五
省吾達の通っている学園は、国連が百パーセント出資している。そして、国連は子供を守り超能力者を育てる事業として学園を運営しており、慈善活動で行っている訳ではない。つまり、生徒は授業料や寮費を支払って、学園へ通っているのだ。
特区内に住む子供達の親ですら、学園にはそれ相応の金額を支払っている。ただ、特区外の教育機関へ通うのが難しい為、授業料が少し安く設定されているが、公には発表されていない。
国連は学園をファントムの被害を受けにくい場所にする事で、子供の安全をお金で買おうとする親達から資金を集める。そして、その集めた資金で超能力者を育て、さらに安全な場所へと学園を変える計画なのだ。
国連内で子供を守り育てる学園は、営利を一番に考えるべきではない等の道徳的な意見もあるにはあった。だが、結果として資金も集められる上に、子供の安全も守れるという、合理主義の前に敗北した。災害と戦争により綺麗事ではどうしようもない状況だった為、仕方ない事なのだろう。
そんな学園の超能力者達は、一般生徒よりも支払うお金の面で優遇されている。そして、その優遇はランクによってかなりの差がある。
超能力者であるかが確定していないSPの生徒は、一般の生徒と変わらない授業料が必要だ。ただ、寮の費用負担割合が少ない等の特典はつけられていた。超能力者であるかが分からないSPを、国連側からスカウトする事はない。その為、学園の用意している、超能力側に特化したテストをパスしなければ入学できない。
金銭面での優遇が大きくなるのは、超能力者と確定したファーストからだ。まず、授業料は免除され、寮費の負担も少ない。親が金銭的に苦しい場合は、奨学金制度や寮費の免除すら与えて、国連側から学園に通ってもらうという状態になる。
学生の使う寮には、裕福な家庭の子供から不満が出ないように、設備や広さでグレードが存在し、寮費は全く違う。ファーストとして入学した生徒は、その寮のグレードさえ高くしなければ、普通に特区外で生活するよりも親の負担は少なくて済む。
更に、ファントム撃退へ協力すれば、報酬も用意されている。命の危険もある戦いの場へ出向く為、それは与えられて当然の権利だろう。出撃を進んで志願していれば、寮費や生活の雑費だけなく、貯蓄や親への仕送りも可能だ。
セカンドまでになってしまえば、学園に払う費用はほぼ存在しない。寮のグレードを上げても、寮や学園の食堂を利用しても、出撃の報酬から引かれるだけだ。それも、報酬の額は一般の会社員を超えており、仕送りで家族全員を養っている者さえいる。出撃回数が多く、家庭が裕福で仕送りの必要が無い綾香やケビンは、遊行費に使いながらも、貯金が増えていた。
たった一人の特例である省吾は、本人の自覚無く、綾香達よりも人に羨ましがられる状態になっていた。省吾は、セカンドである以前に任務として通っている為、授業料が発生するはずはない。寮も非常口が一番近い部屋が空いていたという理由で、安い四畳二間ユニットバスつきを自ら選択しており、費用は全く発生しない。
その上、給与の高い特務隊員であり、階級も中尉と高く、趣味のゲームや模型にしても使う額は知れている。学園へ着任以前の貯蓄と合わせれば、十代の人間が持つには過ぎた金額が省吾の銀行口座にはたまっている。
勿論、仕事と大好きなロボット以外にほとんど興味が無い省吾は、それを全く気に掛けもしていない。日本特区へ来る前の話ではあるが、自分が任務中に死ねば、国連で使ってくださいとフランソアに申し出て怒られた事さえある。
「ふぅぅぅ……」
規則正しい生活をする省吾は、一般の生徒よりも登校時間が早い。今日も目覚ましが少しだけ鳴ると同時に、アラームを止めるスイッチを押した。あまり周りに騒がれたくないセカンドの生徒も、同じように早く登校する場合がある。だが、省吾ほど時間に乱れの無い登校をしている生徒は他にいない。
……今日は、ゆで卵とソーセージ。後、パンにするか。
イギリスで育った省吾は、朝食をしっかりと食べる。だが、料金を取られないはずの食堂では食事を取らない。その理由の一つとして、日本人と食生活が違うからだ。
主食といえるものがはっきりと存在しないイギリスでは、ポテトやプディングを食べていた。そして、ヨーロッパ内を転々としていた頃は、パンやパスタを毎日食べていた。日本人や中国人の様に、白米を毎日食べる機会はなかった。白飯が嫌いなわけではないが、毎日食べるとどうしても飽きてしまう。
日本人以外の生徒も多い学園の食堂には、外国人用の食事も用意されている。しかし、白飯を食べなさすぎると目立つ可能性があると判断した省吾は、人に食事をあまり見られたくない。
また、寮へ到着した初日に食堂で出された朝食が、省吾に決定的な問題を突きつけた。白飯に、味噌汁、納豆、焼き鮭、味付け海苔と、日本人なら喜ぶメニューだ。
食糧難も経験している省吾に、好き嫌いは少ない。だが、少ないだけであって、無いわけではない。性格上、出された食事を残す事の出来なかった省吾は、納豆という敵と戦い、食堂で地獄を見た。そして、それ以来食堂には足を運んでいない。
……よし。
制服を着て、全ての準備を終えた省吾は、寮を出る。そして、二階にある部屋から階段を使って玄関ホールに向かい、早い時間帯でまだ人通りの多くない学園へと続く歩道へと出た。
通学中の省吾は、一見すると少し歩くのが速いだけの、普通の学生だ。だが、兵士として熟練されている省吾は、常に周囲の警戒を怠らない。足音を極力抑え、一定の歩幅を保つ省吾は、進行方向上にトラップや待ち伏せの痕跡が無いかを捜し、ビルの屋上に狙撃手が潜んでいる可能性を常に考えている。
いくら勘の鋭い超能力者でも、気を抜いていれば銃弾から身を守る事は困難だ。それを、省吾は身を持って、よく知っている。襲撃された場合に少しでも優位になる場所を常に移動する省吾を、疲れないかと見る者もいるだろう。だがそれは、長い戦場生活で身に付いたただの癖であり、自然に行っている為、省吾は負荷を全く感じない。
「おはよう、綾香」
「おはようございます。神山君」
省吾に次いで、規則正しい登校時間を守っている綾香に、彰が挨拶をする。綾香は今日も優しい笑顔を向け、それを見た彰は胸を高鳴らせていた。
朝の準備に男性である省吾よりも時間を必要とする為、綾香の方が早起きをしている。ただ、髪の寝癖具合や、化粧のノリで登校時間には、多少の誤差がある。ただこの場合は、雨や強風の日でも三分しか誤差を出さない省吾が、おかしいというべきなのかもしれない。
「あっ……」
笑顔で取り留めの無い会話をしていた綾香達を、省吾が追い抜いて玄関に入っていった。スーパーでの一件以来、綾香は省吾に自分から挨拶をしようとはしなくなっていた。だが、ついつい視線を向けてしまう。
綾香は、スーパーでの後処理中に、敵が突然消えた異常性を兵士に訴えた。だが、事情を知る堀井達特務隊員は、それを下手に誤魔化してしまっていた。その為、綾香の心にしこりが残る結果となっていた。
綾香の中で、少し前まで良くも悪くもないと思われていた省吾のイメージは、悪化の一途をたどっていた。悪い噂ばかりを耳にしてまともな会話をしない為、それが間違いだったとしても払拭されないのだから、気持ち悪いと感じた時点で、そちらへ転がり落ちるのは仕方が無いだろう。
だが、ジェーンの話やスーパーの事件で、一概にいい方向とはいえないが、イメージがさらに変わりつつあった。ここまで来ると、綾香の中で恋愛の感情とは少し違うが、省吾の存在がどんどん大きくなっていた。大した情報が無いにもかかわらず、イメージが二転三転する相手を、無視する事は難しいのだろう。
「そういえば、綾香? 知ってるか? 今度の実習に、新しい先生が来るらしいぞ」
「あっ、へぇ。そうなんですか」
好意から綾香を目で追う彰は、綾香が省吾を見ているのだと気が付いていた。それを止めてほしい彰は、無理矢理話題を振って会話を続ける。
「ど、どう思う?」
「ああ、ええぇ、いいんじゃないでしょうか?」
会話の下手ではない彰だったが、無理に続けた会話で盛り上げるのは難しい。彰にも綾香の笑顔が引きつり始めているのが分かり、気分が落ち込んでいく。そして、彰は嫌な気分の矛先を何の罪もない省吾へと向けていた。
「はぁぁぁ」
「おはよう! どうしたの? 暗いわよ?」
自分の席で大きなため息をついた彰に、少し遅れて教室に入ってきたイザベラが元気よく挨拶をした。そのイザベラに対して、作り笑いの彰が挨拶を返す。
「ああ、おはよう」
「ねぇ! ねぇ! 考えてくれた?」
イザベラから彰へのアプローチは、既に始まっていた。イザベラが聞こうとしているのは、前日に保留された自分とのデートをする返事だ。
綾香を想う彰が、自分の真面目さをアピールするなら、保留せずに断るべきだろう。だが、正常な男子高校生である彰は、十二分に異性への興味があり、チャンスを簡単に捨てる事は出来ない。
何よりも彰の判断を困らせているのは、イザベラがなかなかお目にかかれないレベルの美人という事だ。その美人が自分から積極的に誘ってくれているのだから、悪い気がするはずがない。ただ、友達以上恋人未満まで仲良くなったと思っている綾香に、彰はイザベラと仲が深まるのを見られたくないらしい。
綾香との良好な関係を壊したくないが、誘いを断ってイザベラを傷つけたくないなどと考えている彰は、下心から来る優柔不断な態度が、どれほど女性に悪い印象を与えるかを今一つ分かっていない。
「ね? 一度、外でゆっくり喋ってみようよ」
「あ、あの、あんまり大きな声で……」
彰は気になっている綾香の方へ、目線をおくる。その綾香は、イザベラの気持ちも知っており、自分と目があった彰に愛想笑いで答え、邪魔してはいけないと視線をすぐに教室の黒板へと移した。その綾香の何気ない態度で、彰の挙動がおかしくなる。彰の目が泳ぎ始め、顔が青ざめ、呼吸の回数が増えた。
同じ光景を見ても、後ろめたい場合とそうでない場合には違いがあり、彰からは綾香が不機嫌そうに顔を背けた様に見えたらしい。そう感じると、顔をそむける前の笑顔も怖く感じてしまうのが、人間だ。
「あの……やっぱり……その」
そこまで至ってもはっきりと断らない彰は、イザベラに対して下心と未練が捨てきれないらしい。万が一綾香と良い仲になれなければ、イザベラと仲良くなりたいと考えているのだろう。
「いいじゃない! ね?」
立った状態で自分の席に両肘をつき、吐息がかかるほど顔を近づけたイザベラから、彰は目線を逸らした。その彰の目線は、自然と綾香のいる方向へ向いていた。
背後から彰に見つめられていると気が付かない綾香は、ノートに何かを書き込んでいる省吾を見つめていた。それを見た彰は、省吾への嫌悪感を思い出す。省吾に対する気持ちに、嫉妬が混ざり始めていると、彰自身も気が付いてはいないようだ。
彰の見ている先へ顔を向けたイザベラも、瞳には黒い感情が滲み出していた。イザベラが彰を聞えよがしに誘っているのは、省吾に気付かせたいからだ。
美人であるイザベラは、小学生のころからもて続けており、自分でも容姿が優れている事を自覚している。必然的に、イザベラのプライドは高くなっていた。そのイザベラが、わざわざ彰を誘っているのは、彰を気に入った以上に、誘いを断った省吾を悔しがらせたいからだ。イザベラは自分が彰と付き合い始める事で、省吾の嫉妬心を煽り、断った事を後悔させてプライドの傷を癒したいと考えているようだ。
ノートに向かってゲームの戦略を書き込んでいた省吾は、恋愛には疎い。だが、勘は他の誰よりも鋭く、自分に向けられた綾香達の視線には気が付いている。
……何故? 俺は、何か失敗したか? くそ、なんだ?
視線に反応する事も出来ない省吾は、自分の席で固まる。一方的に見られているのは、気分のいい事ではないだろう。それも複数人からの視線ならば、自分の不備を疑いたくなって当然だ。
自分が部外者だと思っている不思議な人間関係を、省吾はどうする事も出来ない。席に座ったまま、自分にミスが無いかを、数週間前まで遡って考える。当然ではあるが、その答えは出ない。堀井が教室に来るまでの間、省吾は謎のプレッシャーと戦った。
……ここで、この機体を開発するべきか? いや、資金と時間がかかり過ぎる。だが、ワンランク下の機体では、数が必要になるな。そうなると、資金が余計にかかるか?
いつもは省吾にとって暇になる事の多い授業中が、その日は皮肉にも安息の時間になった。その為、省吾は気兼ねなく、ゲームの戦略を考える時間にあてる。
オンラインゲームで世界ランク二十二位の省吾は、仲の良い世界ランク十九位の人物と競い合っていた。その相手と省吾のゲーム内での力は同等で、運に左右されない部分である戦略を練らねば、負けてしまうのだ。
ローガンに馬鹿真面目と評される省吾は、ゲームでも決して手を抜かない。手を抜かずに戦う事の面白さを、誰よりも楽しんでいる。
「じゃあ、この問題は……順番で……井上!」
教壇で出席簿を見ていた教師が、省吾を指名した。黒板には、数学の問題が白いチョークで書かれている。その教師も省吾の正体は分かっているが、他の生徒と変わらない扱いをするようにと、指示を受けていた。
名前を呼ばれた省吾は椅子から立ち上がり、黒板を見つめる。それを見た男性教師は、少しだけ顔をしかめた。その教師も特務部隊員ではないが、軍に所属している為、省吾は上官にあたる。すぐに返事をしない省吾を見て、上官に恥をかかせてしまったかと危惧しているのだ。
「答えは、三です」
「おっ、おお。正解だ」
着席した省吾は、再び自分の世界へと入っていく。生徒に気付かれないように安堵の笑みを浮かべている教師を、見ようとはしない。
フランソア式英才教育という名の、拷問に近い指導を受けた省吾は、国語を除けば大学を卒業できるレベルにある。国連が運営する学園には、申し訳程度の国語だけで日本史と日本に偏った地理の授業がなく、日本語をかなりマスターした省吾には、授業中に学ぶべき所が無いのだ。
その為、省吾は授業中に日本語の勉強をしたり、趣味にふけったり、空気椅子で体を鍛えたりと、様々な事で時間を潰していた。省吾に不満が無いわけではないが、任務なので文句は言っていない。ファントムや武装集団との戦闘はあるが、戦場暮らしが長かった省吾にとって日本特区での暮らしは平和そのものだった。
だが、省吾にも気付けない程少しずつ、その日常は変化しようとしていた。運命は、歯車をゆっくりと確実に回し始めている。
……この罠では、防げないだろうなぁ。あの人、勘がいいからなぁ。やはり、拠点に資金をかけるべきか?
「はぁ……」
ゲームの戦略を考えていた省吾は、煮詰まっていた。そして、少しだけ気分転換をしようと、自分の席を離れて廊下へ出る。飲み物を買う為に省吾が進む廊下は、休み時間を楽しむ生徒が大勢騒いでいた。
休み時間等に省吾が学園の廊下を歩く際は、町中のように人を避ける必要がほとんどない。省吾を見た生徒側から、避けてくれるのだ。恐れられると表現するより、嫌がられていると表現したほうが正しいのだろう。少々のむなしさは感じつつも、任務なのだから目立つわけにはいかないと自分に言い聞かせた省吾は、階段を下りて一階へと向かう。
あまり熱い飲みものが得意ではない省吾は、冬でも冷たい飲み物だけを売っている一階奥の、使用率が低い自動販売機でアイスコーヒーを購入する。
「ふぅ」
その場でアイスコーヒーを飲み干した省吾は、氷の残った紙カップをゴミ箱に捨てて教室に戻ろうとした。そこで、省吾にとっては珍しい出来事が発生した。
「井上君。ちょっと、話があるんだけど」
堀井達教員以外の人間が、省吾に話し掛けてきたのだ。それも、話しかけてきたのは、同じクラスの女生徒だった。省吾にもかなり予想外だったらしく、驚きが顔に出る。
「いいかな?」
「あ、なんだ?」
省吾に話し掛けたのは、リア・グリーン。彼女は、能力が戦闘向きではなく、ファントムとの戦いに出撃する事の無い女性だ。彼女は周りへの愛想がよく、省吾はその一環で話しかけられたのだろうかと、推測を立てた。
「井上君って、彼女いないよね?」
周囲をきょろきょろと見回したリアは、省吾に質問をした。その質問に、恥ずかしいとも思っていない省吾は無言で頷く。
「なら、彼女欲しいよね? 欲しくないわけないよね?」
……いや、個人的な付き合いは、避けたいんだがな。
自分に女性を紹介して、恩を売ろうとしているのかと省吾は予想した。だが、その予想は見当違いだった。一方的に早口で喋り始めたリアは、省吾からの返事を聞かずに、ある提案をしてきたのだ。
「私が付き合ってあげようか?」
リアが自分に好意を持っているのだろうかとも考えた省吾だったが、そうではないとすぐに分かる。
「いつも一人でいる貴方の為に、私は仕方なく付き合ってあげるの。この意味、分かるわよね? ただし、付き合うには条件があるの。それは絶対に守って。いいわね?」
瞬きの多くなった省吾は、苦虫をかみつぶしたように顔を歪めていく。その表情を、リアは気にも留めない。
「私達が付き合ってるのは、誰にも言わないで。そして、月に一回は、感謝の気持ちとして、必ず私に私が欲しいプレゼントを贈る事。これ、絶対ね。勿論、記念日やイベントなんかの日も、私の喜ぶものをちょうだい。ただ、イベントや記念日にデートとかは、難しいから前日までに渡してね。どう? これだけで、彼女が出来るのよ。いい話でしょ? 分かるわよね?」
……なるほど、分からん。
省吾は、恋愛に疎い。だが、正常な判断力も、知識もある。リアが寂しいという気持ちに付け込もうとしているのだと分かる。
「はぁ」
リアのあからさまな話に乗るほど、自分が寂しそうで馬鹿だと思われたのかと考えた省吾は、溜息をついた。そして、目立たない程度には学園で友人を作るべきかとも、考え始める。
「ね?」
「結構です」
少し強めに言葉を出した省吾は、そのまま教室へと歩き出した。その背中を、リアは憎しみをこめた目で睨む。そして、ゴミ箱を蹴り飛ばし、親指の爪を噛みながら教室へと戻った。
「くそっ……焦り過ぎた……」
リアは省吾に、好意があるわけではない。そして、馬鹿でもない。省吾と喋っているのを他人に見られたくない気持ちと、喋る事自体に不快感があり、自分で思っていたよりも焦ってしまったのだ。
その結果、貢がせる口約束を素早く済ませようとして、あからさまな言葉を口に出してしまったのだ。本来の彼女であれば、貢がせる部分をもう少しオブラートにくるみつつ、言いくるめられるような喋り方が出来たかもしれない。
もう一度言い方を変えて省吾を誘っても、拒否されるだろう事はリアにも分かっている。そして、自分の計画が失敗したのだと改めて感じ、授業中爪の白い部分がなくなるまで噛み続けた。
セカンドとして優遇されているはずのリアは、焦っていた。自分が半年をかけて築いた虚構の地位が、崩れ去ろうとしているからだ。
中等部三年生の春まで、リアはファーストクラスにいた。その頃の彼女は、どちらかと言えば普通よりも地味な生徒だった。外見も、極端に悪くはないが、美人とは言い難い。ごく普通の家庭に育った彼女は、偶然ファーストに目覚め、学園に入学した。
透視やテレパシー能力が高い為に、サイコキネシスが最弱レベルである彼女は、出撃をせずに親からの仕送りで暮らしていた。学費が安く、娘が安全に暮らせると喜ぶような普通の親に育てられていた彼女は、仕送りから貯金を作るほど自分に見合った地味な生活を送っていた。その頃の彼女は、それで満足していた。
だが、そんなリアはセカンドにあがると同時に、今まで知らなかった世界を見てしまう。教員を含めた周りは、リアが怖気づいてしまうほどちやほやしたのだ。彼女が入ったクラスが偶然、人気者ぞろいだった事もその大きな要因の一つだろう。
特別扱いされる事に快感を覚えてしまったリアは、それをもっと味わいたいと考えてしまう。綾香やイザベラと仲良くすれば、輪の中心に入れると考え、クラスの中で愛敬を振りまいた。そして、自分自身が輪を作る為に、溜めていたお金で服や化粧品を買い、見た目を取り繕った。
リアの努力は実り、ベースが良過ぎる綾香達には及ばないが、化粧による誤魔化しで可愛いという者達も出てくるほどには変わっていった。そして、自分だけの取り巻きが出来た所で、彼女の人生は狂い始めた。
自分を尊敬してくれる取り巻きに、無理な見栄を張り続けたのが原因だ。綾香と行動を共にしている間は、綾香がストッパーとなり、派手な遊びや無駄遣いが抑えられていた。
だが、本物の隣にいると自分を惨めに感じるようになってしまい、取り巻きを連れてグループを離れた。見栄の為に、寮のグレードを親の承諾なしに上げ、見た目を取り繕う高い服や化粧を購入し、取り巻きの女生徒達に食事をおごったりもした。
そのような馬鹿げた散財は、出撃をしているセカンドの生徒でも、維持するのは難しいだろう。出撃をせず、仕送りのみに頼るしかないリアは、貯金を切り崩して虚構の自分を演じ続けた。そして、リアの貯金がその派手な生活に耐えられるはずもなく、数カ月で寮費を滞納する事態に陥ったのだ。
その打開策として、友達や彼女のいない省吾に付け入り、貢がせようとリアは考えたのだ。男性と付き合った事の無いリアは、異性への恐れを持っているようだが、省吾ぐらいなら手玉にとれるだろうと思っていたらしい。
だが、リアは付け入るべき相手を間違えた。異性への興味が薄いだけではなく、普通の十代男性には不可能なほどの色々な経験をし、騙されないようにとフランソアから与えられた知識を持つ、勘の鋭い省吾は本職の詐欺師でも騙すのが難しい相手だ。
他に騙す相手が思いつけないリアはお金が無いとは言えず、取り巻きの生徒達に用事があると誤魔化し、寮へと帰宅した。そして、バイトを探す為に、町へと向かった。
「なるほど、これですね」
PSI学園には、省吾達が使う教室のある棟にも職員室はあるが、別室と呼ばれている棟にも職員用の部屋がある。その別室は、一般職員に見せる事の出来ない軍の重要機密等も保管されており、研究員を含めた軍関係者しか入ることが出来ない。
授業を終えた堀井は、その部屋でコンピューターを操作している。そして、堀井の後ろに立つ省吾は、堀井が出した画面を見つめて腕を組んだ。堀井が表示したのは、リアの詳細な情報だ。
「寮費を二ヶ月滞納……。家庭環境は、ごく平凡なレベルか」
特別待機任務中である省吾は、軍服に着替えていた。特別待機中とは緊急時のみに呼び出される待機で、連絡をとれるようにしておけば学園にいる必要はない。だが、リアの事が気になっていた省吾は、担任である堀井と一緒に確認を始めていたのだ。
「貴重なセカンドの一人ですから、寮費の催促はしていません。中尉がおっしゃられた父親がクビになるなどの、金銭的なトラブルは家庭側にも無いようですよ」
ファーストとセカンドの生徒は、入学時の契約で家庭環境について、毎月親からの報告が義務付けられている。家庭の問題で貴重な超能力者を失わない為の契約であり、生徒の親は承諾した上で契約書にサインをしていた。
「グリーンさんは、報酬を得難い能力ですからね。欲しい物も多い年頃でしょうし……」
堀井の言葉を聞いた省吾は、リアが事件を起こす前に対処するべきだと判断した。
「一般生徒を含めて、金銭的な……貢がされている? で、日本語はあってるな? 生徒がいないかを調べた方がいいな」
「そうですね。ファントムと戦えなくても、社会に出れば国連だけでなく、セカンドを優遇する会社はいくらでもありますし、お金はその時に稼げばいいだけですからね」
省吾は彼女を昼間の件で嫌ったわけではなく、貴重な能力者として守ろうとしているのだ。ただ、闇雲にお金を与えようとは思っていない。
「大きな問題を起こす前に対策をするのも、子供を預かっている国連の仕事だ」
堀井はその子供の中に省吾も混ざっているのにと考えてしまうが、口には出さず対策を考える。
「やはり、私が直接面談……を?」
椅子に座り、コンピューターの画面を見ていた堀井が振り向いた瞬間、二人だけだったコンピュータールームに乾いた大きな音が響く。自分の見ている光景がよく分からない堀井は、息をのみ固まっている。
「え? あの、はっ?」
堀井は、自分に背を向けて右拳を突き出している省吾の足元に、人がいると気が付いた。そして、その人物を知っている堀井は、さらに混乱した。
「あの、特別顧問? どうされたんですか? え? なんですか? これ?」
床に両膝をついているローガンは、頭を左右に振り、よろめきながら立ち上がった。左手をナイフに伸ばしたまま、ローガンを見つめる省吾も気まずそうな顔をして堀井同様に動かない。反射的に動いた省吾にも、状況が理解できていないのだ。
「もう、お前には敵わんなぁ」
省吾の強烈な右拳を受けた顎をさすりながら立ち上がったローガンは、嬉しそうに笑っている。気配を消して二人に近づき、省吾に背後から殴りかかったローガンはカウンターを食らったのだ。
「はぁ……教官。勘弁してください」
ローガンの笑顔を見て、それが恩師からの危ない悪戯だったと分かった省吾は、警戒態勢を解いた。そして、呆れたように溜息をつく。
「悪いな。お前の背中を見て、つい……な」
現役を退いても、ローガンの気配を消す技術は最高レベルであり、省吾でも気が付くのが遅れた。その為、反射的に手加減なく殴った上で、ナイフによる止めまでさそうとしていたのだ。顎が痛み、頭がくらくらしているローガンだが、省吾の成長が嬉しいらしく、気にしていないようだ。
「どうされましたか? 特別顧問?」
「昨日まで続いた、くそつまらん会食がやっと終わってな。お前達を夕食に誘いに来たんだ。ああ、もちろん、お前達の仕事が終わってからでかまわんぞ」
恩師との食事は嬉しいようだが、過ぎた悪戯に省吾と堀井はお互いの顔見て、苦笑いを浮かべている。
「では、少し待っていて下さい。早めに片付けます」
空いている椅子に座って待ってくれている恩師との会話を楽しみながら、二人は仕事を手早く処理した。そして、目立たないように私服を着替え、他の特務部隊員に断りを入れてから三人で学園を出る。
「昨日なんだがな。フランソアから事情は聞いたぞ」
日が沈み、気温はかなり低下していた。暖かい室内から出た三人の息が、湯気のように白く変わる。その日は、空に薄い曇がかかっており、月の光は弱い。三人の視界は、街灯と建物から漏れ出す光だけを頼りにしていた。
「そうですか。先せ……事務総長殿は、お変わりありませんでしたか?」
「ああ。相変わらず、くそ生意気で、いかした女のままだ」
ゆっくりと食事をする店を探して歩く三人は、前方からくる人々に避けられていた。相手は学園の生徒ではない為、省吾が嫌われているという理由ではない。通行人達は私服のトレーナーに着替えたローガンを見て、道を譲っているのだ。
日本特区は国連の管轄下であり、黄色人種以外の人間もかなりの比率を占めていた。その為、黒人であるローガンも昔の日本のように、人種としては珍しいとは感じない。それ以前に、同じ黒人種の男性もローガンを避けており、そこに避けられた原因がないと分かる。
笑顔を絶やさず、優しそうな顔をしたローガンだが、トレーナーを着てさえわかる体格の良さと、目に見えない圧力で相手を避ける気にさせているのだ。
「戦場しか知らないお前には、いい経験になるかも知れないな。順調か?」
「はい。任務ですから、全力で取り組んでいます」
省吾からの返事を聞いたローガンは、満足げにうなずいていた。だが、学園での状態を知っている堀井は、二人から目を逸らし引きつった笑いを浮かべる。
その堀井は、省吾が受けた任務の内容は知っている。だが、職員ではなく生徒として生活する、任意的に隠された意味は推測しか立てられていない。それでも、日頃から省吾が、何かを間違えているのだろうとは感じていた。フランソアと直接会話をする機会の無い堀井は、まだ上官の間違いを指摘するだけの材料を持っていない。
……殺気?
「どうしました?」
急に立ち止まった省吾は、道を挟んだ反対側の歩道を睨んでいた。省吾が見つめる先には、荷物らしき物を抱えて走る女性がいた。その後を、背広姿の男性が追いかけている。
その光景を見て、堀井は首を傾げた。何かあるのだろうとは思えるが、軍属である自分達がわざわざ注意を払うものでは無いと思えたからだ。
「あの、中尉?」
「なるほどな。あれは、本物の殺気だ。よくこの距離で、気が付いたな」
教え子を褒めたローガンの言葉で、堀井は省吾から走っていく二人にもう一度目線を戻した。女性が貸ビルらしき建物へ駆け込むと、男性も続いてその中へ入っていく。その光景を、三人は鋭くなった視線で見つめていた。
「はあっ! はっ!」
厚手のセーターとロングスカートを身に着けた女性は、口内に鉄の味が広がるほど激しい呼吸を続けていた。今すぐ倒れ込んでしまいたいほど苦しいようだが、それでも階段を全力で昇り続けた。彼女の必死な形相から、死んでも止まるつもりはないのだろうと思える。
「待てぇ! はぁはぁ! ああぁ! ごらぁぁ!」
女性を追いかけて階段を上る黒いスーツを着た男性は、かけているメガネがずれ、冬だというのに全身から汗を拭きだしていた。体の線も細いその男性は、運動をあまり得意としていないように見える。
「はぁはぁはぁ……」
屋上へと続く階段は、プラスチック製の黄色い鎖と、立ち入り禁止の看板で封鎖されていた。だが、その鎖を跨いだ女性は、屋上に出る扉へたどり着いた。
「ああ! ああ、お願い!」
階下から迫ってくる男性の足音に怯え、パニック寸前の女性は捻るだけで開く扉の鍵が上手く回せない。それでも何とか鍵を開き、屋上へと飛び出した。少しだけ振り向いた女性の視界に男性の影が映り、顔から血の気が引いていく。
「嫌っ……誰か……誰か助けて」
排気口や貯水槽の柱を避けて進む女性の声は、走ったせいかかすれており、誰の耳にも届かない程小さなものだった。
「はぁ! はぁ! このぉ! ふざけやがってぇぇ!」
屋上の金網まで追い詰められた女性は、ネクタイを緩めながら睨む男性を前に、その場で力なくしゃがみ込んだ。その女性の目からは、既に涙がしたたり落ちている。
「そりゃあぁぁ! 俺のもんだろぉが! 返せっ!」
恐怖で目を閉じ震えていた女性は、男性の叫び声で目蓋を開けた。そして、自分の両腕で包み込んでいる毛布へと視線を落とした。女性の腕に抱かれていたのは、荷物ではなく毛布でくるまれた幼い少女だった。
「この子に……この子に何したのよぉぉ!」
女性に抱かれた少女は、誰が見ても健康な状態とは思えない。やせ細り、冬の寒さを考えればあり得ないほどの薄着で、体のいたる所に痣がある。現在も少女は弱弱しい呼吸をしているが、目を覚まさない。顔のほてりからも、病気だろうと分かる。
「うっせぇぇ! 俺が俺のもんに、何しようが、勝手だろうがぁ!」
「こっ……こんなぁ……こんなに、痩せてぇぇ。こんなに……」
女性は毛布から出ている少女のおでこを、何度も撫でながら涙を流す。
「いいんですか?」
「まだ、どちらが加害者で、手を出すべきかすら分からない」
省吾達三人は、屋上の闇にまぎれて気配を消したまま様子をうかがっている。三人には男性の背中越しに、女性と子供が見えているようだ。
「どう見ても、男性が加害者では?」
焦り始めた堀井の肩を押さえたローガンが、落ち着かせようと説明をした。
「殺気がどちらから漏れているか、判別できない。一見、男性が悪い様に見えるが、女性側が精神的疾患で異常状態にあり、父親である男性が自分の子供を守ろうとしているだけの可能性も、多少残っている」
ローガンの説明に納得しながらも、声すら出さない子供が気になっている堀井は顔をしかめて何度も腕時計を確認する。
「落ち着け。救急車は手配してある。それに、ここには俺達三人がいるんだ」
省吾の指示で呼吸を整えた堀井は、男性に目を向けた。その男性は、威嚇するような怒鳴り声のせいか、体を小刻みに揺らしていた。そして、叫ぶのを止め、自分の臀部にあるポケットへ手を回す。
「うん。あれは、アウトだ」
「え?」
省吾の呟きで、堀井の視線は男性からそれた。その視界を、黒い影が通り過ぎる。排気口の陰から素晴らしい速度で飛び出した省吾は、最短距離でナイフを出した男性に向かっていく。
男性の背後からほぼ無音で距離を詰めた省吾は、その男性の襟首とナイフを持っている右手の手首を掴み、後ろから片膝を蹴りつける。
「はっ? があっ!」
仰向けにその場に倒れた男性は、訳も分からないうちにナイフを奪われ、うつ伏せの状態に転がされて身動きが取れなくなった。腕の関節をきめた省吾が、全体重を乗せて抑え込んでいるのだから、一般人が動けるはずもない。
「速い……速過ぎる……」
堀井も特務部隊員であり、並み以上の動体視力を持ち、夜目もきく。だが、その堀井ですら何をしたか分からない速度で、省吾は男性をねじ伏せてしまったのだ。
「さて、立てるか? お嬢さん?」
省吾が男性を倒すと同時に蹴り飛ばしていたナイフを、ポケットから出したハンカチを使って掴んだローガンは、堀井の知らぬ間に女性の隣へと移動していた。先程自分で言った、女性側に問題がある場合にすぐ動く為だろうと堀井にも分かる。
「かなわないなぁ……」
あまりにも的確で素早い二人を見て、堀井は鼻から息を吐いた。悔しく思う気持ちも無いわけではないようだが、省吾とローガンの次元が違い過ぎて笑うことしか出来ないらしい。
「あの、貴方達は?」
「ああ……私達は……だな」
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした女性は、驚きすぎて涙も止まっていた。その女性からの質問に、ローガンはどう答えるべきかを考えて省吾に視線を送った。
「通行人その一です」
省吾の迷いない返答に、女性は怪訝な顔をした。そして、ローガンは肩を揺らして笑いながら、返事をした。
「ふふっ……。なら、私はその二で、あっちで応援を呼んでいるのが三だな」
数分とかからずに到着した軍の緊急用車両の一台で、男性は強制連行された。そして、救急車で病院へ運ばれる少女に、母親である女性も付き添う。
「少女の命に別状はないらしいです。後、日本政府から、身元と詳細な情報が届きました。日本にしては、早急な情報開示ですね」
堀井は軍拠点から転送されたメールを、携帯電話で確認して省吾達に教える。
「まあ、日本政府にはファントムの事で恩は売ってあるし、民間人の情報は重要じゃないと考えているんだろうな」
緊急車両のせいで集まった野次馬を、兵士達が解散させている。その間省吾達は、車の中で堀井からある家族の情報を聞く。
女児を一人もうけたある夫婦が、二年前に離婚していた。離婚原因は、夫による家庭内暴力と、浮気だった。よくある話だろう。ただ、不運だったのは、母親が職に就いておらず、親権を父親が持ってしまった事だ。日本に限らず型にはまった法律は、時に納得のできない結果を残す。
日本特区へ無断で侵入するのは難しいが、子供に会うなどの理由を書類にはっきりと明記すれば、正式な許可は下りる。子供に合わせてもらえない母親が、父親に無断で日本特区にある家を訪れ、このような事件になったらしい。
「父親は、特区内の日本企業に勤務してますね。父親、母親共に両親は既に他界」
殺人未遂を起こした父親は特区への入区許可が抹消され、二度と入る事は出来なくなる。そして、国連軍から日本政府に引き渡され、日本の法律で裁かれる。
「俺は、日本の法律に詳しくない。父親はどれぐらい牢獄に?」
国連軍に入るまで日本で暮らしていた堀井は、省吾へ日本の刑罰について教えた。
「牢獄? えと、懲役は多分ですが、未遂ですから二年から長くて十年ぐらいだったはずです」
「アメリカとどう違うか、私にも分からんが……。優秀な弁護士がつけば、虐待の罪を含めても、十年以内に出所するだろうな」
腕を組んで目を閉じた省吾は、すぐに決断を出す。
「俺の権限で、母親に特区内長期滞在と、労働許可を下す」
刑期を終えた父親が、母親と少女にちょっかいを出すのは目に見えていた。許可証ならば特区に残るか出て行くかを母親が判断できると、省吾は考えたのだ。
「いいんですか? 規則違反ですよ?」
堀井は少し笑いながらも、規則を守り続けていた省吾を試すように問いかけた。
「助けを求めている者を守れない力は、ただの暴力だ。そんな物、この世に必要ない」
日頃、省吾が規則を律儀に守っているのは、性格が真面目というだけではない。危険な任務を続ける事を含めて、軍内部でのポイントを溜めこんでいるのだ。その溜め込んだポイントで、省吾は必要に応じて軍規すら捻じ曲げる。
誰よりも軍人であるはずの省吾だが、ある意味で軍人に向いていないのかもしれない。その省吾を支えているのは、弱い者を守れと言ったもうこの世にはいない男性の言葉と、百人を救う力が無くとも目の前の弱い一人を救えという国連事務総長を務める女性の教えだ。
「いいんですか? 名乗っていませんから、感謝もされませんよ?」
堀井の問いかけを、省吾は鼻で笑い飛ばす。
「それも、俺には必要ない」
省吾の考えが分かっているらしいローガンと堀井は、嬉しそうに声を出さずに笑う。
「しかし、仕事が無くては、子供を養えないか……」
再び目を閉じて思案する省吾を見て、堀井が口を開く。
「中尉? 私の友人である平井という男性がいるのは、ご存知ですか?」
「平井? 特務部隊員のだろう? 勿論、知っている」
「その平井の姉が、弁当と総菜の店を夫婦で経営していましてね。今度二号店をオープンするので、人手が足りないと言っていたんですよ。誰かいい人を知りませんか?」
表情を緩めた省吾に変わって、ローガンが返事をする。
「私は、いい人物を知っているぞ。子供を一人で育てる、健気な母親だ」
表情の緩んだ三人は、車の中から携帯電話で各所へ連絡を入れ、手続きの準備を進めた。
「では、私は一度戻って、必要な処理だけしてきます。店が決まったら、連絡を下さい」
堀井は軍の車両から降りた省吾とローガンに声を掛け、そのままその車で拠点へと戻っていく。車を見送った省吾は、ぼそりと呟いた。
「彼は優秀です。自分よりも、彼の方が国連には有益な存在でしょう」
省吾がいるせいで目立たないが、堀井も兵士として驚くほど優秀な技能を持っていた。その上で、教師としてやっていけるほどの頭脳と、研究員にも劣らない事務的な処理能力を持っている。
ローガンは、省吾以上に有益な兵士はいないという言葉を、飲み込んだ。省吾のいい意味で謙虚な部分は、今後の成長につながると考えての事らしい。
「さて、店を探すぞ」
「はい」
日本人の教え子も大勢いるローガンは、以前から行ってみたいと思っていた店を省吾に提案する。
「日本の居酒屋は、バーと違って長居が出来るそうだな? 料理も酒も美味いと聞いた。何処かいい店は?」
「自分は、国籍により未成年ですので、居酒屋は不適切かと」
ローガンの鼻の穴が少しだけ広がり、眉間にしわがはいる。どうやら、融通が利かない真面目な省吾の性格を、思い出したようだ。
「相変わらず……だな」
「はい」
無理矢理腕力で省吾を居酒屋へ連れ込んだローガンは、その真面目教え子と付き合う上で重要な事をまた一つ知る事となる。省吾へ、不用意に趣味の話を振るべきではないのだ。
合流した堀井とローガンは、興味の無い架空であるロボットの話を聞かされることとなった。ローガンが持っていた煙草を、全て吸いきるほど長い時間。
「どうしよう……どうしよう……」
得意げに喋る省吾が額へ、長すぎる話にキレたローガンから拳をぶつけられている頃、リアは裏路地で一人膝を抱えて座り泣いていた。
「どうしよう……私……どうしよう」
リアは中学生になる前に超能力が発現し、それ以降を日本特区で暮らしていた。その生活に不自由はなく、バイトを経験したことが無い。その為、バイトやそれ以外の働く事に関して、知識が全く無いのだ。
履歴書もなしにいきなり飛び込みで、バイトを申し込んでも、それを受ける店はまずないだろう。リアは身分を証明する為に学生証を提示したが、それだけでは人手が不足でもしていなければ普通の店は雇わない。如何わしい店ならば、雇う事もあるだろうが、そんな店に行くほどの勇気はリアにはない。
だが、バイトの求人誌すら思いつかなかったリアは、只でさえ勇気のいる飛び込みを続け、ついに心が折れたのだ。省吾と堀井が、助け舟を出そうとしている事を、彼女はまだ知らない。
「泣いてるのかい? 大丈夫?」
切羽詰まって泣くことしか出来なかったリアに、一人の若い男性がハンカチを差し出した。その男性は、中性的なケビンや彰にも負けないほど綺麗な顔を持っていた。
「あの……ありがとう……」
「どういたしまして」
その男性は、優しくリアを慰める。そして、妖艶な笑みを浮かべた。