拾弐
物理法則が省吾達のいた世界と違う別の空間で、一艘のポッドが光を越えた速度で移動していた。
その世界は、人間にとって未知の物質や粒子が大量に存在し、宇宙空間にも見えなくはないが全く違う。不思議な空間には、色彩豊かな光が法則を無視したかのように飛び交っており、明らかに直進はしていない事だけは分かる。闇に見える部分にも何かはあるが、肉眼で捉えられないせいで黒く見えているだけのようだ。
……ここは? どこだ? 何故だろう。凄く眠い。
七色に輝く煙に満たされたポッド内で、省吾がうっすらと目を開け、ぼんやりと不思議な光景を見つめている。ポッドには、ちょうど省吾の顔がある位置に、透明なガラスやアクリルではないが別の材質で蓋がされた、小さな長方形の窓があった。
円柱状のポッドを構成している金属は銀色だが、周囲を包んでいる光は、異世界の都市内で見た黄金色だ。そのポッドが放っているらしい黄金の光が、重力や熱などの様々な力から、省吾を守っているらしい。
……ああ。そうだ。あの姿が見えない敵が、まだ生きているんだ。俺は、戦わなければいけないんだ。皆を守るんだ。
最後の瞬間まで戦い続け、本当に一度死んでしまっている省吾だが、闘志は消えておらず、まだ戦おうとしていた。だが、全く回復できていない体は主の想いに反応せず、金属生命体達も一時的に休眠しているようだ。
……駄目だ。眠気が強すぎる。瞼を開いていられない。いったい、何がどうなっているんだ?
省吾が薄く目を開けていられたのは、ほんの僅か時間だけで、瞼を閉じてしまっては強い眠気に抗えなかった。
……くそ。駄目だ。起きて、いられな。
衰弱している省吾は、瞼を閉じた次の瞬間には、寝息を立て始めており、意識も夢の世界へと落ちていく。未来の世界を救い、異世界でまでろくに休みもせずに戦い続けた省吾には、休息が必要なのだろう。
……皆が笑ってる? ああ。そうか。皆は幸せになるんだ。そうか。よかった。本当によかった。
久しぶりに見る明るい夢の中で、人々の笑顔を見た省吾は、険しかった寝顔を安らかなものへと変える。ポッド内は、中にいる者の脳波まで読み取り、もっともリラックスできる環境を作れるようだ。
……ああ。大丈夫だ。俺は、まだ戦える。その幸せは、俺が守って見せるよ。必ず。必ずだ!
ゆっくりとした弱い呼吸で、周囲にある七色の煙を吸い込んでいる省吾は、それが何かを分かっていない。その見る角度によって色の変わる煙のような物は、省吾の体を治療している有機物で作られたナノマシン達だった。ナノマシン達は省吾の体を治療するだけでなく、活動限界を迎えると自身を分解して栄養源にまでする優れた物だ。
ポッド内に大きな金属音が響き、省吾の足元にある装置が、リボルバー式の拳銃を思い出させる仕組みで動き始めた。弾丸と似た形の空になったカートリッジを回転させたポッドは、まだナノマシン達の詰まっているカートリッジとそれを交換しているのだ。
カートリッジ交換により、ポッド内に少なくなっていたナノマシンが補充され、省吾の治療する速度を一定に保ち続けた。
脳が体内の特殊な力で守られていたおかげで、省吾はナノマシンの治療により、蘇生されている。消費してしまった魂は、もうどうしようもないが、体の寿命だけはその治療によって元の状態に戻すことが出来るようだ。
金属生命体達が行った、延命措置があったればこそ、また戦えるのだが、今の省吾にそれは分からないだろう。それどころか、自分が何故異世界の都市にあった脱出ポッドで、生還できたかも理解できていないはずだ。省吾が未来の世界へと飛ばされた際、乗っていたタイムマシーンは自爆したが、ケイト達は無事脱出できていた。それと全く同じ事が、今省吾の身に起こっているのだ。
ケイト達の使っていたタイムマシーンは、元々異世界の都市にあった技術を流用して人間が作った物だった。その元となった異世界の都市に、脱出用の仕組みがなければ、タイムマシーンに組み込まれているはずがない。
省吾を最後に救ったのは、ケイト達が使っていた、タイムマシーンの乗員識別にも使える緑色のバッジだった。乗員識別から盗聴だけでなく、異世界間の通信や位置を教える事まで出来るそのバッジを、人間が作り出せるはずもない。異世界の都市で発見されたバッジを、第一世代の者達が持ち出し、タイムマシーンでも利用していただけにすぎないのだ。
バッジをつけていた事で、省吾は正規住民として識別され、都市が崩壊する前に強制転送された事で助かった。もし省吾が、エミリもいれば作戦成功率が高まると考えてしまえば、バッジ無しで異世界に向かっただろう。
命の時間がほとんど残っていなかった省吾が、全てをかけた一度きりの作戦をより確実なものにする為には、本来戦力は多い方が良かったはずだ。ネイサン達を追い詰めれば、再び元の世界に逃げるかもしれないと省吾が考えたのは、偶然でしかない。絶望の字名を持つものを敵に回した省吾に、そんな幸運が理由もなく舞い込むかといえば、それは不可能だ。
ならば何故、そのように歯車が回ったかといえば、運命と呼ばれているものが、絶望よりも少ない力をそこに全て注いだからに他ならない。絶望と呼ばれるものは、ルーレットに球が投げ込まれる前に、チップを可能な限りベットした。だが、省吾を示す緑色のポケットだけには、チップをベット出来ず、運命はその一点に全てのチップを乗せていたのだ。
人間では見えない世界を見ている運命だが、全てが思い通りに出来る力はなく、勝率は限りなく低いものだった。それでも、時空を超え、命を掛けて時代の流れを切り裂き、人々を守る為に神と呼んでいい存在に反逆した英雄は、最後の瞬間にたどり着いたのだ。
運命の字名をもつものが、一人の人間に直接干渉したのは、その結果から一人の青年に心底惚れ込んだからだろう。
省吾が運命の心さえ揺さぶり、必然とも思える今に至ったのは、もうすでに偶然と呼んでいい事柄ではなくなっている。運命に導かれるように、信じられない偶然が幾つも重なった結果を、人間は奇跡と呼ぶからだ。
世界だけでなく、人々の心や、死んでいった者達まで救った英雄を乗せている脱出ポッドが、時間と空間を越えていく。