今度は地面に横たわるバートを力いっぱい揺さぶった。
「バートっ、お願い起きて! しっかりして!」
「う……」
小さく呻いてバートがゆっくりと目を開けた。瞳にサラの顔が映る。バートはがばっと上半身を起こすと、身体を折り曲げて苦しそうにげほげほと咳き込んだ。
「大丈夫っ?」サラは慌てる。
「うー。頭いてえ……」バートは頭を抱えていた。
「二日酔いか……?」
「それもあると思うけど、なんか、小屋の中がヘンなのよ」
サラは小屋の方を見やって言った。
「毒ガスみたいな変な臭いがして……、慌ててみんなを外に運び出したの」
「毒ガス?! みんなは無事か?」バートはサラを見る。
「キリアが見当たらなくて……、リィルちゃんならそこに」
サラはリィルに駆け寄って屈み込むと、リィルを揺さぶり起こしにかかった。しばらく揺さぶっていると、リィルが「ああ良く寝た……」とか呟きながら普通に起きた。
サラの言葉を聞いてリィルは表情を硬くした。
「キリアがいない……? 俺たちがこんなに大騒ぎしてるのに出てこないなんて、何か嫌な予感がする。小屋、まだ入っちゃまずいかな?」
「空気吸わないようにすれば……」
サラはリィルに自分のハンカチを手渡した。リィルはサラのハンカチを借りて口に当てると小屋の中に入っていった。慌ててサラとバートも続いた。
三人で小屋の中を隅々まで探し回ったが、やはりキリアの姿はどこにも無かった。リィルが小屋の窓全てを全開にして風通しを良くする。吹き込んで来た風に一枚の紙切れがひらりと舞い上がった。サラはそれを拾い上げて、そこに書かれていた文字を読んで、叫び声を上げた。
*
『ピアンの王女は我々が預かっている。返して欲しければ、キグリス首都南方の第一の『道の駅』に、キグリス王家の国宝『英知の指輪』を持って来い。王女の命は我々が預かっている。『英知の指輪』を持たずに王女を救い出そうなどとは考えないほうが良い。我々は王女を殺すことなど、何とも思っていない』
小屋の外に出て、サラはバートとリィルに紙切れを見せた。
「どういうことだよ……」
サラを見ながらバートがつぶやく。サラは泣きたいのをこらえて下を向いた。
「小屋の中の床を良く見たら、白っぽい粉がばら撒かれてた。多分、『眠りの粉』ってやつだと思う。窓開けといたし、そのうち臭いも効果も治まると思うけど」
リィルもサラを見て、少し言いづらそうに自分の考えを語った。
「結論から言うと、キリアはピアン王女と間違えられて人質として連れ去られた可能性が高い……と、思う。たまたまサラが外の水場に行ってる間に、悪者たちが眠りの粉を小屋の中に投げ込んで全員眠らせて、王女と思われる女性を攫っていった……んじゃ、ないかな。そして自分たちの要求を残していった、と」
やっぱり、とサラは唇を噛んだ。昔から何度か、いや、何度も思ってきたことだったが、何故自分は「ピアン王女サラ」なのだろう。自分がピアン王女だった所為で――全然関係ないキリアが危険に巻き込まれて……!
ぽん、とバートの手がサラの肩に置かれた。
「そんなに自分を責めるなよ」
「でも……!」
「そうだよ。それより、キリアを助け出す方法を考えよう」
リィルは紙切れをじっと見つめて口を開いた。
「『キグリス首都南方の第一の道の駅』って、ここじゃないよな。確かリネさんがギール・首都間は道の駅が二つあるって言ってたから、もうひとつのほうかな。そこが取引場所として指定されているわけだけど、キリアもそこに連れて行かれるのかな……。今から飛ばしても追いつくのは難しいかな……。敵の要求は、『英知の指輪』。サラ、英知の指輪って知ってる?」
「いいえ」サラは首を振った。
「『キグリス国宝』ってくらいだから、キグリス首都のどこかにあるのかな? どっちにしろ今すぐ俺たちがこれを手に入れるのは不可能。首都に行ってみないと……というわけで二択」
リィルは右手の指を二本立てて、バートとサラを見た。
「キリアが監禁されていると思われる道の駅に特攻をかけるか。まずはキグリス首都に行って『英知の指輪』を手に入れるか」
「特攻は危険よ!」サラが主張した。
「それでもし、キリアに何かあったら……」
バートもサラの意見にうなずいた。
「そうだね」とリィル。
「キグリス首都に行くのは時間のロスになっちゃうけど、まあ、幸い期限は指定されてないし、……、うん。やっぱり首都を目指そうか」
「ああ、それが良いと思うぜ」
バートも言って、うなずいた。
「じゃあ、急いで準備して、北を目指そう」
リィルが言い、三人は小屋の中に戻って、荷物をまとめ始めた。
(2)
バートとサラとリィルの三人は、乗用陸鳥に乗って街道を北へ進み、キグリス首都を目指した。バートたちの旅の目的は、キグリス王と王子に会って停戦同盟を締結することだったが、そんなのは後回しだ。今はとにかく一刻も早く『英知の指輪』とやらを手に入れてキリアを助け出さなくてはならない。その過程でキグリス王と王子に会うことになるかもしれないが――、それで、どうなるかは、会ってみないと何とも言えなかった。
「あれ」
手綱を握っていたリィルが小さく呟いた。
「何か、見えない?」
リィルが前方を指さし、バートは目を凝らした。
「誰か……ずっと遠くだけど、街道で寝てねーか?」
「寝て……? 倒れてるんじゃないの?」とサラ。
リィルは乗用陸鳥の速度を速めた。誰だかわからないが、寝ているのなら街道の真ん中では危険なので起こしてやらないと、と思う。倒れているのなら助けなくてはならない。
ヴェクタがその人物に近付くにつれ……、三人は我が目を疑いつつ、確認するようにお互いの顔を見合わせていた。
「……キリア……?」
バートが嘘だろ、と呟いた。街道にうつぶせに倒れているのはキリアだということが、近付くにつれてはっきりとしてきた。両手を後ろ手に縛られているようだった。身動きひとつしていない……。
三人は乗用陸鳥を停めてキリアに駆け寄った。
「キリア! キリアっ!」
サラがキリアの名を叫びながら抱き起こして肩を揺さぶった。リィルはキリアの両手首に食い込んでいるロープを解きにかかった。
*
「……ア! キ……っ!」
遠くで誰かが名前を呼んでいる。金縛りってやつかな、とキリアは思った。何度か経験がある。意識はあるのに、ふわふわしていて。身体が、瞼が、言うことを聞いてくれなくて。
キリアは意識を無理やり浮上させ、瞼を開けてみた。嘘みたいに明るかった。
「キリア!」
サラが至近距離から覗き込んでいた。
「サラ……ここは、」
呟いて、キリアはゆっくりと身体を起こした。見覚えのあるキグリスの大草原の街道だった。すぐそばでサラとバートとリィルが屈みこんで、自分を見つめていた。
三人は同時に大きく安堵の息をついた。
「はああ……」
「良かった……!」
「ったく、心配させやがって……」
「え? え?」
キリアは三人の顔を順番に見ながらわけがわからなかった。昨晩の記憶を手繰り寄せてみる。確か「道の駅」の小屋で四人で夕食を食べながら葡萄酒を飲んで……けっこう遅くまで騒いでいたような気がする。それから……ベッドに入って寝たんだっけ。結局あのテーブルは片付けないままだったかな。で、目が覚めたら、いつの間にかこんなところに……。
混乱するキリアに、サラとリィルが代わる代わる事情を説明してくれた。
「嘘……」
キリアは呆然と呟いた。どうも実感が湧いてこない。恐怖も何も感じないまま危険な目に遭って無事に帰ってこれたなんて、むしろ笑いがこみ上げてしまう。
「何にやけてんだよ」バートが不思議そうに言ってきた。
「あ、王女に間違えられて嬉しかったとか」
「そんなんじゃないわよっ」
キリアは思わずバートの頭を叩く。
「ごめんなさいキリア、あたしのせいで……」
サラは本当に申し訳なさそうに言って、うつむいた。
「え? ヤダ気にしないでよ、別に何もなかったし……。でも、」
キリアは首を傾げて呟いた。
「なんかすっきりしないわね……」
「確かに」リィルもうなずいた。
「キリアが無事だったことは本当に良かったけど、……なんでキリア返してくれたんだろ」
「人違いに気付いたからじゃねーの?」とバート。
「随分親切な悪党ね……」とサラ。
「サラ、のん気なこと言ってる場合じゃないかもしれないわよ」
キリアは厳しい表情でサラを見た。
「え」
「私を返してくれたのは、親切じゃなくて『余裕』……なのかもよ。気をつけなくちゃ、ね」
*
四人は周囲に気を配りながら乗用陸鳥を走らせていた。『敵』はピアン王女を人質に『英知の指輪』を手に入れる計画を立てた。しかし、『敵』は間違えてピアン王女でない女性を攫ってきてしまった。脅迫状にはしっかりと『ピアンの王女』と書いたのに。『敵』は間違いに気付き、ピアン王女でない女性を一行に返すことにした。
「その後『敵』さんたちがやることといえば――、やっぱり本物のピアン王女を攫うことじゃない?」
とキリアは言う。
「なんていうか……、あまり頭良くない『敵』って気もするけど、よっぽど腕に自信があるのかもしれない」
「素朴な疑問なんだけど、」とバートが口を挟んだ。
「なんで『キグリスの』国宝を手に入れるために『ピアンの』王女を攫うんだ?」
「あ、なかなか鋭いね」リィルが言った。
「うーん。まあ普通に考えたら、キグリス王宮に居るキグリスの要人は攫いづらいけど、俺たちはたった四人で旅してるわけだからね……」
「でも、なんでピアンの王女一行がたった四人でキグリス領内を旅してるってばれたのかしら」とキリア。
「ギールには二泊しかしてないし、リネッタとサイナスさんには特に口止めはしなかったけど、あの二人が進んで広めるとは思えないし。サイナスさんは四人旅を心配してたくらいだし」
「まあ、仮に多少広まっちゃってたとしても、」とリィルが言った。
「まさか、本当に『ピアンの王女を』狙ってくるヤツらが出てくるなんて、ちょっと予想外だったな。……甘かったのかも」
「だな」バートも言った。
「まあ、とにかく、難しいことは抜きにしても、この先は気を引き締めてかかろうぜってこったな」
リィルとキリアはしっかりとうなずいた。すっかり元気を無くしてしまったサラの肩を、キリアはぽんぽんと叩いて微笑みかけた。
「大丈夫よ。私たちは悪党なんかに負けない! だからサラも、負けないで」
「キリア……」
サラは泣き笑うような表情でキリアを見つめ返した。
「……ありがとう。そうね、あたし、負けないわ。さあっ来るなら来なさい、悪党たち!」
「いや、来ないならそれに越したことは」
リィルがぼそりと呟いた。
(3)
その集団は、王女たち一行の行く手を阻むように街道に立ちふさがっていた。三人は鎧を身につけ、兜を目深に被り、剣を抜いて構えていた。その三人の後ろに、ローブ姿の別の三人が控えていた。フードを目深に被り、武器は持っていないようだった。ローブ姿の三人は精霊使いなのだろうか。六人とも顔が良く見えない所為で、年齢も性別も不明。体格は背の高い者もいれば太っている者もいて、皆バラバラだった。ずっと遠くに、彼らが乗って来たのであろう三匹の乗用陸鳥が停めてあった。
「ついに来たか……。どうする?」
乗用陸鳥を止めて、キリアが誰にともなく尋ねた。
「どうするもこうするも、」
バートは三人の剣士を見て言った。油断なく剣を構える彼らは今にも襲いかかって来そうだった。
「話し合いで解決できると良いんだけど」リィルが呟く。
「そう上手くいくかってんだ」バートは言った。
「邪魔するやつらは邪魔だから倒すのみ、だぜ」
バートは乗用陸鳥から飛び降りると、剣を構える三人に向けて叫んだ。
「てめーら……、俺たちに何の用だ!」
「そりゃあ、決まってるじゃないですか」
ちょっと高めの少年の声が返ってきた。三人の剣士のうち、真ん中に立つ、ちょっと小柄な人物から発せられた声だった。
「ピアン王女ご一行さまが通りかかるのを待っていたんですよ。今朝はまあちょっと、手違いがあったみたいなんですけど」
そこまで言って、小柄な剣士はちらりと後方を見やった。
「もう失敗は許されないんですよ。うちのリーダー怒らすと怖いんで」
「つまり、ピアン王女を攫うのが目的ってことか?」
「はい」
小柄な剣士は素直にうなずいた。……バートはため息をついて剣を抜き放った。
「あ、ちょっと待った」
その剣士はそう言って、左手を前に差し出してひらひらと振った。
「僕、できれば争いごとは避けたいんです。お互い傷付けあうの、得策じゃないと思うんで」
少年は右手の剣を腰の鞘に納めると、懐を探って何かを取り出した。布に包まれた何か――それを、少年は大きく振りかぶると、バートたちに向けて投げつけてきた。
「まさか!」リィルは叫んだ。
「バート触るなっ!」
という叫び声が耳に届いたときには、バートは反射的に目の前に迫っていた布に包まれた何かを剣で斬りつけてしまっていた。布の袋は破裂し、中から白い粉が飛び散った。
「げっ、これってまさか……!」
バートは息を止めて目をつぶった。次の瞬間、後方から「風」が吹いてきた。風は正確に白い粉を巻き上げ、大気中に拡散させた。バートの周りの空気は何事もなかったかのように元に戻った。
「キリア?」
リィルはその「風」を発生させた張本人を見た。キリアは乗用陸鳥の上から、余裕の笑みを少年剣士に投げかけていた。
「二番煎じは通用しないわよ。私が起きてる限りはね」
「キリア、かっこいい!」リィルは小さく拍手を送った。
「私たちに手ぇ出した罪は重いわよ……! さあっバート、やっちゃいなさい!」
「俺かよっ!」
呆然とたたずむ少年剣士の左右から、二人の剣士がバートに襲いかかってきた。その二人は「眠りの粉」を投げつけてきた少年剣士と比べると背も高く、体格も良かった。しかしバートは接近戦には強かった。大人と剣を合わせても互角以上に戦えるパワーとスタミナを備えていた。その代わり、遠距離からの変則的な攻撃には弱かったりするのだが。
バートは二人の剣士を同時に相手にして、一歩も引かずに剣を打ち合わせていた。逆に、バートよりも大柄な剣士二人のほうが押され気味だった。
「はあっ!」
バートは気合の声を発し、思い切り剣を振り上げた。相手の剣士の剣が弾き飛ばされて、宙を舞った。
そのとき、剣士たちの後ろに控えていたローブ姿の精霊使いのうちの一人が、精霊を召喚する素振りを見せた。放たれた巨大な炎の球が上空からバートに襲いかかる。リィルも素早く水の精霊を召喚すると、バートに襲いかかろうとしていた炎の球目がけて放った。水の精霊は炎の精霊を包み込み、まぶしくスパークして、消滅した。
*
バートとリィルが六人の「敵」を相手にしているのを、キリアとサラは乗用陸鳥の上から見守っていた。既に一人の剣士と一人の精霊使いは地に倒れていた。小柄な少年剣士も剣を抜き放ってバートに斬りかかったが、剣の腕はあまり良くないようだった。バートが少年の剣をあっさりと弾き飛ばし、リィルが水の精霊を放つと、彼は叫び声を上げて地に倒れた。兜が外れ、地面に転がる。オレンジ色のバンダナを結んだ少年の顔が現れた。その顔はどう見ても、バートやリィルより二、三歳は年下だった。
「敵さんやる気満々みたいだし、私も参戦しようかな……って思ってたんだけど」
キリアは小さく呟いた。
「必要ない感じ……?」
「バートもリィルちゃんも攻撃力高いのよね。あたしも戦うつもりだったのに」
サラも呟く。
二人は同時に顔を見合わせていた。
「キリア……戦えるの?」
「もちろんよ。伊達に大賢者の孫やってないわよ。っていうかサラも戦うつもりだったって……」
「ええ。伊達にピアン王の娘やってないわ」
サラはにっこりと微笑んだ。
ピアン王カシスがかなりの武人であるということは、キリアも風の噂で聞いていた。するとその娘、ピアン王女サラも、かなりの武人だったりするのだろうか……。この華奢で可愛らしい外見の少女からは、ちょっと想像がつかない。
ふと前方を見やると、もうほとんど勝負はついていて、三人の剣士と二人の精霊使いが地に倒れていた。残った精霊使いがおぼつかない足取りで逃げ出そうとするのを見て、キリアは風の精霊を召喚して、放った。
背中から風の精霊の攻撃を食らった精霊使いは、叫び声を上げて地面に突っ伏した。これで目の前の敵は全員片付いた。
「なんだ、たいしたことなかったな」
息ひとつ切らしていないバートは余裕の笑みを浮かべると、手にしていた剣を腰の鞘におさめた。
「バート、まだ油断はできないよ」
リィルは遠くの三匹の乗用陸鳥のほうを見やった。
「さっきあの子が『リーダー』って言ってたよね。あそこにいるんじゃないかな……黒幕が」
バートは目を凝らした。良く見ると、三匹の乗用陸鳥のうちの一匹に、人がひとり乗っているのが見えた。漆黒のローブにフードといった、さっき戦った精霊使いと同じような格好をしている。
「なるほどな」
バートは再び剣を抜き放った。
「これ以上、俺たちの邪魔をさせねーように。今ここで、親玉を叩いておくか」
「賛成」リィルもうなずいた。
バートとリィルは「親玉」目指して駆け出した。後ろからキリアが「慎重に」とかなんとか叫んでいたが二人の耳にはあまり入ってこなかった。
「とりあえずバートは突っ込んで。敵の精霊攻撃は俺が何とかするから。精霊使いって大抵、接近戦に弱いから、一気に距離つめてやっちゃうのが良いと思う」
「了解っ」リィルの言葉にバートは短く返した。
漆黒のローブの精霊使いが、右手を高く掲げた。バートたちとの距離はまだだいぶある。そこから精霊を放ったとしても届くはずがない――もしくは、届いたとしても届くまでに威力はだいぶ弱まるはずだった。
敵に遠距離攻撃を仕掛けさせて、それをリィルが防ぐ。一度精霊を放てば隙ができる。その隙にバートが敵の懐に飛び込む。これで、いけるはずだった。
敵はかなりの遠くから精霊を放ってきた。リィルも意識を集中させ、水の精霊を召喚する。敵の攻撃がこちらに届きそうだったら、自分の放った精霊で相殺すれば良い。
敵の放った、おそらく「風」の精霊がバートとリィルに迫ってきた。かなり遠くから放った精霊だというのに勢いは弱まらない。威力を保ったまま、正確にバートとリィルを狙って飛んでくる。なかなか力のある精霊使いだな、と思いながら、リィルも水の精霊を放った。
そのとき、風の精霊が二人の目の前で急に軌道を変えた。
「え?!」
リィルの放った水の精霊は、敵の放った風の精霊にぶつからずにあらぬ方向に飛んでいった。もちろん、敵には届かない。軌道を変えた風の精霊は大きく弧を描いて、ほとんど真後ろからリィルに襲いかかってきた。
(ヤバいっ)
まともに食らうのだけは避けようとリィルは地面を蹴って大きく跳んだ。上手く着地できずにリィルは片膝をつき、右手で地面を支えて辛うじて倒れるのだけは免れる。右足首に斬られたような痛みが走る。視界に赤い色が映る。
「リィル!」
バートの叫び声。リィルの神経は、敵の放った「二撃目」の気配を間近に感じていた。風の精霊が巨大な刃となってリィルに襲いかかってくる。それを感じながら、リィルはどうすることもできなかった。
(4)
「リィル!」
バートは振り返って叫んだ。敵の一撃目で足を負傷したリィルに、敵の二撃目が容赦なく襲いかかった。リィルは風の刃をまともに食らい、地面に倒れた。
「バート、行って!」
倒れたまま顔を上げずにリィルが叫んだ。その声には苦痛の色が含まれている。バートは一瞬躊躇したが、今すぐこの状況でリィルを救うことはできない。それより敵の動きを止めることのほうが先だ。敵との距離はまだだいぶあったが、バートは意を決して敵に向けて駆け出した。
敵は迫り来るバートに向けて風の精霊を放ってきた。バートは風の軌道を良く見て、ギリギリまで引き付けてから素早くかわした。さすがに完全にかわすことはできず、右頬と右腕に痛みが走る。切れた右頬から血が流れ出るのを感じながら、バートは速度をゆるめずにローブ姿の精霊使いに突っ込んだ。
「であああ!」
バートは振りかぶった剣を振り下ろした。ローブ姿の精霊使いはひらりと乗用陸鳥から飛び降りた。罪の無いヴェクタを傷つけそうになってバートは慌てて剣を止めた。
「あの六人を簡単にやってしまうとは、なかなかやるな……とでも言っておくか」
低い男の声がバートの耳に届いた。バートは、きっ、とローブ姿の男――やはりフードを目深に被っている所為で顔は良く見えなかった――を睨みつけた。
「てめーが黒幕だな! ふざけんなよてめー! ピアン王女を攫ってキグリスの国宝を手に入れようなんてくだらねえこと企みやがって! おまけに俺の友人やりやがって……!」
くくっ、と男は低い笑い声を漏らした。
「確かに、くだらないな」
「そう思うなら、二度とこんなことしねーって誓え! でも謝ったところで許さねーけどなっ!」
バートはリィルが倒れたことに対してかなり動揺していたらしく、自分でもわけのわからないことを叫びながら男に斬りかかっていった。
「なかなか、良い腕だ」
男はバートの剣をかわしながら言った。
「だが、」
バートは耳元で風の音を聞いた――次の瞬間、
「?!」
バートは何が起こったのか理解できないまま、なす術もなく地面に倒れていた。全身を切り裂かれるような痛みが襲いかかってくる。バートは唇を噛んで叫び声と苦痛を堪えた。
「恨むなら、自分の無力を恨むんだな」
頭上から男の声が降ってきた。
(今の……精霊……?)
精霊攻撃には、召喚してから放つまでに多少の時間がかかるはずだった。それをこの目の前の男は、バートの剣をかわした後の一瞬でやってのけ、強力な精霊攻撃を至近からバートに食らわせたのだ。
「てめ……」
バートは頭を持ち上げて男を睨みつけようとしたが……できなかった。バートの意思とは裏腹に、バートの意識はゆっくりと薄れていった……。
*
リィルが地面に倒れたのを見て、キリアとサラに緊張が走った。
「だから慎重にって言ったのに……っ!」
キリアは悔しそうに呟くと、リィルを救うべく乗用陸鳥から飛び降りて駆け出した。あたしも、と叫んでサラも駆け出した。
キリアは体力にはあまり自信がなかった。当然、走るのはサラのほうが速く、サラはキリアより先にリィルのもとに辿り着いた。サラは膝をついて座り込むと、リィルの怪我の具合を確認した。うつ伏せに倒れているリィルの背中が服ごと切り裂かれ、出血で真っ赤に染まっている。他に右足首からも血が流れ出ていた。サラは大地の精霊を召喚すると、精霊の力で怪我の治癒を開始した。精霊の力は上手く使えば、人間の持つ自然治癒力に働きかけ、比較的短時間で傷を癒すことができる。精霊の力をそういう風に使えるかどうかは、かなりの個人差があった。例えばバートやリィルは精霊治癒を使うことができない。リィルは昔、精霊治癒を会得しようとかなり努力していたようだったが、今ではできないものはできないと諦めているらしい。
「バートっ!」
サラの後ろでキリアが叫んだ。サラははっとして、顔を上げて前方を見た。バートが苦痛に顔を歪めて地面に倒れるところだった。バートは倒れたまま、必死で動こうとしているようだったが、受けたダメージが大きく動けないようだった。
「サラはそのままリィルのことお願い。バートは私が。私も治癒は使えるから」
キリアはサラにそう声をかけてサラのそばを通り過ぎて行った。サラはうなずいて、リィルの怪我を癒すことに意識を集中させた。
「失礼しますっ」
突然、サラの至近で明るい少年の声が聞こえた。はっとしてそちらを見やると、オレンジ色のバンダナを結び、鎧を身につけた少年がサラのすぐ後ろに迫っていた。全く気付かなかった。彼はバートたちにやられて地面に倒れていたはずでは――。
少年は手にしていた布で背後からサラの鼻と口をふさいだ。今朝、小屋の中で感じた刺激臭。サラは息を止めて少年を振り払おうとしたが、だんだん気分が悪くなってきて……
*
「リーダー、任務完了ですっ」
バンダナの少年剣士は、意識を失ってぐったりとなったサラを軽々と抱えて漆黒のローブの男の元へと駆けた。
「サラ!」
キリアは叫んだ。キリアがバートのそばに辿り着くよりも速く、少年はローブの男の元に辿り着いている。
「よくやった」
ローブ姿の男は満足そうにうなずいた。
「じゃあっ、早速ずらかりましょう!」
少年はサラを抱えて乗用陸鳥に乗り込んだ。ローブ姿の男も続く。
「ちょっと!」
キリアは必死で叫んだ。ここでサラが連れ去られてしまったら、今までの自分たちは一体、何だったのか。無駄だと頭の片隅でわかりながらもキリアは風の精霊を召喚した。
男はキリアに構わず乗用陸鳥を走らせようとしている。バンダナの少年が笑顔でキリアに向けて手を振ってきた。
「それでは、僕たちはこれで。倒れてるお兄さんたちにお大事にって伝えておいて下さい、キリアさん」
「!」
自分の名前を呼ばれてキリアは一瞬はっとなった。気を取り直して、乗用陸鳥に向けて風の精霊を放つ。ローブ姿の男がゆっくりと片手を掲げた。キリアの放った精霊は、男の放った精霊によって相殺され、消滅した。
「なんで私の名前……」
キリアは呆然と呟く。キリアの名前を呼んでしまったことは少年の失態だったらしく、少年はローブ姿の男に無言でどつかれていた。
いや、今となってはそんなことはどうでも良かった。キリアの目の前で、ピアン王女サラが連れ去られようとしている。キリアの目の前には、バートとリィルが血を流して倒れている。キリアひとりでサラを追いかけることもできるが――やはり、傷を負ったバートとリィルを見捨てて行くことはできない。
「追いかけよう」
キリアの後方から声が聞こえた。振り返るとリィルが怪我した足をかばいながら、ゆっくりと歩いてキリアに近付いてくるところだった。
「リィル……起きて大丈夫なの」
「あんま大丈夫じゃないけど、サラのおかげで出血は止まったみたいだし……怪我したのは俺の失態だし」
リィルはちょっと悔しそうに言った。その顔からは血の気が引いていて、血は止まったものの貧血状態でだいぶ辛いのだろう。
「サラを奪われるのは、やっぱりものすごくまずいよ……。多少無理することになるけど、一刻も早く、追いかけないと」
「そうだけど……」
「バートはけっこう体力あるから大丈夫。簡単には死なないって」
リィルはバートを見て言った。
「キリア、悪いけど急いで俺たちの乗用陸鳥を連れてきて。バートはサラを追いかけながら治癒すれば良いと思う。ヴェクタの運転は俺がするから」
「わかった……でも無理はしないでね」
キリアはそう言うと、後方に停めたままのヴェクタ目指して駆け出した。リィルはバートのそばに座り込んで、応急手当に取りかかった。
(5)
リィルが手綱を握り、三人を乗せた乗用陸鳥はサラを連れ去った男たちを追って北を目指していた。キリアはぐったりとなっているバートに精霊治癒を施していた。バートの服は全身がずたずたに切り裂かれ、血の赤に染まっていた。リィルの応急処置も適切だったらしく、バートの傷はキリアの力によってわりとすぐに塞がった。
「う……」
バートは小さく呻くと、ゆっくりと目を開けた。
「気がついた? 大丈夫?」
「キリア……?」
バートはキリアを見て、ゆっくりとあたりを見回した。揺れながら後方に流れていく草原の緑色の景色。
「これって……どういう状況なんだ……?」
そこまで言って、バートははっとしたように身を硬くした。
「……まさか」
「うん。そのまさか……だったり」
キリアが自嘲気味に呟いた。
「サラが……まんまと連れ去られたって、わけだな」
「ごめんっ!」
キリアは両手を合わせて頭を下げた。
「私がついていながら……油断してた。本っ当にごめん! いくら謝ったって……もう遅いけど……」
「ううん、キリアは悪くない」
乗用陸鳥を操る手綱を握りしめ、前方をじっと見据えたままリィルがきっぱりと言った。
「俺の所為だ。俺が怪我して、それを治癒してた所為でサラは連れ去られたんだ……」
「それを言うなら俺だろ」バートも言う。
「俺がちゃんと敵の親玉仕留められなかったから……!」
「やめましょ、こんな会話」キリアは言って、リィルを見た。
「リィル、手空いたから運転代わるわよ。ゆっくり休んでてちょうだい」
「……悪いね」
リィルはキリアに手綱を渡し、場所を代わった。
「もう、追いつけない……かな?」
リィルはぽつりと呟いた。リィルはバートの怪我に響かないように気を使いながらもかなりの速度で乗用陸鳥を走らせていた、つもりだった。しかしサラを攫った男たちを乗せたヴェクタとの距離は、縮まるどころか逆に離れていった。少し前まで前方に小さく見えていたヴェクタは、もうどこにも見えなくなってしまっている。
「どうしよう……」
キリアは乗用陸鳥を走らせながら、バートとリィルに問いかけた。リィルは懐から一枚の紙切れを取り出した。『ピアンの王女は我々が預かっている』と書かれた、脅迫状だった。これからどうするか。その議論は、キリアが攫われたときに、バートとリィルとサラで話し合って結論を出していた。
「やっぱりキグリス首都に向かう――で、良いよね、バート」
「ああ」バートはうなずいた。
「そうね……。サラの安全第一ね」キリアもうなずいた。
「それにしても……あの子、」
キリアは独り言のように呟いた。
「どうして私の名前、知っていたのかしら」
「あの子って?」バートは聞き返す。
「オレンジ色のバンダナしてた少年剣士君」
「キリアの知り合い?」
リィルが尋ねてくる。キリアは首を振った。
「ううん。知らない……と思う、けど、」
そこまで言ったとき、キリアの脳裏にある仮説が浮かび上がった。
「まさか……」キリアは口元に片手を当てて呟く。
「キリア?」
「だから……、私をみんなのところに返してくれたの……?」
「あ……」リィルにも何かがひらめいたようだった。
「キリアに顔が割れると、まずいから……?」
キリアは黙ったまま、リィルとバートを襲った風の精霊使いの姿を思い浮かべていた。漆黒のローブ。遠くからだったので顔は良く見えなかったけれど。あんな強力な風使い、キグリス王国にそう何人もいない……。
「まさか……でも、どうして……?」
キリアはぶつぶつと呟き続ける。
「キリア、もしかして、心当たりでもあるのか?」
バートの問いには答えられなかった。もしキリアの仮説が正しかったとしたら……何故『彼』は、ピアン王女を攫って、キグリスの国宝を手に入れようなんて企んでいるのだろう……?
(――伯父さま)
*
岩肌にはめ込まれた金属製の古びた扉を開けて、三人は「通路」を進む。バートが扉を開けて、バートを先頭に、サラとキリアが続く。リィルは何故か「外で待ってる」と言って、ついて来なかった。「俺だと多分ダメなんだ」とか何とか言って。
サラはドキドキしながら通路を進んだ。昔から憧れていた「四大精霊の伝説」。伝説によると、二千年前に大陸を救ったのは、大精霊の力を貸し与えられた四人の勇者たちで、四人の間には色々とロマンティックなロマンスなんかもあったりした、らしい。サラは小さい頃から、絵本から小説まで様々なパターンの「四大精霊の伝説」を読み、二千年前の冒険譚に思いを馳せてきた。
そして、その伝説の「大精霊」に、もしかしたらこの通路の奥で会えてしまうかもしれないのである。今まさに、伝説に一歩一歩、近付いているところなのだ。
(そういえば、あたし達も「四人」よね)
改めてサラは思った。サラは春生まれで「土」、バートは「火」。キリアは「風」でリィルは「水」である。
(あたし達、ちょっと『伝説の四人の勇者たち』に似てるんじゃないかしら)
と、サラは思ってみる。
(バートはきっと伝説の炎の勇者様の末裔か何かで……。だから伝説の扉を開けられたのよ)
通路の中はすごい熱気だった。歩いていると汗が噴き出してくる。やがて、最奥の行き止まりにたどり着いた。金属製の古びた扉がはめ込まれている。
バートが手を伸ばして扉を開ける。途端に通路がまぶしい光に照らし出された。扉の向こうは明るかった。
「お目覚めのようだな」
男の声がして、サラははっと我に返った。長い髪をした、見知らぬ男が視界に入った。男はフードを外していた。暗い緑色の長い髪。鋭い眼光。
ここは「通路」ではなかった。どこかの小屋の中のようだった。「道の駅」に似てるなとサラは思った。
(あら……? じゃあ、さっきの伝説の扉とかは……夢?)
なかなかリアルな夢だった。数日前の体験そのままだった。
「せっかく良い夢見てたのに……」
サラは残念そうに呟いた。
「…………。それは悪かったな、ピアン王女」
「貴方は……」
そこまで言って、サラははっと思い出した。血塗れのリィル、倒れたバート、そして、オレンジ色のバンダナの少年。
サラは立ち上がろうとしたが、できなかった。サラの身体はロープで椅子に縛り付けられていた。その椅子は部屋の片隅に立つ柱にしっかりと固定されていた。
「怯えなくても大丈夫ですよ」
明るい少年の声が聞こえた。そちらを見やると、サラに眠り薬をかがせて気を失わせた張本人が、にこにこと笑みを浮かべてサラを見つめていた。
「僕たちは貴女にこれ以上危害を加えるつもりはありません。ですから、安心してそこで大人しく待っていて下さい。きっと誰かが……僕たちの要求している『英知の指輪』を持って、助けに来てくれますから」
「バート……」
サラは呟いた。
「リィルちゃん……キリア……」
「王女のお仲間さんたちの名前ですか?」
少年が尋ねてくる。サラはうなずいた。
「彼らにはちょっと痛い目に遭わせてしまいましたけれど、心配しなくても大丈夫ですよ。あの場に残ってたお姉さん――キリアさんは、精霊治癒が使えるんでしょう?」
「……おい、」
長髪の男が少年を軽く小突いた。余計なことは喋るな、と呟いて、きっ、と少年を睨む。
「……っと。こわいこわい……」
少年は呟いて、自らの口にチャックをする仕草をした。そして失礼します、と頭を下げ、二、三歩下がった。
サラは唇を噛みしめた。自分はバートたちの枷になってる――。自分の所為で、キリアを危険な目に遭わせたばかりでなく、バートとリィルに怪我を負わせてしまった。全部、自分の所為だ。自分がピアン王女だから……!
(そんなこと考えちゃあダメよ、サラ)
そう言ってふわりと微笑むのは、サラの母だった。サラの母はいつも言っていた。
(ピアンの王女なんて、なりたくてもなれるもんじゃあないのよ。ピアンの王女であることに、誇りを持って。そして、ピアンの王女として、みんなを幸せにすることを考えなさい。あなたの父――カシスはね、その力で、ピアンのみんなのこと、守っているのよ。だから、貴女も、その力で……)
サラは両の拳を握りしめた。そうだった。自分が大地の精霊を使いこなせるようになったのは。ピアン王直伝の体術を身につけることができたのは。
サラは自分を椅子に縛り付けているロープを確認した。ロープはピアン王女に多少遠慮している所為か、そんなにきつくはなかった。
(このくらいなら――切れるわ)
サラはそう確信した。
(6)
昼をだいぶ回り、太陽がだいぶ高度を下げた頃。乗用陸鳥に乗って北を目指すバート、リィル、キリアの三人は、遠方に小さな小屋を見ていた。
「あれが、もしかして」
リィルはバートとキリアに声をかけた。
「そうね……、取引場所に指定された『道の駅』ね」
とキリアが言う。
「じゃあ、あそこにサラが……!」
バートはすぐにでも小屋に特攻をしかけたい気持ちになったが、
「今は堪えてね、バート」
そんな気持ちを察してか、キリアが落ち着いた声で言った。
「サラはピアン王女――大事な取引の材料なんだから、何もされないはずよ」
私だったらどうされてたかわかんないけどね――と、キリアはそっと思った。今回は無事に返してもらえたものの、普通、王女と間違えて連れてきてしまった女性を、本物の悪党だったら何もせずに手放したりするのだろうか……。今回の「悪党」たちがキリアの知り合い(と、キリアは推測していた)でなかったとしたら……キリアは最悪、その場で始末されていてもおかしくはなかったのだ。そう考えて、キリアはちょっとぞっとしてしまった。
キリアは道の駅の小屋を横目で眺めながら、そのままそこを通り過ぎてキグリス首都を目指す、つもりだった。しかし、キリアは「あれ?」と呟いて、乗用陸鳥の速度をゆるめてしまっていた。
「どうしたんだ、キリア?」バートが尋ねてくる。
「あのヴェクタ……」
小屋から少し離れたところに立っている大きな木。その根元に、派手な飾りつけのされた立派なヴェクタが繋がれているのが目に留まったのだ。あれは確か、キグリス王族しか乗ることを許されない……
キリアたちがその乗用陸鳥をじっと見守る中、そこから一人の少年が地面に降り立った。茶金色の髪。高価な生地で作られた服に、赤く輝くマント。腰に差しているのは宝石のちりばめられた長剣。
「ちょっとなんで……」
キリアは我が目を疑いつつ、呆然と呟いた。
「なんでこんなところにいるの……? ロレーヌ王子……」
*
乗用陸鳥の背で一人、豪華な宮廷弁当を食べ終わったキグリスの王子・ロレーヌは、
「よし!」
と気合を入れて、ヴェクタの上から地面に下り立った。
晴れ渡った午後。悪者によって捕らわれ、監禁される姫。そこに颯爽と現れ、悪者の魔の手から姫君を救い出す、異国の王子。
「このウェディング・リングを手渡す絶好のシチュエーションだね」
王子は胸ポケットから、小さな宝石のついた指輪を取り出して太陽にかざした。その宝石は陽の光を受けて、虹色の輝きを放った。
王子は満足そうに微笑むと、指輪を胸のポケットにしまい、足取りも軽く、ピアンの王女と「悪者」の待つ小屋へ向かって歩いていた。
「……っと、突入前に」
王子は立ち止まり、腰に差した剣を抜き放つ。その剣を天高く掲げ、
「もう一度だけ、リハーサルしとこっかな」
小屋の中にいる姫に聞こえないように、口だけ動かして名乗りを上げる真似をする。
(やあやあ我こそは、キグリス王国第一王子、ロレーヌ=ド=ラ=キグリス……!)
「何やってんですか、王子……」
「うわあっ」
突然背後から声をかけられて、ロレーヌはびくうっとなって振り返った。
*
「み、み、見たなーーーっ!」
「あ、え、えっと、いきなりすみません……」
王子に声をかけた途端、真っ赤になってわめかれて、キリアは慌てて頭を下げた。
「だ、だいたいなんだ、君たち! 乗用陸鳥の上から! し、し、失礼じゃないか!」
「あ、ゴメンなさいっ」
キリアは急いで、ヴェクタから飛び降りた。
「ちょっとびっくりしちゃって……。まさか王子がこんなところにいるなんて」
「それにいきなり剣を抜くものですから。何事かと思っちゃいました」
リィルもヴェクタから飛び降りながら、王子に頭を下げた。
「ええと、初めまして。リィルといいます。ピアンのサウスポート出身です。――あ、『でした』かな。今サウスポート無くなっちゃいましたし」
「……別にそこまで言う必要ねーだろ」
「ほらっバートも降りて挨拶しろよ」
リィルはバートを振り返った。
「そうよ、この方、一応王子様なんだから」
「キリア、一応って……」
バートは面倒くさそうにヴェクタから降り立った。
「あー、俺はバートってんだけど、」
「ピアンの将軍の息子さんなの。よろしくね」キリアが続ける。
「……で、王子」
キリアは王子をじっと見つめて言った。
「ここからが本題なんだけど」
「なっ、何さ!」
「今ちょっと大変なことになってるの。ええと……、言っちゃって良いわよね。ピアン王女サラのことは知ってる?」
「え、え? さ、サラちゃんのこと? さ、さあ……」
「……は?」
「じゃなくて、ええと、僕のお嫁さんになるコのこと?」
「……ええと」キリアは言葉に詰まった。
「そ、それ以外のことは何も、知らないよ!」
「……怪しい」
リィルがボソリと呟く。
「ああ」
バートも大きくうなずく。
「……何か知ってるわね?」
キリアは王子を見つめる。三人に詰め寄られ、王子は困惑したように後ずさった。
「王子……?」
「う、う、うるさいーー!」
何故か大パニック状態の王子は、キリアたちにくるりと背を向けて、
「と、とにかく! サラちゃんを助け出すのは、このボクだーーー!」
大声で叫ぶと、ひとり、小屋に向かって駆け出していってしまった。
「?!?」
残されたキリアたちは、呆然と、その後姿を見送る。
「え? 今なんて?」
「サラを助け出すって……?」
「ちょっと待って! どういうことなの、王子……!」
キリアも王子を追って、駆け出した。
*
小屋の外が微妙に騒がしい……。バンダナの少年が、はっと小屋の扉の方を見やった。
「そろそろ来ました……かね」
「……やり直しだ」
ローブ姿の長髪男は、何故か不機嫌にそう言い捨てた。
「リーダーっ、誰か来たみたいです!」
しゃきっと背筋を伸ばしてバンダナの少年が叫んだ。長髪の男は小屋の扉のほうを見やった。
二人の注意が、サラから小屋の外に向けられた。小屋の外からは、確かに複数の男女が言い合うような声が聞こえてくる。その中には、聞いたことのある声が混じっていた。サラが良く知っている、一緒に旅してきた仲間たちの声。
(みんな……? 来て、くれたの?)
もう、彼らの重荷には、なりたくない。サラは目を閉じて意識を集中させた。
(大地の精霊よ……。あたしに力を貸して!)
「はああっ!」
サラは気合の声と共に、両腕に力を込めた。サラを拘束していたロープがバラバラに千切れて弾け飛んだ。
「なに……っ」
「王女っ……?」
長髪男とバンダナの少年が驚きの声を上げてサラのほうを振り返ったときには、サラは一気に長髪男との距離を詰めていた。右の拳には、未だ大地の精霊の感触が残っている。
手加減は、しない。
「やああっ!」
サラは大地の精霊で破壊力が増した拳を、遠慮なくローブ男の鳩尾に叩き込んだ。
*
「と、とにかく! サラちゃんを助け出すのは、このボクだーーー!」
大声で叫んで、ひとり、小屋に向かって駆け出すキグリスの王子・ロレーヌ。残されたキリアたちは、呆然とその後姿を見送る。
「ちょっと待って! どういうことなの、王子……!」
はっと我に返ったキリアも、王子を追って駆け出した。
王子は小屋に辿り着き、扉を開けようと手をかけた。――と、そのとき、突然扉が内側から勢い良く開け放たれた。
「え? う、うあ?!」
扉を思いきり顔面で受け、王子は派手に仰向けに倒れる。中から出てきたのは、見慣れた、金髪の少女だった。
「みんな! 無事だったのね!」
明るく叫ぶサラは、足元に転がっている王子に、気付いていなかった。