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四精霊の伝説  作者: 沢崎 果菜
第4部 背中合わせの幻想
24/26

c h a o s II ( 上 )

(1)


 雲ひとつない青い空。真上から照りつける黄金色の太陽。どこまでも広がる荒野の色は、錆び付いたような赤色だった。

「ここ、どこだ……?」

 バートはつぶやいた。

 生暖かい風が吹き抜けた。目の前に立つ男の長い黒髪と赤いマントと軍服の裾を揺らす。男は腰に剣を挿していた。先日までバートが振るっていた、大精霊”ホノオ”の力を宿していた剣。

「やっぱり、来てくれた」

 黒髪の男は言った。まぎれもないバートの父親、クラリスの姿で。

「俺は、”ケイオス”に来たつもりだったんだけどな」

 バートは言った。

「ここは、”ケイオス”」

 クラリスは言う。

「この光景は、俺の記憶。歓迎する、バート」

「もしかして……、『異世界』?」

 キリアはつぶやいた。

「『異世界』?」

 クラリスはキリアを見た。

「こんな赤い色の大地、こんな角度の太陽。ここは、パファック大陸じゃない。あなたの記憶、かつてあなたが住んでいた『異世界』の光景、そういうことですか、クラリスさん?」

「君も、来たのか」

 クラリスはキリアを見て言った。キリアは大きくうなずいた。

「あなたは、」

 キリアはクラリスの姿に問いかけた。

「ケイオスのコア、なのですね?」

「そうだ」

 クラリスは答えた。

「この大陸を呑み込もうとしているケイオスの意思は、あなたの意思、なのですね?」

「そうだ。そして、俺は、全てを手に入れる」

「やっぱり、そう言うのか」

 バートはため息をついた。

「悪いな。俺たちは、それを阻止するために来たんだ」

 バートは腰の剣を抜き放った。リィルの母ルトレインから託された細身の剣。この剣がどこまで『クラリス』に通用するのかは、やってみなければわからないが……

「とにかく、やってみるしかねえってことだ」

「……バートと戦うのは、俺の望みじゃ、ない」

 と、クラリスは言う。

「でも、このまま放っといたら、あんたはリンツを、やがては大陸全土を呑み込むんだろ?」

「そう。それが俺の望み」

「だったら、俺の望みは……!」

 バートは大地を蹴って一気に間合いを詰めた。渾身の力を込めて剣を振り下ろす。クラリスも腰の剣を抜き放ってバートの一撃を受け止めた。金属と金属がぶつかり合う音。右腕に重い衝撃。バートはクラリスから飛び退って剣を構えて息を吐いた。

「なかなか良い一撃だ」

 クラリスは微笑んだ。

「また、腕を上げたな」

「俺は、あんたと戦いたかった」

 バートはクラリスを見据えて言った。

「ツバル洞窟では悔しい思いさせられたからな。今ここでそれを晴らす。あんたに勝つ」

「…………」

 クラリスはじっとバートを見つめ、ぽつりとつぶやいた。

「世界を手に入れるには、それに見合う強さが、必要だ」

「……え?」

「バート」

 クラリスはバートを真っ直ぐに見つめて、口を開いた。

「良いだろう。相手に、なる」


 *


 赤い大地で剣を交える父と子の戦いを、キリアは離れたところで見守っていた。もちろんバートを手助けするために自分はここに来た。しかし、今は手出しできない。風の精霊を使おうにも使える状況ではない。それに、下手に手出ししようものなら絶対にバートは本気で怒る。

「勝ってよね……、バート」

 キリアはつぶやいた。

「私の援護なんて必要としないくらい、余裕で勝ってみせてよね……」

 それにしても、”ケイオス”のコアとの戦いが、このような形で繰り広げられることになるとは。キリアにとって”ケイオス”といったら黒い砂漠、暗闇の空間で、コアといったら暗闇を照らす炎、だったのだ。ここに来るまではそう思い込んでいた。

(クラリスさんの記憶って言ってた……。コアは空間すら自由に操れるというの?)

 ここは既にクラリスのフィールドなのだ。そこに立たされている時点で、自分たちは圧倒的に不利なのかもしれない。

(バートが勝ったとして……ううん、勝ってくれなきゃ困るんだけど……)

(私たち、ちゃんと元の世界に帰れるの……?)


 *


 バートの何度目かの一撃を、クラリスは自らの剣で受け止めた。

「太刀筋は良い。しかし――」

「ああ?」

 バートは荒い息を悟られないようにクラリスを見上げた。

「その剣、ルトの剣、だろ」

「……ああ」

「ルトは、力任せに振り下ろすような戦い方を、しない」

「悪かったなあ!」バートは叫んだ。

「バートは力任せでも、良いんだ」

 クラリスはバートに向かって剣を繰り出した。バートは剣で受け止めようとする。

「!」

 嫌な音と手応え。右腕に握りしめていた剣がふっと軽くなる。続けて飛び散る赤い鮮血。左肩に痛みが走る。クラリスの剣が左肩をえぐっていた。バートの剣は折れ、剣先が地面に落ちて転がった。バートは思わず右手で左肩を抑えて片膝をついた。

「っ……」

 バートは歯を喰いしばって堪える。

「やっぱり」

 クラリスはバートを見下ろして言った。

「ルトの剣では、バートの力に、耐えられない」

「くそ……」

 バートは左肩を抑えて何とか立ち上がった。流れ落ちる血液は止まらない。

「バート、もう良い」

 クラリスは剣を鞘に収めて言った。

「バートの強さは、わかった。俺は、これ以上、バートを苦しめたくない」

「ふざけんな!」

 バートは腹の底から叫んだ。

「まだ勝負はついてない!」

「剣は折れた。それにその怪我、もう戦えないだろう」

「まだだ!」

 バートは腰の短剣を抜いて、右手で握りしめた。氷のような刃が煌めく。

「その短剣で、戦うつもりか」

「ああ」バートはうなずいた。

「短剣で戦ったことは、あるのか?」

「うるせー!」バートは叫んだ。

「バカにすんな! やってみなけりゃ、わかんねーだろーが!」

「待ってバート、無茶よ!」

 背後からキリアの叫び声が聞こえてきた。そしてキリアがこちらに駆けよって来る足音。

「キリア、来るなっ!」

「せめて怪我を治してからにしなさい!」

「――闇よ、」

 クラリスが低く呟いた。

「……え?」

 クラリスのぞっとするような嫌な声に、バートの身体が冷えた。

「もう、戦いは、良いだろう。場所を、変えよう」

「……は?」

「俺たちが、ゆっくり語り合える場所へ」

「!」

 バートの足元から一気に『闇』が吹き出てきた。

「なっ……?!」

 バートの全身は『闇』に包まれ、バートの目の前が真っ暗になった。

「バート!」

 キリアの声。バートは突き飛ばされて赤い大地に投げ出された。直感的に、今突き飛ばしたのがキリアだとわかった。バートは半身を起こして顔を上げた。黒い霧が大気にまぎれて薄まって消えていくところだった。

 そして、キリアの姿が、どこにもなかった。

「キリア?!」

 バートは叫んだ。返事はない。

「まさか、俺をかばって……」

 バートの思考が一瞬停止する。

「……てめえ!」

 バートはクラリスに向かって叫んだ。

「今のあんたか?! キリアを消したのはあんたか?!」

「どっちでも、良い」

 と、クラリスは答える。

「何が!」

「彼女が先だろうと、俺たちが先だろうと。いずれは、同じこと。とにかくこれで、二人でゆっくりと話せる」

「…………」

 バートは奥歯を噛みしめた。短剣を握る右腕が震えてくる。

「バート?」

「……武者震いだよっ!」

 バートは短剣をクラリスに向けて振り下ろした。クラリスは素早く自分の剣を抜いて受け止める。

「その短剣では、無理だ」

「うるせえ! この短剣は……」

(もし俺に何かあったら……)

 真剣なまなざしで短剣を差し出すリィルの姿が浮かぶ。

(この短剣を、俺だと思って。俺はいつでも、一緒にいるから)

 クラリスの繰り出す剣をバートは短剣で受け止めた。ものすごい衝撃に右腕が痺れる。そして――

「……っ?!」

 バートは息が詰まる思いでその光景を呆然と見るしかなかった。

 短剣の刃が粉々に砕け、きらめきながら細かな破片を周囲にふりいた。


(2)


 リンツの町外れの小さな医院。

 そこで医師として働くエンリッジは、四六時中リィルに付き添っているわけにはいかなかった。医院には火傷をした男の子だとか小動物に噛まれた男の子だとか熱を出した女の子だとか、様々な親子連れがやってくる。たまに大人もやってくる。もともと入院患者をひとり引き受けることには無理もあったのだ。それでもエンリッジはむしろすすんでリィルの身柄を引き受けた。

(人手が足りないのは、どこも同じだからな。どうせなら知り合いの俺が診てやってるほうが、バートやキリアだって安心できるだろ)

 バートとキリアが”ケイオス”に旅立った後、エンリッジは医院を開け、午前中の患者たちを診た。昼になり、エンリッジはコーヒーを片手にリィルの眠る病室の扉を開けた。

「!」

 エンリッジはコーヒーを取り落としそうになった。

 ベッドの中で眠っていたはずのリィルが、ベッドの中にいなかった。病室の床の上にうつぶせになって倒れている。

 エンリッジはカップをテーブルの上に音を立てて置くと、リィルに駆け寄って抱き起こした。リィルの身体は随分冷たくなっていた。

「おいっ」

 エンリッジはリィルを揺さぶった。

「リィル、しっかりしろ! 意識が戻ったのか?」

「……う、」

 小さく呻いて、リィルの目がゆっくりと目をひらかれ、エンリッジの姿をとらえた。

「リィル……」

 エンリッジはその目を覗き込んで、ほっと息をついた。

「良かった……目が覚めたか」

「ここは……」

 リィルは呆然とつぶやいて、ゆっくりと周囲を見回した。

「エンリッジさん、の、医院……?」

「ああ。お前、ずっと眠ってたんだ。……大丈夫か? 気分は? 立てるか?」

 リィルはうなずいて、エンリッジの手を借りてゆっくりと立ち上がった。意外にしっかりとした足つきだった。

「……みんな、は……」

 独り言のようにリィルがつぶやいた。

「……ああ、」

 エンリッジはどう答えたものかと、少しだけ迷った。

「みんなも、大丈夫だ。サラ王女は王のところにいる。バートとキリアは……」

「行ったんですね、”ケイオス”に」

 はっきりとした口調で、リィルはそう言った。

「リィル……」

 エンリッジは驚いてリィルを見た。

「……俺も、行かなくちゃ……」

 リィルが小さくつぶやく。

「え?」

 次の瞬間、もうリィルは動いていた。さっきまでベッドで眠り続けていたとは思えないくらいの俊敏な動きで、扉を開けて部屋の外へと飛び出していく。

「……っ、おい待てっ」

 リィルを捕まえようと伸ばしたエンリッジの右手は空しくくうを切った。扉は開け放たれたまま、病室にはエンリッジ一人だけが取り残された。

「…………」

 エンリッジははあ、と小さく息をついた。……ずっと眠ってた割には――いや、だからなのか、けっこう元気そうだったよな、と思いながら。


 *


 リィルは町の南側の乗用陸鳥ヴェクタ乗り場に辿り着いていた。全力疾走するのは、いや、身体を動かすこと自体、随分と久しぶりだった。自分の身体の感覚がまだ完全に戻っていなくて、リィルは乗用陸鳥ヴェクタ乗り場でぜえぜえと息を切らせていた。

「……リィル……ちゃん……?」

 自分の名を呼ぶ声がした。振り返ると、そこには声の主、金髪の少女が立っていた。

「サラ」

 リィルは少女の名を呼んだ。サラは微笑んだ。

「やっと……目が、覚めたのね……」

「おかげさまで」

 リィルも微笑んだ。

「随分長いこと眠ってたみたいで……ごめん」

「……全く、寝すぎなんだから……」

 泣き笑いのような表情でサラが言い、リィルは心が痛んだ。

「サラ……、王のところにいるって、俺は聞いたんだけど、」

「抜け出してきちゃった」

 サラはいたずらっぽく微笑んだ。

「なんで……って。……俺と同じかな、考えてること」

「ええ」

 サラはうなずいた。

 ずきん、と、今度ははっきりと自分の胸が痛んだ。

「っ」

 リィルは息を止めて胸を押さえ、顔をしかめた。――さっきも、そうだった。エンリッジの医院で意識が戻ったときに受けた、衝撃のような……

「……リィルちゃん……?」

 サラが心配そうに声をかけてくる。

「大丈夫」

 リィルは笑顔をつくって、サラに向けた。

「……でも、急がないとヤバいかもしれない」

「え……?」

「バート……、キリア……」

 リィルは南に目を向けて、つぶやいた。

「急がないと……」


 *


 バートが握りしめていた短剣は、クラリスの一撃を受けて粉々に砕け散った。バートは呆然とそれを眺めるしかなかった。

「く……そ……」

 バートはつぶやいて、それでも父親を睨みつけた。剣を失ってしまった今、バートにはもう殴りかかることくらいしかできなかった。そして、素手で父親に勝てるとは、さすがのバートも思っていなかった。

 ……完敗、だった。悔しいが、潔く認めざるを得なかった。

(ちくしょうっ……!)

「バート」

 クラリスはもう剣を収めていて、穏やかな眼差しをバートに向けていた。

「バートは、もう、十分に強くなった」

「……そんなこと言われたって」

 この状況でそんなことを言われたって、バートはちっとも嬉しくなかった。しかし自らの「負け」を認めてしまった今、バートには威勢良く言い返す気力すら残っていなかった。

(みんな……悪ぃ。情けねーな……俺)

 クラリスは自分のマントの端を引き裂くと、バートの左肩の傷を縛って止血してやった。

「父親……」

 バートは父親を見上げた。

「話を、しよう」

 クラリスは息子を見下ろして、そう言った。

 次の瞬間――バートの目の前には青い海が広がっていた。揺れる水面、波の音、潮の香り、潮風。

「えっ……?!」

 バートはあたりを見回した。海を見下ろせる崖の上に立っていた。眼下には真っ青な海。遥か彼方に緩やかなカーブを描く水平線。背後には赤い大地。真上には太陽。

 ――何でもありだな、とバートは思った。もうどうにでもなれ、と思った。

「この海の向こうに」

 クラリスの声が聞こえた。バートははっとしてそちらを見た。クラリスはバートの隣に立って、水平線の彼方を眺めていた。

「大きな大陸があると、聞いた」

「父親……」

 バートも視線を空と海との境、青の境界線に向けた。

「その大陸では、人々が豊かに幸せに暮らしていると、聞いた」

「その大陸って……」

 バートはつぶやいた。

「かつて、『我々』も、そこで豊かに幸せに、暮らしていた」

「かつて?」

「遠い昔、何千年も前のこと。しかし、我々は追放された。そしてこの地に、追いやられた」

「どうして……」

 バートは尋ねる。

「『異端』、だったから」

 クラリスは答えた。

「異端な者たちは、多くの、いや、一部の者たちの豊かで幸せな生活のために、大陸から排除された」

「…………」

 バートは言葉を失った。

「だから、我々にはその大陸を取り戻す権利が、ある」

「それが……、あんたたちがパファック大陸に攻め込んできた理由か?」

「そう」

 クラリスはうなずいた。

「その大陸は、我らの夢だった。希望だった」


(3)


 ざざぁん、ざざぁん……。バートは不思議な気持ちで心地よい波の音を聞いていた。隣には父親、クラリスが立っている。さっきまで戦っていた父親と、海を眺めながら普通に会話している。……不思議な光景だな、と他人事ひとごとのように思った。

「で……、父親はめでたく、その『大陸』を手に入れた、ってわけか……」

 バートは他人事のように言ってみた。それが何を意味するのかについては、考えたくもなかった。

「望みが叶ったってわけか。全く、めでたいことじゃねーか……」

「望みは、まだ、叶っていない」

 と、クラリスは言った。

「え」

「俺の、望みは」

「――ああ。そういや、『大陸』だけじゃなかったんだっけ。大陸を、惑星ほしを、全てを手に入れる――、それがあんたの望みだっけ」

「そう」

「なんで……ってか、手に入れてどうする気なんだよ。それで楽しいのか、父親……?」

 バートは父親を見上げた。クラリスはバートを見つめ返して、ゆっくりと口を開いた。

「それを、全てを、バートに譲る。それが、俺の、望み」

「……え?」

「大陸を、惑星ほしを、全てを手に入れて、それをバートに譲る――。それが、俺の、望み」

「…………」

 バートはがん、と頭を殴られたような衝撃を受けた。あまりの衝撃に声も出なかった。一体、何を言っているのだろう、この父親は……

「……正気か、あんた」

「もちろん」

 それは、バートにもわかっていた。クラリスは冗談でこんなことを言わない。本気で言っているのだ。本気で、バートに、大陸を、惑星ほしを、全てを手に入れて、それを譲る気でいるのだ……。

「……譲られた俺は、どうすれば良いんだ」

「好きにして、良い」

「…………」

 バートは呼吸いきをすることさえ忘れていた。心臓が大きく、早く音を立てている……。

「……なんで、俺に……」

「俺の、息子だから」

「……それ、だけか……?」

「そして、俺は、バートの父親だから」

「…………」

 バートは両の拳を握り締めた。……本気で、言っているのだ。この父親は……

 バートは大きく息を吸い込んだ。

「……冗談じゃ、ねーぞっ!」

 バートは感情を爆発させた。

「……?」

「なんでそんな勝手なこと……! 親だからって勝手に……」

「……勝手?」

「俺は要らねーよっ! 大陸も、惑星ほしも、全てなんて、要らねーよっ!」

「……要らない?」

 クラリスは不思議そうにバートを見つめた。

「何故」

「何故って……別に、そんな大それたもの手に入れたって、嬉しくも何ともねーからだよっ! 逆に迷惑だってんだよっ!」

「……迷惑?」

「困るってことだよ、勝手に決められて!」

「じゃあ、バートは、何が欲しいんだ?」

「……え、」

「バートの望みは、何?」

「ええと……」

 クラリスに言われて、バートは改めて考えてみた。

「……父親から貰って嬉しいものなんて、何もねーけど……強いて言うなら……」

「…………」

「ガルディアが攻めてくる前の……いや、四年前、父親が家を出て行っちまう前の、いつも通りの、普通の生活……」

「…………」

 クラリスは不思議そうにバートを見つめ続けていた。

 そして、その目が、赤く輝き――バートはぞくりと、背筋に寒いものを感じた。


 *


 暗闇。深い闇。闇色の混沌。

 自分の身体が完全に闇に溶け込んでしまって、何も見えなかった。もう意識だけの存在となってしまったのだろうか。目を開けているのか閉じているのかもわからなかった。闇色の混沌。深い闇。暗闇。

「やっぱり、こっちのほうが”ケイオス”っぽいわよね」

 暗闇の中、キリアは声に出して言ってみた。その声はちゃんと聞こえた。

「私、もう完全に呑み込まれちゃったのかな……」

 キリアは自分の存在を確かめるために、声を出し続けた。

「私、もう帰れないのかな……。でも、私がここに来た意味はあったわよね。最後にちゃんとバート助けられたもん。これでバートがクラリスさん倒して、”ケイオス”が止まれば、最悪の事態は免れるわよね」

 キリアの心は晴れ晴れとしていた。後悔はなかった。

「だからこれで良かったのよ、きっと。……後は任せたわよ、バート」

(冗談じゃねーぞ!)

 そのとき、誰かの意識が言葉となってキリアに届いた。

「え?」

(全然良くねー! 何で俺がこんな目に……! 俺は俺だ!『混沌』に呑み込まれて終わるなんてごめんだぜ!)

 その声には聞き覚えがあった。

「……メヴィアス?」

(くそっ、俺は一体、何のために……!)

「メヴィアスなの?」

(わからないのか?)

 キリアの知らない、女性の声。

(そなたがそなたである意味は、どこにある?)

(……カズナ様)

「カズナ……様?」

(そなたは、最初から我らの『一部』にすぎなかったのだ)

(一部だと?!)

(我らの、代々受け継がれてゆく『意思』の)

(王から子へ、そして孫へ)

(そして、我らは、『永遠』を手に入れる)

「……? 誰、なの……?」

 キリアは知らない声に呼びかけてみた。

(……そなた、は?)

「聞こえるの? 私の声が」

(そなたは、誰じゃ? 小娘よ)

「……私はキリア」

 小娘と言われてちょっとむっとしながらも、キリアは答えた。

「キグリスの大賢者の孫です。そして、バートの……仲間、です」

(ほう、キグリスの……。バートを助けて、こんなところまで来てしまうとはの。クラリスの報告では、ピアン王国とキグリス王国は、あまり仲が良くなかったそうではないか。……くくっ、それにしても、おかしなものよのう。ただの小娘と我が、こうやって会話できるというのも)

「あなたは……誰なんですか? カズナ、様……?」

(我は……一応、『ガルディアの王』と、呼ばれておったな)

 と、女性の声は答えた。

「ガルディアの……王?」

 キリアは驚いた。

「何故『王』がこんなところに……。”ケイオス”のコアは、『王』ではないということですよね? ……クラリスさんって、ガルディアの『何』なんですか?」

(クラリスは、我の息子だ)

「……じゃあ、クラリスさんは、ガルディアの王子……」

 キリアはつぶやいた。ということは、その息子であるバートは、ガルディアの王の孫、ということになる……。キリアは軽い衝撃を受けた。

(そうだ。我の全ては、息子であるクラリスに託してある。すなわち、もう、我は不要、ということだ)

「……え、」

(不要となった我は、消えるのみ。我は消えても、悔いはない……)

「……え、」

(……しゃべりすぎたかの。そろそろ、お別れの時間のようじゃ。最後に久しぶりに若い者と普通に喋れて、少々愉快だったのう……)

「王……」

(…………)

 それきり、『王』の声は途絶えた。後にはキリアの意識と、果てしなく広がる静かな闇だけが残された。

(……私も……)

 と、キリアは思った。

(ああいうふうに、消えちゃうんだ……。意識すらも、跡形も無く。身体はもう失っちゃったし、……死ぬんだ)

 ――嫌だ、と思った。死ぬのは怖い。死にたくない。心残りが有り過ぎる。サラのこと、リィルのこと、おじいちゃんのこと、リスティルのこと……。バートだって。もし自分がここで死んだら、バートは……きっと、苦しむ。自分の所為で。

(嫌だ。私、こんなところで死にたくない……! 生きて帰らなきゃ。何とか帰る方法を……!)

 キリアは意識を集中させた。一羽の『鳥』の形をイメージする。暗闇の中、銀色の光が出現し……それはやがて、光り輝く『鳥』の姿を形作かたちづくった。

(行って! 闇を切り裂いて、飛んで!)

 キリアの思いにこたえるかのように、銀色の鳥は暗闇の中、真っ直ぐに飛んだ。真っ直ぐに、どこまでも、どこまでも。キリアは鳥の軌跡をじっと見守っていた。鳥は真っ直ぐに飛び続け――

 やがて、遠くの闇が切り裂かれて、弾けるのが見えた。

(?!)

 裂かれた闇の向こう側から、黄金きん色の光が流れ込んできた。光はあたりの闇を覆いつくした。闇が光に呑みこまれ、あたりに黄金色の光が満ちる……。

 まぶしかった。それでもキリアは目を逸らさず、黄金色の光を正視し続けた。

(……綺麗……)

「キリア!」

 高い少女の声が聞こえてきた。キリアの良く知っている声。

「サラ?!」

 キリアは少女の名を叫んだ。キリアの目の前には、黄金色の光をまとったサラの姿があった。左手をキリアのほうに差し出している。右手は……

「リィル!」

 キリアは叫んだ。サラの右手は、リィルの左手と繋がれていた。リィルも黄金色の光に包まれている。リィルはキリアと目が合うとにこりと微笑んだ。

「良かった……無事だったんだ、キリア」

「……リィルこそ……やっと目が覚めたのね」

「キリア、手を!」

 サラが叫んだ。

 キリアはサラに向けて自分の右手を伸ばした。……無くしたはずの、自分の右手を。

 伸ばしたキリアの手を、サラはしっかりと握り締めた。キリアの身体を黄金色の光が包み込む。温かく、力強く、優しい光……。

 そして、キリアの身体は、輪郭を取り戻した。


(4)


「サラ……、リィル……」

 キリアは二人の名前を声に出して呼んだ。二人が、『ここ』にいる嬉しさを噛みしめながら。

「ありがとう……。二人とも元気で……ここで会えて凄く嬉しい……。私、もう少しで諦めちゃうところだった。諦めて意識を手放しちゃうところだった。私、諦めないで、足掻いてみて本当に良かった……!」

「そっか……」

 リィルがすまなそうにつぶやいた。

「キリア、ごめんな。そして、ありがとう」

「え?」

「バートのために、こんなところでこんな目に遭わせちゃって。俺がもう少し早く目が覚めていれば……」

「ううん」

 キリアは慌てて首をふった。

「そんな、水臭いこと言わないでよ。っていうか、私がこんな目に遭っているのは、自業自得っていうか、私が勝手にバートについてきちゃっただけだし……」

 そこまで言って、キリアはふと、不安に駆られた。

「バート……本当のところは、どう思ってたんだろう。バートは本当は私には、ついてきて欲しくなかったのかもしれない。すっごい迷惑に思われてたのかもしれない……。バートを助けるどころか、逆に足手まといになってたのかもしれない……」

「そんなこと、ないわ」

 きっぱりとした口調で、サラが言った。

「え」

「もしバートがひとりで”ここ”に来ていたとしたら……バートはきっと、死んでたわ」

「…………」

 サラの発言に、キリアは言葉を失ってぽかんとサラの顔を見つめた。

「確かに」

 リィルも大きくうなずいた。

「バートをひとりで”ここ”に来させるなんて、考えただけでも恐ろしいよ……。あいつ、ひとりだったら絶対自棄(ヤケ)になって何しでかすかわかんないからなー。だから……本当にありがとう、キリア。キリアも一緒に来てくれて」

 キリアはくすっと笑った。この二人にはかなわないな、と思った。この二人は本当に良く、バートのことをわかっている。そして、キリアとバートの間にある、心の溝を埋めてくれる。そんな二人の存在が、キリアは心の底から有り難かった。

「……で。そのバートのことなんだけど、」

 リィルが口を開いた。キリアは緩みかけていた口元を引き締めた。

「そうね。バート……。探さなくちゃ。私たち三人が無事で”ここ”にいること、伝えなくちゃ。四人で元の世界に帰らなくちゃ……。無事だと良いけど。無事よね、バート……」

「バートは、今どうなってるの?」

 サラが尋ねてきた。

「バートは、”ケイオス”のコアであるクラリスさんと戦ってるところだと思う。戦況は……あまり良くない感じだったけど、私、バートが負けるなんて思って無いから」

コア、……か……」

 リィルがつぶやいた。

「”ケイオス”のコアって……バートの父親さん、なんだよな……」

「そうね……」

 サラもつぶやいた。

コアを……バートのお父さまを破壊しなくちゃならないなんて、あまりにも酷だわ……」

「…………」

 キリアは言葉を失った。自分たちは、”ケイオス”の北進を止めるため、コアを破壊するため、ここに来た。しかし、コアを破壊するということは……今まで目をそむけ続けていた事実だが、そういう、ことなのだ。

「確かにクラリスさんは『敵』だけど、何か、方法ないのかしら。クラリスさんとバートが戦わなくてすむ方法……」

 と、サラは言う。

「方法かあ……。話し合い、とか?」

 と、リィル。

「とにかく、”ケイオス”が止まれば良いんだよな。コアを破壊しないで”ケイオス”を止める方法、あるかもしれない。考えてみないと」

「そうね……」

 サラも言う。

「まずは、バートと合流しないと……」

 とリィルが言いかけたとき、サラがはっ、と顔を上げた。

「サラ?」

 キリアはサラを見る。

「……誰かの、気配がするわ……」

「?! まさか、バート? どこに……」

「あっちよ!」

 キリアとリィルの手を引いて、サラは暗闇の中、迷うことなく一直線に飛んだ。三人の身体を包む黄金きん色の光が、あたりの闇を優しく照らし出す。三人は手を繋いだまま、暗闇の中を飛び続けた。

 やがて、遠くに、オレンジ色に揺らめく、炎のような光が見えた。

「? 何、あれ……」

 キリアはサラの横顔を見た。

 サラは答えず、キリアとリィルの手を引いて暗闇の中を飛び続けた。オレンジ色の光目指して、真っ直ぐに。

 そして、三人は『そこ』に辿り着いた。

「見つかってしまいましたか」

 彼はオレンジ色の光をまとって、暗闇の空間の中に立っていた。赤く長い髪、薄赤く輝く翼、ガルディアの軍服――。


 *


 自分を見つめるクラリスの目が、赤く輝き――バートはぞくりと、背筋に寒いものを感じた。

 次の瞬間、視界から青色が消えた。海の青色も、空の青色も一瞬にして消え去り、バートは完全な暗闇に包まれた。

「?!」

 隣に立っていたはずの父親も消えていた。バートが慌てて頭を巡らせると、少し離れたところに父親が立っているのが見えた。その目は不気味に赤く輝いている。表情は良くわからない。右手には、いつの間に抜いたのか剣を握っていた。

(……何故だ)

 クラリスの意識が、直接バートの頭の中に流れ込んできた。

「……え、」

(……何故だ、何故だ、何故だ、何故だ、何故だ何故だ何故だ何故だ何故……!)

 クラリスの意識がバートの頭の中でがんがん響いた。バートが苦痛に感じるくらい、強く……

「……く、」

 バートは思わず両手で頭を押さえた。

(……何故だ、何故だ、何故だ、何故だ、何故だ何故だ何故だ何故だ何故……!)

 バートがクラリスを見ると、クラリスは右手の剣を大きく振りかぶっているところだった。

「父……親……?」

 クラリスは何もない空間に剣を振り下ろした。

 剣が虚空を切った空間から、凄まじい業火が生まれ、バートに襲いかかってきた。バートの身体は一瞬で業火に包まれた。

「……っ!」


 *


 彼はオレンジ色の光をまとって、暗闇の空間の中に立っていた。赤く長い髪、薄赤く輝く翼、ガルディアの軍服――。

「「アビエス!」」

 リィルとキリアは同時に叫んでいた。アビエスは愉快そうな薄笑いを浮かべながらこちらを見ていた。

「ピアンの王女に、リィル君に、大賢者のお孫さん、ですか――」

「……『ようこそ、ここへ』……なんてこと、言わないですよね」

 リィルは言った。アビエスはフフッと笑い声を漏らした。

「どういう意味ですか」

「貴方は一体、何者なんですか……っていう、意味です」

 リィルはアビエスの眼鏡の奥の瞳を見つめて言った。

「何者……? 見ての通り、ガルディアの将ですよ――という答えでは、いけませんか」

「でも、ただの『ガルディアの将』では、無いでしょう」

 リィルは言った。

「……フ、」

 アビエスは唇の端を持ち上げた。

「貴方は、『力』を持っていますね。多分、クラリスさんやガルディアの『王』すらも軽く越えることのできる力を。なのに、貴方はガルディアの一将の地位に甘んじている。何故なんですか」

「……大した『力』では、ありませんよ」

 と、アビエスは言った。

「私は、時空を越えて『真実』を見極められる『眼』と、どんな危機的状況においても『必ず』自らの身を守れる『力』を持っている……。それだけのことです」

「……十分、『大した力』だと思います」

 リィルは言った。


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