六
誰に阻まれる事もなく、ピラミッドへ向かって突き進んでいた省吾達は、立方体の建物に挟まれた細い道を進んでいる。進むごとに少しずつ低くなっていた右側の壁を乗り越え、水路から住宅地ではないかと思われる場所へ移ったのは、そのまま進めば罠があると分かっているからだ。
「はぁはぁ……み……右の……はぁ! 壁には……触れないで……下さい。はぁはぁ!」
先頭を走っている省吾は、敵の襲撃に備えて感覚のチャンネルを開いたままにしており、後ろにいるケイトの声も問題なくキャッチ出来た。銃身から左手を離して親指を立てた省吾は、声ではなく手信号でケイトに了解の意志を示した。
「わぁ……わかったぁ! ふぅふぅ……」
能力的には余裕だが、日ごろの運動が不足しているフィフスの男性は、ケイトに返事をしたせいで酸素が不足し、急いで浅い呼吸を繰り返す。
……左右の壁に、不規則な罠か。経路を残しつつも、確実に侵入者を仕留めるのが目的のようだな。
「はぁはぁ! あの! 少し速度を! その先の床が! はぁはぁ……あの! 罠が!」
本来仕掛けるべき場所に仕掛けられていない代わりに、予想外の場所に設置されている罠は、いやらしいと表現できる。
……壁、壁ときて、次は床に罠か。上からの仕掛けがないのは、気を抜いた所で使うつもりだろうな。
第三次世界大戦中に、兵数や装備で劣勢になる事の多かった省吾は、罠などを活かすゲリラ戦の知識が他二人よりも多い。その省吾は、頭に叩き込んである見取り図の情報と、現地で直に目にした罠から、設置者の思惑を見透かしていく。
……異世界。異世界か。建物の扉から、作った者の身長は大よそ見当がつくな。
人間の心理を利用して巧みに配置された罠から、省吾は異世界の都市は人間かそれに類似した生物が作ったのだろうかと考える。都市に仕掛けられた罠は利用できる可能性があり、省吾は周囲からの情報収集を止めない。死が迫ってもなお成長する省吾は、堀井から伝授された脳の効率的な使い方を、ほぼ完全にマスターしつつあるようだ。
「はぁ……はぁ……」
水路を抜けてから走っていた道が、大通りとぶつかる手前で省吾は立ち止り、周辺に敵がいないかを確認する。
……敵の気配なし。しかし、これは速度を落とすべきだな。
ノアの首都よりも広い異世界の都市を、省吾にあわせて走っていたケイト達二人は、前かがみで膝に両手を置いて体を支え、呼吸を整えていた。
「はぁぁ……ふぅぅ……」
呼吸が落ち着き、幻想的な画像を表示している空へ顔を向けたフィフスの男性は、苦笑いをしている。それは、能力の補助がないにもかかわらず、息切れさえしていない省吾を見て、改めて敵わないと思い知らされたからだ。
今現在の省吾は、他の者が使えない黒い能力を使っている。しかし、作業用の厚いゴム手袋を息だけで破裂させられるだけの肺活量は、純粋に日頃のトレーニングのおかげではある。
「はぁはぁ……んっ……はぁ……」
体力だけでなく能力でもフィフスの男性より劣っているケイトは、呼吸がなかなか整わない。立ち止まったせいで噴き出してきた汗を袖で拭ったケイトは、ベルトのホルダに付けておいた水筒を掴み、水分を補給する。
「んぐっ……はぁぁぁ……きゃあっ!」
少しぐらつきながらも、水分補給を終えたケイトは、予想外の出来事でバランスを崩し、恐怖から短い悲鳴を上げた。
「なっ! うわああっ!」
気を抜いていたフィフスの男性は、迫ってきたケイトの背中を避けられず、罠だらけの壁へ転んでしまい、恐怖で身を屈めて目を閉じる。
……やはりな。あの見取り図の情報も、完璧とはほど遠いか。
ケイトが水を補給する際に、肘が壁に触れてしまうのを見て、省吾は上からの罠が来ると読んだのだ。ケイト達が元々立っていた場所には、建物の屋上付近から幾本も落ちてきた。逆にケイトとフィフスの男性が尻餅をついている床には、罠が仕掛けられていない。今の省吾には、そこまで正確に読めているらしい。
幾本もの金属で出来た槍を難なく回避した省吾は、倒れたまま身を縮めている二人に声を掛ける。
「二人とも、怪我はないか?」
……うん? どうする? いや、余裕がなかったと、言い訳するだけ時間の無駄だな。
ゆっくりと瞼を開き、事情を理解したケイトだが、一声かけて欲しかったという感情から、省吾を睨む。
「気を抜くな。問題なければ、移動の準備を」
ケイトがどう思っているかも大よそ見当のついている省吾だが、面倒だと感じるコミュニケーションを放棄し、二人に背を向ける。
「あの……そのぉ……」
フィフスの男性は、床に両手足を伸ばした状態で座り込んでおり、懐に省吾を見つめるケイトがいる為、立ち上がれない。
「あっ! ああっ! すみません」
自分が男性の懐にいると分かったケイトは、顔を赤くして立ち上がり、壁などに触れないようにと気を付けながら、頭を下げる。
「いや。怪我はないか?」
ケイトが立ち上がった事で漂ってきた甘い香りに、フィフスの男性は無意識に鼻の穴を広げ、戦いの場に似つかわしくない笑顔を作った。十人中六人が可愛いと表現し、残り四人が美人だと褒めるケイトと接触出来た事が、フィフスの男性は嬉しかったのだろう。
「はい。ありがとうございます。どこもぶつけませんでした」
「お。おおぅ……そりゃ、よかった」
……なんだ? 視線が。視線が消えている? 敵も現れる気配がない。どうなっているんだ?
感じ取っていたデビッドからの視線が消えている事で、省吾の中にあるランプが黄色から赤へと変わっていく。
「エー! 助けてくれた事は、感謝しますけど……えっ? あの……」
……なんだ? 何が起きている? なんだ? この違和感は?
自分に背後から文句を言い始めたケイトに、黙る様にと手信号で指示をした省吾は、千里眼の能力を発動する。だが、空間が元の世界と違うらしい異世界の都市では、肉眼とほぼ変わらない距離までしか、千里眼は映し出さない。
……一刻も早く進まなければいけない。だが、この違和感は。
直感からの警告を無視できなかった省吾は、呼吸を止めて瞼を閉じ、全神経を自分の勘へと集中させる。
……この音は!
破裂音とも爆発音とも判別できない、小さな音を耳で拾った省吾の頭に、助けられなかった人々と第三世代の者達の顔が浮かぶ。
……敵。そうだ。敵がいる!
「あの……エー?」
悪寒が走り、体内のアラームがけたたましく鳴り響き始めた省吾は、振り向いてケイトを見つめる。ギャビン達ならば、うまく敵を退けるかも知れない。そして、ケイトを守らないといけないと省吾の理性が耳元でささやく。
生粋の兵士である省吾は、作戦の遂行を優先しなければいけないと、叩き込まれている。しかし、平和な世界でオーブリーやギャビン達にも、笑ってほしいという強い想いが、省吾に理性ではなく直感を選ばせた。その瞬間に、まわり続けている運命のギアが切り替わり、それまでなかった未来を形成していく。
「ケイト……。あそこへは、二人で向かってほしい。俺は……俺は、誰も死なせたくない」
両肩を強く掴まれたケイトは、オーブリー達が危険にさらされているのを、省吾が感じ取ったのだろうとすぐに理解できた。愛する兄妹と想い人を天秤になどかけられないケイトは、はいともいいえとも返事を出来ない。
「俺も……少し遅れるかもしれないが、必ず駆けつける。ケイト、俺を信じてほしい。頼む……」
自分の服を掴んだまま離さない泣きそうなケイトの頭を、優しく抱きしめた省吾は、フィフスの男性へと顔を向けた。
「お前が、この……俺にとって大事な人を守れるだけの力を持っていると……。俺は、知っている。まかされてくれないか?」
省吾の烈火のごとく燃える瞳を見たフィフスの男性は、ケイトの背中を見つめ、眉間にしわを寄せてうつむく。フィフスの男性は、最強と呼ばれていたデビッドと出くわした際に、ケイトを守れるかと自分に問いかけているのだ。
「分かった。俺の命に代えてでも、その人は守って見せる」
ケイトに好意を持ち、すぐさま失恋したその男性だが、洗脳の影響さえなければ正しい選択ができるらしい。もとより捨てた命が、好意を抱いた女性と世界の平和に役立つならばと覚悟が出来たフィフスの男性は、省吾の強い眼差しを押しかえす。
「ありがとう。二人に……武運を」
ケイトの手を振りほどいた省吾は、見取り図にないルートへと走り出し、壁から飛び出してきた矢を躱し、落とし穴を飛び越えていく。
「エー……」
……よし。見える! 次は、壁。いや、床だ!
予測と勘が冴えわたっている省吾は、床から飛び出してきた巨大な円錐を避けると同時に足場とし、建物の屋上へと飛び移る。両足を能力で輝かせ、足にどんどん負債を抱えている省吾だが、死に近付くごとに気力は高まっていた。命の砂を代償にしているかのように高まっていく省吾の直感は、未来予知といえるほど正確に、都市の罠を先読みしている。天井から突き出した侵入者を押し潰す為の円柱や、宙に浮く銀色の球体が噴き出す炎も、今の省吾を捉える事は出来ない。
「さあ……行こう。奴は、我々を信じて、仲間の救援に向かったんだ。その信頼に、俺達は応えなければいけない」
省吾の背中が見えなくなっても、見つめ続けていたケイトの肩にフィフスの男性は手を置き、正直な気持ちを口に出した。フィフスの男性に、ケイトからよく思われたいという気持ちもないわけではないが、それ以上に省吾に応えたいと、熱い何かが胸を焦がしている。
首都にいたノアの兵士達は皆、省吾が命を掛けて自分達を洗脳から解放してくれた事を感謝していた。特に、直接省吾と戦ったフィフス達は、目の前でぼろぼろになった優しい青年の姿を見た者も多く、感謝と申し訳なく思う気持ちはフォースの兵達よりも強いようだ。ケイトに真剣な眼差しを向けている男性は、首都での戦闘が開始されてすぐにダウンさせられた為、その瀕死の省吾を見てはいない。しかし、同じフィフスの仲間から聞かされた英雄の姿は大よそが血と泥にまみれており、それほど省吾が頑張ってくれたかを正確に把握できている。
数日前まで敵だった男性からの言葉が、省吾に引けを取らないほど真っ直ぐだったおかげで、ケイトの心にまで響く。
「はい……。はい! 行きましょう!」
前髪をかき分けて自分の額を撫でたケイトは、必ず駆けつけるといった男性の言葉を力に変える。
「よし! 急ごう!」
見取り図の複製をもったケイトが先頭となり、二人は都市の中心部にある、黄金に輝くピラミッドを目指して、再び走り出した。
……くそ。こんな時に。
建物の壁が直接変形した鋭い刃物を回避した省吾は、罠のない地点で立ち止まり、戦闘服の胸元を強く掴んで、顔を苦痛に歪める。
「ぐっ……ごほっ! く……そ……」
吐血により、金属で出来た床に大きく赤い花を咲かせた省吾は、左ひざの震えを握力で無理矢理抑え込む。立っているどころか意識を失わない事すら不思議なほど、省吾の体は限界に達しており、溜めこんだ苦痛が溢れ出す事も多くなっていた。
残酷な現実は人間達に、今まで与えた幸運以上の不運を、負債として背負わせ、容赦のない取り立てをする。省吾の背中へひたひたと近付いていた死神は、すでに命を刈り取る為の鎌を、ターゲットの首へ向けて振り上げていた。
「まだ……まだだ。まだ、もう少しだけ残っている。最後の一欠けらが消えて無くなるまで……戦うんだ。俺は……まだ……戦える!」
省吾の強い意思を食らい始めた金属生命体達は、生命維持にも利用できる力を生成していく。すでに体内から金属生命体で作られた弾丸は摘出しているが、省吾の中には主に最後まで付き合うと決めたもの達が、居残っている。
「ふぅぅぅぅ……」
苦痛が何とか耐えられる域にまでおさまった事で、省吾は口元の血を服の袖で拭き取り、敵の気配を感じる方向に目を向けた。気力を高めたまま、体の準備を待っている省吾の瞳は、純粋な黒ではなく血を思い出させる赤が混じっている。その事に、鏡もない場所では省吾本人が気付けるはずもなく、近くにいない者達が知る事等不可能だ。
……くっ、時間を浪費してしまった。急がなければ。
床に落としてしまったサブマシンガンを拾った省吾は、全身に殺気を纏い、敵の気配に向かって走り出す。
省吾とは根源の違う殺気を放っているデビッドは、自分を守る光の中で握っていた両手を開いて突きだした。
「くぉ……のぉぉぉ! くそったれ! くそったれがああぁぁぁ!」
デビッドの叫びと共に出現した無数の発光体が、光の尾を引いてギャビンへと向かって行く。
「はぁぁぁぁぁ……」
まるで拳闘士であるかのように拳を握って構えているギャビンは、向かってくる高速の発光体を前に冷静さを保っている。
「はあっ!」
衝撃波の軌道を読み切ったギャビンは目を見開き、風を切る音が聞こえるほどの速度で、拳を幾度も放つ。その拳に連動して、ギャビンの傍らで自転をしていた力の結晶達が、敵の攻撃を打ち砕く為に飛び立った。
サイコキネシスの量がフィフスの中でも桁はずれているデビッドは、力を凝縮する事なく衝撃波に凄まじい威力を持たせることが可能だ。兄であるディランのキューブすら押しかえすデビッドの力だが、力を加えられる面積の少ない六角柱にはそれが出来ない。
リアムの時と違い、発光体を貫いたギャビンの結晶は砕ける事なく、次の迎撃へと向かう。ギャビンが出現させられる結晶の、数倍は放たれた衝撃波だが、速度と硬度では全く歯が立たない。
「また……くそっ! くそっ! くそっ! なんだよ! ちきしょう!」
衝撃波を全て消滅させた六角柱は、数をかなり減らしたが残っており、デビッドへの攻撃に移る。
「はああああぁぁ!」
衝撃波の迎撃により、強度がかなり落ちた結晶達でデビッドの膜を貫く為、ギャビンは拳を突き出す事で再度の指示を出した。
「この……雑魚の……雑魚の癖に! 舐めやがって! くそがっ!」
防御膜の一点に、時間差をつけてぶつかった幾つもの六角柱は、砕けながらも仲間の一つをデビッドへと届かせる。だが、狂人の一種であるデビッドは、兄と死んでもおかしくないほどの喧嘩を重ね、ギャビンと同等の練度を手に入れており、音速の攻撃にも反応した。
「舐めやがって! 舐めやがって! 舐めやがってえええぇぇ!」
デビッドは有り余るサイコキネシスの量を活かし、防御膜内にもう一枚膜を出現させ致命傷を避ける。だが、ギャビンの結晶は、出現して間もないその縦横五十センチほどの膜を押しこみ、脇腹にダメージを与えた。それは能力の無い人間が、普通に殴った程度の威力だが、怪我すらろくにした事ないデビッドは、痛みへの耐性がなく、苦しそうに顔をしかめる。
「こ……の……くそ雑魚があああぁぁぁ!」
脇腹を押さえて真っ赤な怒りの顔をギャビンに向けたデビッドは、うまく集中出来なかったらしく、発生させられた衝撃波の数が先程よりも少なくなっていた。当然ながら、デビッドの作った隙で再び結晶を出現させていたギャビンは、それを難なく消しとばす。
六角柱の結晶は一つ作るだけでも能力残量をかなり削り、連戦によってギャビンはかなり消耗し、補充も遅くなってきてはいるが、それを戦いの運びで補っていた。練度がほぼ同等のギャビンとデビッドは、能力的にもそれぞれが付け込める欠点があり、互角ではある。
それでもギャビンが戦況を優位に進めているのは、悪への怒りや平和への渇望など想いの強さからだろう。自分が真の最強であり、敵をどういたぶり殺そうか程度にしか考えていなかったデビッドでは、今の気合が充実したギャビンの相手ではないようだ。同等の能力者同士の戦いは、精神力が勝利の鍵となる。
「凄い……よく見えないけど……。ギャビンさん。押してるよね?」
開けた場所の端で、二人の戦いを見ていたオーブリーとカーンは、練度がその二人よりも劣る為、全てが見えている訳ではない。しかし、二人には劣っていても脳は高速の処理をしており、ギャビンが優勢である事だけは分かっているようだ。
「おおっ……っと」
ギャビンが輝く衝撃波を四散させ、その光の破片が自分の前まで飛んできた為、カーンは一歩後ろに下がる。床にぶつかった破片は、甲高く不快な音をたてて、さらに細かく砕け、刹那の時間だけ宙を漂って消えた。
カーン達のいる場所まではほとんど届かないが、それと同じように衝撃波の破片達は、激しく周囲の床や壁を叩いている。その破片達のせいで都市内にある罠が、誰も犠牲者を出せないにもかかわらず、いくつも作動していた。
超能力者達の生み出す結晶や衝撃波は、通常の物理法則を無視できる部分が多く、力そのものではあるのだが摩擦熱等を生み出さない。それでも、力同士が衝突すれば余波で音を生みだし、輝いてはいるがもう主人の指示に従わず、消えるだけの欠片を花火のように周囲へまき散らす。
お互いに向かい合って戦うギャビン達は、異世界の都市で光と音に包まれた景色を作り出している。一見すると神秘的にすら思えるその光景だが、対峙している二人は間違いなく命のやり取りをしていた。
ギャビンは近付き過ぎれば数で勝る衝撃波を撃ち落とせなくなり、デビッドは音速の結晶に反応できなくなる為、一定距離を保ってそこから動こうとしない。また、能力的に互角という事もあるが、罠だらけで不用意に走り回る事の出来ない場所に居る為、二人は正面から撃ち合っているのだ。
ギャビンがじりじりとすり足で距離を詰めると、デビッドが同じだけ後ろに下がり、下がり過ぎたと感じた所で前に出る。それを見たギャビンは進むのを止め、敵の攻撃をすべて撃ち落とせる位置に否応なく下がらされ、距離は変わらない。
「私は、もう間違えない! そして、もう負けない! 今度こそ……今度こそ! 正しく、あの人を守る!」
能力を防御に回すだけの余裕がないギャビンは、衝撃波の破片で体中に浅い切り傷が出来ていた。いたる所が引き裂け、赤く染まった白い軍服を着たギャビンだが、愛する女性への強い気持ちによって支えられた集中力は途切れる事がない。
「こぉおのぉぉぉ! カス野郎! くそがっ! 死ねっ! くそっ! くそっ!」
異常ともいえるほど負けを嫌うデビッドは、かなり頭に血が昇っており、幼稚な相手を貶める言葉だけを口走っている。
ギャビンが血を流しているせいで、ダメージを受けていると分かり易く、デビッドは自分の優勢を疑っていないようだ。だが実際には、膜で防御しているとはいえ、六角柱達に殴られ続けているデビッドの体はあざだらけになっており、蓄積ダメージも相手より多い。距離を置いてみればそれは勘違いだとすぐわかるのだが、気を抜けない状況のデビッドに分かれという方が、無茶なのだろう。
もう倒せていてもおかしくないのに、相手が生意気に粘っているだけと考えているデビッドは、腹部のダメージによる吐き気もあり、苛立ちを高めている。
「とっとと死ねよ! くそ雑魚が! ふっざんなよ! くそが! おめぇじゃ、勝てねぇって分かんねぇのかよ! このボケがっ! 雑魚のくせしやがって!」
衝撃音の中でも、デビッドからの暴言が聞こえているギャビンは、単調になっていく罵りを逆に喜んで受け入れていた。エミリのような癖を持っていないギャビンは、言葉の意味ではなく、相手が焦りから言葉を単調にしていると読み取り、勝機を見ているのだ。
「甘い。そこおぉぉ!」
ギャビンが拳を振り上げると、まだ衝撃波を打ち消していないせいで硬度を落としていない力の結晶が、デビッドの足元へ向かう。衝撃波を作り出す事に注力し過ぎていたデビッドは、自分を囲う膜の端に力がうまく回せていなかった。膜の一部分が光を弱めたのを見逃さなかったギャビンは、他を全て防御にまわしつつ、攻撃も同時に行う。
「なんなんだよ! ちきしょう! ごっ! が……」
高速化させている感覚のおかげで、六角柱の進み軌道が読めたデビッドだが、掌サイズの膜を三枚作るだけで精一杯だった。
元々、最強と呼ばれていたフィフス三人の中で、一点への攻撃力がもっとも高いギャビンの結晶は、二枚の膜を突き破る。そして、三枚目の光る半透明な膜を、デビッドの腹部へボディブローのように押し込み、相手の呼吸を止めさせた。
「あ……うぅ……」
腹を両手で押さえ、膝を折ったデビッドは、横隔膜が一時的に動きを止めた苦しみから、呼吸をしようと餌を求める鯉のようにぱくぱくと口を開閉している。痛みや苦しみに弱いデビッドだが、生きようとする気持ちは強く、本能で自分の周囲に膜を出現させられるだけ出現させたのは、ギャビンも驚きを表情に出す。今まで思うがままに生きたデビッドは、原始的ともいえる本能が、他人よりも強いのかもしれない。
「ははっ……。流石は、中尉が認めるだけの人だ。てか……中尉さんは、あれにマジで勝ったのか?」
仲間となったギャビンの勝機を感じ取ったカーンは、自然と笑顔をこぼし、戦闘以外の事へ意識を向ける。フィフスのいなかった世界で育ったカーン達からすれば、ギャビン達は立派な化け物であり、それを超えたセカンドでしかない省吾が信じられないらしい。
「ま……まあ……。あの人は、私達じゃ推し量れない、特別だもの。フォースを百人単位で相手に出来るセカンドなんて、他にいないわよ」
カーンの言葉に反応し、ギャビン達から目を離してはいないが、オーブリーは苦笑いを浮かべる。
「そりゃそうだ。敵が、逃げたって聞いた時は……正直、ちょっと疑問も残ったが……。あれに勝つなら、逃げて当然だよな」
肩をすくめたカーンは、戦闘中の鬼気迫る省吾を思いだし、自分がフィフスでも逃げるだろうと考えていた。
「そうねぇ。もし……過去に行った時に、中尉さんが今と同じ強さだったらと思うと……。正直ぞっとする」
信じられない戦闘力を持ったギャビンだけでなく、いざとなれば省吾がいると考える二人は、苦笑いを浮かべ合う。改変する前の世界で戦争を生き抜いたはずの二人だが、強い仲間を得て気が緩み、それが戦場でどれほど危険かを忘れている。
「はぁっ! はぁっ! ごほっごほっ! ふぅふぅ……」
自立呼吸が回復し、口の端から垂れていた唾液を手の甲で拭き取ったデビッドは、呼吸を整えながら立ち上がった。そこで初めて、デビッドは自分の幾重にも発生させた防御膜が、ギャビンに半数以上突破されていると気が付く。
「ここでっ! 仕留めて見せる! はあああぁぁぁ!」
能力の残量が心もとなくなっているギャビンは、反撃が来ないと判断し、距離を詰めていた。素早く執拗に拳を突き出すギャビンに従って、六角柱の結晶達は光の膜を一枚ずつ砕いていく。砕けた膜の破片が体を更に傷付けるが、脳内の分泌物で痛みが麻痺している為、ギャビンはそれを気にするそぶりを見せない。
一心不乱に拳を放ち続け、自分に向かってくるギャビンを見たデビッドは、冷たい汗を流して顔を引きつらせる。
「来るな……こっち、来るなよ! 来るなっつってるだろうがあああぁぁぁ!」
省吾によって心の傷をつけられているデビッドは、命を脅かされていると感じた為、冷静さを完全に失う。恐怖によって半狂乱になったデビッドは、感情が爆発し、全身を閃光弾の光を思わせるほど発光させた。
「くっ! これぐらいっ!」
突然の光で目をくらませたギャビンだが、超感覚で中空に出来たおびただしい数の衝撃波を感知し、後ろへと飛び退く。
「ああああああああああぁぁぁぁぁ!」
顎が外れるのではないかと思えるほど口を開いたデビッドは、壊れたブザーのように叫びながら、衝撃波を放った。デビッドの精神では耐えられなかった、恐怖が元となっているその衝撃波達は、無制御に全方位へと四散していく。
「こ……の……おおおぉぉぉ!」
素早く後方へと飛び退いていたギャビンだが、攻撃の為に接近し過ぎており、全てを回避する事が出来ない。
「ごはっ!」
自分の元に衝撃波よりも早く戻ってきた結晶達で、ギャビンは盾を作り、ダメージをほとんど受けなかった。だが、空中にいる間に衝撃波によって結晶の盾が押しこまれ、金属で出来た床に背中から激しくぶつかり、痛みで一時的に行動不能となる。
「うそ……いや……いやああああああぁぁ!」
口を大きく開いたまま、血走った気持ちの悪い目でデビッドは、悲鳴の聞こえた方向を見た。自分達に向かってくる凄まじい威力の衝撃波を前に、オーブリー達は恐怖を感じて、悲鳴を上げてしまったのだ。デビッドが全方位へと放った衝撃波の一つが、意図したわけではないが、オーブリー達の居る場所へと向かっていく。
「このっ! くそおおおぉぉぉ!」
フォースである二人は、反射的に避けられないと判断して、自分達の出せる最大のサイコキネシスを衝撃波にぶつけ、威力を削る。勿論、フォースの力では二人掛かりでも、デビッドの衝撃波を相殺することなど出来ず、軌道を少しだけ逸らすのが精いっぱいだった。
「ひっ! あぐ……」
まだ人を容易く殺められるほどの威力を持った衝撃波が、非力な二人の体にぶつかり、空中へと跳ね上げる。
「ぐぅぅ……そん……な……」
二人の悲鳴を聞き、痛みを堪えて首を後ろへとひねったギャビンは、空中に赤い色をまき散らしながら、床へと激突した仲間を見た。
「オー……ブリー……。オーブリー!」
うつ伏せに倒れたカーンは、自分の血で真っ赤に染まる視界の中に、床でバウンドして背中から壁にぶつかった、愛する者の姿が映る。壁を背にうつむいて座るような姿勢になったオーブリーの、血塗れで無造作に投げ出されている両手足からは、彼女の意思が感じられない。
「オーブリー! いくな! いかないでくれ!」
自分も重傷を負ったカーンだが、痛みを跳ね除けて、命よりも大事な女性の元へ向かおうとしていた。しかし、カーンの下半身は脳からの指示を受け付けず、腕も血で滑ってしまい、なかなかオーブリーとの距離を詰められない。
「カー……ン……。ご……めん……。私……駄目……かも……」
カーンの声で指先だけを動かしたオーブリーだが、それ以上は体が反応せず、声もほとんど出ないようだ。
「はぁはぁ! し……心配するな! 今行く! 大丈夫だ! 帰ろう! 一緒に! 平和な世界に!」
両腕の力だけで、体を引き摺って赤黒い道を床に作っているカーンは、オーブリーの声が聞こえた事で涙を流し、元気づける為の声を出す。
「はぁぁ……くっ! これ……ぐらいの事で! ぬうう!」
二人がまだ生きていると分かったギャビンは、放心状態から脱し、痛みを気力で堪えてゆっくりと立ち上がる。
「ひっ……ひひっ……ひへへ……」
立ち上がったギャビンではなく、瀕死の二人を見ていたデビッドは、不気味に口角を上げていた。
全てに平等で残酷ともいえる現実は、いくら正しく在ろうとも、それを一切考慮しない不幸を人間に与えるのだ。




