希望
四話程度で完結します。
この物語は誰も語らず、噂にもならない壮大な冒険記である。
勇者の肩書きを背負ってしまった男。彼は主人公であり、世界の人々から憎まれながら、世界を救おうとする者。
死力を尽くし、刺し違いをして果たした魔王討伐後、勇者は這い蹲りながら崩壊する魔王城から転移石を使い、地上に戻ってきた。頭の中の大部分は「痛い」という感情だったせいで、転移場所は思いもよらないところへと到着した。幸か不幸か、そこは自分の部屋だったのだが、なにぶん彼の家は治療の出来る大きな協会まで三日三晩寝ずに歩かなければ到着しない場所に建設されている。生半可の腕の持ち主が下手に魔王から受けた傷を治療すれば傷を広げる可能性もあった。まず前提に、彼の家の周辺には人っ子一人いない。それもそうである病院はおろか生活必需品を売買する露店なんて一切無い場所なのだから。
這い蹲りながら一週間が経った。徐々に回復する魔力を使用して体力を回復させ、魔王からの攻撃を受けた腹の傷は時間に任せるしかなく、それから何度も粗相して、血管の中で百足が暴れているような痛みに耐え、一年と半年が過ぎさり、勇者は元の生活に戻っていた。国王に謁見をして無事だと報告をしようとも思ったが、過ぎてしまった時間を考慮すれば考え物である。
森へ薪を収集しに行く際、不治の病で寝込んでいる母親から遺言にしては余りにも突飛な内容が聞かされた。「魔王は生きている……。…………復活する」それを言い残し母親は息を引き取った。その遺言は勇者が再び冒険を始める言葉となった。母親は昔国王の下で預言師として仕えており、誰よりも信じていた彼にとっては絶対なのだ。彼はいつか来るであろう母親との別れを覚悟しており、泣きはしなかった。母親を埋葬した後、最低限の荷物を持って、装備は使えないほど破損が激しかったため身軽な服装にローブを羽織り、唯一無事だった聖剣を携え家を出た。
勇者はまず近くにある廃下街へと向かった。治安が悪く、犯罪も多い廃下街はパーティーメンバーでもあり友でもあった盗賊と出会った場所だ。魔王討伐前にパーティー全員から話を聞くと、王様からの謝礼を持って自分の住んでいた場所へと戻って暮らしたいと言っていた。久しく会う戦友の驚く顔を想像して胸を躍らせていたが、聞かされたのは信じたくも無い事実だった。「あいつは……殺されたよ」盗賊が頻繁に出入りしている酒屋から聞いた確かな情報である。魔王討伐後、廃下街へと出向いた盗賊は心を改め、街を立派なものにしようと汗水たらして治安を良くするため取り組んだのだが、一部の反対者から寝込みを襲われ殺害されてしまった。その死体は反対者が何処かに埋めて見つけられないらしい。もし今から発見しても死体の状態が悪くなっており、蘇生は出来ないだろう。知り合いに挨拶をした後廃下街を出る際に手を合わせて祈った。
次に向かったのは賢者が住んでいるのどかな農村だ。金が無くて餓死直前の勇者と盗賊を賢者が助けてくれた。彼女は自分自身の力を謙遜するあまり、力が発揮できず周りから虐められており、三人で村人全員を見返したのは思い出の一つでもある。そして、勇者と賢者は旅路で互いに愛し合った者同士でもある。彼女の家を訪ねると懐かしい声が耳を蹂躙して、扉が開け放たれた。彼女は彼と視線を合わせると彼の胸を乱暴に押して扉をすぐさま閉じ、鍵をかけて「この村から出てけっ!」と今まで聞いたことも無い怯えた声が耳に突き刺さった。理由は問いたださず、これは現実だと理解しながらも夢である事を望みながら静かに、ひっそりと、彼はその場から消えた。
少し歩いた先の村には口が硬く、真面目な戦士が住んでいる。勇者パーティーの噂を聞きつけ、力になりたいとわざわざ言いにきた男だ。既婚者でもあり、反対する妻との話し合いは感動した。その後もちろん快く受け入れ、戦闘では自ら前線で戦い、パーティーの要ともなった。戦士の家を訪ねようとすると途中で戦士の妻と出会ったのだが、妻は酷く怯えた様子で家の中に逃げ込もうとしているので、私が怖いのですかと尋ねると足を止めてくれた。妻が震えた声で「夫をまた連れ出す気かい?」と質問をされ、返答に迷ってしまった。妻の瞳は以前の夫が離れてしまう恐怖より、他にもっと違う不安や怯え、そして敵対心を宿った光りが見えるからだ。戦士の状態が気になり問いかけると、家に通された。ある一室には乳母車に座りながら虚ろな目で天井を見上げてる戦士がおり、初めの頃の勇ましい面影が全く無い。戦士は魔王城の戦いで、死んでは蘇生して立ち向かう事を、何百と繰り返したせいで夢や幻覚で自分が殺されるようになった。それにより精神崩壊を起こしたそうだ。妻に帰ってくれと言われ勇者はどうする事も出来ず、頭を下げて家から出て行った。
自宅から持ってきた食べ物が尽きかけた頃、国の町外れにある最後のパーティーメンバーである僧侶が住んでいる小さな教会を訪れる事が出来た。今までの事を脳裏によぎりつつ、扉を開けると、口から血を吐き出し、服が乱雑に破け血が染み出し、血の池に仰向けの僧侶がいた。彼はそばまで走り血の池に膝をつき僧侶を抱え上げ、彼女の名前を呼ぶと瞼が一度痙攣して、ゆったりと少し開いた。彼女は微笑みながら彼の頬に右手を当て弱々しい声で「久しぶりです勇者様……魔王を倒したのは……間違い…………じゃないですよね……?」と言い、勇者が掴もうとした右手は既に血の池に沈んでいた。彼の頬には紛れも無い彼女の鮮血がべっとりとつき、透明な水滴が一筋通った。僧侶が丹精込めて作り、皆に自慢していた女神のステンドガラスを破って狼型の魔物が大きな鳴き声を上げて現れた。自宅からここに来るまで勇者は戦闘を何度も経験したが長い間の休みがブランクとなり、力を発揮できず、逃げてばかりだった。彼女を持ち上げて、長椅子に寝させ腰に携えていた剣を抜き、切っ先を魔物に向ける。切っ先が外から差し込む光りで反射して輝くと魔物が四肢を素早く動かし歯をむき出して大口を開け襲ってくる。刃を縦にして魔物の大口を受け止め、蹴り上げるが狼は身を翻し避けて地面を蹴り飛ばし腕に噛み付ついてきて、剣を手から離してしまう。そのまま押し倒され後頭部をうち、狼が首を噛もうと大口を開けた瞬間、目の前を通過する木の杖が狼を吹っ飛ばした。フードを深く被り、フードから垂れる紅の髪を揺らしつつ肩を上下に動かして呼吸をする女の子がいた。その女の子は片手に木の杖を持ち、勇者の手を強引に引っ張りながら逃げようと一言発した。朦朧とした意識の中女の子に頼りながら走ると、気づけば国から離れた砂漠の木に身を預けながら座っていた。頭の整理がついた途端自分の行動を貶したくなり、すぐさま来た道を戻ろうとしたが、ローブをつかまれ転んでしまう。今戻ったところで、彼女は狼に喰われて跡形も無いという事実を女の子から聞かせられた。自分でも分かっていたことだ。
気を落ち着かせ、心境の転換を試みるが難しかった。前を見るしかないと思い、隣に座っていてくれた女の子に正体を尋ねてみると、旅をしている魔法使いという返答が返ってきたので、勇者は旅をしている理由と自己紹介をした。理由を聞いた魔法使いは世界の何処かにある探し物を見つけるという旅の理由をつげ、彼の手助けをすると言われ、魔法使いと一緒に旅をすることとなった。
魔法使いは拙い回復魔法を勇者の肩に向けて懸命に唱えてくれ、傷は完治とまではいかないが痛みが引いて動かせる。感謝の言葉を述べてから魔法使いの探し物についての情報を聞いてみると、ペンダントを胸元から引き寄せて見せてくれた。ペンダントを目線の高さまで持ってくると「これが探し物です」と言うのだが、ペンダントは裏面が平面で菱形の青い宝石がついており欠けてるところが分からない。魔法使いからの説明を聞くと、これは二つで一つのペンダントらしく、宝石の平面部分が黒い宝石と合わさるようなのだ。
話を一旦切り上げ、旅をするにいたっての用意を国でしなければいけないと思い、砂煙を避けるためフードを被りながら魔法使いと十分ほど歩いて国へと入った。ひとまず装備屋に行き所持金百ゴールドで買える装備を壁に立てかけてるのを選んでいると、店主が声をかけてきた。豪快な笑顔が似合い、背が高く褐色の肌と筋骨隆々なところが目立つ若い男だ。三年ほど前に世話になった。失礼が無いようにフードをとって会釈したが、相手の行動は勇者の胸倉を掴んできた。睨みを利かせ低い声で「どの面下げてここにやってきた」と今にも殴りそうな店主が言った。足が地面につかず息が苦しくなる勇者を見た魔法使いは、後ろから木の杖を店主の脇腹に向かって振った。びくともしない店主は獣のように標的を魔法使いへと移した。勇者が店主の手から解放されてその場に咳き込みながら崩れ落ち、それを一瞥した後魔法使いのもとへと歩いていく。魔法使いは木の杖を両手で握り締め、震える先端を店主に向けるが木の杖はすぐに取られて叩きつけられてしまう。魔法使いの怯えた様子を見てか、危害は加えられずに追い出されるような形で装備屋の外に出された。周りの住民が彼の顔を見た途端、談笑していたおばあさんたちも、追いかけっこをしていた子供達、旅の準備をしている冒険者ですら彼に対して軽蔑の視線を送った。彼は近くにいる人達に声をかけるが無視をされ、しまいには舌打ちすらされた。
彼には少なかれ国に着けば待遇が良いと思っていた。魔王を討伐したヒーローなのだから。しかし今の状況が飲み込めない。
彼は情報を得るためもう一度フードを深くかぶり、魔法使いと別れて情報収集することにした。
一時間が経ったが結果からすると彼は有力な情報は得られなかった。しかし魔法使いが国の城の前に駐在してる兵士から話が聞けたようで、何故こんなにも勇者が嫌われてるかの理由が人気の無い路地裏で彼の耳に入っていった。
彼の耳から入ってきた情報をまとめると、勇者の魔王討伐後、魔物達の変化が顕著に現れた。縄張りを作り住んでいた巨大な魔物は急に暴れ始め、統率の頭である知性を有する魔物は見境無く人間を食い殺し、おとなしい魔性の植物ですら人間を襲うようになった。それに加えて今までより屈強になっていった。魔王は魔物達にとっては太陽のようなものであり、巨大な魔力が平等に他の魔物の養分、もといドラッグのようになるのだ。突然魔王を失ってしまった魔物は理性を蝕まれていき、強さのみが優劣に繋がる魔物の世界になった。その世界で強さを得るために魔物は進化して、より良い養分を得るため大量の人間を襲うようになった。つまりこの世界では魔王を討伐したせいで、混乱が生じているのだ。
この話には裏があり、魔王討伐の命を下した国王に非難の目が集まるのを予感した側近は国王の許可を得てこのように噂を流した。「国王が魔王討伐後の世界を予測して、勇者一行に中止を伝えたが討伐後の報酬に目が眩み討伐を強行した」と、国王にも降りかかる可能性のある非難すら全て勇者一行に責任転嫁をしたのだ。
この二つの情報は魔法使いから聞いたのだが、後の話は偶然兵士のヒソヒソ話が聞けたというものだった。
ガクンと勇者は膝から崩れ落ち、壁に背中をつけた。魔法使いと一緒に旅をしても邪魔をするだけだと思い、ここでパーティーの解散を告げ、勇者は微笑んで見せたがその笑顔は魔法使いにとって辛いものでしかなかった。魔法使いは勇者の隣に座って身を小さくした。
「勇者さん、私も同じようなものでした」と、言いながら身体を傾けて体重を勇者に預けながらぽつぽつと昔話を始めた。
「……私のお父さんは魔物と人間の共存を求めていて、最後までみんなに唱えていました。でも私以外、耳を傾ける人なんて誰もいなくていつも部屋にこもっては唸っているんです。お母さんにも愛想つかされて深夜何処かに消えてしまいました。そんなある時、魔物討伐を支持するリーダーの人に掛け合うと、逆上して携えていた剣で斬られ、深い傷を負ってしまいました。私は周りより頭が良いって自負してますが、魔法は不得意でした。お父さんの傷を癒すためのお金や生活費を頭を使ってこそこそ稼ぐより、力を有して雇われる方が大金が貰えます。雇われようと躍起になってもやる気だけじゃ世知辛い世の中ですから無理なんです。あ、それでもたまたまラッキーなダンジョンと巡り会って、敵からずっと逃げてたら未完成のペンダントを発見したんです。戦闘が出来ない事を痛感して、まず短所でもある魔法を練習をするために泊り込みで働ける場所を探してたら、勇者さんに出会ったんです。短くまとめちゃいましたがこれでも一年近く旅をしてますよ、私がんばってますね。……旅の間ずっと一人でした。いや、もっと長い期間です。父さんの事もあって私と遊ぼうとする友達なんていないし、父さんも部屋にこもってる。…………一人は辛いですよね、勇者さん。大丈夫です、勇者さんは一人ではありません。魔法が拙くても体力と頭には自信がある魔法使いが隣にいるからです」
会って一日すら経っていない人に心から感謝を伝えたかった。勢いよく立ち上がって、バランスが崩れる魔法使いの手を握り、引っ張り上げる。「ありがとう」と魔法使いに言うと、視線を外された。恥ずかしがっているのだろうか、それとも辛い記憶を呼び出しているのだろうかと悩みながらフード越しに頭を撫でようとすると、手を弾かれた。手を上下に振って慌てながら「すみません。頭を撫でられるのは慣れてないので……驚いただけです。気にしないでください」と可愛らしく答えた。一つ深呼吸をしてフードをかぶり直し国から一旦出る事にした。
この世界は東西南北の方向に一つずつに大きな町があり、中心の国から四つの町と接する半径七十五キロメートルの円を描くことができ、円の中にぽつぽつと集落や小さな村がある。大体反対側の町に着くには寝ずに一ヶ月は歩かなければならない。しかも円の中は絶対安全というわけではなく、魔物が暴走を始めた今となっては用意を怠る旅の者は魔物に喰われてしまうだろう。
勇者は村や集落が一帯にない場所を拠点とすることにした。いくら魔王が生きてるからといって、魔王の居場所が分からないし、それ以前に戦闘になったとき今の強さで勝てるはずが無い。今は顔を隠しながらの情報収集と、鈍った腕を鍛えないといけない。
初めの頃は強い魔物からは逃げて、勝てそうだと判断した魔物と戦闘を繰り広げた。聖剣は勇者のみが有するといわれる神聖気を吸って力が発揮されるため、消耗が激しく、一日の戦闘は十回が限度だった。
夜は魔法使いが買ってきてくれた魔除けのスプレーを一帯に撒けば、魔物は近寄ってこない。魔物から取れる肉は前と違って不味く、食べられそうではなかった。二十分ほど歩いた先にある森で魔性の山菜を避けて採取してきたものを食べている。腹が膨れるはずが無い。そんなときでも楽しみはあって、魔法使いと背中合わせで寝ながら話をすることだ。魔法使いが魔王討伐の旅路の質問をたくさんしてきたので、結局最初から話すこととなった。たまに辛い事を思い出すが、話を聞いてる魔法使いは勇者の吐き出したい感情をそのまま表現してるように、笑って、泣いて、憤って……それを見てると勇者は心が落ち着いた。
その後も修行のような日々を続けた。
全盛期とまではいかないが、聖剣を使いこなしてきた勇者に対して、魔法使いは攻撃魔法が使えないが回復魔法や補助魔法の効果が見違えるように上達した。
「一週間後、この拠点から離れて本格的に旅をはじめようと思う。そこそこ強い魔物なら二人で倒せるし、探し物もあるから」と、夜に焚き火を挟んで対面してる魔法使いに勇者は切り出した。魔法使いは一時硬直したが、我に返ったように首にかけてある鎖を手繰り寄せた。自分の旅の目的を忘れていたようだ。二人は視線を合わせて、こみ上げてくる笑いを抑えることは出来なかった。
旅立ちの前日、魔法使いが心残りがあると言って国へと歩いていった。その間勇者は手馴れた聖剣を使いこなして魔物を狩った。
焚き火の準備をしていると魔法使いの姿が現れた。勇者はもう心残りが無いかを確認すると魔法使いはしっかりと頷いた。その日はたまたま魔力の影響を受けていない動物がいたので、久々の肉料理となった。魔法使いは長年の一人旅から料理には自信があると張り切って、国から調達した山菜の味付けを変えるための調味料を使った肉料理を作ってくれた。結果はとても美味しく、勇者は魔法使いを褒めちぎった。
食事の途中に魔法使いが一切食べてない事に勇者が気づき、体調を心配すると「勇者さんの方こそ大丈夫ですか?」と逆に聞かれた。大丈夫だという事を魔法使いに伝えようとしたが、口が動かなくなってしまった。次に肩、腕、手、腹、そして下半身全て。
「すみません、勇者さん。魔方陣展開。二重、三重、四重、五重……これぐらいでも勇者さん、死なないですよね?」
焚き火が消え、勇者と魔法使いの間には五つの赤く光った魔方陣が展開されていた。魔法使いが木の杖の先端で魔方陣を叩いた瞬間、業炎が勇者に覆いかぶさり、意識を刈り取っていった。