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四精霊の伝説  作者: 沢崎 果菜
第3部 動き始めた伝説
13/26

北 へ 、再 び

(1)


「ファオミン……だっけ? まだ、生きてる?」

 自分の名前を呼ぶ女の声が聞こえてファオミンはゆっくりと目を開けた。薄暗い、じめじめとした空間だった。固い床に横たわっていた。

 鉄格子の向こう側で、見知らぬ女が灯りを掲げて立っていた。

 ファオミンはぼんやりとした頭で記憶を手繰たぐった。ピアン王を暗殺するためにリンツに向かい……待ち構えていたピアン王女に傷を負わせて……自らも傷を負い……毒で……

 ああ、自分は捕まったのか、とファオミンは思った。傷を負わせたピアン王女は、死んだのだろうか。

 見知らぬ女は格子越しに何かを差し出してきた。

「……?」

「私はどっちでも良かったんだけどね、エンリ君がどうしてもって言うから。あ、エンリ君ってのは知り合いの医者ね。彼が言うには、医者として、助かる手段があるのに見殺しにはできないって。たとえ敵でも。……ピアン王女を殺そうとした者でも」

「…………」

 殺そうと、という言葉が引っかかった。ということは、王女は、死んではいない……?

 女はファオミンの返事を待たずに語り続けた。

「サラちゃん……ピアン王女は、明らかに敵である貴女と、『話』をしようとしたんですってね。それで、ちょっと油断しちゃったのね。フフ、うちのピアン王女は強いわよ。アンタなんかにそう簡単に殺られるサラちゃんじゃないわ」

「…………」

 ファオミンは一方的に喋る女の顔をまじまじと見つめた。ショートカットの女性で、年齢は三十代くらいだろうか。差し出す右手には、小さな瓶が握られている。

「どうしたの? 要らないの? 解毒薬よ。まだ死にたくはないでしょう?」

「……わたくしは……」

 ファオミンは女をきっ、と睨みつけた。

「命なんて、惜しく、ないわ……! あの方の……枷になるくらいだったら、わたくしは、ここで、死を選ぶ……わ」

「……枷?」

 女は真顔で聞き返してきた。

「枷って何? まさか『クラリス』が危険を冒してあんたを助けに来るとか、そういう意味で?」

「……!」

 ファオミンははっとした。自分は『あの方』としか言っていないのに、この女はすぐに『クラリス』の名前を出した。この女は、一体……。

「そんなことするわけないじゃない、『クラリス』が。枷だなんて……。はっきり言って、クラリスはアンタなんか全く眼中にないわよ。だから安心して生きていれば良いわ」

「……随分と、余裕なのね……」

 ファオミンは自虐的に笑った。

「なあに、わたくしに精神的ダメージを与えに来たってわけ……? ユーリア……さん?」

 それを聞いてユーリアも笑った。……何故か、少し寂しそうに。

「んー。そういう思いも無くは無かったんだけどね……でもね。私はどっちかって言うと貴女の『同志』よ。それで、少しは楽しい話でもできるかなって思って来てみたの」

「……同志……。バカに、してるの……?」

「私は大真面目よ」

「フザケ、ないで……!」

 ファオミンは声を絞り出した。

「あの方は……クラリス様は、貴女を、迎えに来たんでしょう……!」

「うん、確かにね。でも、彼は私の為に来たわけじゃない」

「……え?」

「あの人が動く理由はね……たったひとつよ」

 ユーリアがそこまで言ったとき、遠くからひとりぶんの足音が近付いてきた。ユーリアは振り返る。

「バートっ」

「何やってんだよ、母親……!」

 ひとりの少年が灯りを手に早足でやってきて、ユーリアの隣に並んだ。彼はユーリアより頭ひとつ分背が高かった。

「バート……」

 ファオミンはユーリアが呼んだ名前を繰り返した。クラリスと同じ、黒髪の少年……。


 *


「何やってんだよ、母親……!」

 バートは母ユーリアがひとりで地下牢に入ったという話を聞いて慌ててここに来たのだった。地下牢には危険な女――リィルとサラを毒で苦しめた憎い女が捕らわれているのだ。

「彼女と、ちょっと楽しい話をね」

 ユーリアは余裕の表情を浮かべ、鉄格子の向こう側、床に座り込む赤い髪の女を見て言った。

 バートも女を見た。そして、少しの違和感を感じた。毒で弱っているからなのか、弱々しい雰囲気の……

「楽しい話……って。母親、コイツが誰だかわかってるのか?」

 バートは呆れた。

「エルザちゃん情報によると、ガルディア軍第六部隊の副隊長、ファオミンさん。そして噂によるとクラリスのことを――」

「父親を?」

「あ、何でもないの。今のは忘れて」

「?」

 バートは改めて女を見た。そして、違和感の正体に思い当たった。

「……お前、翼は……」

 異形の者の証である赤い翼を、この女は持っていなかった。そう言えば、クラリスが翼は消すことができる、とか言っていたような……。

「今のわたくしには、必要ないからよ……」

 女はバートをじっと見つめてきた。そして、目を細めた。

「……似ているわ……」

「え?」

「あの方……クラリス様に。ねえ、もっとこっちに来て……顔を良く見せて……」

「げっ何で! 気持ち悪い!」

 バートは背筋に寒いものを感じて思わず後ずさっていた。

「クラリス様、の……息子……」

「私の息子でもあるのよ」

 ユーリアは微笑む。

「貴方には……クラリス様の血が……流れているのね……」

 女はユーリアの言葉は耳に入っていないようだった。

「ああ。……忌々しいことだけど」

「……忌々しい?」

「でもアイツとは、きっちり決別してきたからな。首都で」

「……なんてことを、言うの!」

 ファオミンが叫んだ。バートはぎょっとしてファオミンを見た。

「貴方は、れっきとしたクラリス様の息子よ……! それを忌々しいとか、決別とか……なんてこと言うの……! こんなにも、似ているのに……」

「似てねーよっ!」バートは叫ぶ。

「いいえ! 貴方にはちゃんとクラリス様の血が流れてる!」

「そうかもしんねーけど、似てねーよっ、異形の敵なんかに……! 第一、俺は翼なんて持ってねーし!」

「そんなこと、ないわ!」

 え、とバートはファオミンを見た。

「貴方はクラリス様の息子でしょう……。『翼』なら、ちゃんと持っている、はずよ」

「……え、」

「まだ扱い方がわからないのね……。フフフ、わたくしが教えて差し上げましょうか……?」

「いらねーよっ!」

 バートは吐き捨てると、ファオミンに背を向けて歩き出した。胃の辺りがむかむかしてきた。俺に、翼? 扱い方がわからないだけ? ……冗談では、なかった。


 *


「私もそろそろ帰るわね」

 去って行ってしまった息子を振り返って、ユーリアはため息をついた。屈みこんで、小さな瓶を床に置く。

「解毒薬、ここに置いておくわね。……とりあえず、今は生きていてみれば? 死んじゃったら何もかも終わりよ」

「随分と、甘いのね……」

 ファオミンは息を吐いた。

「わたくしを生かしておいたって……何も、喋る気はないわよ、貴女たちに」

「今は、でしょ」

 ユーリアはファオミンに言うと、ランプを掲げて歩き出した。牢番の兵士に挨拶し、階段を上って外に出る。

 ピアン首都を脱出してきたユーリアたち――ユーリア、バート、エニィル、エルザ、フィル、リィルの六人は、とりあえず街の外れの小さな宿に部屋をとって寝泊まりすることになった。とりあえず、と言うのは、

「多分僕たち、近々、旅に出ることになる」

 とエニィルが言っていたからだった。

「そのときは……バート君、借りていっても良いかな?」

「どうぞどうぞ。いくらでもこき使ってやって」

 と、ユーリアはエニィルに答えた。

 宿屋目指して歩いていると、

「ユーリアおば……おねーさんっ」

 振り返ると、買い物袋を抱えたエルザが小走りに走り寄ってくるところだった。

「エルザちゃん」

「会って来たの? 例の女将軍に」

 ユーリアと並んで歩きながら、エルザが話しかけてきた。ええ、とユーリアはうなずいた。

「ガツンといじめてきてやったの?」

「そりゃあ、ね。敵討ちしないとね。リィル君とサラちゃんの」

 ユーリアは不敵な笑みを浮かべてみせた。


(2)


 ユーリアとバートが地下牢でファオミンに会ってから数日後。

「旅に出ようと思うんだ」

 宿屋の食堂でエニィルは切り出した。テーブルにはエニィルとユーリア、バート、エルザ・フィル・リィルの三姉弟、エニィルに呼び出されたキリア、そしてピアン王女サラが席についていた。

「旅というと……?」

 フィルが父の顔を見る。

「伝説の、四大精霊の力を得る、旅」

「伝説の……!」

 サラが顔を輝かせた。キリアも興味深そうな眼差しをエニィルに向ける。

「旅の話の前に、」と、エニィルは口を開いた。

「ちょっと長い話になるかもしれないけれど、僕が知っていることを色々話しておこうと思う。でも、最初に言っておくけれど、僕が知っていること全てを今ここで話すつもりはない。あまり一度にたくさん話しても消化しきれないだろうし、知らないほうが良いこともあるから。そういうことは、時機が来たら追い追い話していこうと思う」

 エニィルを囲む七人はうなずいた。

「ええと、じゃあ、まず、僕について。フィルとリィルには少し話したけど、」

 エニィルは息子たちをちらりと見やって言った。

「僕は、この大陸の生まれでは無い。出身は大陸の北部、コルシカ王国ってことにしておいたけど、本当は、もっと北なんだ。パファック大陸の最北よりもっと北、海を越えた、遥か彼方――」

「……初めて聞いたわ、それ」

 エルザがぽつりと呟く。

「ごめんごめん。……で、僕は若い頃、『そこ』からひとりで、この大陸に来たんだ。『リープ』っていう技術を使って。『リープ』は未だ実験中の技術で失敗したら命は無いくらいの危険な技術なんだけど……、それでも僕は、『ここ』に来てみたかったんだ」

 若かったからなあ、と言って、エニィルは照れたように笑う。

「『リープ』って……」

 キリアはエニィルを見る。

「ああ、空間を一気に跳び越して移動する技術のこと。どんなに長距離でも一瞬で移動できるんだ。便利に思えるかもしれないけれど、それ以上に危険も伴う。少なくとも、僕がいたところではそういう技術だった。パファックには無いよね、この技術。こっそり研究している人はいるかもしれないけれど、表沙汰にはなっていないみたいだ」

「ああ、確かに初めて聞いたぜ。そういう技術」

 とバートは言う。

「でも、多分、ガルディアには、『リープ』技術が、ある。それもかなり発達している」

「……そっか」と、リィルが口を開いた。

「『異世界から来た』って言われているガルディアだけど、それって『リープ』でパファックに来たってことなんだね。……あ、じゃあクラリスさんがパファックに来たのも父さんと同じで……『リープ』?」

「多分ね」エニィルはうなずいた。

「クラリスから直接聞いたわけじゃないけど、多分」

「……エニィルさんと、クラリスさんって……」

 キリアは小さく呟く。

「?」

 エニィルに見つめられて、キリアはううん、と慌てて首を振った。

「とにかく、ガルディアは『リープ』技術でパファックに大量の兵力を送り込んできているんだ。ピアン首都も陥落した。このままだと、リンツ(ここ)が落ちるのも時間の問題かもしれない。もう、一刻の猶予も無いんだ」

 だから旅に出ようと思うんだ、とエニィルは告げた。

「パファック側としては、伝説の四大精霊の力を手に入れて、ガルディアに対抗しなくてはならない」

 ええ、とサラが真剣な表情でうなずく。

「でも、どうやって?」

 バートはエニィルに尋ねてみる。

「バート君は、大精霊”ホノオ”に会ったと言っていたね」

「ああ。でも、本当に見てきただけだったんだぜ。力は手に入れてねーと思う」

「まあ、力を手に入れるには『やり方』があるからね……。パファックでは、あまり詳しい『四大精霊の伝説』は伝わっていないんだろう?」

「ええ……確かに」

 サラはうなずいた。

「二千年前に異世界から謎の敵が攻めてきて、大陸側は四大精霊の力を借りて、やつらを追い払った、ってことくらいしか……。四体の大精霊――”ホノオ”、”流水ルスイ”、”風雅フウガ”、”陸土リクト”――についても、”ホノオ”以外は居場所すらわからないんです」

「僕はもう少し詳しい『四大精霊の伝説』を知っている」

 と、エニィルは言った。

「”ホノオ”以外の三体の大精霊の居場所も、知っている」

「「ええっ!」」

 サラとキリアの声が重なった。

「大精霊に会って力を手に入れるためには、対応する『鍵』が必要になるわけなんだけど、バート君はその『鍵』を持っていたんだ。だから”ホノオ”の扉を開けられたんだよ」

「鍵……?」バートは首を傾げる。

「クラリスに貰った『剣』のことだよ」

「あの剣が?」

「あの剣、クラリスさんに貰ったの?」

 キリアはバートに尋ねる。

「ああ。大昔にな」とバートはうなずく。

「ってことは……、『鍵』のひとつはガルディアが所有していたんですね」

 と、キリアは言った。

「でも、なんでクラリスさんはそれをバートに……」

 キリアの言葉を聞いて、バートの母ユーリアが顔を上げた。

「あの人は、きっと自信あったのよ。バートがガルディアに――自分のもとに来るって、そう信じて疑ってなかったのよ」

「マジでか?」

 バートは驚いたように母親を見た。

「何考えてんだよあの父親は。そんなことこの世がひっくり返ってもあるかよ。俺はピアンの人間だ!」

「普通に考えたらそうよね。バートは生まれも育ちもここピアンだもの。ピアン王宮にも良く出入りしていたし、王女のサラちゃんとだって付き合い長いし。でも、あの人は普通じゃないから……」

 ユーリアは寂しそうに笑った。

「だから、一番大切なものを息子に託して……あ、でも、私らにしてみればラッキーだったわよね。残りの鍵も、全部『こっち』にあるんでしょ?」

「え? そうなのか、親父?」

 フィルは父を見た。

「じゃあ、結局、本物の『水』の鍵は……。今は行方不明のお袋が持っているのか?」

「それはまだ企業秘密ってことで」

 エニィルは意味ありげに微笑んだ。

 エニィルの一家は水の鍵を持っていたので真っ先にガルディアに狙われたのだという。エニィルは敵の目を欺くために、精巧な鍵の偽物を作り家族に託した。結局、彼の一家は母ルトレインを除いて敵に捕まってしまったので、本物か偽物かわからない三つの「鍵」はガルディアに奪われたままだった。

「ここから一番近い大精霊は”ホノオ”だから、まずはピラキア山脈に行って、大精霊”ホノオ”の力を手に入れよう。バート君、一緒に来てくれるね?」

「あ、はい」

 エニィルに言われて、バートはうなずいた。

「その次はどうするの?」

 ユーリアが尋ねる。

「”ホノオ”の次は、西風の塔――キグリスの大賢者様の塔に行こうと思ってる」

「塔に?」キリアは思わず声を上げた。

「キリアちゃん」

 エニィルはキリアを見て言った。

「大賢者キルディアス――君のおじいさんのもとへ、案内してくれないかな」

「は……はいっ」

 キリアは緊張しながらも答えた。

 西風の塔、とエニィルは言った。キリアも聞いたことがある。大賢者の塔、別名、西風の塔。ということは……

(あの塔には、大精霊”風雅フウガ”に関わる何かがあるってこと?)

 あり得なくはない話だったが、もしそうだったとしたら、あんなに長いことあの塔にいて自分は何も知らされていなかったことになる。

「その次のことは考えてたりするの?」

 とユーリア。

「うーん、先に『水』に行くか、『大地』に行くか。まあ、塔に行くってことは、水も大地も『鍵』は手に入ってるってことだから……」

「あの……エニィルさん」

 サラが遠慮がちに口を開いた。

「その四大精霊巡りの旅なんですけど……あたしも連れて行って貰えませんか?」

「ええ?!」

 大声を上げたのはバートだった。何よ、悪い?、というようにサラが軽くにらむ。

 キリアはサラの気持ちがわからないでもなかったから複雑な気持ちだった。サラは四大精霊の伝説に興味を持っていたし、それより何よりバートと別れたくない、というのがあるのだろう。しかし、サラはピアン王国の王女なのだ。一国の王女を、この旅に同行させることができるのだろうか。今までの「旅」とはわけが違うのだ。

「良いよ」

 キリアの心配をあっさり覆してエニィルは言った。

「もちろん、そのつもりだったし」

「ありがとうございます」

 サラは言って、顔を輝かせた。

「父さん」と、リィルが口を開く。

「そのメンバーで俺だけ置いてきぼりってことはないよね?」

「うん、良いよ、リィルも来て」

「やった」

 リィルが喜びの声を上げ、キリアもほっとしていた。また、四人一緒に旅ができるのだ。一人も欠けることなく。

「じゃあ、私も行こっかなー」

 ユーリアが軽い口調で言う。

「げっ。何でだよ母親。来なくていーって」

 バートは顔をしかめた。

「だって、何だか面白そうじゃない」

「ごめん……。ユーリアは来ないで欲しいな」

 エニィルは許しを請うように手を合わせた。

「ははっ、わーかってるわよ、言ってみただけ」

 ユーリアは微笑んだ。

「要するに少数精鋭ってことでしょ?」

「あんまり大人数になると動き辛いからね。それにユーリア達には、いつでも連絡の取れるようなところで待機していて欲しいんだ。いざってときのために」

「オーケイ。余計な気は使わせないわよ」

「悪いね」

「じゃあ、俺は?」とフィルが口を開く。

「フィルとエルザにも、ユーリアと一緒に待機しててもらおうと思ってるんだけど」

「そうか……」

 フィルは小さく呟いて、ため息をついた。そのリィルに良く似た顔立ちを眺めていたら、ふと、フィルもこちらを見て目が合ってしまった。キリアは何となく気まずくなって慌てて目をそらした。


(3)


 その日の夜。眠るために自分の部屋に戻ろうとしたキリアは、廊下でフィルに声をかけられた。

「キリアちゃん……。ちょっと良いかな」

「はい。何でしょう」

「ちょっと付き合って貰えないかな?」

「え? どこにですか?」

「夜の散歩」

 どきん、と心臓が音を立てた。断る理由が思いつかなくて平静を装って「良いですよ」と答えた。

 キリアとフィルは宿屋を出て、夜のメインストリートを歩いた。人影は全く無かった。フィルはしばらく無言だった。二人分の足音だけが響いていた。

 歩いているうちにキリアは段々冷静になってきた。リィルの兄フィルとはつい先日知り合ったばかりだった。何を図々しいことを考えていたんだろう、昨日の今日でなんてこと、ありえない。キリアはバートとリィルと結構な日数一緒に旅してきたけれど、未だに二人に対してそういう感情を抱いたことは……ないと思うから、多分。

「ごめんな、キリアちゃん」

 歩きながら、フィルが口を開いた。

「こんな遅くに……。でも、キリアちゃんとはもうすぐお別れだから。どうしても言っておかなくちゃと思って……」

「お別れだなんて……。一生会えないわけじゃないんですから」

「でも暫くは会えないからさ……。俺……キリアちゃんのこと」

 キリアはごくりと息を飲み込んだ。好きなんだ、とフィルが小さく続けた。

 男性に告白されたのは初めてだった。今までほとんど男性との付き合いがなかった、というのもあるが。しかし、宿屋を出るときに薄々覚悟していたことが本当に現実になってしまうとは。

 キリアは大きく息を吸い込んだ。

「ごめんなさい、私……」

「……好きな人がいる、とか?」

「そういうんじゃないんです。わかんないんです、そういうの……だから、ごめんなさい」

 それはキリアの心からの本音だった。

 男女のそういう関係――例えば、リネッタとウィンズムとか、サラとバートとか。そういうのをあたたかく見守るのは好きだった。しかし、自分が当事者になるなんて考えたこともなかったし、正直、つい先日会ったばかりのフィルが自分にそういう感情を抱くなんて信じられなかった。

「そっか……」フィルは軽く笑った。

「ごめんな、いきなり変なこと言って。忘れてくれ、な」

「ごめんなさい」

 それしか言えなくて、キリアはうつむいた。

「良いよ良いよ、フられることはわかってたんだ……」

 フィルは天を仰いで言った。

「ははっ、何考えてたんだろうな俺。万が一良いよって言われたら、リィルに留守番させて旅に同行してやろうとか考えてたのかもな」

 キリアはくすっと笑った。今更といった感じで頬が熱くなるのを感じた。

「あーでもこれでスッキリしたよ。やればできるじゃん俺……。ははっ、オヤジとリィルのこと……よろしくな」

「はい」キリアはうなずいた。

(――ごめんなさい、フィルさん)

 キリアはフィルに対して、本当にすまなく思っていた。フィルはきっと、もの凄い勇気を振り絞って言ってくれたのだろう。でも、自分は……

(私は、まだ……)


 *


 エニィルはベランダに出て星を見上げていた。星々はいつもの夜と同じように、優しく自分たちを見下ろしている。涼しい風が流れている。

(間に合う……だろうか)

 そう思って、エニィルは小さく息をついた。

 あの場では言わなかったが、残された時間はそう長くはない、のだ。限られた時間の中で、自分たちはどこまでできるのだろうか。

「お父さん。飲む?」

 振り返ると娘のエルザがグラスを掲げて立っていた。グラスは透明な液体で満たされている。

「酒?」

「ん、」

 エルザは右手のグラスを差し出してきた。エニィルはグラスを受け取る。エルザは左手のグラスに口をつけた。

「しばらく、お別れだなあ」

 エニィルもグラスに口をつけて、呟いた。しばらく、と口に出したとき、少し、心が痛んだ。

「そうね。……みんな一気にいなくなっちゃうと、さすがに少し寂しいかな」

「エルザも行きたかった?」

「私が行ったってねえ……」

 エルザはグラスの中身をもう一口飲みこむ。

「……お父さんって、似てるのよね」

 ふいに、エルザがぽつりと呟いた。

「……え、」

 エニィルはどきりとする。

「だから不安なの」

 と言って、エルザは暗い空を見上げた。

「似てるって、誰に……」

「アビエス」

「…………」

 エニィルは噴き出しそうになったのだが、娘は大真面目に言っているようだったのでなんとかこらえた。

「……眼鏡が?」

 と、エニィルは言ってみる。

「んー。あと雰囲気とか」

「そうかなあ……」

 エニィルは苦笑いを浮かべながら、酒に口をつけた。

「……だから、気をつけてね、今度の旅」

 と、エルザは言った。

「……『だから』?」

「じゃあ、お父さん。私そろそろお風呂行ってくるから」

 そう言って、エルザは笑顔で手を振ると、部屋の中に戻っていった。

「――……って、言われるのかと思って……」

 エニィルの小さな独り言は、多分エルザには届かなかっただろう。

 そういえば――、と、エルザについて唐突に思い出したことがあった。あれはいつのことだったか……。自宅でフィルと二人で酒を飲んでいたとき、酔ったフィルが「エルザってファザコンなんだぜー」と絡んできたのだった。そのときのフィルの語りの様子を思い出して、エニィルの口元は自然と緩んだ。


 *


 二日後の朝、エニィルとバートとリィルとキリアとサラの五人は、乗用陸鳥ヴェクタに乗ってリンツを旅立った。


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