拾参
二十一世紀の日本にある、国連が作り出した特区内の学園では、終業式が執り行われていた。日頃、生徒達が授業を受けている建屋には、人が誰もいなくなっており、逆に広い体育館には生徒や教師達が集まっている。
「こちら正門。異常なし。どうぞ」
学園周辺の警備をしている兵士達の、チームリーダーを務めているのは、特務部隊員達だ。しかし、全体指揮をとっているのは、特務隊員の中で位の高いジェイコブではない。
「よし! 各自、警戒を緩めるな! いいな!」
ローガンの強い口調を、通信機を通して聞いた特務部隊員達は、各々のタイミングで了解した事を伝える。
たかだか学園の終業式に、兵士達が厳重な警備をしているのには訳があり、兵士達は皆警戒を怠らない。
「教官。事務総長がお立ち台に上られましたぁ。狙撃可能ポイントは、うちのチームがもうおさえてあります」
体育館の窓から中を覗いていたジェイコブは、ローガンとの距離が近かった為、無線機を使わずに直接報告をする。
特務部隊員達まで警備に駆り出されているのは、各特区にある学園の始業式と終業式には、必ずフランソアが出席するからだ。各校で行われる式の日程が、わざわざずらされているのは、フランソアの予定に合せたる為だった。
忙しいはずのフランソアが、兵士を動かしてまで式に出席するのは、かつて教師だった彼女の個人的なわがままに近い。三カ月もの時間をかけて、フランソアは毎回違う生徒達に贈る言葉を考え、卒業証書を渡す役目まで他の者へ譲らなかった。
フランソアがいない間に仕事を肩代わりする部下達だけでなく、コリントやランドンが文句をつけないのは、日頃彼女が頑張り続けている成果なのだろう。
「あのぉ……。教官ではなく、特別顧問ですし……。お立ち台は不適切ではないでしょうか?」
ローガンの隣で、通信機を背負って待機していた少しまじめすぎる兵士が、ジェイコブに意見をした。通信兵であるその男性は、その場でもっとも階級が上のローガンが、部下の口の悪さで気を悪くするのではと気をまわし過ぎたようだ。男性はジェイコブの事まで考えて発言したのだが、分かり易く威嚇する表情を作った上官は、そこまで考えられない人物だった。
「あぁ? なんだ? 文句あんのか? 教官は別に何もいってねぇだろうが。お前の階級はなんだ? ああ?」
軍での上下関係は、絶対といっていいものであり、その規律を乱したくないローガンも、ジェイコブに胸倉をつかまれた兵士を助けようとはしない。少し粗野な性格のジェイコブが暴走し始めた場合、止める役を務めるのはエマなのだが、彼女は今教師として式に出席中だ。
「いつから、お前は俺より偉くなったんだ、こら。無理矢理、特務部隊員用のきつい訓練受けさせられたいのか? おい?」
上下関係を守れば、部下のいい兄貴分になるジェイコブが、訓練中も自分に食ってかかって来るほど気性が荒かった事を思いだしたローガンは、毛のない頭を撫で上げる。通信兵の男性に、悪気はなかったのだが、ジェイコブの逆鱗に触れてしまったらしく、なかなか解放して貰えずに、今にも泣きそうな顔になっていた。
「おい。気を抜くな。持ち場に戻れ」
教育の一環だと、ジェイコブの行いを黙認しようとしていたローガンだったが、目に余るものがあったようで、助け舟を出す。
「うっす。お前。絶対に、しごくからな。覚悟しておけよ」
ローガンに逆らおうと考えないジェイコブは、胸倉から手を離し、通信兵の男性にとって嫌な言葉を残して、持ち場へと戻っていく。
「あ……あの……ありがとうございました」
しわの入った服を整えながら、通信機を背負った男性は、引きつった笑顔でローガンを見上げる。
「軍の規律は絶対だ。それを分かっていて破れるのは、最上位の者か……破っていいだけの実績を積んできた者だけだ。覚えておけ」
ローガンが、一月ほど前に消えた青年の顔を思い出している頃、フランソアは終業式の最後となる言葉を生徒達に送っていた。
「皆さん。皆さんの明日は、我々が守って見せます。ですから、真っ直ぐに自分の選んだ道を……胸を張って歩んでください」
フランソアが激務の合間に考えた言葉は、それほど斬新でも特別でもない、いたって普通と呼べるものだ。しかし、世界最高の指導者となったフランソアの言葉には、人の心を揺さぶるだけの力があり、涙ぐむ者達もいる。
「ですから、どんな時も、正しい道を外れないでください。いいですね? 最後に……皆さん。ご卒業、おめでとうございます」
笑顔で生徒達に語りかけているフランソアが、一人の生徒が座るはずだった空席を見て、悲しそうに目を細めた事を気付けた者は少ない。春休みを終えると、高校二年生になるセカンドクラスの空席は、もう二度と埋まる事はないかもしれないと考えてしまい、フランソアの胸が痛みを発する。
フランソアの視線が、どこを見ているかが分かった堀井達教師や、綾香達一部の者は、英雄と呼ばれていた青年の顔を思い出す。その中の幾人かが、目に涙を溜めたのは、卒業していく者達との別れを惜しんでの事ではないらしい。
惜しみない拍手を送られながら、壇上を降りたフランソアは、生徒達の退場を見ずにボディーガードを連れて、体育館を出て行く。時間の無いフランソアは、日本特区にいる間にしなければいけない事があり、急いでいるようだ。
「よし! 最低限の者達だけを残して、こちらも移動するぞ! 遅れるな!」
フランソアが体育館を出たのを確認したローガンは、無線通信機の受話器を持ち上げ、警備をしていた者達に指示を出す。
「お待たせ。行きましょうか」
体育館の前にある駐車場には、防弾処理が施されている高級そうな黒塗りの車が止まっており、扉の前にマードックが立っていた。
「はい。先生」
母親代わりであるフランソアの為に、車の扉を開いたマードックは、日頃では考えられない猫なで声を出している。
軍用車両に守られながら、フランソアとマードックの乗った車は、学園からあまり離れていない男子生徒用の寮へと向かう。身寄りのない青年が住んでいた部屋を、フランソア自らが片付けるといい始めたのは、数日前の事だ。
「何か飲みますか?」
日本特区に用意されていた要人専用車両には冷蔵庫が付いており、フランソアはペットボトルに入った水をマードックから受け取る。
「はぁ……。ねえ? イリア? 貴女は、戻ってくるのよね?」
水を二口程飲んだフランソアは、座った際に少しずれたブラの紐を服の上から元の位置に戻し、マードックに問いかけた。
「はい。もう……ここに留まる意味は……ありませんから」
マードックから逸らした視線を、窓の外へ向けたフランソアは、必要以上の言葉を口に出そうとはしない。
「そう。そうね。それがいいわ」
兵士である青年が、戦死する可能性は大いにあると、二人とも覚悟をしていたはずだった。だが、愛する者がいなくなってしまったのだから、頭ではなく感情側の整理が簡単につくはずもない。
「よし! では、各自配置につけ!」
フランソア達よりも、一足先に男子学生用の寮に到着したローガンは、部下の点呼を聞き終え自分の配置につく。黒塗りの高級車が止まったその寮には、前日に一斉点検と害虫駆除をする為、一時的に立ち入り禁止が生徒達に伝えられており、誰もいない。病気で寝ているしかなかった者もいたのだが、教師達の尽力で一時的に病院のベッドへと移動させられている。更に、生徒達に不信がられないように、国連職員達により数時間前から穏当に点検までも行われていた。
「さあ、さっさと済ませちゃいましょう」
車から降りたフランソアは、スーツの上着を車内で脱いでおり、肌寒い中でブラウスの袖をまくった為、腕に鳥肌が立つ。
「はい!」
汚れてもいいように、デニムパンツと無地のシャツを着ているマードックは、ポケットから目的の部屋へと入る鍵を取り出した。
青年の死をまだ完全には受け入れられていないフランソアは、空元気を出して鼻息を荒くしている。マードックも、彼女にしては珍しく、思考を停止させ、何も考えないようにしているようだ。その二人では、青年が住んでいた部屋に入った時点で、泣き出してしまうのではないかと容易に想像がつく。
「えっ? 先生! 危ない!」
用意してあった軍手をはめていたマードックは、フランソアよりも早く、側溝から噴き出した黒い霧に反応した。側溝にはコンクリートで蓋がされている。だが、霧状へと体を変化させられるファントム達には、何の障害にもならない。
「ひっ! ファ……ファントム……」
フランソア達が乗っていた車を運転していたのは、兵士ではない男性であり、すぐに動き出すことが出来なかった。
「誰かああああぁぁぁ!」
助けを呼ぶ為に叫び声をあげたマードックは、自分の母親代わりであるフランソアの盾になるべく走り出す。しかし、マードックの声に気付いた兵士が、駆けつけるよりも早く、ファントムは霧状だった体を二体の化け物へと変化させた。
「駄目よ! 貴女が、生きなさい!」
自分を庇うように立ったマードックを押しのけ、フランソアは両手を広げて、ファントムの前に出る。
「えっ? あら? えっ? えっ?」
自分に向かって振り下ろされようとした、黒い腕に恐怖したフランソアは、両目を閉じてしまい、凄まじい速度で走ってきた黒い影に気付かなかった。
白から黒へと変わるナイフを握っていた影は、フランソアに襲いかかろうとした敵を、一突きで消滅させる。
……遅い!
「フランソア! あ……ああ?」
マードックの声を聞いて、自分が指揮官である事も忘れて走り出していたローガンは、ファントムの素早い攻撃を容易く回避する人影に、首を傾げた。
「あ……ああっ! そんな……神様……」
二体目のファントムが消滅し、やっと自体が把握できた、クリスチャンであるフランソアは神の名を呼ぶ。
「エー……ス……エース! 馬鹿あああぁぁぁ!」
フランソアの前に立ち、敬礼をしたぼろぼろで血塗れの戦闘服を着た青年を見て、マードックが抱き着く為に、涙を流しながら両手を広げて走り出す。
「特務部隊所属! 井上省吾! 作戦を終え! ただ今帰還しました!」
ローガンが見惚れるほど鮮やかに敵を排除し、素早く敬礼をした省吾は、上司であり母親代わりでもある女性に、真っ先に報告をする。
「ふふふっ……。お前は本当に……大した奴だ。エース」
事態が把握出来たローガンは、笑いながら首を左右に振り、成長して帰還した青年に優しい視線を送った。
「二階級特進は……ぐすっ……。取り消しね。エー……うぅぅ」
フランソアは幾度も涙を拭いながら、気丈に振る舞おうとしているが、上手くいっていない。ついには省吾に抱き着いて、号泣を始める。
……さて、これはどうしたものかな。
家族である女性二人が、自分に抱き着いたまま嗚咽する程泣いている為、省吾は動けずに空を見上げる。
英雄と呼ばれている青年の、二年以上に及ぶ苦難に満ちた学生生活は、まだ一年すら経過しておらず、折り返し地点も過ぎていない。
エースの字名を持つ青年の、命を掛けた戦いは、まだまだ続くのだ。
※作成中※