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名無しのエース  作者: 慎之介
七章
72/82

 ノアの首都から、指向性のある目に見えるのではないかと思えるほど強い念波が、都市へと放たれた。


 高レベル能力者達が合成して作りだしたその念波は、中核であるエヴァンジュリンの声を、目的の者へ届ける。ギャビンの指示を受けたエヴァンジュリンは、複数の他者と能力を合成し、可能な限り多くの者へメッセージを送った。セカンドの綾香や、フォースのケイトには出来ないほどの出力を、フィフスのエヴァンジュリンは実現している。


 念派の送り手にエヴァンジュリンが選ばれたのは、その出力を実現出来るという理由だけではなかった。かなり離れた目的の者達だけに、ピンポイントで念波を送れるのも、力の繊細なコントロールを得意とするエヴァンジュリンだからこそのわざなのだ。各都市でノアの方針変更に不満を持ち、抵抗している者達に下手な情報を聞かれては、不利になるかも知れないとギャビンは判断したらしい。


 各都市を次々と平定していた二班のうち、一方は物理的距離が離れすぎていた為、呼び戻す時間も考慮して念波を送っていないようだ。大出力の念波を返せるフィフスが、その班にいなかった為、全身を発光させたまま目を閉じているエヴァンジュリンは、仲間の動きを遠視で見続ける。


「成功……です。こちらへと、戻り始めてくれています……」


 宮殿の中庭で、補足した相手の動きをギャビンに報告したエヴァンジュリンは、膝をついた。遠視や探索の能力まで組み合わせていたエヴァンジュリンは、超能力の元となる精神力をかなり消費したらしく、額に汗までかいている。


「ご苦労だったな」


「いえ……この、ひゃん!」


 苦しそうだった顔で無理に笑ったエヴァンジュリンを立ち上がらせたギャビンは、相手に肩を貸したまま他の者へ指示を出す。


「他の者も、一時休息を。皆が戻り次第、戻った者の案内を頼む」


 指示を出し終えたギャビンは、顔を赤くして口をぱくぱくと開いては閉じているエヴァンジュリンを、救護室へと運ぶ。


「あっ! あの、ギャビン様! 私、あの! 一人で……その……ありがとうございます……」


 ギャビンに好意を持っているエヴァンジュリンは、相手が優しい笑顔でうなずかれた事で、それ以上の言葉を失う。


……お前の方こそ、いなくなれば悲しんでくれる人が、多そうじゃないか。ギャビン。


 自室からトイレへと向かっていた省吾は、窓から偶然見たギャビンに対して、呆れたように鼻から息を吐き捨てた。悠長な事をいっていられない状況だと分かりながらも、異世界へ向かう者達も、なんとか無事に帰還させたいと省吾は考えている。


……ギャビンもそうだが。何よりも、あいつ等だな。あいつらは、もう十分苦しんだ。報われるべきだ。


 足音をほとんど立てずに通路を歩く省吾は、自分よりも苦しんだと思っているケイト達の顔を一人ずつ思い出す。


……俺は本当に、無力だ。情けない。


 ダリアの顔を、最後に思い出した省吾は歩みを止めはしていないが、顔が自然とうつむいていく。仲間というよりも、家族だったケイト達が悲しむのは当然だが、間に合わなかったと考える省吾もいまだに悔やんでいるらしい。自身に誰よりも厳しい省吾の、仕方ないで済ませられない性格は、長所であると同時に短所なのだろう。


「あ……ああ……」


 省吾の哀愁が漂う背中を見て、声を掛けようとしたエミリだったが、男性用トイレには入れない。


「えと……」


 トイレで吐血しそうになった省吾が、個室に入る音を聞いたエミリは、少し勘違いをしてトイレの前で待つのを止め、友人の部屋へと向かう。一階におりて渡り廊下を抜け、兵士の宿舎に入ったエミリは、省吾の放った銃弾を受けた友人男性の部屋へたどり着く。


 部屋の扉をノックしようとしたエミリだが、中から見知った女性の声が聞こえた事で、軽く握った手を止める。


「くそ……。俺が動けたら……くそ……」


「はいはい。あんたは、早くよくなる事だけ考えてれば、いいのよぉ。はい、これ」


 あまり料理が得意ではないハンナだが、懸命に剥いた果物を皿に並べ、幼馴染の男性に差し出す。


「ああ……ありがとう」


 果物を手づかみで口に運んだ男性は、皮にかなりの身が残っている事が気になったようだが、ハンナの機嫌を損なわせたくないらしく、声には出さない。


「それに……あんたの分は、あたしががんばってくるってば。だから、あんたは安心して待ってなさい。ね?」


「ハンナ……」


 扉越しの声だけで、二人の邪魔をしてはいけないと判断したエミリは、部屋の前から立ち去って行く。友人二人の関係が進むことを素直に喜べたエミリは、表情を真剣なものへと変え、足早に自室へと戻っていった。


「練度なら……。うん。練度なら、私が上だもんね」


 友人二人が本当の恋人になり、幸せになって欲しいと願うエミリは、異世界へ向かおうと考えているらしい。遠距離の攻撃が出来ないエミリは、能力的には友人二人に劣っている。だが、練習量が人一倍多かったせいで、練度が比ではないのだ。


 部屋に戻ったエミリは、首都の宮殿ではない場所に住む両親宛ての、遺書に近い手紙を書き始める。


「ふっざけんなよ! なんだよ! それ!」


 エミリが父親に向けた手紙を蝋で封印し、母親への手紙を書き始める頃、第三世代の男性がカーンに掴みかかっていた。それは、玉座の奥にある隠し部屋で、カーン達から異世界には連れて行かないと、はっきり告げられたからだ。


「俺の方が、戦闘向きの能力だろうが! 違うのかよ! なあ! いつも話し合いで決めて来たじゃないか! それを……」


 怒っている第三世代の男性が、自分達の事を本気で心配していると分かっているカーンは、穏やかな顔を維持していた。


「やめなさい。私達が争っても、意味がないでしょ?」


 第三世代の男性を、ガブリエラから予備の車椅子を借りている、姉の様な存在である女性がたしなめる。


「ああ、もう! 胸糞悪い!」


 女性の言葉でカーンの胸元から手を離した男性だったが、怒りがおさまらないらしく、顔をそむけて暴言を吐く。そこで、机に腰を掛け、腕を組んで黙っていたオーブリーは、相手が冷静になるのを見計らっていたらしく、口を開いた。


「勘違いをしないでちょうだい。私達は、あんた達に楽をさせようとは思ってないわよ」


 オーブリーの言葉が理解できない弾三世代の男性は、鼻息を荒くしたまま、きつい目つきで睨みつける。


「人数の制限ってのもあるけど……。私達が失敗した場合に、次の行動が出来るのは、あんた達しかいないのよ。この意味……分かるわよね?」


 突き放すようにも取れるオーブリーの言葉に、第三世代の二人は顔を歪め、苦しそうに言葉を吐きだす。


「それは、そうですが……。ええ……あの、意味はよく分かります」


「いや、いや、いや。でもよぉ。せめて相談して欲しいっつぅか……。その……さあ……」


 自分が傷つくよりも、家族となった者達がいなくなる事が、二人には苦しいのだろうとケイト達も理解できている。


「覚えていますか? 私達の誓いを?」


 笑顔を作ったケイトは、うつむいた二人に優しい声で問いかけ、時間介入に出発した時の事を思い出させた。世界を平和にする為に、どんなに犠牲を出し、最後の一人になっても、使命を果たそうと、時間に介入した者達は誓い合っている。


「それにな。まあ、身も蓋もないが……死ぬのが年長者からってのは、自然の法則ってやつだ」


「いい? 生きて帰れないと決まった訳じゃないのよ。それに、私達が失敗したら、あんたら大変よ? きっちり、仕事をこなせんの?」


 三人を止められないと理解できた二人は、数々の暴言を飲み込み、それぞれとハグで愛情を確かめ合った。そして、ネイサンの残していった物を使いこなす為に、三人が調べた隠し部屋内の情報を聞いていく。都市での交渉に出ていた第三世代残り四人のうち、二人がフィフスと共に帰還し、もう一度同じようなやり取りをケイト達は行う。


「他の二人には……。貴方達から、伝えて下さい。後、本当に愛しているとも……」


 ケイト達が泣き出してしまった第三世代の女性を抱きしめている頃、締め切られた室内で整列した三十人ほどフィフス達は、ギャビンから説明を受けていた。


「帰還できる可能性が、無いわけではない。だが、それに期待し過ぎるべきではない状況だ。諸君達なら、分かるな?」


 自分達の前に並んだ参謀達の真剣な顔と、ギャビンの重さがある声で、フィフスの幾人かが喉を鳴らして唾液を飲み込む。平和の為には誰かがネイサン達を止めねばならないと、フィフス達も理解は出来ているが、命を掛ける勇気がすぐ湧く者は少ない。


「この作戦への参加は、強制ではない。参加しなかった者を、腰抜け呼ばわりするつもりもない。それは、天地神明にかけて約束しよう」


 一呼吸置いたギャビンは、姿勢を正したまま腰の後ろで手を組み、自分の気合がにじみ出た大きな声を出す。


「作戦参加を、志願してくれる者は、手を上げてくれ!」


 周りがざわつく中で、真っ先に手を挙げたのは、腰に細い剣をさしている、濃い顔の男性だった。


「ギャビン殿! 平和の為ならば! 私は、喜んで参加させて頂きます!」


 少し芝居がかった言葉を吐いたひげを生やした男性に続き、決心した他の幾人かも手を挙げる。その中には、ギャビンと最後まで共にいたいと願う、戦闘力は低いがフィフスではあるエヴァンジュリンもいた。


「ちょっ! えっ? エミリ?」


 ハンナの上げようとした手を、鍛えている握力を活かして掴んだエミリは、代わりに自分の空いている手を上げる。


「二人には……幸せになって欲しいの。だから、代わりにいかせて」


 幼馴染の男性と、本心では離れたくないハンナは、自分に笑いかけるエミリを涙ぐんだ目で見つめ、上げようとしていた腕の力を抜く。


「では、志願してくれた者だけ、残ってくれ。他は休養後、再び都市への交渉に戻って欲しい」


「ああ、それから、この情報は、他言無用だ。こちらは、強制だ。いいな」


 参謀達の言葉を聞き終えた手を挙げなかった者達は、その場に友人達が残った事もあり、後ろ髪を引かれる思いではあったが、無言のまま退室していった。洗脳がなくなっても、兵士という職にあるフィフス達は、上からの命令が絶対であり、逆らえないのだ。


 改めて都市平定の詳細な指示を出す為に参謀達三人が、そのフィフス達に続き、扉を閉めた所でギャビンは残った八人の顔を一人ずつ見つめていく。


「もう一度だけ、問おう。ここに残った事を少しでも後悔した者は、今すぐ退室しなさい。恥じる事はない。それは、仕方のない事だ」


 すでに遺書までしたためているエミリは当然だが、他の誰一人として部屋を出て行こうとする者はいなかった。残った面々の動機に、家族や友人等守る者の違いはあるが、命を掛けようとする覚悟に嘘はないと、ギャビンは読み取っている。それでも確認したのは、土壇場で腰が引けてしまう者がいれば、作戦の成功確率を著しく低下させるからだ。


「ふっ……」


 誰か出て行くだろうかと横目で見ていた顔の濃い男性は、誰一人怯みもしなかった事の嬉しさから笑う。その隣に並んでいた一番年長の男性は、目を閉じて妻と大きく成長した子供達の顔を思い出し、覚悟を強めていく。また、目を閉じた男性の後ろに立っている若い白人男性は、数年前に病気で亡くなっている女性に再会できると、遠い目をしていた。


「先程も、いったが……。この中で私について来てもらうのは、三人だ。名前を呼ばれなかった者は、すみやかに退室して欲しい」


 八人もの志願者が出た事を誇りに思えたギャビンは、部下達に笑顔で命令には不要なはずの言葉を付け加える。


「ただ……退室して貰う五人にも、心からの尊敬と感謝を……」


 頭を下げながらいったギャビンの言葉で、報われたと思える八人は笑顔を作り、無言でうなずいた。


 もう一度八人を見つめ目を細めたギャビンは、隣に並んでいた自分より年上の参謀と小声で簡単な打ち合わせを済ませ、二人の男性を指名する。八人全員の能力を把握しているギャビンは、バランスを含めた戦闘力の高い者を選ぶとだけ参謀に告げ、了解を得たのだ。


 電気を使う髭を生やした男性と、爆裂する光球を使える男性の能力は、八人の中でも明らかに能力が高く、迷う必要はない。敵に弱点も知られてはいるが、省吾と戦った時のように、想像を超えた策でも敵が使わない限り、簡単に負ける事はないだろう。


「そして……最後の一人は……」


 三人目となれる候補二人の戦闘力が同等だと思えたギャビンは、もう一度参謀に顔を向け、耳打ちする様に意見を聞く。

 そのギャビンに熱い視線を送るエヴァンジュリンだが、八人の中で唯一サイコキネシス側に特化しておらず、候補に残れるはずもない。候補に残ったのは、練度が一番高い代わりに遠距離攻撃を不得意とするエミリと、能力自体は先に選ばれた二人よりも少しだけ劣っている練度が低い男性だった。


「確かにな。能力の強さだけでなく、バランスも大事だろうな……」


 相談をされた参謀の男性は、すでにギャビンの中で答えは出ているのだろうと感じ取り、聞かされた意見が正しいと背中を押す。


「では、最後の一人は……エミリ。君に頼もう」


 省吾と戦った経験により、能力の強さよりも練度の高さが実戦では必要だと、ギャビンは考えるようになっている。


「はい!」


 名前を呼ばれたエミリは、心臓の鼓動が早まるのを感じながらもそれを顔には出さず、返事をした。逆に名を呼ばれなかったエヴァンジュリンは、表情を暗くして唇を噛み、うつむいてしまう。理由をよく理解しているだけに反論も出来ないエヴァンジュリンは、超感覚特化の自分を恨めしく感じているようだ。ギャビンに振り向いてもらえるとエヴァンジュリンは思っていないようだが、最後まで部下でもいいので尽くしたいと願っていたらしい。


「エヴァンジュリン? どうかしたのか?」


 命令に今までもっとも素直に従ってきたエヴァンジュリンが、最後まで残っていた為、ギャビンが声を掛ける。そのギャビンに返事もせずに、口元を押さえたエヴァンジュリンは、部屋から走って出て行った。


 エヴァンジュリンの日頃では考えられない態度に、ギャビンは首を傾げはしたが、それに注意を注ぐわけにはいかないと、残った三人に目を向ける。


「先程も、説明した通り、二つのチームに分かれる。我々は、二人ずつだ。私がいる側に、フォースを二人連れて行く。その事から……」


 異世界の都市には、転送できるポイントの制限があり、直接ピラミッドの前へは人間を送り込めないようになっていた。また、五つほどある各ポイントからピラミッドに無事到着できるルートは、それぞれ一つずつしかない。戦力を分散し過ぎても確固撃破の対象になり、集中し過ぎても予想外の事態に対応できないと省吾が提案し、二班に分かれる策が採用されたのだ。


 ギャビンは、髭を生やした男性と共にオーブリーとカーンを守り、エミリともう一人の男性でケイトを守ると、説明がされた。


「三時間……。各自、自由な行動を許す。ただ、食事は再集合の一時間前までには、済ませておくように。以上だ」


 自由な時間を与えられた三人は、それぞれが自室や家族の元へ向かう為、部屋を出て行く。


「さて……申し訳ないが、私も身辺の整理を済ませてくる。後は、任せていいな?」


 三人を見送り、参謀の男性に断りを入れたギャビンも、自室へ戻る為に開け放たれたままの扉から、外へ出る。


……なるほど。エミリ。確か、俺の腕を折ったあの女性だったな。


 フィフスの超能力者達でも気付けないほど上手く気配を消し、窓の外で話を盗み聞きしていた省吾も、その場を離れていった。強引ともいえる策を進めている省吾は、敵拠点に潜入しているかのように、宮殿内を移動していく。


「あれ? 今……」


 折りたたんだ白いシーツを抱え、兵士の宿舎へ向かっていた使用人の女性が足を止め、隣を並んで歩いていた男性使用人も立ち止まる。


……ほう。中々だが、それでは駄目だな。


「うん? どうかしたか?」


 宮殿内には奴隷を入らせない制度が少し前まであり、使用人達も全員がフォースであり、常人よりも優れた勘を持っていた。


「人がいたような……。ああ、ごめん。気のせいみたい」


 常に周囲を警戒し、気配を消して死角から死角に移動する省吾に、宮殿内で働く使用人の幾人かは直感が働くが、目視出来た者はいない。平和と呼べる状況でも全く気を抜かない省吾は、寿命が近付くにつれ勘がさらに冴えわたっているようだ。臨戦態勢の兵士達を翻弄した省吾の勘に助けられた動きを、超能力者とはいえ、訓練もしていない使用人達では捉えることなど出来ない。


「仕方ない……仕方ないかぁ……。分かっちゃいるんだがなぁ……どうにも……」


 ケイト達からの説明を聞き終えた第三世代の四人は、ギャビン達に与えられている部屋に集まり、少し早い昼食を食べていた。先の割れたスプーンに刺したスクランブルエッグを口に入れた第三世代の女性は、同じ事を考えていた仲間の呟きに、溜息をつく。


 第三世代の者達も、すでにケイト達と一緒に行けない事は頭で理解できているようだが、心のもやが晴れないらしい。


「ケイト達が失敗したとしたら……。私達だけで、何か出来るのかしら?」


 車椅子に乗ったまま食事を取っていた女性は、怪我をしている事でマイナス思考になっているらしく、重い言葉を吐く。ケイト達についていけない事だけでなく、失敗した場合の事ももやの原因となっている為、その言葉を他の者は注意しなかった。今まではそういった空気になった場合に、第二世代のケイト達がその空気を晴らす役を担っていた為、雰囲気の重さは解消されない。


……確か、全員が二十歳前だったな。やはり、まだこいつらに、ケイト達は必要だろうな。


「少し、相談があるんだが……。いいか?」


 手を止めて息を吐き出していた第三世代の者達は、予想もしていない場所から声を掛けられ、体を跳ねあげた後に固まった。人間は驚きが限界を超えた際、悲鳴を上げるのではなく、呼吸さえ止めて黙る事もあるようだ。


「あ……おま……お前なぁ!」


 天井の板を外して自分達を見下ろす省吾に、心臓の上へ手を置いた男性が、怒りのこもった声を掛ける。


「おっと、騒がないでくれ。お前達に相談があるんだ」


 天井裏から大理石で出来た柱に掴まった省吾は、板を元に戻し、するすると部屋の中に降りた。


「入ってくるのはいいが、天井からでもノックぐらいしてくれよ! マジでびびるから!」


 必要に応じて、普通は選択しない行動も編然と省吾が選ぶのだと、第三世代の者達も分かり始めているらしく、その部分を言及はしない。


「すまないな。今は、あまり目立ちたくない」


「で? なんですか?」


 省吾の行動と言動で、何かあるのだろうと察することが出来た四人は、相手からの答えを待つ。


「俺は、どうしても今回異世界に跳びたい。その協力を頼みに来た」


 第三世代の四人も、省吾が異世界に向かわない理由をケイト達から聞いており、顔をしかめる。


「勿論。ただとはいわない。報酬は……ケイト達を、無事にこの世界に戻す……。で、どうだ?」


 ケイト達と離れたくないと考えていた四人は、省吾からの魅力的な提案を無視することなど出来ない。


「そりゃ、そうなれば嬉しいが……どうするんだ? 俺達じゃ、出来る事は限られてるぞ?」


「それ……本当? 嘘じゃない?」


 二人から同時に問いかけられた省吾は、顔色を伺いながら、自分の立てた策を四人に喋っていく。


「それはもう、用意してある。どうだ?」


 強引ではあるが、成功するだろう作戦を聞いた四人は、その話に乗っていいのだろうかと黙って自問自答する。


「本当に……本当に、ケイト達は無事に戻せると思うの?」


 もう一度問いかけてきた女性の目を真っ直ぐ見た省吾は、いつかと同じように力強く返事をした。


「ああ。俺を信じろ。この命を掛けてでも、必ず送り帰してみせる」


 タイムマシーン内での約束通り、未来の世界を平和にして見せた省吾の言葉は、四人のうなずかせるだけの力を持っている。


「あっ! ちょっと待て。命懸けって……出来れば俺は、あんたにも戻ってきてほしいんだが……」


 第三世代の男性が本当に自分を気遣っていてくれていると感じた省吾は、学園で戦った時の事を思い出し、少しだけ息を吐く。奇縁をむず痒く感じた省吾だが、表情を一切変えずに、少し前と同じトーンの声で返事をした。


「心配するな。約束は、守る」


 安心したように息を吐く四人は、省吾が帰ってくるといわなかった意味を、勝手な思い込みで勘違いする。敢えてそうなる様に省吾が仕向けたのだから、その第三世代の四人が悪いわけではないだろう。体がすでにもう幾日保てるだろうという段階に至っている省吾は、帰ってくると口には出せなかったようだ。


「じゃ、じゃ。ちょ、あの、もう一回打ち合わせを……」


「ああ。まず、ターゲットは、エミリという女性だ。その部分は、俺が動く。次にタイミングだが……」


 フィフス達が家族や大事な人と過ごしている時間で、省吾と第三世代の四人は、入念ともいえる打ち合わせを行う。失敗すると後がない状況だと四人にもわかっており、忘れられた食事はどんどん冷めていった。


「いえ……お見かけしませんでした。申し訳ありません」


 丁寧に自分へと頭を下げる使用人に、ケイトは悪い事をしたと感じたのか、焦っているかのように謝罪を返す。


「えっ? えっ? えっ? いえ、あの……こちらこそ、すみません。見かけたら、私が探していたと、お伝え願えますか?」


「はい。かしこまりました」


 少し甲高くなった声で誤魔化すように依頼をしたケイトに対して、使用人は平静を保ったまま対応する。宮殿に使用人として五年以上も仕えているその女性は、わざと物事を深く考えないようにしている。個性の強い兵士達が大勢いる宮殿で仕事を続ける為には、そのように順応するのが賢いやり方なのだろう。


「では、仕事が残っておりますので、これで失礼させて頂きます」


 なんともいえない複雑な表情を作っているケイトは、頭を下げてから立ち去る使用人を、黙って見送った。


「はぁぁぁ……。やっぱり……慣れないなぁ……」


 ケイトは、どこか余所余所しい為に苦手としている使用人に止む無く声を掛けた事を、後悔しているようだ。


「もう……どこに行ったのですか?」


 最後となるかも知れない時間を、どうしても省吾と過ごしたいケイトは、能力を使ってまで探しているが、見つからない。セカンドである省吾は、全身をサイコガードで包むだけの能力は有していないが、フォースのケイトでも見つけ出せないようだ。天井裏に潜るだけでなく、建物の外壁をよじ登って移動する省吾は、探索の能力で使用者の意識的な盲点となる場所にしかいない。


 省吾が第三世代の者達を巻き込み、秘密裏に作戦を進めていると知らないケイトは、苛立ちと悲しみが積もる。生きて帰れる保証がどこにもない異世界に行くのだから、最後の時間を想い人と過ごしたいとケイトが考えるのは当然だろう。


「やっぱり……避けられてる? でも……抱きしめられたし……でも……いえ……でも……」


 省吾に抱きしめられた夜を思い出したケイトは、うつむいたまま歩きだし、もやもやとした気持ちを無意識に呟いている。あまりロマンチックではなかったにしろ、告白を済ませているケイトは、省吾にはっきりとした返事をして欲しいと考えているようだ。


「嫌なら嫌で……はっきりいってくれれば……。もう! 何よ! なんで! もうっ! もうっ!」


 宮殿が広いとはいえ、三十分以上歩き回っていたケイトの我慢は、限界を超え始めており、独り言も口調が荒くなっていく。


「なんなんだよ……くそっ……ちくしょう……」


 再度探索の能力を発動したにもかかわらず、省吾が見つけられなかったケイトは、ついに壁を殴り始めてしまう。


「あ……えと……えっと……」


 壁に額をつけ、ぶつぶつと独り言を続けながら、壁を何度も殴るケイトを見たヤコブは、声を掛けずにその場を立ち去った。


「えと……えと……うん。そうだ。うん。僕は……何も見ていない」


 不自然な笑顔を浮かべたまま、天井に目を向け、両手を上着のポケットに入れて歩くヤコブは、ケイトとは違う種類の独り言を呟いている。命を奪ってまで省吾を止めようとした、ケイトの強烈な本心を見て冷静に対処したヤコブだが、それを素直に受け入れたわけではないようだ。恋というほどではないにしろ、ほのかな想いをよせた美しい年上の女性が豹変したのだから、ヤコブには色々思うところもあるだろう。ノアを取り戻しはしたが、省吾の事が重くのしかかっているヤコブの心に余裕はなく、目にうっすらと涙を溜めて自室へと戻っていく。


 母親か弟にでも癒されなければ泣いてしまうと、自室へ逃げ込もうとしたヤコブだが、部屋の前についた所で踵を返す。室内から家族だけでなく、ギャビンの気配を感じたヤコブは、今は入るべきではないと空気を読んだのだ。


 超感覚側が特出したフィフスであるヤコブには、ギャビンがガブリエラの前で片膝をついている事から、室内の弟が眠っている事まで、扉を開けなくても分かるらしい。王族であるヤコブは、宮殿に住む様になってから自室に食事を使用人達が運んでくるのだが、食堂で皆と喋って気を紛らわせようと考えた。


「はぁ……」


 食堂に向かおうとしていたヤコブは、足を止めて再び天井を見つめて息を吐くと、宮殿の中庭へと向かう。ヤコブは精神的に不安定になった事で、食欲がわかないと感じた為に、バラ園に癒しを求めたらしい。その時のヤコブは、バラ園には手入れをする使用人達が大勢おり、かえって気を遣うだろう事までは思いつけないようだ。


「ガブリエラ様の為ならば……このギャビン。命も惜しくは御座いません」


 上半身を起こし、上着を羽織ったガブリエラは、眠っているダニエルを起こさないようにベッドの上を手の力だけで移動する。そして、ベッドの端に座ったまま、頭を下げているギャビンへ悲しそうな目と、自分の片手を差し出した。


「ありがたき幸せ……」


 差し出されたガブリエラの手を、下から優しく握ったギャビンは、忠誠とも愛ともいえる気持ちを表現する。


(ギャビン……私は……私は……)


 手の甲に口づけをされたガブリエラは、ギャビンの秘められた気持ちを直感で悟り、涙を流す。省吾を想っているガブリエラには、これから死地へと赴く男性からの好意を、素直には喜べないらしい。


「お気を煩わせてしまいましたね……。私の身勝手に付き合わせてしまい、本当に申し訳ございません」


 手を繋いでしまっていた事で、ガブリエラの気持ちが読み取れたギャビンは、手を離し悲しそうな顔のままもう一度頭を下げる。だが、もう一度顔を上げたギャビンの表情は、晴れやかといえるほどの笑顔に変わっていた。


「ただ、これで私はなんの心残りもなく……戦えます。私の事は、どうぞお忘れください。英雄殿と、どうか末永く……」


 省吾の迫っている死期を語る事も出来ないガブリエラは、黙って涙を流し続けることしか出来ない。ガブリエラ達の予知能力も、異世界の出来事が噛んでいるせいでぼやけており、ギャビンが戻ってこられるかどうかが分からないようだ。


 恋愛経験がろくにない二人の、不器用としかいえないやり取りは、五分という短い時間で終了した。

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