炎 の 扉 I
(1)
四人は二匹の乗用陸鳥に乗って山道を進んだ。上り坂なので、速度はさすがに平地を進むときと比べてがくっと落ちている。一応、ヴェクタでも歩きやすい『道』にはなっているのだが、道の状況や傾斜次第では、四人はヴェクタから降りてヴェクタを歩かせながら進まなくてはならなかった。
天気は良く、時々通り過ぎる風の流れは気持ちが良い。時々木々が開けて見晴らしの良いところに出る。眼下には、今まで通ってきた街道や森や草原が広がっていた。
バートは元気で、いつもより良く喋っていた。リィルたちもそれに合わせて良く喋った。四人は朝の出来事など何もなかったかのように振る舞った。
「ここだわ」
太陽の位置からすると、昼を少し回った頃だろうか。マップを眺めていたサラがそう言って乗用陸鳥を止めた。普通に進んでいたら見逃すところだったが、そこは分かれ道になっていた。良く見ると朽ちかけた木でできた方向板が周囲の木々に溶け込むように立っていた。
分かれ道の一方は今までどおりの山道で、ピラキア山頂、キグリス方面に続いている。もう一方は細くて狭くて進み辛そうな、ほとんど獣道だった。
「一応書いてあるわね。『大精霊”炎”の眠る地』こちら……だって」
キリアが方向板に彫られていた文字を読み上げた。
四人は細い道のほうに乗用陸鳥を進め――、やがて、『大精霊”炎”の眠る地』に辿り着いた。木製の小さな看板にそう書いてあった。四人の目の前には、切り立った高い崖があった。その崖の岩肌に、金属製の古びた『扉』がはめ込まれていた。扉には凝った芸術的な文様が刻まれており、バートには読めない文字も彫られていた。
「これが……!」
と言って、サラは絶句した。その表情は感動のあまり言葉も出ない、といったふうだった。
「へええー。これは……確かにちょっとしたもんだね」
リィルも感動の声を上げた。
「ただの金属製の扉じゃんか。そんなに面白いか?」
バートは首を傾げる。
「何言ってるの! バートは何も感じないの? 古代のロマンとか……精霊たちの息吹とか……」
うっとりとサラは言う。
「うーん……」
バートは腕組みをして考え込んだ。
キリアは扉に彫られている文字が気になるらしく、熱心に目で追っていた。ついには鞄から本のようなものを取り出して扉の文字と見比べ始めた。
「キリア、読めるの?」サラが尋ねる。
「残念ながら」キリアは首を振った。
「『古代語』に似てるなと思ったんだけど、違うみたい」
「古代語なら読めるんだ?」とリィル。
「まあね」
キリアは言って、本を閉じて鞄にしまった。
サラは金属製の扉に手を伸ばし、ぺたぺたと触っていた。扉には金属製の取っ手が取り付けられている。サラはそれを掴んで、思い切り手前に引っ張った。扉はびくとも動かない。今度は思い切り押してみる。
「やっぱり開かないわね……」
サラは残念そうに言った。
「まあ、『誰にも開けられない』って言われてる扉だからね」とリィル。
「でも、気はすんだか?」バートはサラに尋ねた。
「ええ」サラは笑顔でうなずいた。
「ありがとうみんな。こんなところまでつき合わせちゃってごめんなさい」
「ううん」リィルは首を振った。
「来て良かったって、俺は思ってる。良いものが見れたよ」
「同じく」キリアも満足そうに言った。
バートは手を伸ばして扉に触れてみた。ひんやりとした金属の感触。
「……?」
少し、扉が動いた気がした。なんだか普通の家や部屋の扉に触れているような感じがした。
(本当に誰にも開けられねーのか? これ)
バートは取っ手を握って手前に引いてみた。
扉はあっさりと開いた。
*
「…………」
バートとリィルとサラとキリアは呆然と開いてしまった扉を見つめていた。
「バート……」
リィルがおそるおそるといった感じで口を開いた。
「何、やったんだ……?」
「いや……普通に手前に引っ張っただけだけど……」
サラがバートと同じように扉の取っ手を握って扉を動かそうとしてみるが、扉は動かない。リィルとキリアも同じようにやってみた。やはり、扉は動かない。
「バート……すごいっ!」
サラが顔を輝かせながら叫んだ。
「これって……これって。伝説? 運命? 選ばれた勇者とか?」
「知るかっ、そんなん」
バートは言い切ったが、開いてしまった扉の奥に何があるか、興味が湧いてきた。伝説の通りなら、この奥には大精霊”炎”が眠っているはずなのだ。
バートは開いた扉の奥を覗き込んだ。暗くて良く見えない。サラは乗用陸鳥にくくりつけてあったランプを取り外していた。
「もっちろん、中、入るわよね?」
「うんっ」
キリアが弾んだ声で答えた。バートも異論はなかったのでうなずいた。
「……俺、やめとく」
と言ったのはリィルだった。
「えええっ?」サラが驚きの声を上げた。
「どうして!」
「何か……ダメなんだ、俺だと……多分」
リィルの声は弱々しかった。
「どういうことなの?」とキリア。
「……みんなは、何も感じないんだろ……?」
「感じるって、何を?」とバート。
「てことは、やっぱり俺だけなんだな……入れないのは」
リィルは力なく言った。
「?」
「ごめん、俺、ここで待ってるから」
と言って、リィルは扉から離れたところにあった石に腰かけた。
「三人で見て来てよ。大精霊”炎”。で、後で感想よろしく」
「…………」
バートとサラとキリアは顔を見合わせた。
*
バートとサラとキリアは扉の中に入った。中は人ひとりぶんくらいの幅の通路になっていて、通路がずっと奥に延びていた。先頭のバートが前方をランプで照らしながら進んだ。
通路の中はすごい熱気だった。肌を直接焼かれているような、乾いた暑さだった。
「アイツ、昔っから、暑いの苦手だったからな……」
バートは呟いた。
「夏は良くばててたっけ」
「そういえばそうね……」とサラも言う。
「リィルのこと?」キリアは尋ねた。
「そうか、リィルは『水』属性だっけ。だからなのかもしれないわね……」
『水』属性の者は、『水』に強く『火』に弱い。『火』属性の者は、その逆だった。同じことが『風』と『土』にも言えた。
しばらく進むと、通路は行き止まりになっていた。さっきと同じような金属製の扉に行く手を阻まれている。バートは手を伸ばしてその扉を開けた。やはりあっさりと扉は開いた。
途端に通路がまぶしい光に照らし出された。扉の向こうは明るかった。
「うあ……」
バートは思わず声を漏らしていた。
そこは、四方を石の壁に囲まれた「部屋」だった。高い石の壁にはぎっしりと「文字」が掘り込まれている。高い天井からはまぶしい光が降り注いでいた。
そして、部屋の中央には、この世のものとは思えない、奇妙な物体が、あった。粘土で適当に作った像に、何本もの管を突き刺し、いくつもの石を埋め込んだような。それは薄赤く輝き、凄まじい熱を発していた。
「……っ」
バートの身体が寒くもないのに震えた。心が騒めいた。見てはいけないものを見てしまったような……。目を逸らしたいのに逸らせない。胸が一杯になって、息が詰まるような苦しさ――。
三人は不思議な光景を目前にして、ただただ、絶句するしかなかった。
「な……ん、なの……?」
長い長い沈黙の後、キリアがかすれた声を上げた。
「これが……大精霊”炎”……なの……?」
サラが呆然と呟く。
「……サラ。バート……」
キリアが二人の名を呼んだ。
「帰ろう……? これは……私たちが気軽に踏み込んで良い世界じゃ、無い……!」
(2)
リィルは石に腰かけ、「”炎”の扉」をぼんやりと眺めながら考え事をしていた。バートの父親――ガルディアの将と行動を共にしていたという、姉エルザのことを。バートはエルザに会ったのに、自分は会えなかった、その意味を。たまたま自分が小屋の中で眠っていたから? 姉は自分がすぐ近くにいたことを、知っていたのだろうか。知らなかったのだろうか。例えば、あのとき、バートの隣に俺がいたら? ……意味なんてないのかもしれない。考えすぎなのかもしれない……
そもそもクラヴィスさんは何故、バートがあそこにいたとわかったのだろう。尾けてきていた? それにしては、早朝に――。
ふいに扉の向こうから三人が現れた。三人とも――バートも、サラも、キリアも何故か浮かない顔をしていた。バートが扉を元通りに閉めた。
「待たせたな、リィル」
と言って、バートが歩み寄ってきた。
「お帰り。大精霊”炎”には会えた?」
「……うーん」バートは口ごもった。
「アレ、一体何だったんだろうな?」
バートは振り返ってキリアとサラに声をかけた。
「さあ……」
と言って、キリアは首を傾げる。
「アレが大精霊”炎”……なのか?」
「だとしたら……想像してたのとだいぶ違ったわ……」
サラが言った。リィルはサラの「想像」にちょっと興味があったが、敢えて突っ込まないことにした。
「ええと。中で一体、何が?」
リィルは聞いてみる。
「何とも言えないわね……」とキリア。
「ああ、もう、良くわかんない。いっそのこと見なかったことにしておきたいくらい」
「??」
なんか、この三人からこれ以上詳しいことを聞き出すのは難しそうだ――と、リィルは諦めた。三人は扉の奥で一体何を見たのだろう。
*
「さて、と」
何かを吹っ切るようにバートは言った。
「大精霊”炎”も見たし……なんか名残惜しいような気もすっけど、そろそろ帰るか」
「そうだね」
リィルはうなずいて、立ち上がった。
「そういえばここってほとんどキグリスとの国境だけど……キリアはどっち側に下りる?」
「そうか。キリアとはここらでお別れだな」
「ちょっと勝手に決め付けないでよっ」
反射的にキリアはバートに言い返してしまったが、自分がかなり微妙な立場に立たされていることに気が付いた。勢いでここまで来てしまったものの、自分は元々、ピアン王女とキグリス王子を結婚させるためにピアンに来たのだった。あまり乗り気ではなかったのだが、命のため、仕方なく。そして逃げ出した王女を捕まえたとき、婚姻を拒む王女に同調してしまった。今更サラにキグリス王子との結婚を強要することなどできない――。
「……やっぱり、キグリスに帰るしか、ないかな……」
キリアはぽつりと呟いた。
「サラは、キグリスに行ってうちの王子と結婚する気なんて、ないでしょ……?」
「…………」
「うん、止めといたほうが良いと思う。結婚は一生のことだしね。私、大人しくおじいちゃんとキグリス王に怒られてくることにする」
「キリア……」
「そもそもうちの出した条件が無茶だったのよ。まったくピアン王女の気持ちも考えないで、これだから幹部の考えることは――。だからサラは悪くない。そんな顔……しないで」
キリアはサラに微笑みかけた。
「短い間だったけど、一緒に旅できて楽しかった。本当にありがとう。私今までこういう……旅、したことなかったから……本当に楽しかった。大精霊”炎”も見れちゃったし、もう言うことないって感じ」
「…………」
「乗用陸鳥……一匹、貰ってって良いわよね? そっちは残りの一匹に三人乗りで帰れるわよね?」
「それはちょっと図々しいんじゃないか」
とバートが言ってきた。彼のことだから、多分、悪気はないのだろう。
「図々しいとは何よ! 良いじゃない。この乗用陸鳥、元々私がキグリスから乗ってきたヴェクタなんだからっ」
今ここにいる二匹の乗用陸鳥は、正確にはリンツで「乗り換えた」ヴェクタだった。リンツの町の南側の入口にヴェクタを停め、北側の出口から別のヴェクタに乗って来たのだった。ピアンにもキグリスにも、このような「乗用陸鳥乗り換え制度」がある。ヴェクタを町中に停めたことが証明できれば、別のヴェクタに乗り換えて町を出ることが可能になるのだ。
「確かキグリス側って、山下りるとすぐに村があるんだったよね。キリアだけ徒歩で下山して、村でまた別の乗用陸鳥を手配して帰れば良いのでは?」
「……リィルまでそういう酷いこと言うのね」
こいつらとこういう会話をすることも、もうできなくなっちゃうのか――。キリアはなんだか無性に寂しくなってきた。
「冗談だって」リィルは笑った。
「キグリス側の麓の村……何ていうんだっけ。そこまで乗用陸鳥で送っていくよ」
「ええー。それはさすがに悪いわよ」
慌ててキリアは手を左右に振った。
「……ねえ、キリア」
今まで黙り込んでいたサラが口を開いた。
「ん? 何、サラ」
「あたしも……キグリスに行って、良いかしら?」
「え」
キリアはびっくりしてサラを見つめた。
「あたし、キグリス首都に行こうと思うの。停戦同盟の使者として」
「えええっ!」
キリアは思わず大声を上げた。バートもリィルもサラの突然の発言に驚いていた。
「あたし、色々考えたんだけど……」と、サラは言う。
「キグリス首都に行って、王宮に行って、キグリス王と王子に会おうと思うの。そしてちゃんと話をしたいの。ピアンとキグリスの、これからのことについて」
「サラ……」
キリアはサラに尋ねた。
「まさか、政略結婚に応じるって意味じゃ、ないわよね……?」
「もちろんよ」と、サラは微笑んだ。
「あたしは若いし、まだまだこれからだし、だから結婚はまだしません、って言うつもり」
「そっかあ……」
それは良いことかも、とキリアは思った。ここはもう国境だ。ピアン首都に帰る時間があればキグリス首都に行ける。そして、サラの説得がキグリス王と王子に通じれば、お互いに良い関係を保ったまま、サラに政略結婚を強いることなく、ピアンとキグリスの停戦同盟が成立する。
「そういうことなら。良いわよ、サラ。キグリス首都まで連れてってあげる」
「ありがとうキリア!」サラが喜んだ。
「……良いのかなー、王女の独断で」
リィルが独り言のように呟いた。
「大丈夫よ」サラは自信有りげに言い切った。
「お父さまはキグリスとの停戦同盟には乗り気だったもの。一番大切なのは、そこだと思うから」
「そっか」とリィルは言った。
「じゃあ、俺たちもキグリス首都まで付き合うよ。王女の護衛ってことで」
「本当っ?」
サラが顔を輝かせた。
「バートも?」
「ああ、良いぜ」
やけにあっさりとバートもうなずいた。
「どーせピアン首都に帰ったって、口うるせー母親に店の手伝いやらされるだけだからな」
「じゃあ、決まりね! 四人でキグリス首都に行くってことで」
サラが声を弾ませた。キリアはうなずいた。もうしばらくこの四人で旅を続けられるということが、じんわりと嬉しかった。