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四精霊の伝説  作者: 沢崎 果菜
第2部 つかの間の交叉
12/26

攻 防

(1)


 ピアン王国、リンツの町。

 その日の朝、キリアは宿屋の一階の食堂で遅めの朝食をとっていた。同室に泊まっているリネッタとウィンズムも一緒だった。コーヒーを飲みながらパンをかじっていると、宿屋の女将おかみがキリア宛てだと言って一通の手紙を渡してくれた。【速達、大至急、重要】と赤い太字で書かれている。差出人を見てキリアはびっくりした。差出人はエニィル――つまり、リィルの父、となっていた。リィル曰く、彼は今、ピアン王宮、つまりガルディア本拠地に捕らわれているはずなのだが……。キリアは緊張のあまり震える指で封を開けた。

 読み進めながらキリアは心臓が大きな音を立てるのを抑えることができなかった。たった二人で敵の本拠地に行ってしまったバートとリィルのことは毎日ずっと気にかけていたのだ。一人で乗用陸鳥ヴェクタに乗って後を追おうとしたくらいだった。それを実行しようとしたところ、運悪く(?)エンリッジに見つかって止められてしまったのだが。

 エンリッジは、今まで一緒に旅してきた『仲間』に、紙切れ一枚で『さようなら』なんてつもりじゃないだろ。あいつらは絶対にここに帰ってくる。キリアはここで待っていれば良いと主張した。あいつらはキリアたちのことを本当に思っているからこそ、二人だけで行ったんだと。帰ってくるのはキリア達の待っている『ここ』しかない、と。

 エンリッジの言葉に従ってここに留まってしまったことが正しかったのかどうかはずっとわからなかった。待つことしかできない日々は、長く、非常に辛かった。答えの出ない自問自答ばかりを繰り返していた。

「で、りっさんのお父さんは何て?」

 手紙を読むキリアにリネッタが尋ねてきた。

「バートとりっさんは無事お父さんに会えたってこと?」

 ウィンズムは黙々と食事を口に運んでいたが、ときどきちらちらとキリアの顔をうかがっていた。やはり気にはなるのだろう。

「うん、そうみたいだけど……。……?! ちょっと待って!」

 キリアはほとんど叫ぶように言って椅子をがたんと鳴らして立ち上がった。ウィンズムがぎょっとしたように食事の手を止めてキリアを見上げる。

 キリアは早口で叫んだ。

「ガルディアの女将軍がピアン王を暗殺するためにリンツに向かったって。今日の昼前には到着するって!」

「ええ?!」

 リネッタも叫んでいてもたってもいられないというように立ち上がった。

「……なんでそんな大事な情報を直接ピアン王に届けないんだ」

 ウィンズムがぼそりと呟く。確かに、と思いつつ手紙を読み進めて納得する。

「……そっか。私宛てに出したのは『念のため』ってことだったのね。私に届いてるってことはピアン王とサラにも届いてるってことだから一安心……かな?」

「だったら『念のため』の意味ないじゃん」

 とリネッタが指摘する。あ、そうか、とキリアは苦笑した。

「とにかく大急ぎでピアン王とサラのところに向かったほうが良さそうね」

「私も行く」

 と言ってリネッタはウィンズムのほうを見た。有無を言わせぬ口調で言う。

「ウィンズムも行くよね?」

 三人は急いで食事を済ませると、宿屋を出てリンツ中央医院に向かった。


 *


 医院の白い廊下を歩き、キリアとリネッタとウィンズムは王の病室に通された。室内のベッドではピアン王が上半身を起こしてこちらを見ていた。窓辺からやわらかな光がさしこみ、ピアン王の金の髪がやさしい光を放っている。サラと同じ青い瞳。王らしい威厳、カリスマ性、それでいておだやかで気さくな雰囲気も兼ね備えている。さすがピアン王、とキリアは思った。

 サラは熱も下がりすっかり元気になったようだった。部屋には、ピアン王と王女サラ、キリアたち三人の他に、ピアンの軍服を着た二人の男が立っていた。アルベルト将軍とディオル将軍だとサラが紹介してくれた。アルベルトは小柄でディオルは大柄。対照的な二人だった。

「王、どうなさいますか」

 緑の軍服に身を包んだアルベルト将軍が尋ねた。王とサラのもとには無事エニィルからの伝言は届いていた。

「こういう手も考えられます――。こちらに届いた伝言のことは、向こうは知らないはず。敢えてこちらは暗殺者に気が付かないふりをしてここにおびき寄せるのです。もちろん王には別の安全な場所に移っていただいて。相手を油断させておいて捕らえるのです」

「それだとガルディアの暗殺者をリンツの町に入れることになるな」

 と、王は言った。

「あたしもリスクが大きいと思います、アルベルト将軍」

 とサラも言った。

「リンツを囲う城壁の外、城門前で、正々堂々と暗殺者を迎え撃つべきです」

 サラの言葉に、青の軍服に身を包んだディオル将軍が静かにうなずいた。

「それだと兵を分散させることになりますが」とアルベルトは言う。

「敵はおそらくピアン首都方面、つまり南門から現れると思いますが、念のため北門と王のおそばにも配置しておいたほうが良いでしょう」

「私たちにも協力させて下さい」とキリアは言った。

「サラの――ピアンのお役に立ちたいんです」

「大賢者キルディアスのお孫さんであったな」

 ピアン王はキリアを見た。

「感謝する。これからもキグリスとピアンが良い関係を築いていけることを願う」

「私もです」

 キリアは答えた。


 *


 サラとキリアたちは南門、アルベルトは北門に向かった。ディオルは王のいる医院の守りにつくことになった。いくつかの小隊にも連絡を取り、準備が整い次第各門と医院の守備にあたることになった。

 メインストリートを南門目指して駆けていると、まばらな通行人の中に、私服のエンリッジの後姿があった。遠くからキリアはわかってしまったが、もちろん気が付かないふりをして追い越していくつもりだった。しかしキリアの隣を走るリネッタは見逃さなかった。

「エンリッジ!」

 リネッタの声に驚いたように長髪の青年が振り向いた。

「今ヒマ? だったら一大事なの、ついて来て!」

「ちょっと、リネッタ」キリアが咎めるように言うと、

「ひとりでも多いほうが良いって。毛嫌いしてる場合じゃないでしょ、キリア」

 そして、キリア、サラ、リネッタ、ウィンズム、何も知らないまま連れてこられたエンリッジの五人は南門に辿り着いた。緊急連絡用にと乗用陸鳥ヴェクタも一匹連れて来ていた。南門――数日前、バートとリィルがキリアたちを置いて、ピアン首都――敵の本拠地に向けて旅立ってしまった門だ。

 サラが南門を開け、五人は閉ざされた町の中から外の世界へ一歩踏み出した。一面の青空に雲の海。吹き抜ける風に草原の草が揺れる。この草原の南の遥か彼方に、今はガルディアの手に落ちてしまったピアン首都がある。そして、そこにバートとリィルは行ってしまった。彼らは今、どこで何をしているのだろう。無事ピアン首都を脱出できたのだろうか。夢にまで見た再会の日は、今日になるのだろうか。

「なるほどな、そういうことだったのか」

 ウィンズムからひととおり話を聞いたらしいエンリッジがうなずきながら言った。

「そういうことならオレ、愛用の剣でも持ってくるんだったなあ」

「……戦えるのか?」

 ウィンズムが胡散臭そうにエンリッジを見上げる。

「こう見えて、エンリッジってウチのクラスで一番強かったんだよ」

 と、リネッタはウィンズムに言った。

「加えて今は『治癒』もできるから戦力として大いに使え――あっウィンズムっ、アンタが使えないなんて一言もっ……拗ねないでー」

 そっぽを向いてあらぬ方向へ二、三歩歩き出したウィンズムをリネッタは慌てて追いかけてその腕にすがりついた。ウィンズムがうっとうしい、とでもいうように無言で振り払おうとする。

「そういやアンタ、『バートの真似』できるんじゃない?」

 リネッタが振り返ってエンリッジを見て言った。

「バートの真似?」サラが聞き返す。

「あ? ああ、『炎の精霊剣』のことか? 昔ふざけてそんなことやってたっけ……今でもできっかな……」

 サラは凍りついたような微妙な笑顔でエンリッジを見上げていた。「バート」と聞いて胸の中で色々な思いが渦巻き始めたのだろう。

「……アイツらもうすぐここに帰ってくるんだってな、楽しみだな」

 サラの様子を見て察したのか、エンリッジが明るく安心させるように言ってきた。ここで待ってて正解だったろ、オレの言ったとおりだっただろ、と言ってきたら殴ってやろうとキリアは身構えていた。それくらいキリアは複雑な思いを抱えていたし、おそらくサラもそうに違いなかった。

 とにかく、一刻でも早く会いたい、と思う。全てはそれからだ。それしか考えられなかった。


(2)


 ガルディア軍第六部隊副隊長・ファオミンは、ピアン王を暗殺すべくリンツの町を目指していた。夜通し長距離を飛び続けるのはさすがに疲労する。しかし、この大陸の人間が使う移動手段『乗用陸鳥ヴェクタ』よりは確実に速い。

 ファオミンが動くのは、正確にはガルディアのためでもガルディアの王のためでもなかった。全ては愛する一人の男性のため。少しでも彼に近付きたい。彼のそばで役に立ちたい。

 しかし、その男性は、敵地に潜入していたのだが数年ぶりに帰ってきたときには既に妻子を持っていた。敵地の女と一つ屋根の下で暮らしていたというのだ。信じられなかった。彼が言うには『敵』を確実に欺くためとのことだったが。

 それにしても、そのピアンの女を殺さず捕らえて連れてくるなんて、まだ未練があるということか。愛に国境はないとかいうつもりなのか。――まだ、あの女を、ピアンに捨ててきたはずの女を愛しているということか。

 クラリスが連れてきたピアン女――名前はユーリアとかいうらしい――には会わないようにしていた。顔も見たくない、というのが半分。顔を見てしまったら自分の感情を抑えられないだろう、というのが半分。いくらピアン女だからといって、さすがにクラリスがいるところで手を出すのはまずいだろう。

「?」

 ファオミンは首をひねった。遠くに見えるリンツの南門の前に、自分を待ち構えるように五人の若い男女の姿があった。ピアンの兵には見えないが、待ち構え……? あり得ない。自分がリンツに向かっていることを知っているのは、アビエスとエニィルの息子だけのはずだ。思い立ったらすぐ動き、ピアンにはもちろんのことガルディアにも極力知らせず、完全に意表を付いたつもりだった。このことはガルディアの王もクラリスも『カズナ』も『メヴィアス』も知らない。完全な独断だった。成功すれば大きな益になる。そしてたとえ失敗したとしても失うものは少ない。

 情報が漏れた可能性としては、アビエスが漏らしたか。あのエニィルの息子が生き延びて何らかの方法でリンツに知らせたか。あのあとあの場に誰かが来たのかもしれない。

 しかし、五人だ。仰々しい兵士団が待ち構えているわけではない。きっと向こうも情報が届いたばかりで対応に追われているところなのだろう。

 翼で飛んで城壁を越えることはできる。しかし塀の向こうに弓隊が伏せてあったら? 王の周囲にも兵はいるだろう。遠くから短剣を投げ少しでも傷を負わせれば仕留めたも同然なのだが、それも難しいかもしれない。

 失敗か? とファオミンは唇を噛む。しかし、ただでは退けない。

 ふと、南門の前に立つ少女の姿が目に止まった。――あれはピアン王女ではないだろうか? 話には聞いていた。金のウェーブのロングヘア、青い瞳の十六歳の少女。

 ――まだいけるわ、と、ファオミンは唇の片端をにやりとつり上げて笑った。


 *


 その女はひとりで草原を堂々と歩いてきた。赤い髪はウェーブがかっていて肩まで伸びている。ガルディアの軍服。エニィルが手紙で言っていたとおりの容貌。

「良い度胸してるわね、彼女」

 キリアは思わず呟いた。

 サラは背筋を伸ばして女のほうへ一歩を踏み出した。そのまま歩いていこうとする後姿にキリアは慌てて声をかけた。

「サラ、気をつけて!」

「彼女と話がしたいの」

 と、サラは言う。

「そんな……相手は暗殺者よ、話なんて通用しないわよ」

 サラはキリアを振り返って微笑んだ。

「でもキリア……そういう考えが、争いを生むと思うの」

「サラ……」

 キリアは何も言い返せず言葉を失った。


 *


「ようこそ、ガルディアの者」

 ファオミンの前で立ち止まったピアン王女サラがそう声をかけてきた。

「あら? 歓迎してくれるの?」

「用件次第です」とサラは言う。

「貴女がピアン王――父を暗殺するために来たというのなら、そして、まだその気があるというのなら、私は貴女を許すことはできません。ここにいる五人で全力で阻止します。もっとも、父を暗殺することはもう不可能でしょう。貴女の動きはこちらに筒抜けだったのですから、こちらにも迎え撃つ準備はできています。だから、大人しく引き返してくれるというのなら……」

「……アハハハ!」

 ファオミンは笑った。

「あなた本当に『姫』ね」

「どういう意味?」

「甘いのよ王女!」

 ファオミンは叫んだ。

「欲しいものは何でも手に入るんでしょう。身の安全は国家が保障してくれるんでしょう。わたくしは違う! 生きるってことは常に死と隣り合わせなのよ。生きるためには、望むもののためには命をかけるわ」

 ぶつけられた言葉に、サラがしばし絶句する。

「貴女、ピアン首都が落ちたとき、その場にいなかったらしいじゃない。自国ピアンが大変なことになってるっていうのにひとりで安全な場所にいたっていうのね。貴女や貴女の父親のために何人が命を落としたと思ってるの。王女だからっていい気になってんじゃないわよ!」

「な……違う!」

 明らかにサラは動揺を見せた。その顔が泣きそうに歪む。

「フフフ……悔しい? 悔しかったら……」

 ファオミンは腰のベルトの短剣を一本引き抜いた。

「貴女も命かけてみせなさいよ! ピアン王女として!」

 ファオミンはサラに向けて短剣を投げつけた。普通の人間なら、ましてや『姫』ならかわせるはずはなかった。ピアン王女だけでも仕留めてから帰ろうと思ったのだ。

 しかしサラは投げつけられた短剣をかわした。偶然、というのではなさそうだった。武術の心得のある者の動きだった。ファオミンは短く口笛を吹いた。

「なかなかやるわね、ピアン王女」

 ファオミンは二本目の短剣を抜くと素早く王女に接近して斬りつけようとした。しかし王女はそれもかわす。逆に繰り出した右手を押さえ込まれ身動きとれなくなった。

「くっ……」

 関節の痛みに声を上げ、ファオミンは片膝をついた。にらみつけるように王女を見上げると……サラはその両の瞳から大粒の涙をあふれさせていた。

「な……どういうつもり? バカにしてんの?!」

 思わずファオミンは叫ぶ。

「ごめんなさい、貴女の言うとおりだわ……」

 ファオミンを押さえつけたまま、涙をこぼしながらサラが小さく呟いた。ファオミンにはこの王女の言動が全く理解できなかった。

「王は、王女だって国民を守るためにいるのに……お父様は国民を守るために兵の先頭に立って戦ったのに……あたしは何もできなかった……あたしもみんなと一緒に戦いたかったのに……戦うべきだったのに……」

「…………」

 ファオミンはしばらく無言で涙を流す王女を見つめていたが、やがて、ふう、と息をついて抵抗する力を抜いた。

「負けたわ、ピアン王女」

「え」

「どうやら王も貴女も仕留めることは難しそうだし、今日のところは大人しく退いてあげる。それに……貴女のこと、少し勘違いしてたみたい。見直したわ、ピアン王女」

「……ありがとう」

 サラはファオミンを押さえつけていた力をゆるめた。

「……なんてね」

 次の瞬間、ファオミンは素早く動き王女の胸に短剣を突きたてた。王女の目が大きく見開かれる。純白のワンピースの胸の部分が赤く染まる……

「さようなら、ピアン王女」

 ファオミンは笑い声を上げると、赤い翼を広げて南の空へ飛び立った。


(3)


「サラ!」

 草原に倒れたピアン王女を見てキリアが絶叫した。リネッタも同時に言葉にならない悲鳴を上げていた。キリアは真っ先にサラに駆け寄るだろうと思っていたが、キリアはリネッタを振り返って、それからエンリッジを見た。

「エンリッジ、サラのことお願いっ!」

 キリアは短く叫ぶと乗用陸鳥ヴェクタの手綱を握ってその背に飛び乗った。赤い翼の女を見据えて猛スピードでヴェクタを走らせる。

「ああ、まかせろ」

 エンリッジはすぐにサラに駆け寄った。リネッタとウィンズムもエンリッジを追う。

 サラは胸を押さえて草原に横たわっていた。白いワンピースとその生地を握りしめた指が血で赤く染まっている。苦しそうに呼吸を繰り返している。

「姫様……!」

 それしか言えなくて、リネッタは唇を噛んだ。

「リネちゃん……」

 薄目を開けて、サラがリネッタを見た。

「ごめんなさい……あたし……」

「喋らなくて良いから! 大丈夫……大丈夫だからね……」

 泣きそうになるのをこらえながら、リネッタはすがるようにエンリッジを見上げた。エンリッジはサラの傷の様子を診て言う。

「大丈夫、傷はそんなに深くない」

 エンリッジは右手をかざして治癒を開始した。あたたかい光がサラを包み込む。大丈夫、と聞いてリネッタはひとまずほっとしたが、リネッタの後ろでウィンズムが低く呟いた。

「……姫の様子がおかしい。『毒』じゃないのか? 医者」

「ああ、多分」

 サラを治癒しながら、厳しい表情でエンリッジはうなずいた。

「何それ、どういうこと?!」

 リネッタはサラの左手を両手で握りしめながら二人に尋ねた。その手は熱かった。サラがくり返し吐き出す息も荒く、熱い。

「刃物に毒が塗ってあったんだ」

 と、エンリッジが答えた。

「毒が? ……でもアンタ医者なんでしょ、解毒くらいできるんでしょ」

「今すぐにはできない。適切な解毒薬が手元にない」

「じゃあ、どうするの」

「医院に取りに行ってくる。心当たりはいくつかあるが……」

 そこまで言ってエンリッジは言いよどんだ。続きは言わなかったが、リネッタには彼の心の声が想像できた。もしリンツに『適切な』解毒薬が無かったら……?

「とにかく、俺は行ってくる。リネッタ達はここ、たのむな」

「うん……」

 リネッタはうなずいてサラの手を握る両手に力をこめた。

「ウィンズム……」

 リネッタは背後に立つウィンズムを見上げた。ウィンズムはリネッタの頭をぽんぽんと叩いた。

「……解毒薬なら、『あの女』が持ってるかもしれないな。奪ったほうが早いだろう」

「あの女?」

 ウィンズムの言葉を繰り返してリネッタははっとした。

「冴えてる、ウィンズム!」

「……上手い具合にアイツが足止めしているみたいだしな」

「キリア、でしょ。味方の名前ぐらい覚えなよ」


 *


 ――あの女、許さない!

 草むらに倒れたサラを見てキリアは声を上げた。やっぱり王の命を狙う暗殺者にのこのこ近付いてしまったサラが甘かったのだ。それを黙認してしまった自分も甘かったのだ。これでもしサラにもしものことがあったら……悔やんでも、悔やみきれない。

 キリアはちらりとエンリッジを見た。エンリッジに、というのは少々不本意なのだが、任せられることは任せよう、と思った。彼は一応『医者』なのだから。

「エンリッジ、サラのことお願いっ!」

 キリアは短く叫ぶと乗用陸鳥ヴェクタの手綱を握ってその背に飛び乗った。「ああ、まかせろ」という彼の声を聞きながら、赤い翼の女を見据えて猛スピードでヴェクタを走らせる。

 女の飛ぶスピードは速かった。これ以上距離は縮まらない、と悟ると、キリアは女に狙いを定め、精神を集中させた。

(風の精霊――!)

 キリアは右手を空にかざし、召喚した力を女に向けて一気に放った。「風」は女の軍服の何箇所かを同時に切り裂き、血飛沫(しぶき)が上がった。女は振り返ってキリアを見とめると、赤い翼を大きく広げて地面に下りてきた。右手で短剣を抜いて構える。

「どうやらただでは帰してくれないみたいね」

 女はキリアをにらみ付けて言った。切り裂かれた軍服からは血が滴り落ちている。

「当たり前よ! サラを傷つけてただで帰れると思わないでよ!」

 ヴェクタの上から見下ろしてキリアは叫んだ。

「もし、サラにもしものことがあったら……! アンタは絶対に生かして帰さない!」

「それは困るわ。ピアン王女は死んだも同然だけど……」

「何ですって!」

「あたしは必ずクラリス様のもとへ帰ってみせる。アンタを殺してね」

 女は短剣を構えて一気に間合いを詰めてきた。精霊使いであるキリアは接近戦は苦手だった。精霊を発動させるのには時間がかかる。そのためには距離を置いて戦う必要がある。急いで女との距離を離そうと思ったが、ヴェクタに乗っていてはすぐに女の動きに対応できない。いつもならこんな些細なミスは犯さないのだが、今回はサラのことで冷静さを欠いていたのだろう。キリアは素早く発動させられるような小さめの精霊術を使うことにした。

 至近距離まで間合いを詰めた女がキリアに向けて短剣を投げつけようと振りかぶった。同時にキリアは風の術を発動させた。風の刃は女の右手を傷つけ、女があっと声を上げた。女の手を離れた短剣はキリアを大きく反れてキリアの背後の草むらに突き立った。

 何気なくそちらを見やってキリアは驚いた。草むらに突き立った短剣を拾い上げる銀髪の少年の姿。ウィンズムがいつの間にか追いついてきたのだった。キリアが何か言おうとした瞬間……ウィンズムは素早くその短剣を女に向けて投げつけた。

 ウィンズムの手を離れた短剣は正確に女の胸に突き刺さった。

「きゃあああああ!」

 女が胸を押さえて高く絶叫する。この世のものとは思えない絶叫にキリアは耳をふさぎたくなった。

「……俺もナイフ投げは得意なんだ」

 ウィンズムがボソリと呟いた。

「……お見事」

 キリアはヴェクタから飛び下りてウィンズムに並んだ。

「……あの女の短剣には毒が塗ってある」

 と、ウィンズムは言った。

「ちょっとでも斬りつけられていたらお前もアウトだったな」

「え……じゃあサラは!」

 キリアは顔色を変える。

「……傷自体は浅かった。解毒薬を使えば助かるだろう」

「解毒薬……って。エンリッジ持ってるの?」

「……わからん。でも、あの女なら持ってるだろう」

「あ……そうか!」

 キリアは胸を押さえて苦しみにのたうつ女を見た。彼女も自分の毒を喰らったのだ。持っているのなら解毒薬を出すはずだ。

 女は懐から茶色の小瓶を取り出し、キリアたちを見た。

「……わたくしにこれを出させることが目的だったのね、やるじゃない……」

「わかってんならよこして、早く!」

 キリアは叫ぶ。

「フフ……」

 ファオミンは苦しげに笑った。

「この瓶は……渡さないわ、絶対に!」

 ファオミンは手にした小瓶を地面に叩きつけた。硝子ガラスが砕ける音。茶色の小瓶は粉々に砕け散り、破片と中身を地面にばらまいた。

「なんてことを!」キリアは叫んだ。

「アンタ自分だって……命惜しくないのっ?!」

「おあにくさまね……」

 ファオミンはキリアを見て、薄笑いを浮かべた。

「わたくしは自分の使う毒には慣れているのよ。だから効きが悪い。多少具合が悪くなってもこの毒で死ぬ、ってことはないわ」

「そん、な……」

 キリアは絶句する。

「アハハハハ……!」

 ファオミンは天を仰いで高い声で笑った。

「これでピアン王女が助かる道はついえた! ピアンは終わりね! クラリス様、やりましたわ……っ!」

 そこまで言って、ファオミンは完全に意識を失ってがっくりとその場に崩れ落ちた。ウィンズムが素早く近付いてファオミンの鳩尾みぞおちに拳を入れたのだった。

「……コイツ、どうする?」

 ウィンズムがキリアを振り返り、意識を失ってうつ伏せている赤い髪の女を指して尋ねた。

 キリアは大きく息を吸い込んで心を落ち着けようとしていた。これでピアン王女が助かる道はついえた、という女の高い声が耳に残っている。この女を今ここで殺すのは簡単だ。それでサラが助かるのなら迷わずそうするだろう。でも……

「ピアン王に引き渡す」

 キリアははっきりとした口調で答えた。

「……わかった」

 ウィンズムはどこからともなく取り出したロープで女を縛り上げ始めた。


(4)


 ガルディアの暗殺者ファオミンの毒を受けたピアン王女サラは医院のベッドで眠っている。エンリッジがサラを助ける手段を持っていないと知ったキリアは、随分とひどい言葉を彼にぶつけてしまった。完全な八つ当たりだった。そのことは今では激しく後悔している。そのときリネッタも言っていたが、一番辛いのはきっと医師である彼なのだ。それに何もできないのはキリアだって同じなのだ。

 ベッドに横たわり、苦しそうな呼吸を繰り返すサラ。まだ泣かない、とキリアは唇を噛みしめた。まだサラは生きている。サラだって頑張っているのだ。エンリッジたち医師団も何とかサラを助けようと奔走しているのだ。まだ諦めない。

 ファオミンを捕らえている、というのが唯一の希望だった。ファオミンはリンツの地下牢に厳重に監禁されることとなった。もし王女が助からなかったら死を、というのが王宮関係者たちの大半の意見だった。しかしピアン王は静かに首を振り、彼女は絶対に殺すなと命を下した。ガルディアの者を生かして捕らえておくことはこちらの益になる、というのだ。

「申し訳ありません……」

 ピアン王の前でキリアは顔を上げられなかった。

「そなたが申し訳なく思う必要はない」と王は言う。

「サラがああなったのは、サラの責任だ」

 そうではなくて、とキリアは思う。キリアは悔しかったのだ。自分がついていながら、ピアン王女を、いや、サラをこんな目に遭わせてしまったのだから。自分が許せなかった。

 キリアは一歩一歩踏みしめるようにリンツのメインストリートを歩いていた。向かう先は、ファオミンが囚われている地下牢だった。彼女からサラを助ける方法を聞きだすのは難しいだろうと思う。たったひとりでリンツに乗り込んで来るなんて、相当の覚悟があったに違いない。

(それでも、やってみなくちゃ……!)

 薄暗い地下牢に下りると、ディオル将軍が灯りを掲げて立っていた。キリアを見とめて静かに会釈する。

「王女の様子は?」ディオルが尋ねてきた。

「相変わらずです」キリアはうつむいた。

「そうか……」

「それで、ファオミンは」

「こっちも相変わらずだ」

 ディオルは灯りを掲げて歩き、ある鉄格子の前で立ち止まった。ぐったりと床に横たわる赤い髪の女が照らし出される。

「彼女もまだ意識が戻らない」とディオルは言った。

「最悪、毒でこのまま死ぬという可能性もあるだろう」

 今のキリアにはこの女の生死なんてどうでも良かった。ただ、この場にこれ以上いてもサラを助ける方法は見つからないとわかっただけだった。

 キリアは地上に上がり、外に出た。傾き始めた陽が高い空から照らしてきてまぶしかった。空は憎たらしいほど青く澄み渡っていた。その青色はサラの瞳の色だ。

「キリア?!」

 ふいに自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。心臓がどきん、と音を立てた。キリアは声のしたほうを振り返った。駆け寄ってくる二人の足音。もう目の前だった。

 ――あんなに再会を待ち望んでいたのに。キリアはまともに視線を合わせることができなかった。

「おいキリア、しっかりしろよっ」

 肩をつかんで揺さぶられた。

「何があった? 話してくれないか?」

 落ち着いた声で問いかけてくるもう一人。

「サラが……」

 そこまで言って、キリアはこらえきれなくなって涙をこぼしてしまった。

「ごめんなさい……私……」

「サラが?!」

「父さんの伝言は? ファオミンは?」

「伝言は見たの……」

 キリアは力なく呟いた。

「それで城壁の外で迎え撃って……そのときサラが、毒を……」

「毒……」

「それで解毒薬が……もう助からないって、アイツが……」

「……リィル」

 バートがリィルを見た。

「ん」

 リィルはうなずいて、上着の胸ポケットから何かを取り出してバートに手渡した。

「こんなこともあろうかとは思ってたけど……まさかサラが、ね……」

「おいキリア、サラのやつどこにいる?」

「大丈夫、助かるよサラは」

「え?」

 キリアは顔を上げて、バートとリィルの顔を見た。二人とも真剣な顔をしていて、でも絶望はしていない。

「助かるって、本当?」

「父さん!」

 リィルが後ろを振り返って叫んだ。こっちに向かって早足で歩いてくる四人の姿。ショートカットの女性はバートの母ユーリアだった。眼鏡をかけた背の高い男性に、リィルに似た雰囲気の青年。リィルと同じ茶色の髪を肩まで伸ばした女性。

「ちょっと先行ってるから!」

「走るぞ、キリア。案内してくれ!」

「う……うんっ」

 うなずいてキリアは走り出した。すぐ後ろを走ってついてくる二人。夢と現実の境目を走っているようだった。高い空から照らす陽がまぶしくて、目がくらんで倒れるんじゃないかと思いながら走った。

 キリアとバートとリィルはサラの眠る病室に駆け込んだ。かたわらに主治医がついていて、相変わらずサラは瞳を閉じている。白い肌に赤い頬。苦しそうに乱れる呼吸。

 バートはゆっくりと部屋の中央まで歩くと、サラの枕元にかがみこんだ。

「サラ……」

 バートは呟いた。

「無茶しやがって……」

 サラの瞳がゆっくりとひらかれた。青い瞳がバートをとらえる。サラは精一杯の笑顔をつくって言った。

「バート……おかえりなさい」

「ああ。ただいま」

 サラと視線を合わせて、バートもわずかに笑みを浮かべた。

 バートはサラの背を支えながらゆっくりと上半身を起こさせた。手にした瓶のふたをあけると、サラの口元に持っていって飲ませてやる。サラは何も問わずにその液体を飲み込んだ。

「もう大丈夫だからな」

 バートに言われて、サラは微笑んでうなずいた。バートに背を支えられながら、再びサラは身体を横たえた。

「解毒薬だよ」

 リィルの声がしてキリアはリィルを見た。

「効き目は保障つきだから、大丈夫」

「そう……良かった……」

 キリアは大きく息を吐き出した。体中から力が抜けてその場にへたりこんでしまった。まだ意識は夢と現実の狭間をふらふらと漂っているような感じだった。


 *


 サラの病室にピアン王が入ってきて、エンリッジたち医師団が駆け込んできて、アルベルト将軍やディオル将軍、リネッタやウィンズムたちもやってきて……大勢になってしまったのでいったんキリアたちは病室を出ることにした。廊下にも人が溢れていてキリアたちは医院からも出ることにした。

 ゆっくり話ができるところに移動しようか、ということになって、キリア、バート、リィル、ウィンズム、リネッタの五人は中央公園へ向かった。この頃になってようやく、これは現実なんだという実感が戻ってきた。サラは無事に助かりそうで、バートとリィルもちゃんとリンツに帰ってきてくれたのだ。それはとても嬉しいことなのだろうと思う。自分がこんなに冷静なのはどう喜んで良いのかわからないからなのだろう。

「二人とも無事で良かった……って言いたいとこだけどさ」

 バートとリィルの姿を見て、リネッタが言った。

「……あんまり無事ではなかったようだな」

 とウィンズム。

「まあ、色々あったんだよね……」

 リィルが言い、バートもうんうんとうなずいた。バートは上着の下に包帯を巻きつけていたし、リィルも左肩に包帯を巻いていた。しかも「どうしてタイミング良く解毒薬なんて持ってたのよ?」と問い詰めると、リィルも同じ毒で死にかけていたということが判明した。まあ無事だったから良かったようなものの、とキリアはため息をついた。自分がその場にいたらと思うとぞっとする。

「キリア、ごめんっ!」

 リィルが両手を合わせて頭を下げた。

「怒ってる……だろ?」

「うん、すごく」

 キリアは微笑をリィルに向けた。

「でも大事なところでサラを助けてくれたから帳消しにしてあげる」

 それを聞いてリィルはほっとしたような笑顔になった。そして、「ちょっと」と言ってキリアの手を引いてバートとリネッタとウィンズムから遠ざかる。三人から十分に距離を取ったところで、リィルは少し言い辛そうに口をひらいた。

「でさ、キリア……」

「ん? なあに?」

「……返事、聞きたいんだけど」

「は? 何の?」

「まずはイエスかノーか」

「だから何のこと?」

「あれ? 届いてない?」

 リィルが顔色を変える。

「エニィルさんからの伝言?」

「その後のもう一通。キリア宛に俺から」

「知らないわよそんなの」

 キリアは首を横にふった。リィルはうっとか呻いて顔を赤らめた。そんな表情初めて見た。

「じゃあ俺の送ったやつ、どこ飛んでったんだよー!」

 青空を仰いでリィルは叫ぶ。

「やっぱ父さんの見よう見まねで成功するわけなかったかーっ」

 はあ、とため息をついて、リィルはがっくりと肩を落とした。

「何送ったの、私宛って」

 キリアは問い詰める。

「ノーコメント」

 と言ってリィルは口を閉ざす。

「イエスかノーかってまさか……違うわよねっ?」

「……そっちのほうが良かった?」

 リィルが力なく聞き返してくる。

「別に」

 キリアはそっけなく答えた。


(第2部・完)


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