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名無しのエース  作者: 慎之介
七章
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 省吾は超能力者であり、非凡な力を持っている。心、技、体。どれをとっても、一級品だろう。それでも彼は人間だ。人間の最低限である理からは解放されるはずもなく、心臓を壊されてはどうしようもない。


……こんな。こんな所で! くそっ! 分かっていたはずなのに! 俺は、大馬鹿野郎だ! こんな。くそ。


 もっとも重要な器官の一つである心臓が停止した人間は、脳が死んでいなかったとしても意識を失い、やがては完全な死に至る。心臓が裂けると同時に、命の砂を体外へとこぼしてしまった省吾も、守ろうとした世界よりも先に現世から消えてなくなるしかないだろう。


 意識を強い意志で無理矢理つなぎ留め、脳を超高速処理へと持ち込んだ省吾だが、それはかえって残酷な事なのかもしれない。


……俺は、なんて弱いんだ。情けない。情けなさすぎる! 目的は、すぐ目の前だぞ? くそっ! くそおおおおぉぉぉ!


 限界を超えて酷使し続けた省吾の体は、最後の負荷で全ての機能が損なわれており、脳からの信号に全く反応することが出来ず、指一つさえ動かなかった。


……なんでだよ! なんで動かないんだよ! 目的のボタンは、目の前にあるじゃないか! この為だけに、俺は戦ってきたはずだろうがあぁ! ちくしょう!


 コントロールルームに浮かんだ球体には、まだ最終警告が表示されており、パネルの他よりも少しだけ大きな記号さえ押せば、異世界の都市は消滅する。しかし、ゆっくりと落ちていく瞼の先数センチにある記号が、今の省吾には余りにも遠すぎる距離だ。


……皆の未来が、かかってるんだよ! もう少しじゃないか! 腕じゃなくてもいい! 応えろよ! 装置を作動させればいいだけじゃないか! それなのに。


 省吾がいくら心の中で叫び、強く願おうとも、そんな事だけで現実が変わるほど、この世界は甘くない。


……なんで。なんでだよ。なんで、俺はこんなに弱いんだ? 平和を掴むどころか、腕さえ動かせない。俺は、最後まで、こんな。


 血液が循環を止め、危険な状況に陥り始めた脳細胞達は、省吾にとっては見飽きた走馬灯を映し出していく。元居た世界だけでなく、未来でも英雄や救世主などと呼ばれている省吾は、数え切れないほどの人を救い、功績をあげてきた。それでも、自分ではなく常に人々の幸せを優先する省吾は、守れずにこの世から旅立った者達を見る。


……弱くて、情けない俺には、誰も守れないのか? 俺のなんの価値もない命じゃ、一人も幸せに出来ないのか? たった一人さえも。


 省吾の脳裏で、大事な人々が息をひきとる光景が、記録映像であるかのように早送りされていく。幾度も見てきたはずのその光景でも、省吾の心は傷を深め、自分の罪を見つめて惨めに死んでいけと突き放されるかのような、虚無感を覚える。


 省吾と同じ、リアムさえもゆっくりと見える世界に入った絶望と呼ばれるものは、期待に満ちた目を見開いた。それは、この世を去るまでの短い時間で、体が動かせず、大事な人達を守れなかった省吾が、絶望に囚われるのを待っているからだろう。


 ぎょろりと血走った目を動かし、限界まで口の両端を引き上げて笑う絶望を、生理的に不快に思う者は多いはずだ。リアムの背中から、省吾の絶望した顔を見ようとパネルの前まで移動したそれの顔から、笑顔が消える。


……まだ! まだだ! まだ、諦めてたまるか! 俺は! 俺は、約束したんだ! ここで死ぬ為に、俺は戦ってきたんだ!


 人間である省吾は、幾度も負け、多くの命を手からこぼしてしまい、罪を背負う事でしか生きてこられなかった。それでも、諦めずに死すらも乗り越えて、大勢の人々を救ってきた者だからこそ、英雄と呼ばれている。省吾という人間は、自分がどれほど弱く情けないかを知っていても、それと向き合える強さを持っていた。その省吾にとって、自分の死は些細な事であり、諦めるなどという選択肢はすでになく、心を折るはずもない。


 残酷な現実と弱い自分への怒りで感情を爆発させ、最後に押すべき記号へ殺気にも似た眼光を省吾は送っていた。それは、絶望にとって予想外だったのだろう。


 省吾や狭間にいる魂だけとなった者達だけでなく、もう一つ別に諦めていないもの達が存在している。本当に微量ではあるが、餌となる感情が主から送られてきた事で、省吾の体内にいる金属生命達が微かに発光し始めた。


 細胞と融合しているもの達は、主と共に死ぬのだから、最後まで足掻くのは当然だが、他二種の金属生命体達も活動を再開する。言葉を発する事もない金属生命体達だが、省吾の強い想いに出来うる限りこたえようとしており、もしかすると感情があるのかもしれない。


 人に超能力を与える種だけでなく、人を見限ってファントムを生み出していたもの達まで、信じられない速度で血管内部を移動し始めた。金属生命体達は血管を通って省吾の脳へと到達し、強制的に途切れるはずだった省吾の意識を、短い間だけ保たせる。


……くそっ! 応えろ! 応えろよおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!


 省吾の体内まで、全てが見えている絶望は、一時的に驚いた表情を作っていたが、すぐに口角を上げた。いくら省吾が諦めなかったとしても、人間に可能なのは奇跡的な事まであり、本当の奇跡など作り出せない。


 金属生命体達は、爆発した省吾の感情を力に変えたが、ぼろぼろになった体を動かす事は出来なかった。最後まで諦めず、省吾に従った金属生命体達が唯一出来たのは、短すぎるとしかいえない時間、主の意識を保つ事だけだ。


……この先、地獄で苦しみ続けてもいい! 罪からは逃げない! だから! 少しでいいんだ! 動けええええぇぇぇぇ!


 省吾が幾度感情を爆発させようとも、体を動かすだけの力は生まれず、いたずらに苦しむ時間だけが伸びていく。眼球すら動かせなくなっても足掻いている省吾を見て、絶望の字名を持つものは、滑稽だと大声で笑い始めた。わざわざ笑い声を止めてまで、絶望と呼ばれるものは、異世界の都市中に響き渡るほど大きな声でチェックメイトと叫ぶ。


 所詮は人間でしかない省吾が、超常的な存在である絶望に、一人で戦いを挑んでも勝てる見込みなどなかったのかもしれない。


 ただし、それはもし一人であればの話だ。


 自分の勝利を確信した絶望とリアムが、大声を出して笑う。二人は戦場でそれがどれほど危険かを忘れていたようだ。


 人間である省吾には奇跡などおこせないが、絶望と同じ超常的な存在のものであれば、人から見て奇跡と呼ばれる力が発現できる。魂だけとなった者達のいる世界で、目を閉じて省吾の心が発する声だけに耳を傾けていた運命の字名を持つものが、その瞼を開く。そして、省吾とリアムのいるコントロールルームに、奇跡あれという人間では聞き取れない声が、伝搬した。


(エース! いいいぃぃぃやああああああぁぁぁぁ!)


 光だけの不思議な世界から、黒髪の涙を流し続けていた女性が、誰よりも先に省吾の元へ飛び出していく。


(これは……今だ! いくぞ! 准尉を! 俺達も英雄を、助けるんだあああああぁぁ!)


 運命と呼ばれるものの作っていた見えない壁が消え、省吾を見守り続けていた魂だけになっている人々が、現世へとなだれ込む。


(なるほどな。けっ……。神様ってのは、あんな顔してやがったのか)


 幼い省吾を育てていた男性は、現世へと向かう手前で一度振り向き、無表情なままの運命を見て苦笑いをした。


……まだ! まだだ! 俺は戦うんだ! 皆を守るんだ!


 金属生命体で作られている、黒く染まったナイフが、ケースにしまわれたまま輝き始める。省吾一人では発生させられないはずの膨大な意思の力を受け、体内の金属生命体達もかすかだった光を強めていった。


 異変にリアムよりも早く気が付いた絶望の字名を持つものが、血のように真っ赤に変わった省吾の瞳を見て、不快な笑いを止める。


「なっ! なん……だ?」


 省吾の左腕に巻かれていたワイヤーが切れた音で、リアムもやっと異変に気付き、気持ちの悪い笑顔を消した。すでに細胞が死に始めている省吾の体は、一ミリたりとも動いてはいないが、左腕だけが光を放っている。


……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉ!


 周囲へと放出されていた黒い光は、省吾の今はもうない左腕にまるで吸い込まれていくかのように、集束されていく。莫大な量の想いで作られた光達は、自分達の力だけでついに具現化まで成し遂げ、省吾の左手へと姿を変える。


 省吾の新たな左腕は黒い色をしており、ファントムのそれと似ているが、輝いている事と、色以外はなくす前と同じ人間のそれだった。


「馬鹿な! こんな馬鹿な事が! なんなんだ! 貴様は!」


 省吾の内面など読む事の出来なかったリアムの意見は、もっともだろう。もう動く事の出来ない、死んだはずの人間が、目の前で奇跡を起こし始めたのだから、驚かない者の方がおかしいはずだ。


「くっ! このおおぉぉぉ!」


 優秀な頭脳を持つリアムは、自分の実行できる事柄を短い時間で脳内に並べ、一番良いと思える選択をした。急いで三日月状の刃を出現させたリアムは、省吾の左腕目掛けて、急いで投げつけていく。


 複数投げられた刃の中で、一番早く省吾へと到達したものが、肩の皮膚や筋肉を切り裂いて左肩甲骨を両断する。


……とどけええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇ!


 リアムは勘違いしてしまったようだが、省吾の左腕に見えるそれは、厳密には超能力と同じものであり、肩を砕こうとも影響を受けない。


「なあああぁぁぁ!」


 そして、省吾の左腕にぶつかった三日月状の刃は、密度も量も圧倒的に劣っており、止めるどころか傷付けることも出来ない。


「馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿な!」


 自分の能力が跳ね返されてしまい、リアムは両手で頭を抱えようとしたが、高速状態で体が上手く動いていないかった為、自分の髪を引きちぎってしまう。


 省吾の黒い指が、パネルの周りよりも少し大きな記号に触れた瞬間、都市維持機能が停止する。


……作戦。


「くそったれがあああああああぁぁぁ!」


 ぎしぎしと音を立てて揺れ始めた室内で、リアムは頭の上で両拳を強く握り、大声で叫ぶが残酷な現実は変わらない。


……終了だ。


 省吾達のいる都市は、異世界の信じられないほど強い外圧に押し潰されていく。


 それに伴って、第三次世界大戦で英雄と呼ばれた青年の、未来及び自分のいた世界を救う作戦が、全て終わったのだ。

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