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四精霊の伝説  作者: 沢崎 果菜
第2部 つかの間の交叉
10/26

動 か す 力

(1)


「いちごーう、にごーう、さんごーう」

 今はガルディアの手に落ちてしまったピアン王宮の厨房で、エルザは枡ですくった米をボウルにざざあっと流し入れていた。

「今日から一人増えたからね。魚の切り身は三枚か。あとは菜っ葉と、お塩と……」

「ダシ用の昆布忘れないでね」

 おたまで鍋の中身をかき混ぜていたユーリアが横から口を挟んできた。エルザはふふん、と笑って言ってやった。

「アイツらに昆布ダシなんてゼータクよ。魚から出るやつで十分」

「あとこれ」

 と、ユーリアに細くて長い硬い緑の葉を数枚手渡された。

「?」エルザはユーリアを見上げる。

「熱さましの薬草。中庭に生えてたから摘んどいたの」

「……さっすがユーリアおばさん」

 そこまで気が回らなかったエルザは素直に感心する。

「おねえさん、でしょ。怒るわよ」

 ユーリアはにっこりと微笑みながら、エルザを軽く小突いた。


 *


 三人分の食料をボウルに入れ、エルザは裏門近くに建てられた粗末な小屋に向かった。その小屋は、かつてピアン王宮の「裏門」が機能していた頃、夜勤の門番が交代で仮眠を取ったり休憩したりしていた小屋だった。しかし、今は……

(私たち試されてるのかしら、もしかして)

 エルザは片手をポケットに突っ込んで鍵を取り出すと、小屋の扉の鍵穴に差し込んだ。扉を開けて、明るく叫ぶ。

「やっほー。メシ持ってきたわよー」

「何がやっほーだ」

 大きく息をつきながら、疲れきった表情のエルザの弟――フィルが姿を現した。

「はい、これが今日の夕食分」

 エルザは笑顔でボウルをフィルに押し付けた。

「いつもより多いな」

「サービスよ」とエルザは答える。

「そうか……」

 とだけ言って、フィルは黙ってじっとこちらを見ている。

「?」

「……聞かないのか?」

 と、フィルは口を開いた。

「何を」

「リィルの具合」

「…………」

 エルザは素早く左右を確認する素振りを見せてから、言った。

「あんまアンタと私で一家団欒な話もしてらんないでしょ」

「オヤジが命には別状ないからって」

「当たり前でしょ、たかだか高熱出したくらいで。そんなんで死んだら笑うわよ」

 そして暫く沈黙が流れた。

「……バート君は」フィルが尋ねてくる。

「あーもー全然平気」エルザは即答した。

「何針か縫ったとか聞いたけど……まあ、アイツ身体だけは丈夫でしょ。ホラ、いつかの家族対抗地獄巡りレースのときだって」

「その話は思い出したくないからやめてくれ……」

 あの地獄の日々のことを思い出したのか、フィルは顔をしかめた。

 ――そして、また、暫くの沈黙。

「……何も、不自由してない?」

 と、エルザは尋ねてみる。

「エルザこそ……無理してるんじゃないか?」

「そっくり返すわよ。アンタらもサッサとガルディアに忠誠誓っちゃえば楽になれるのに」

「あいにくエルザみたいに器用じゃないんだ、俺もオヤジも」

 フィルは言って、苦笑いを浮かべた。


 *


 エニィルは冷たい水で絞った手ぬぐいをリィルの額にのせた。簡易ベッドで苦しげに呼吸を繰り返すリィルの意識は、未だ戻る気配はない。

(見たところ、どこにも外傷はないが……)

 エニィルは首を傾げる。リィルが目覚めてくれない限り、一体何が起こってこういうことになったのか、さすがのエニィルにもさっぱりわからないのだ。

(リィルを担ぎ込んできたガルディアの下っ端兵は、使えないヤツだったしなあ……)

 エニィルはなるべく穏やかに、「何が起こったのかな?」と聞いたつもりだったのだが、フィル曰く「青黒いオーラが出ていた」らしい。すっかり怯えきった下っ端兵は「すみませんっ」とか叫びながら逃げるように小屋を出て行った……

(それにしても……。リィルがここに来てしまったということは、『気付いた』――のかな)

 エニィルはすっかり温まってしまった手ぬぐいを持って立ち上がり、流し台(シンク)に向かった。そこで玄関からボウルを抱えて戻ってきたフィルと鉢合わせした。

「エルザの差し入れか」

 そのボウルを見とめてエニィルは言った。

「今日の夕食当番はどうしようか」

「俺が作る」フィルが即答した。

「良いのか? 今夜はベッドでは寝られないよ」

 この粗末な小屋には簡易ベッドがひとつしか置いていなかった。今はもちろんリィルが使っている。リィルが担ぎ込まれてくるまでは、エニィルとフィルで交代で使っていたのだ。ベッドに寝るほうが食事当番、という条件で。

「わかってるって」とフィルは言った。

「だってオヤジは……どうせ呼ばれてるんだろ」

「そうだったね。もうそんな時間か」

 エニィルは面倒くさそうにため息をついた。立ち上がり、心配そうな表情のフィルの肩に手を置いて言う。

「大丈夫だから。美味しい夕飯、期待してるよ」


 *


 がちゃん、と扉が閉められ、フィルは眠るリィルと二人、小屋に取り残された。

「リィル……」

 フィルは弟の顔を覗き込んで、大きく息をついた。

「夕飯までには起きてくれよ……。面倒くさいから三人ともお粥で良いよな……? 良いよな、オヤジ……?」


(2)


 リンツの中央病院で、キリアは何とかサラとの面会の約束を取り付けていた。サラは、ベッドの上で上半身を起こして、想像していたよりもずっと元気そうだった。

「面会謝絶だなんて、もうっ……ウチの人たちみんな大げさなんだから」

 サラの声を聞いて、キリアはベッドのかたわらの椅子に腰掛けて微笑を浮かべた。

「そりゃあそうよ。私だってサラが突然倒れたって聞いてびっくりしたもん」

「あはは。ちょっと疲れがたまってたみたいで……心配かけちゃったかしら? ごめんなさいね」

「ううん。でも、熱も下がったみたいだし、思ってたより元気そうで一安心」

「ありがとうキリア、お見舞いに来てくれて。あ……他のみんなはどうしてるの?」

「…………」

 キリアは言葉に詰まった。サラの大きな瞳が、真っ直ぐにキリアを見つめている。膝の上に置いた封筒が妙に重く感じられた。

「リネッタはね、ウィンズムと早朝デート」

「ええっ?!」サラが顔を輝かせた。

「じゃあ、リネちゃん無事ウィズ君に会えたのね? 良かったわぁ」

「ホント偶然にね。リネッタ、ウィンズムのことすっごい心配してたから……」

「それでイキナリ早朝デートなのね? やるわぁリネちゃん」

「昨日の晩、ウィンズムとリネッタと一緒の部屋に泊まってたんだけど、朝起きたら、二人の姿が無くて、テーブルの上に置き手紙が」

「デートしてきますって?」

「ううん。なんか二人で一族の今後について話し合うとか何とか書いてあったけど」

「どう考えたってデートの口実だわ!」

「よねー」

 サラとニヤニヤ笑い合いながら、キリアは静かに覚悟を固めていた。

「それで、バートとリィルちゃんは今、どうしてるの?」

 サラの、至極当然な疑問。

「うん……」

 キリアはゆっくりと、一度サラから視線を外し――

「……?」

「……ゴメン、サラ!」

 キリアは勢い良く頭を下げた。

「キリア……?」

 顔を上げられずに、キリアは一気に言う。

「アイツら、二人でピアン首都に行っちゃったの……! 私、止められなかった……ゴメン……!」

「え……?」

 サラが静かに問い返す。

「首都、に……?」

「バートは……クラヴィスさんを許さないって言って……リィルは、家族が首都に捕まってるはずだからって……」

「いつ……?」

「昨日の夕方。ウィンズムが、バートのお母さんがクラヴィスさんに連れ去られたって教えてくれて、それ聞いたバートがキレて飛び出してっちゃって……リィルが追いかけてったから、てっきり止めてくれると思ってたのに。まさかリィルまで……」

「……そう」

 ばさ、と音がして、キリアが顔を上げると、サラはベッドに仰向けに倒れ、天井を見上げていた。

「サラっ」

「行っちゃったのね……」

 天井を見上げたまま、サラは呟いた。

「あたしには何も言わないで……行っちゃったのね……」

「サラ……」

「…………」

 サラは大きく息を吐き出した。

「バートの気持ちはわかるわ。バート、お父様のことずっと気にしてたもの……」

「うん……」キリアは頷く。

「でも……」

 サラは、ゆっくりとキリアの方を向いて、力なく微笑んだ。

「あたしに黙って行っちゃったってのが……悲しくて……悔しいわね……」


 *


 暫くサラと歓談していたら、「そろそろ姫様は昼食の時間です」と言われて、キリアは中央医院を追い出された。医院の出口で、サラに取り次いでくれた大柄な将軍(名はディオル将軍というらしい)に会釈して、キリアはリンツのメインストリートに出る。

 リネッタの置き手紙には「昼までには帰るから、一緒にお昼ご飯食べよう」と書いてあったのだが……

(今、リネッタに会うわけにはいかない)

 キリアはリンツのメインストリートを早足で歩いていた。向かう先は、バートとリィルが首都に向けて旅立った、乗用陸鳥ヴェクタ乗り場だった。

(今まで何悩んでたんだろ、私)

 サラと話して、今までの迷いが嘘のように晴れた。

(私も行こう、首都に。そんでアイツらを力づくでも連れ戻す)

 たった一人で首都に向かう……どう考えても、無謀な行為だった。それは頭ではわかっていた。……けれど。

(だって……サラが)

 バートに一方的に置いていかれたサラが……寂しそうだったから。

 今まで、はっきりと言葉で聞いたことはなかったけれど、さっきのサラの様子でキリアは確信してしまった。

(やっぱり、サラは、バートのことが大好きなんだ。『好き』って言葉なんて要らないくらい……呼吸をするのと同じくらい当たり前のように、『好き』なんだ……)

 バートの方は、サラのことをどう思っているのかはわからないけれど。

(もし二人が結婚したら……なんか良いなあ……)

 ついついサラの純白のウェディングドレス姿なんて想像してしまう。

 幸せそうに微笑む、金髪の姫君。

 でも……今、その相手は。

(……バートの馬鹿)

 キリアは唇を噛み締めた。

(サラにあんな悲しそうな顔させるなんて、バートの馬鹿。リィルも同罪よ!)

 今更首都に向かったところで、全てが終わったあとかもしれないけれど。それを確認するのは、少しだけ恐いけれど。

(やっぱり私、リンツでただ待っていることなんてできない。私が行動起こさないと!)

 これは……多分、試練なんだ、とキリアは思う。未来から過去を振り返ったときの一つの通過点に過ぎない……そう、願いたい。

「あれ……キリア?!」

(げっ)

 聞き覚えのある声に、キリアは反射的に身を硬くした。観念して立ち止まり、恐る恐る頭を巡らせる。

 そこに立っていたのは、長い髪を後ろで一つに縛り、白衣を羽織った、キリアの元同級生……

「エンリッジ」

「また会ったなあー」

 エンリッジは軽く片手を上げて、早足でキリアのそばまでやって来た。

「お前一人なのか?」

「悪い?」

 エンリッジ相手に、ついつい言葉がきつくなってしまう。

「別に悪くは無いけど……。さっきオレ、リネッタに会ったぜ」

「えっ」

「ウィンズムと一緒にいたから、一緒にアイスクリーム食べて喋ってた」

「な、何考えてるの!」呆れてキリアは叫んだ。

「せっかく二人っきりのところ、邪魔しちゃダメでしょ!」

「邪魔……って。アイツらタダのイトコ同士だろ?」

「そうだけど、リネッタは本気なの」

「あーどうりで……リネッタに凄い勢いで『あっち行け』って感じで追い払われたワケだ」

「……アンタって相変わらずね」キリアはため息をついた。

「で。キリア、どこ行こうとしてるんだ?」

 改めてエンリッジが尋ねてくる。

「えーと……ちょっとそこまで」

「ヴェクタに乗ってか?」

「…………」キリアは言葉に詰まった。

「リネッタに少し聞いたんだ。バートとリィルが、ピアン首都に行っちまったんだって? だからキリアもアイツらを追っかけて首都に行こうとか企んでるんだろ?」

「…………」

 全くの図星だった。キリアは肯定も否定もできなかった。

「首都に行くのはやめときな」

 エンリッジが真剣な表情になって言ってくる。

「どうして?!」

 カッとなってキリアは言い返した。

「危険だから? そんなんわかってるわよ! アイツらだって危険だってわかってて行っちゃったんだから! でも! ここで私が首都に行かなかったら……」

「アイツらは帰ってくるって、ここに」

「……え」

 キリアはまじまじとエンリッジの顔を見上げた。

「何で言い切れるのよ」

「だってアイツら、『伝言』残して首都に行っちまったんだろ?」

「……うん」

 それが何?という表情をすると、

「もし、アイツらが、もう戻ってこないつもりなら……。キリアたちのところに、ちゃんと挨拶に来てたはずだ」

 と、エンリッジは言った。

「……え?」

「フツーに考えて、今まで一緒に旅してきた『仲間』に、紙切れ一枚で『さようなら』なんてつもりじゃないだろ。ちょっとの間、出かけてくるけど、すぐ帰ってくるから――って、そういうノリで出した『伝言』だと思うぜ、オレは」

「…………」

 キリアは何も言い返せず、黙りこんだ。

 ――『仲間』……?

 色々な考えが頭の中をぐるぐる回り始めた。

「だから、さ」

 エンリッジは微笑んだ。

「お前らは、アイツらを信じて、リンツ(ここ)で待ってりゃ良いんじゃねーか?」


(3)


 長い長い夢を見ていたようだった。気がついたら、見知らぬ小屋のベッドの中で寝ていた。

「あ。生きてる……」

 リィルは呟いた。ひたいの熱さを感じ、両(てのひら)を額に押し付けた。冷たくはなかったが、そこから熱が発散していくようで、少し気持ちが落ち着いた。

「リィル?」

 兄のフィルが駆け寄って来た。二言三言言葉を交わした後、兄はお粥持って来るから待ってろよ、とか何とか言いながら、再び視界から姿を消した。

 そういえば、ひどくお腹が空いていた。


 *


「俺……三途の川に、片足突っ込んでたのかなあ……」

 ベッドで上半身を起こし、魚の切り身の入ったお粥を口に運びながら、リィルは呟いた。

「あのなあ……」

 フィルは泣きそうな顔になって、がっくりと肩を落とした。

「冗談でもそんなこと言うな! こっちがどんだけ心配したと思ってるんだ!」

「冗談じゃないってば」大真面目にリィルは言った。

「いや、初体験だよ。『死』をあんな身近に感じたのって。『死』って……全ての苦しみから解放された、安らかな世界なんだろうなって……実感しちゃった」

「その若さでそんなん実感するな!」

 フィルは力いっぱい叫んで、ため息をついた。

「ところで父さんの姿が見えないけれど」

「オヤジはちょっと出てる。っつーか……なんでオヤジも捕まってるって知ってるんだ? お前一体何しに……」

「俺、『ここ』に捕まってる家族みんなを助け出しに来たんだ」

 と、リィルは答えた。

「バート君と一緒にか?」

「バートが来たのは別件。……バートは、無事に捕まってる?」

 リィルは草むらに倒れたバートの姿を思い出して尋ねた。

「ああ、無事だって言ってた、エルザが」

「……そっか。良かった」

 リィルはふぅ、と息をついた。

「しっかし……無茶するよな、お前」

 フィルは呆れたように笑った。

「いっくら俺たちが捕まってるからって、ホントに敵の本拠地に乗り込んでくるとは」

「ははは……だって、こうでもしなきゃ会えないじゃんか」

「今まで、どこで何してたんだ? オフクロには会ったのか?」

「母さんには会ってない。俺、てっきりみんな、あちこちに潜伏してると思って、家族を探す旅に出てたんだけど……」

「旅に?!」

「うん。バートと……色々あってピアン王女と、キグリスの女の子と」

「ピアン王女と、キグリスの……?」

「ピアン王女――サラがさあ、キグリス首都まで行きたいって言って、俺たち護衛してたんだ。俺はついでに各地に散ってるはずの家族みんなに会えれば良いなって。けど、旅の途中でバートが姉貴に会ったって聞いて……ちらっと思ったんだ。もしかしたら、みんなも既に、ガルディアに捕まってるんじゃないかって」

「……待て。バート君がエルザに会った?」

「だったらガルディア本拠地に乗り込んだ方が早いなって思って、サラをキグリス首都まで送り届けてからピアン(こっち)に戻ってこようと思ってたんだけど……。途中でピアン首都もガルディアの手に落ちたって聞いて。それでみんなで慌てて戻ってきたんだ。で、クラリスさんをブチのめすって聞かなかったバートと一緒にここに来たってわけ。……これでだいたいわかった?」

「…………」

 フィルは混乱した頭を整理させようと、視線を落として考え込んだ。

「お前の話には……ツッコミどころが多すぎるんだが……」

「お粥、ごちそうさま」

 リィルは空になった器をフィルに差し出した。

「お、キレイに食ったな。食欲はあるんだな」

 と言って、フィルは器を受け取る。

「ありがとう。お腹空いて死にそうだったんだ」

 そう言って、リィルは仰向けになって目を閉じた。

「リィルっ」

「お腹いっぱいになったら眠くなって。ごめん……」

 目を閉じたまま、小さな声で、リィルは呟く。

「イヤ、良いって。今は寝ときな。話はあとでゆっくり聞かせて貰うから」

 きっと、喋りすぎて疲れたのだろう、とフィルは思った。リィルはまだ本調子ではなさそうだ。

(でも……リィルが目覚めてくれて良かった)

 フィルはほっと息をつく。

(……これでオヤジが帰ってきてくれれば)

 フィルは自分の器にリィルの器を重ねると、立ち上がって流し台に向かった。


 *


 フィルがテーブルに肩肘をついてうつらうつらしていると、がちゃり、と、扉の開く音が聞こえた。

「オヤジ?!」

 フィルは立ち上がり、玄関へ走る。

「ただいま」

 エニィルはフィルを見て微笑むと、テーブルへと歩いた。

「リィルは?」とエニィルが尋ねてくる。

「あ、さっき目ぇ覚まして、お粥平らげて今は寝てる」

「そうか。じゃあもう心配ないね。良かった」

「ああ。本当に」

 言いながら、フィルは台所からお粥の入った器を持ってきて、エニィルの前に置いた。

「……水加減失敗した?」

 どろどろの米を見て、エニィルがフィルに尋ねる。しまった、やっぱ手ぇ抜かずにちゃんと炊けば良かった……と、フィルは後悔した。

 エニィルはそれ以上は突っ込まずに、粥を食べ始めた。フィルはそんな父をじっと見守る。

「……?」

 フィルの視線に気付いて、エニィルは顔を上げた。

「オヤジ……」

 フィルは遠慮がちに口を開いた。

「今日は……何もされなかったのか……?」

「何も?」

「ガルディアのヤツらに呼び出されて……その、良くある……自白剤とか……拷問とか……」

 想像したくもない言葉を口にしながら、フィルの声は段々小さくなっていった。

「そんな心配してたのか」

 エニィルはふう、と息をつく。

「極めて平和的な話し合いだよ。……まあ、いくら話し合ったって平行線だけど」

「あのな……オヤジ」

「ん?」

「一応、はっきり言っておきたいんだが」

 フィルは震えそうになる声をこらえながら、言った。

「何度ヤツらに聞かれたって、言っちゃいけないことは言わなくて良いから……。例え、俺の命を盾にされたって……」

「フィル…………」

 かたん、と音を立てて、粥の入った器がテーブルに置かれた。

「俺は、覚悟はできてるから……」


(4)


「あったーらしーいーあーさがきたっ♪ おっはよー」

「くっそー朝っぱらから……なんでそんなにハイテンションなんだ……」

「昨日の夕飯、みんなちゃんと食べた?」

「ああ。三人ともちゃんと食った。……お、今朝はパンなのか」

「たまにはサンドイッチなんてどうかなって思って」

「……?」

「ん? 何か?」

「今……『サンドイッチ』って聞こえたんだが……?」

「それが何か」

「そうか……聞き間違いじゃあなかったのか……」

「何泣いてるの。『いつも差し入れご苦労さま』は?」

「遊んでるだろ、お前……」


 *


 次の日の朝。リィルは既に、エニィルとフィルと同じテーブルについて朝食を取れるほどに回復していた。

「なるほど……姉貴が食材を持ってきて、食事は自炊なんだ」

 パンに海苔のりの佃煮を塗りながら、リィルは言った。

「結構おおらかな軟禁だろう」

 納豆を挟んだパンを口に運びながら、エニィルが言う。

「そこ! 間違ったもの食いながら会話するなー!」

 牛乳に黄粉きなこをまぶしてかき混ぜながら、フィルは力いっぱい主張した。

「やっぱり姉貴は別扱いなんだ。っていうか、姉貴ってガルディアに寝返ったんだよね?」

「らしいね。僕たちが捕まったとき、しきりに降伏を勧めに来たよ」

「なんで父さんと兄貴は降伏しなかったの?」

「うーん、降伏したって事態は好転しなさそうだったからなあ……。フィルは意地だろ?」

「当たり前だ! ピアンをめちゃくちゃにしやがったヤツらに降伏なんてできっかよ!」

 フィルは声を荒げた。

「それに、どのみち、僕は本物の『鏡』についてヤツらに喋るつもりは無いしね」

「『鏡』……、かあ」

 リィルはパンをひとつ食べ終わると、牛乳をすすり、父に向き直った。

「父さん」

「ん?」

「俺……父さんに聞きたいことが色々あるんだけど」

 エニィルはにっこりと微笑んだ。

「僕もリィルに聞きたいことが色々あるな。……まあ、リィルからで良いけど」

「じゃあ」と、リィルは口を開いた。

「みんなが持ってた四つの『鏡』って、一体、何? 兄貴は知ってるんだっけ?」

「いいや」フィルは首を横に振った。

「俺も詳しくは……。聞いたけど教えてくれなかったから」

「そっかー。じゃあ……やっぱりここでは教えられない?」

 リィルは真っ直ぐに父の瞳を見つめる。

「俺……それを聞く為にここに来たんだけどな。危険を冒してまで」

「フィルに教えなかったのは、巻き込みたくなかったからだよ」

「もうシッカリ巻き込んでるじゃん」リィルは譲らない。

「だな」

 エニィルは苦笑いを浮かべ、低い声で呟いた。

「そろそろ……『時機』なのかもしれないな……」

「じき?」リィルは聞き返す。

「『鏡』ってのは……『鍵』なんだ」

 エニィルがさらりと言った。

「鍵? 何の鍵?」

「扉を開けるための」

「扉? 何の……」

(!)

 突然、あるシーンがリィルの頭に蘇った。

(……まさか……?!)

「四精霊の伝説、って、知ってるよね?」

 エニィルの言葉は、フィルには唐突に聞こえたかもしれない。

「え? あの例の有名な、だろ? そりゃあ粗筋は」

「ガルディアは、その伝説の再現を恐れている。だから、それを阻止する為に、『鍵』である『鏡』を欲しているんだ。それが僕たちが襲われた理由わけ

「…………」

 フィルは弟の顔を見た。リィルは難しい顔をして黙り込んでいる。

「えーと……」

 フィルは仕方なく頭をフル回転させながら口を開いた。

「……つまり。『鏡』があれば『四精霊の伝説』の再現が可能だから……ガルディアはその可能性をつぶす為に?」

「そういうこと」エニィルは満足そうに頷いた。

「でも、『四精霊の伝説』の再現、って何なんだ? まさか、各地で眠っている『四大精霊』を目覚めさせるためのアイテムだとでも言うのか?」

「まあ、そんなところかな。そして、『四大精霊』を目覚めさせるためには、まず『扉』を――」

「俺、扉が開くところは見たんだ」

 エニィルの声に重ねて、リィルは口を開いた。

「?!」

 エニィルとフィルがリィルを見る。

「バートが開けたんだ。ピラキア山脈の、『”ホノオ”の扉』で」

「ああ。なるほど」

 それを聞いて、エニィルはさほど驚いた様子もなく頷いた。

「キグリス首都へ向かう途中で、そんなところに立ち寄ってたのか」

「偶然、っていうか、ほとんど観光気分だったんだけどね。……じゃあ。バートが扉を開けられたのは、」

「炎の『鍵』を持ってたんだね。クラリスが渡してたのかな?」

「てことは、お前、まさか、あの伝説の『大精霊”ホノオ”』に会ってきたのか?!」

 フィルに尋ねられ、リィルは首を横に振った。

「俺が暑いの弱いの知ってるだろ? 扉の中は凄い熱気で、あんなとこに入ってったら俺は確実に死ぬなって思ったから、入らなかった」

「なんだよー、せっかくの伝説のチャンスを」フィルは残念そうに呟く。

「でも、バート君たちは、入っていったんだね?」

 と、エニィルが尋ねた。

「うん。バートとサラとキリア……あ、キグリスの大賢者のお孫さんね……の三人は、入っていって……」

「へえ」エニィルは驚いたような表情になった。

「一緒に旅してたキグリスの子って、キリアちゃんだったのか」

「あ、父さんはキリアのこと知ってるんだっけ」

「まあね。昔、大賢者キルディアスさまと、ちょっと」

「ちょっと?」

「話すと長くなるから、あとで」

「それにしても……」とフィルが口を挟む。

「何で俺たちの一家が、四精霊の伝説に関わるアイテムなんて持ってるんだ? それに、なんでそれがガルディアにバレて真っ先にサウスポートの俺たちの家が襲われたんだ? それと……四つの鏡のうち、誰のが本物なんだ?」

「さすがに最後の質問には答えられないな」

 と、エニィルは言う。

「どうして」

「誰が聞いてるかわからない」エニィルは声をひそめた。

「万一その情報がガルディアに漏れたら、僕たちは用済みってことで処分されるかもしれないよ」

「う……そうか」

「父さんが昨日の晩出てたのは……それか」リィルは小さく呟いた。

「ん? 今何て言ったんだ? リィル」

「二つ目の質問の答えは……クラリスさん?」

 リィルはエニィルを見て尋ねる。

「……そう」

 エニィルはゆっくりと頷いた。

「父さんはいつから知ってたの? クラリスさんがガルディアの将だって……」

「うーん、少なくとも、フィルとリィルがこの世にいないときから……かな」

 エニィルは昔を懐かしむような表情になっていた。

「クラリスが何者なのかはね……出会ってすぐにわかっちゃったんだ」

「どうして?」

「そういうもんなんだよ」

「?」

「だからね、クラリスにもすぐバレちゃってたと思う」

「何が?」

「僕たちが、何者なのか」


(5)


 食事を終え、エニィルとフィルは席を立ってテーブルを片付け始めた。リィルも手伝おうと思い立ち上がろうとしたが、兄に「お前は良いから座ってろ」と言われたので、大人しく席に座っていることにした。

「そう言えば、」と、リィルは口を開いた。

「父さんも、俺に聞きたいことがあるんだっけ」

「ああ、そう言えば」

「何?」

「一応聞いておこうかなって。リィルは何で、僕たちが『ここ』にいる、ってわかったのかな?」

「あ、それは俺も聞きたい」とフィルも言う。

「カン」

 リィルが言うと、フィルが不満そうに言い返してきた。

「何だよそれ……。カンが外れてたらどうする気だったんだ」

「バートが姉貴に会ったって話は前に言ったよね」

 リィルは父と兄に、そのときの状況を簡単に語る。

「へえ……、クラリスがバート君に会いに……それにエルザが同行してた……と」

「知ってた? 父さん」

「いや、初耳」

「それにしてもガルディアの連中、よくエルザを外に出したよな」

 と言って、フィルは小さく笑った。

「自分のとこに置いといても百害あって一利なしって気付いたからかな」

「……さり気なく凄いこと言ったね、兄貴。後で姉貴に密告して良い?」

「余計なことは良いから」

「ああ……それでリィルは、気付いたんだね」

 エニィルが言った。

「どういうことだ? オヤジ」

「つまり。『僕たちを』捕らえているから、ガルディアは安心してエルザを外に出せる――と、そう読んだんだね? リィル」

「ははあ……そういうことか」とフィルは頷いた。

「お互い、あんま好き勝手できない状況なんだね……。ガルディアだって、姉貴が本気で寝返ったのか、フリしてるだけなのか半信半疑なんだろ?」

「エルザの本心は僕にだって読めないし」

 エニィルが笑って言う。

「でも、まあ……エルザには、エルザのやりたいようにやって貰うしかないね。あの子なら、きっと、大丈夫だから」

「確かに」フィルも笑った。

「で、」エニィルはリィルを見て言う。「続きは?」

「続き?」

「それだけじゃないだろう、理由は」

「……やっぱりお見通しかあ、父さんは」

「そりゃあ」エニィルは微笑む。

「クラリスだって、バート君の居場所が、わかったんだから」

「あ、てことは――」

「僕もわかったよ、リィルが来たことは」

「あはは……そっかあ」リィルは笑った。

「オイ、なに二人で別次元の話してるんだ」

 フィルは父と弟を交互に見て、首を傾げた。


 *


 ピアン王宮の医務室で、バートの母ユーリアは、腕組みをしてベッドのかたわらに立っていた。

「バっカねぇ……」

 自分の一人息子を見下ろして、呆れたように呟く。それから語気を強めて一気に言った。

「勝てるわけないじゃない! 本気で勝つつもりだったの?! 相手は……『クラリス』よ! ピアンで最強の将軍って言われてた! 今だってガルディアの第二部隊・隊長なのよ!」

「…………」

 ベッドに横たわる彼女の息子は、面倒くさそうにユーリアを見上げた。

「俺は、勝つ、つもりだったぜ。負けるってわかってて戦いに挑むほどバカじゃねーからな」

「負けたじゃない! それはアンタがバカだからよ!」

 ユーリアはすぐに言い返す。

「あーもーバカバカ言うな! だって、おっかしーんだよ。絶対勝てると思ったのに……」

「アンタ……」

 ユーリアは呆れて、ため息をついた。

「正真正銘のバカよっ! アンタをそんな子に育てた覚えはないわっ!」

 言い捨てると、ユーリアは足音を響かせて廊下に向かった。部屋を出て、振り返らずに扉を閉める。

 ユーリアが医務室を出て行き、バートは一人、ベッドの中に取り残された。

「ちっくしょーー……」

 天井を見上げ、バートはクラリスの顔を思い浮かべながら小声でうめいた。怒りに任せて父親に決闘を挑み、あっさり返り討ちに遭ったのも悔しいが、母親が言うには、リィルも重傷を負ってフィル兄たちのところに運び込まれたというではないか。

(父親……ウィンズムだけじゃなく、リィルまで傷つけやがった……。エニィルさんに何て言って謝ったら良いんだよ……)

 バートはゆっくりと上半身を起こしてみた。斬られた胸のあたりが多少痛むが、動けないほどではない。

(とにかく、いつまでもこんなところに寝てられるかってんだ!)

 バートは冷たい床の上に足を下ろし、ベッドに手をついて立ち上がった。


(6)


 ピアン王宮、厨房。

 医務室から戻ってきたユーリアは、『この場』にいるはずの無い少年に出くわしていた。ユーリアに背を向けて厨房内をしげしげと眺めているのは、茶色の髪をした、バートよりは小柄な少年。

「リィル君?!」

 その声に少年の動きが一瞬固まり、それからゆっくりと振り返る。

「あ……ユーリアさん」

 リィルはばつの悪そうな笑顔になってユーリアを見た。


 *


「あっきれた……」

 厨房のカウンターに立ち、ユーリアは二人分のカップに珈琲を注ぎながら、大げさにため息をついてみせた。

「なんでキミが王宮内こんなとこうろついてんのよ。キミって捕まってエニィルと一緒に監禁されてたんじゃなかったの?」

 ユーリアは両手にカップを持って、ダイニングテーブルまで歩く。

「でも、あの小屋の鍵、簡単に開きましたよ」

 リィルは温かいカップを受け取って軽く頭を下げた。

「キミが鍵開けしたの?」

 ユーリアは椅子を引いて腰掛けながら尋ねる。

「はい。でも父さんチェックが入って。父さんなら半分の時間で開けられるって」

「…………」

 ユーリアは自分の珈琲に口をつけると、大きく息をついた。

「エニィルったら何企んでるのかしら。あ……もしかして、キミが王宮内うろついてるのも、エニィルに何か指示されて?」

「いえ、別に……。上手くいってバートか姉貴に会えれば良いかなって、それだけです」

「なんだ、残念」ユーリアはつまらなそうに呟く。

「だったら、キミ、それ飲む間くらいは見逃してあげるけど、キミが王宮内うろちょろしてんの、ガルディア(ここ)の連中に見つかったらヤバいんじゃないの? 悪いことは言わないから、それ飲んだら大人しく戻ったほうが良いわよ」

「はーい」

「今の返事。真心がこもってないわね……」

「ぎく……」

 リィルが恐る恐る顔を上げると、ユーリアは楽しそうにリィルを見つめていた。

「やっぱりキミ、エニィルに似てるなー」

「え? そうですか?」

「見た目もエニィルの若い頃にそっくりだし。大人しそうな顔してすっごい大胆なところとか」

「はあ……どうも」

 リィルは少し考えてから、

「バートもユーリアさんに似てると思います」

「何それ、褒め言葉?」ユーリアは声を立てて笑った。

 リィルは飲み終わったカップをテーブルに置くと、姿勢を正した。

「俺が出てきた一番の目的は、バートのお見舞いなんです」

「お見舞いって……キミだってどっちかというとお見舞いされる方の立場だったんじゃないの?」

「俺はもうすっかり元気だから良いんです。でも、バートは……どうなんです?」

「口だけなら元気で医務室で寝てるわよ」

「そうですか……良かった」リィルはほっと息をついた。

「あのバカは一度痛い目見ないと治らないのよ、バカが」

「き、厳しいですね」

「だって……相手の力量も見抜けないで戦いを挑むなんて……」

 そこまで言って、ユーリアは何かをこらえるように言葉を詰まらせる。

 暫くの沈黙。

 リィルはたまらなくなって口を開いた。

「……ごめんなさい」

「?」

「謝りたかったんです……。バートがあんな怪我したの……俺の所為だから……」

「な? どうしてそうなるの?!」ユーリアは驚きの声を上げた。

「俺……俺が、ちゃんと止めれば良かったんです。俺だってクラリスさんの強さはわかってましたから。戦ったらどっちが勝つかってことくらい、ちゃんとわかってたんです。でも俺は……」

「良いのよ、別に。キミの所為じゃないわ」

 ユーリアはリィルに微笑を向けた。

「あの人には……常識は通用しないの。そんなん長年の付き合いでわかってるの。『わかんない』ってことを、わかっちゃってるの……。でも仕方ないわよね」

 何が仕方ないんだろう――と頭の片隅で考えながら、リィルは再び口を開く。

「それと、俺、カッとなってクラリスさん傷つけようとしてしまって……ごめんなさい」

「律儀ねえ。そんなこと私に謝らなくたって良いのに」

「ははは……とにかくこれで、ひとつスッキリしました」

 ごちそうさまでした、と言って、リィルは椅子から立ち上がった。

「あとはバートにちゃんと会って……医務室ですよね? それと、もし姉貴の居場所を知ってたら教えて貰えると嬉しいんですけど」

「ねえ、リィル君」

「はい?」

 ユーリアは立ち上がったリィルを見上げ、一呼吸置いてから続けた。

「キミが行っちゃう前に聞いておきたいんだけど。……キミは何をどこまで知ってるの?」

「…………」

「エニィルは当分子供たちには話さないって言ってたけど……もう、事情が事情だし。聞いた……でしょ?」

「……はい」

 リィルはゆっくりと頷いた。

「全部、聞いたの?」

「多分、本物の『鏡』のこと以外は」

「そう……」ユーリアは複雑な表情になって俯いた。

「それで、どう思った?」

「……うーん……」

 ユーリアに聞かれて、リィルは腕を組んで考え込んだ。

「どうって言われても……別に。今までどおりです。何も変わりません」

「……そう」ユーリアは微笑んだ。

「そう、ね。そうよね。変なこと聞いちゃったわね。ごめんね、リィル君」


 *


 裏庭近くの小屋の前で、バートは鉄格子のはまった窓の中を覗き込んでいた。小屋の中からは、リィルの父エニィルと兄フィルが、小屋の外に立つバートを見ていた。

「なんだ……入れ違いかよっ」

 二人から一通り話を聞いて、バートはがっくりと肩を落とした。

「なんだか発想が似ているんだね、キミたちは」

 エニィルが感心したように言った。

「以心伝心っていうか、仲良いなあ」

「仲良い? 別にフツーだろ、俺とリィルは。それに以心伝心て……ホントに以心伝心なら小屋の中で大人しくしてろってんだ、リィルのやつ」

「ははは……リィルも同じこと言って悔しがってるんだろうなあ」

「オヤジのん気に笑ってる場合かよっ」

「大丈夫だよ」エニィルはフィルに言った。

「バート君が病室にいないことがわかれば、リィルは諦めて帰ってくるだろう」

「そうかあ? むしろバート君のことあちこち探し回って余計なことに首突っ込んでるんじゃあ……」

「悪い……フィル兄。エニィルさんも……。こんなところに閉じ込めて……」

 鉄格子を握り締めて、バートは呟いた。

「別に閉じ込められてるわけじゃないよ、どっちかというと、自主的に留まっているだけ」

 そう言って、エニィルは微笑んだ。

「この小屋抜け出すこと自体は容易いよ。現にリィルは出て行ったわけだし」

「あ……じゃあ、なんでエニィルさんたちは逃げ出さないんですか?」

「だって、俺たちだけで逃げ出すわけにはいかないだろう?」

 フィルはため息をついた。

「?」

「エルザだよ……。アイツがガルディアに潜り込んじまってるから、こっちが迂闊に動いて良いものか、判断つきかねてるんだ」

「いーんじゃねーか?」

 バートはあっさりと言った。

「え?」フィルは驚いて聞き返す。

「エルザねーちゃんのことなんてどうでもいーじゃんか。つまり、今までは本気で動く気なかったってことだろ?」

「…………」

 フィルは言葉に詰まり、横目で父の横顔を伺う。エニィルの顔からは微笑が消えており、真剣な眼差しをバートに向けていた。

「逃げ出せるんなら……エニィルさんが本気を出せば、こんなとこ簡単に逃げ出せるはずなんだ……。姉ちゃんに連絡とる方法だって、いくらでもあったはずだろ……。なのに、なんで貴方たちは今まで大人しく捕まってたんですかっ! リィルは、命懸けで乗り込んできたんですよ、ここにっ!」

 そこまで言って、バートははっとしたように言葉を止めた。

「もしかして凄く失礼なこと言ったかも……悪ぃ……」

 バートは小さく呟く。

「違う……俺が許せないのは……ガルディアと父親で……」

「バート君……」フィルが呟いた。

 エニィルは小さく息を吐き出す。

 ――つまり、今までは本気で動く気なかったってことだろ?

 確かに、そうだった。

 しかし、もちろん、永遠に動く気がなかった、というわけではない。

 何かを、待っていたのだ。

 そして……それは、来てしまった。

「確かに、バート君の、言うとおりだね」

 だから、もう、答えは出ていた。

 あとは、口に出して言うだけだった。

「じゃあ。……そろそろ、本気で考えてみようか」

「「えっ」」バートとフィルの声が重なる。

「バート君ならある程度自由に動けるだろう。君のお母さんとエルザに伝言を頼みたい――良いかな?」

「は……はいっ!」

 バートは顔を輝かせ、声を弾ませた。


 *


「なあ、オヤジ……」

 バートが去って行った方を見つめ、フィルはぽつりと尋ねた。

「もし、リィルとバート君が、ここに来なかったら……それとも。リィルとバート君は絶対に来る、ってわかってて、待ってたのか?」

「リィルたちについては、来ない可能性は否定できない――それくらいだった、かな」

「じゃあ」とフィルは言った。

「もし来なかったら……俺たちはずっとここで動けなかったのか?」

「まさか」

 エニィルはフィルの方に向き直った。

「僕たちが動かなくたって、僕たちを取り巻く状況はどんどん変わっていく――。そういうことだよ」

「……?」

 父の言うことがいまいち飲み込めなくて、フィルは黙った。エニィルは手を伸ばして、フィルの肩を軽く叩く。

「さあ、フィル。動き出したら後には引けないからね。今のうちに覚悟を決めておくんだよ」


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