弐
サード以下の力しか持っていない者達にとって、恐怖の象徴であり、今は本当に世界の中心となるべく変わり始めたノアの首都は静まり返っている。もうすぐ日が変わる時間であった為、長年の規則正しい習慣が抜けない住民達は寝静まり、雨が降っているせいで奴隷達も外に出ない。
空を覆っている真っ黒な雲は、糸のように細く静かな雨で首都全てを濡らし、石畳や屋根に残っていた英雄の血を洗い流していく。肌寒ささえ感じるその夜に活動を続けているのは、雨の水分を喜ぶ両生類達だけではなかった。
……もう少し。もう少しだけ。
玉座の奥にある部屋で、ネイサンの残していった資料やコンピューターの中身を確認しているケイト達は、まだ眠っていない。
「ははっ……よし! これだ! 解凍が完了したぞ!」
冷めたコーヒーを片手に、コンピューターとにらめっこをしていた無精ひげのカーンが、喜びの声を上げる。
ネイサンの残していったコンピューター内の重要らしいデータには、圧縮や暗号化が施されていた。その為、カーン達は徹夜でネイサンの使っていたコンピューターならばと、解凍ソフト等を探し続けていたのだ。
それらしいソフトを見つけたカーンは、暗号解読ソフトと組み合わせ、データ展開に成功した。
「嘘っ! やったじゃない! で? 中身は?」
床に直接座り込み、乱雑に並べた資料を指でなぞっていたオーブリーが真っ先に、カーンの元まで走る。本棚から出したクリアファイルを机に置いたケイトも駆け寄るが、カーンに背中から抱き着いているオーブリーを見て、距離を詰め過ぎないようにと気を遣う。
「見ろ、見ろ、見ろ! ビンゴだ! 転送システムのデータだぞ! これで、敵の後が追える!」
「えらいっ! よくやったぞ! このぉ!」
カーンに恋人用のハグをしたオーブリーを、見ている訳にもいかないケイトは、苦笑いを浮かべて目線を逸らす。二人が付き合い始めた事をケイトだけは知らされており、少し濃厚なキスをしていても、文句はないらしい。
「ぷはぁ!」
「あの……そろそろ……」
一度息苦しさから口を離した二人が、再度口を近づけようとしていた為、ケイトは申し訳なさそうに話し掛ける。
「ああ、あああぁぁぁ……ごめん。これ見てくれる?」
ケイトがいる事を忘れていたらしいオーブリーは、照れながらカーンの座るキャリアのついた椅子を押して、ディスプレイが見易い様に移動させた。カーンが読めるようにしたデータには、隠し部屋の中にある設備の設計図から、使い方までが書かれている。
「凄い……。これな……ら……」
椅子へ座ったままのカーンに馬乗りになり、口づけをしているオーブリーを見て、ケイトはディスプレイに目線を戻し、データをスクロールしていく。そのデータを理解すれば、自分達に出来る事は全て終わるだろうと直感が働いたケイトは、二人の甘い声を無視して情報を読み解き始めた。
「あの……流石に……それは、後にして欲しいんですが……」
盛り上がったカーン達がお互いの上着を脱がし始めた為、目を細めたケイトがじとりと睨む。
「あはっ……あははっ! ごめん、ごめん」
起きている間は絶え間なく働き、寝室の鍵を閉めて眠ってしまう省吾との進展がないケイトは、そこが我慢の限界だったらしい。
……ぐううぅぅ! もう少しでいいんだ。堪えろ。
鍵が中から閉まり、防音処理の施された部屋を省吾が望んだのは、体の限界により苦しむ姿を誰にも見せたくないからだ。広くないその部屋には使用人も入らない様にと省吾が指示してあり、緑色のカーペットは赤黒く変色している部分が多い。
「ぐがっ! こんな……ぐうううぅぅ!」
真っ暗な部屋のベッドではなく、床に倒れ込んでいる省吾は、歯を食いしばって首に筋を浮き上がらせ、のたうちまわっている。ネイサンの残していった情報を調べているケイト達も、睡眠時間はかなり少ないが、今の省吾よりは眠っているだろう。
今にも無くなりそうなほど少なくなった命の砂は、短い時間で深く眠るしかない省吾から、唯一癒される時間だった夢すら奪っていた。昼間我慢すれば、夜になって余計に苦しむと分かっていながら、省吾は仲間となった者達に嘘をつき続ける。
「がはっ! ごほっ! えほっ! はぁはぁ……うっ! がぁ! ぐぅぅ……」
……サラ、ジョン、皆。見ていてくれ。仇は俺がとる。ニコラスさん。平和を、平和を必ず。必ず。必ず。
省吾の意志に従うと決めているらしい金属生命体達は、主の体を少しでも補う為に、活動を続けた。ケイト達が全ての確認を終え、睡魔に負ける頃、汗と血でどろどろになった省吾も短い眠りに入る。
それから数時間後、小雨の止まない森の道を、二人の男性の乗った馬車が駆け抜けていく。馬二頭によって引かれているその木造りの馬車に客室はなく、物資を搬送する為だけの荷台しかない。車輪も大よその部品は木で出来ているが、留め具が金属製で、荷台の下部にはサスペンションもついており、製造に相応の手間がかかっている事がうかがえる。
馬を操っている男性二人の着たレインコートと、同じような材質のシートがかかった荷台には、すでに何か荷物が積んであるようだ。男性達はレインコートを着ているせいで、中に熱がこもり、体は寒くないようだが、手や鼻の先は寒さで変色している。
「ふぅぅ……もう少しだ」
鼻をすすり、フードを少しだけ上げた片側の男性は、目的地への中間点となる目印である、大きな杉の木を見て呟いた。その隣に座り、手綱を握っている男性もうつむき気味だった顔を上げ、気合を入れ直す為か大きく息を吐く。
更に数時間後、短い眠りから覚めた省吾は、血生臭くなった衣服を脱ぎ捨て、包帯を外してシャワーを浴びる。
……なんとか、死ななかったな。
寿命が迫っている中で、眠れば二度と目覚めないかもしれないとの心配は杞憂で終わった。傷口に染み込む水のせいで痛みを感じているようだが、それを顔にも出さない省吾はシャワーを浴びながら死ななかった事でまだ戦えると、幾度も拳を握っては開く。
首都の電力による恩恵をうけた温水シャワーを浴び終えた省吾は、タオルで全身の水気を拭き取り、全裸のままベッドへと座る。そして、自分の血で赤く染まったタオルを置くと、傷口が見えないようにする為だけの包帯を巻いていく。
省吾の体はいつもの様に機能的には支障がないほど、金属生命体達に取り繕われてはいる。だが、体の限界が来ている事と、傷が余りにも深く大量に刻まれたせいで、金属生命体達の力も見た目を回復できてはいない。
「ふぅぅ……そろそろのはずだな……」
体に包帯を巻き終えた省吾は服を着ると、血塗れの服やタオルをカゴに入れ、自室に鍵をかけて朝早くから活動を始める。夜の間に雨が上がった宮殿の庭には朝もやがかかっており、昇ってきた太陽の光を乱反射させていた。
「えっ? ああ! これは、また……」
朝日と共に起きだしていた使用人の男性は、厩舎の馬に餌の飼い葉を与えていた。だが、省吾の姿を見て手を止める。
「ああ、気にしないでください。ご仕事の邪魔をしに来たわけじゃありません」
飼い葉を持ち上げる為に使っていた鋤を脇に抱え、うやうやしく頭を下げた中年男性に声をかけ、省吾は背を向けた。その省吾は、厩舎の壁に背中をつけて腕を組み、宮殿の出入り口を、眩しさにより細めた目で見つめる。
「あの、馬でしたら……すぐにでもご用意しますが……一番足の速いのを」
「え? いえ、ここで待ち合わせをしているだけなんですよ。お気になさらないで下さい」
慣れなければ気分の悪くなる事もある臭いの漂う厩舎に、意味もなくノア兵士達は近づく事がなかった。その為、省吾が馬を必要としないにも関わらず留まった事で、使用人男性はどうすればいいだろうと気遣う言葉を口にする。噂話で、ノア兵士達よりも省吾が偉いと思っている使用人の男性は、持て成さなければと勝手に狼狽えているのだ。
「あの……お茶でもご用意いたしましょうか? あの……」
……この場所を選んだのは、失敗だったか?
「本当にお気遣いなく。仕事の邪魔はしたくないんで、続けて下さい」
使用人の男性と省吾が意味のない押し問答をしていると、蹄と車輪の音が宮殿に近付いてきた。それを聞き取った省吾は、これで使用人と会話を続けなくても済むと、大きな息を吐き出す。
「待っていてくれたのか。全て回収してきたぞ」
すでにレインコートを脱いでいる反乱軍で古株となっていた男性は、省吾の前で馬車を止める。ガブリエラやヤコブ達の世話をギャビンに奪われたその男性は、省吾の依頼で首都の外へ出ていたのだ。
「どうするんだ? どこかに運び込むか?」
古株の男性よりも先に馬車を降りていた第三世代の男性は、レインコートを脱ぎ、荷台のシートも外していく。ノア兵士達との戦闘での怪我が回復しきっていない第三世代の男性は、都市への交渉には出ておらず、手持無沙汰の所を省吾に担ぎ出されている。
……よし。これで、準備は整った。
「ああ、すまないが、俺の部屋……の前まで運ぶのを手伝ってくれるか? 他の者を起こさないように、静かにな」
長時間揺られていた事で疲れたらしい古株の男性が、馬車の上で立ち上がり、痛みのある腰を叩いていたが、省吾の言葉にすぐ反応した。
「うん? おう、分かった。取り敢えず、建物の前まで馬車を移動させるか」
荷台に乗っている荷物を省吾が確認していると、使用人の中年男性が恐る恐る近づき、声を掛ける。
「あの、よろしければ……お手伝いさせて頂けませんか?」
厩舎を担当している使用人の男性は、長い年月の労働で、つくす事が当たり前とも生き甲斐ともいえるほどになっているようだ。好意を無碍にし過ぎるのもどうかと思えた省吾は、厩舎の仕事に差し支えがないのであればと、前置きはしたが男性の申し出を受ける。その髪が薄くなっている中年男性は、厩舎で仕事をしている同僚に声を掛け、嬉々とした表情で省吾の手伝いをした。
「やれやれ……。肉体労働が、そんなに楽しいのかねぇ」
荷台に乗っていた木箱を抱えた使用人の男性を見て、皮肉の多い第三世代の男性は、悪口とも取れる言葉を吐く。
「ま、人それぞれだ。さぼるなよ」
古株の男性は馬車に乗っての道中で第三世代の男性が、悪意なくそういった言葉を吐くと認識できていた。その為、相手の言葉を簡単に受け流し、自分も木箱を抱えると、第三世代の男性に注意を促す。
「へいへい……」
最後に布袋と木箱を持った省吾は、その何気ないやり取りを見つめた後、視線を青い空へと向ける。
人間は幸せを感じた時、それを失う怖さをつい感じてしまうものだが、苦痛に満ちた人生を送ってきた省吾はそれが人一倍強い。朝早くから中庭の手入れをしている庭師や、宮殿内で小走りに移動している使用人達は、省吾から輝いて見える。自分のように血生臭くない人間らしい生活をしている者が、省吾には愛おしく思えるらしい。
何気ない朝の光景から、不意に未来の世界が平和になったのだと感じた省吾は、体温を上げていた。勿論、嬉しさからそうなったわけではなく、目の前にある平和を守るという、強い意志が炎を強くしたのだ。
英雄とまで呼ばれる青年の中からは、自身の死を感じて以降、戦う事への迷いが消えている。純白と表現できるほど高潔な行いをする省吾だが、すでに体は血と怨念が洗っても落ちないほどこびりついていた。誰よりも命とそれを奪う罪の重さを分かっていながら、前進し続けた省吾は、自分自身に価値を見出せないでいる。内に潜めた、淀みの一切ない漆黒の感情により最強の兵士となる省吾は、存在そのものが悲しいと言えるのかもしれない。苦しみを一人で抱え込み、自身の事を語ろうともしない省吾に、周囲の者がどう思うかをくみ取るだけの器はまだないようだ。
血で汚れた部屋に入らせないように古株の男性達を追い返し、省吾が荷物を中へ運び込む間も、運命の歯車は回り続けている。その動力の起点となっている省吾は、周囲にある歯車の硬度や重さで今にも壊れてしまいそうになってはいるが、回転を止めない。自室で仮眠を取っていたケイト達が目覚めると同時に、歯車が回転させていた太い針が、次の数字をさす。
「これは……この首都に似て……いや、こちらの都市が元なのでしょうね……」
簡易の会議室で、ケイト達が机の中央付近に置いた、異世界にある古代都市の見取り図を見て、ギャビンが呟いた。その言葉は間違えではない。宮殿のある場所がピラミッドらしき建物に置き換わり、街中にかなりの高低差や底の見えない穴が開いている等の違いはあるが、ノアの首都はその都市をモチーフに作られている。
「資料によれば、その都市内は光があり得ない屈折をしているらしくてね。人間の目には普通に見えるらしいんだけど、写真がうまく撮れないらしいのよ」
机に置かれた複数枚ある異世界の見取り図は手書きであり、解説の文字は筆跡からセーラが書いたのではないかとオーブリーが説明した。省吾は真っ先に気が付いたが、見取り図の解説文を読んでいた参謀達は、都市の異常に気付き始め、唸り出す。
「これは……ここもそうだ。危険……ここにも危険の文字が……真っ直ぐ進めば、底なしの穴に落ちる?」
異世界の都市には、いたるところに危険な罠が仕掛けられているらしく、研究者や軍人達が幾人もその犠牲になっている。首都に罠を仕掛けたことで省吾は、皮肉でしかないがその事に真っ先に気付くことが出来たのだ。
「ええ。そこは道だと思って踏み出せば、穴に落下するらしいわ。多分、光の屈折を利用した虚像が見えるんじゃないかと思うの。それ以外にも、何種類も罠があるのよ」
首を傾げている皆に、オーブリーに変わってケイトが、残っていた資料から考えた推測を説明する。
「中心になっているのが、ピラミッドですから……。ここは、この都市を作った文明の王が眠る場所ではないかと、私達は推論を立てました」
ピラミッド内からメインルームと財宝ともいえる品々が見つかっており、罠はそれを盗まれないようにとの意図だろうと、ケイトは説明した。ケイトの説明を聞きながら省吾は、中央の長い階段と段差の目立つピラミッドの絵を見つめ、マヤ文明の遺跡を思い出す。参謀達だけでなく、班長達も何故墓周辺に都市を作ったのかと疑問を口に出すが、その部分は今必要ではないとヤコブにいさめられる。
……死んでも王に尽くすように、人間や人形を埋めた墓も珍しくはない。それも、これだけの技術があれば、住んでいた都市をそのまま墓にした可能性もあるな。
ケイト達時間介入組を除いて、唯一歴史の教育を受けた事がある省吾は、その部分もなんとなく推測が出来た。しかし、会議の妨げにならないようにと、敢えて口には出さない。
「話がそれたけど、遺跡を調べてくれた人達のおかげで、安全なルートは見つかってるわ。敵がいるだろうピラミッドへは、たどり着けるはずよ」
オーブリーの口ぶりから、異世界へ向かう方法が語られるのだろうと察した省吾達は、見取り図に向けていた顔を上げる。
「まず……あの隠し部屋は、タイムマシーンそのものだったの。あの部屋からならば、異世界に飛べる」
班長達にも自分達が時間に介入していた事は説明済みであり、理解を得ている為、ケイト達は隠す事なく全てを説明した。
「正確には……私達が使っていたタイムマシーンの、プロトタイプなんです。あの部屋自体は、異世界へ入れません」
「あの部屋に動力が乗せられなかったらしくてな。俺達が使っていた物よりも、制限は多いようだ。まあ、あれは異世界へのゲートといったほうが、正しいだろうな」
完全なタイムマシーンではないと聞いたギャビンは、気付いた事があり目を細め、ケイト達に問いかける。
「それは……異世界から、帰ってこられるのですか? ネイサン達に、歯車は持ち去られているのですよね?」
……やはり、こいつは頭の回転が速いな。だが、質問は話を最後まで聞いてからにした方が、効率的なんだがな。
腕を組んだまま口を開かない省吾だが、参謀達の会議は効率が悪かったのではないかと想像し、鼻から息を吐いた。上官の許可なしに正式な発言の出来ない軍隊式に慣れている省吾の想像は、当たっている。
「はい。おっしゃる通りです。ですが、それを打開できる品が、ここにあります」
ケイトはオーブリーとうなずき合うと、持っていたプラスチックケースを開き、緑色のバッジを皆に見せた。その五センチほどのひし形をしたバッジを知っている省吾だけが、ケイト達が説明するであろう事を先読みする。
「これを身に着ければ、あの部屋へ位置を知らせる事が出来る。それによって、部屋の中へ半強制的に引き戻せる……はずだ」
「えと……このバッジにも、バッテリィの寿命があるのよ。この世界じゃ、充電も出来ないの。実験出来ないのは、理解して」
省吾以外の者が分かり易い様に、カーン達はその時代にもあるテレポート能力を例にして、説明を行う。
……そういえば、あのバッジが始まりだったな。痛い目にもあった。
座ったまま腕を組み、目を閉じて説明を流し聞く省吾は、すでに理解しているのだろうと、カーンも声を掛けない。
「本当は、九つあったのですが、二つほど……そのタイムマシーンの自爆の際に、壊れてしまいまして……」
「つまり……異世界には、七人しか向かえないわけですか……」
三人の敵がいると分かっているギャビン達は、すぐに異世界へと向かうメンバーを考え始めた。まず、フィフスの中でも戦闘力の高い者から思い浮かべたが、その面子で向かえないかも知れないと息を吐く。洗脳の影響を受けなくなった参謀達は、人の気持ちも思いやれるらしく、死ぬかもしれない戦いを無理強いしてはいけないと考えたのだ。
「異世界から信号を届かせるには……その、かなりの出力が必要なの。それで……」
オーブリーの言葉が喋り難いのか歯切れが悪くなり、カーンがすぐに引き継いで喋り始めた。
「今も、内臓バッテリィの自然放電は続いている。可能な限り早く跳ばなければいけない状況だ……」
世界の為に命を捨てられる者を、短い時間で集める事が、どれほど大きな問題かをケイト達は理解している。フィフスの中に本当の勇気を持った者は存在するだろうが、覚悟を決める時間が短すぎるとしかいえない状況だ。
……デビッドだけじゃないな。リアムも曲者だ。あいつは舐めていい相手じゃない。
皆が考え込み始めた為、沈黙が続く簡易会議室内で、ケイトがオーブリーとうなずき合った。そして、強い意志の感じられる発言をする。
「私達三人は、異世界に向かいます。都市のメインルームを操作できる可能性は、時間に介入していた私だけが持っていますから」
ケイト達三人の目に嘘も揺らぎもないと皆感じ取ったが、戦友をみすみす死に向かわせる心苦しさが、班長である女性に口を開かせた。
「でも! 貴方達はフォースよ? 帰ってこれない……いえ、死ぬ可能性も高いんでしょ? そんな……」
女性班長の言葉を、ケイトは少し大きくした声で中断させ、自分達の思いを皆に聞かせる。
「私達は、知らなかったとはいえ、敵の片棒を担いでしまいました。これを許されたなどと考えるほど、私達は馬鹿ではありません」
「そう……私達は、罪を償う義務があるの。お願い! この通りよ!」
オーブリーの言葉を切っ掛けに、三人は立ち上がって机に額をぶつけてしまいそうなほど、深く頭を下げた。
「三人が向かえば、誰かが生き残れる可能性は高くなる。そうすれば、敵がすでに何かをしていても、どうにか出来るかも知れないんだ。頼む!」
三人の気迫が感じられる言葉。それは、三人に命を捨てる覚悟が出来ているのだと、皆に理解させるに足るものだ。最初に頭を下げたオーブリーが、ゆっくりと顔を上げる頃には、三人に反対する者はいなくなっていた。
「それで……その……敵の能力ですが……実は……」
……まあ、その点は想定内だ。
ネイサンが能力を手に入れたとして、日記に書かれていなかった時点で、その情報をわざわざ他に残してはいないだろうと、省吾はすでに予想している。
「情報がなかったんだな? それは、仕方ない事だ。気に病むな。デビッドとリアムの能力が分かっているだけでも、よしとするべきだ」
……ただし、それも、どこまであてになるか分からないがな。
遺跡の設備を使う事で、ただの人間を超能力者に改造できるという情報を、省吾は忘れていない。ネイサンはそれ以上無理だったとしても、残り二人がなんらかの新たな力を手にしていてもおかしくないと、省吾は推測している。
命を捨てる覚悟まで口にしたケイト達が申し訳なさそうにするのは、抱え込み過ぎだと感じた参謀が省吾に続いて口を開く。
「その通りだな。君達は、何も悪くはない。よくやってくれている。それも、十二分といえるほどに」
真剣な顔の中年である参謀に続いて、優しい笑顔になった初老の参謀が、少し冗談を交えてケイト達に声を掛ける。
「そんな顔をしないでおくれ。勇気ある子らよ。それでは、なんの役にもたてない我らが、惨めになってしまう」
「まったくだ。君達は……君達は……そう、堂々と胸を張る義務がある。そして、そんな君達を誇りに思う義務も、我等にある」
目頭を熱くしたケイト達が笑うと、緊張感に包まれていた室内の空気が少しだけ和らぎ、小さな笑い声さえ聞こえた。数日前まで、敵として命のやり取りまでしていた者達が集まっているとは、その光景だけを見た者には分からないだろう。
その笑い合えるだけの場を一人で作った青年は、冷静な視線を参謀達に向け、考え事を続ける。自分の成し遂げた偉業を、ガブリエラ達親子の功績だとしか考えない青年は、一人だけ笑いもせずに腕を組む。
……やはりそうか。これでいい。
参謀達の言葉を聞き、洗脳の影響は人の性根まで歪めてしまうものではなかったと感じられた省吾は、穏やかな顔で目を閉じる。最後まで正しくあり続けた反乱軍だった者達と、今の参謀達なら力を合わせて明るい未来を作れると、省吾は確信したようだ。
「残り四人……フィフスを招集する必要がありますね」
ギャビンの言葉で、ガブリエラとヤコブは瞼を閉じたままの省吾に目を向け、その瞳に悲しみを表現する。その二人に向けた目をギャビンは細め、短い沈黙ののち、考えていた事を皆に聞かせる為に発言した。
「残り四人は、全員フィフスがいいだろう。そうする事で、作戦が成功する確率は、飛躍的に増すはずだ」
……おいおい。
暗に、今回省吾は作戦から外そうといい始めた意味を、他の者達はすぐには理解できず、驚いた表情を作る。正しく物事を判断できるようになったギャビンは、省吾の邪魔をしようなどと考えたわけではない。
「ギャビン。俺も、出撃す……」
省吾に鋭い眼光を向けたギャビンは、大きな声で相手がそれ以上喋れないようにしてしまう。
「貴方は、これ以上この世界の犠牲になっていい人ではない! これ以上傷ついてはいけない! 私が、代わりに戦います!」
「しかし……」
立ち上がろうとした省吾の肩に手を置いたギャビンは、力で相手を立たせないようにしながら、テレパシーを送る。
(それに……ガブリエラ様を、これ以上悲しませたくはない。貴方も分かっているのでしょう?)
ガブリエラを何もより大事に思うギャビンの気持ちが、テレパシーの強さで省吾に伝わった。ギャビンの手にこめられた力の強さを肩で感じながら、省吾は自分の寿命を伝えなかった事が裏目に出たと、眉間にしわを作る。
……さて、どうする? 本当の事を喋るのも、下手な嘘も適切じゃないな。
視線をギャビンからガブリエラに向けた省吾は、脳の回転を止めずに打開策を練り始めた。省吾を思いやるギャビンの気持ちがやっと分かった皆も、次々に賛成の意思表示をしていく。ケイトだけは、何かをいいたそうな表情をしたが、すぐに笑顔を無理矢理作り、小さな拍手で意思を示す。
反対意見を味方のいないその場でぶつけても、作戦開始時間が遅れるだけだと感じた省吾は、無言のまま体から力を抜いた。
「ご理解いただけたようですね。では、すぐにフィフスを招集しましょう。ケイトさん達も、準備を進めて下さい。これで、いいですね?」
立ち上がったまま皆に顔を向けたギャビンの言葉に、全員がうなずき、その場は解散となる。愛する人の為に死ぬならば後悔はないと考えるケイトは、するべき事が多く、省吾と話す時間を作らなかった為、気付かない。そして、省吾とより長く一緒に居られると喜んだヤコブも、省吾の瞳に怪しい光があると、分からなかった。
……少し無茶だが。致し方ない。
予知の能力を持ち、最後まで冷静だったガブリエラだけが、省吾の鋭くなった目つきに、悲しそうに目を伏せる。
フランソアや長年共に戦ったジェイコブは知っているが、覚悟を決めた省吾は、手段を択ばないのだ。
ギャビンに食って掛かることもなく、省吾は会議室を出ると目的の場所へ向かう。平和の為だけに命を使うと決めている省吾の、死に場所へ向かう足取りに揺るぎはない。