表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名無しのエース  作者: 慎之介
七章
70/82

 人間の中には、天才としかいえない特別な才能を生まれながらに持つ者が存在していた。生まれながらに優れているその者達は、人と違う人生を送る事も多い。そして、人格的に褒められない場合もあるが、ある分野で凡人には不可能な功績を残す事も少なくない。


 同じ分野にその天才がいた場合、並々ならぬ努力で上へと昇った秀才と呼ばれる者は、様々な感情を抱くだろう。何故なら、秀才では超えられないか、超えるのに時間がかかる壁を天才達は容易く超えてしまうからだ。


 天才発明家として後世まで名を残したトーマス・エジソンも、天才とは一パーセントの閃きと、九十九パーセントの努力であると語っている。この言葉は、取材をした新聞記者により、小さな閃きと努力があれば誰でも天才になれると広められた。


 しかし、実際には意味が全くの逆だ。天才でありながらも苦労人と呼べるほど努力し、成功した者だからこそ口にできる言葉なのだろう。勿論、エジソンは努力を馬鹿にするためにいったのではなく、天才の定義を聞かれ、洒落も交えて答えただけだ。


 自分の閃きを信じて苦労を重ね、成功したエジソンのその言葉は、秀才と天才の間にある小さくも超えられない差を見事に言い表しているのかもしれない。努力が報われる者や運だけで成功する者のいる現実では、それが全てとは言い切れないが、真理の一つではあるのだろう。


 人類が滅亡に向かっていた未来の世界で、それを嫌というほど味わった一人の日本人がいた。異次元への移動を可能にしたオーパーツの研究には、各分野の天才と呼ばれるトップが集められ、問題の日本人男性もその一人だ。一つの国家内でトップに立ったはずの男性が何故苦汁を舐めたかといえば、他の者達は天才でその者だけが秀才もしくは凡人と呼べるレベルだったからに他ならない。


 その男性も、それまで研究への努力を惜しまなかった。そして、権力闘争を勝ち抜くだけの優秀な頭脳は持っていた。実際に彼自身も、凡百とは違う自分にかなりの自信を持っていたらしい。ただ、それはあくまで凡人がほとんどを占める状況での話だ。彼は、日本の大学では、偏屈な天才よりも権力をうまく利用できる秀才がトップに立てると誰よりも分かっていながら、いつの間にか忘れていたのだろう。


 本当の天才達が集まった場で、男性の自尊心は崩れ、存在が霞む。今まで蓄えた知識で、天才達の会話についていく事は出来た。だが、男性は他の者達のように閃きを出せず、評価が日を追うごとに下がっていく。世界に認められた論文の原案さえ、下の者から奪ったものだった男性は、どうしても閃けない。そんな中で男性は、ただただ焦り続けた。


 研究者達の中で、生き残れる切符を手にするのは優秀な者だけだ。大学内で政治的な考えを鍛えた男性には、その政治家達の考えが分かっていたのだろう。ついには他人の足まで引っ張り出したその男性は、研究チーム内で孤立していった。


 しかし、一つの切っ掛けから全てが変わる。男性の恋人だったセーラが、オーパーツの歯車により転移できた都市内で、調査中に天才らしい閃きを見せる。その結果、隠されていた扉にたどり着く。その隠されていた扉の奥には、都市全てを掌握できるメインルームがあったのだ。


 セーラの発見は、本当に世界の平和を目指した彼女の意志とは逆に、世界が狂う切っ掛けとなった。心が強くなかった一人の秀才に、不相応な野望を抱かせたからだ。


 政治家達は、自分達を利用して殺そうとしていると男性はセーラに教える。それは、セーラが仲間に知らせようとしたのを止める為だった。その時、男性を愛してしまっていたセーラは、二人で生き残り幸せになろうという言葉を聞いてしまう。


 その時のセーラも、男性の言葉には裏があるかも知れないと考えてはいたようだ。だが、天才である自分に冷たくなっていた男性からの、久しぶりに与えられた優しい言葉をセーラは拒否できない。男性が良からぬ事をしたとしても、自分なら男性を正しい道に導けると、まだ若かったセーラは考えたらようだ。


 勿論、セーラを利用しようとだけ考え、信頼などしていない男性が、正しい道など歩むはずもなかった。


 メインルームに行きつき、セーラを懐柔した事により、男性は時さえも操る都市そのものを手中に収めた。当然ながら、都市内の倉庫に保管されていた量子計算機や生きた金属等、オーバーテクノロジーの数々も全て彼の物だ。


 当初、自分の自尊心を傷つけた天才達を見返し、自分を脅す政治家を排除しようとしか考えていなかった男性は、目を覚ました絶望の字名を持つものに魅入られていく。自身を過大評価した者が力を手にした時、間違えとしかいえない事が起こるのは、当然の結果なのだろう。異世界の設備を使えば、神にさえなれると考えてしまった男性は、過去へ介入する事で自分の思い描いた姿へ世界を変えていった。


……なるほどな。それで、セーラは最後に自殺か。他の方法もあったはずだとは、今更いうだけ無駄だな。


 ケイト達からの報告を聞いた省吾は、テーブルの上に広げられた資料や写真を見つめ、眉間にしわを寄せる。


 ノア首都にある宮殿の、参謀達の話し合いに使われていた部屋はあまり広くない。その為、今省吾達は宮殿内にある兵士用の食堂を閉め切って作った、簡易の会議室内に集まっている。その部屋には、参謀や班長といった限られた者しか入れなくなっていた。何故なら、無作為に公表出来ない情報を元に話し合いが行われているからだ。


 顔色が良くないのは、ネイサンと呼ばれていた男性に操られていたのだと、改めて実感出来た参謀達だけでない。育ての親が黒幕の片棒を担いでいたと知ったケイト達も、表情を暗くしていた。


「ふぅ……この、ネイサンも……偽名でしょうね」


 説明をしていたオーブリーが涙ぐんで言葉を詰まらせ、誰もが黙っている状況を見かね、ギャビンが口を開く。それを利用するしかなさそうだと考えた省吾は、ケイト達の気持ちも分かっているようだが、仕方ないといった雰囲気で返事をした。


「まあ、日本人らしいからな……。カーン。すまないが続けてくれるか?」


 オーブリーの肩を抱き、慰めていたカーンなら余裕がまだあるだろうと省吾は判断した。


「あ……ああ、すまない。こいつは、急いで逃げたらしくてな。血塗れになっていたが、日記まで残してあった。それで……」


 大災害から始まり、ケイト達の時間介入までが、ネイサンの計画だったとカーンは説明する。


……宇宙に射出した金属生命体達が軌道を変えたのも、事前にプログラムされていたと。いや、人間の精神を餌にする習性を、利用したと考えるべきか。


 初の時間介入終了後に指示だけを残し、ネイサンは歯車を持って一度行方をくらませている。その後、再びセーラの前に姿を見せた時には、姿が変わっていたらしい。


……人間の遺伝子まで作り変えられるのか。進み過ぎた化学は、洒落になってないな。


 資料からネイサンは異世界の倉庫内で、人間の体を改造といっていいほど作り変えられる装置を発見していた。カーンは、その装置を使って若返りつつ能力者になる時間がネイサンには必要だったのだろうと、皆に推論を聞かせる。


「なるほど。若返りですか……」


 写真に写っていたネイサンはセーラよりもかなり年上で、ギャビンは同一人物と分かっていたが、疑問を持っていたようだ。だが、その疑問もカーンの説明により解消された。


「後、これも推測になるが……。都市に避難していた政治家達だがな……」


 異世界の都市に避難していた政治家達を始末したのは、おそらくネイサンだろうとカーンは補足し、話を先へと進める。


 ケイト達の行った三度目の介入は、元々は計画されていなかった。未来を少しずつ変えていったネイサンだが、自分の満足いく世界に変わりきらなかったらしい。その為、もう一度セーラを利用し始めたのが、三度目の介入計画だ。それはネイサンの行った机上の計算による予測は、完璧にはほど遠いものだった事を示している。


……二度目の介入が救助活動になったのは、もしかしてセーラのせいか? セーラの独断の可能性は、十分にあるな。邪魔者を排除する三度目とは、方向性が真逆だ。


「ネイサンの計画は……。テレパシーを全人類に持たせて、それを利用して洗脳する事が前提となっている。と、今分かっているのは、ここまでだ」


 世界の変わった流れを聞き終えた一同は、しばらく沈黙する。だがすぐに、顔を赤くするほどの怒りを表情に出していった。


「ふざけやがって! くそっ! 全部こいつのせいかよ! くそっ!」


 奴隷として苦しんできていた班長達は、ノアへぶつけられなくなった怒りも、ネイサンに向けて声に出している。そのあまりの剣幕に、声を出せないガブリエラだけでなく、ヤコブも口をはさむことが出来ない。


「ふんっ! 小物が! こんな愚かな男が主導を取れば、文明が発展するはずもない!」


「そうだ! 王政という古い体制でしかこの男が国を作れなかったのも、いい証拠だ! 我らの数が減らされたのも、この男の器が小さすぎたせいではないか!」


 まともな思考を消され、操られていた事でプライドを傷つけられた参謀達も、それぞれがネイサンへの怒りを口に出す。


「こんなくだらない事の為に……。皆は……母さんは……」


 ケイト達進行役である三人も大きな声は出していないが、うつむいたまま混乱したその場を収拾しようとはしていない。纏め役にまわる事の多いギャビンも、ガブリエラの事があり、怒りから無言のまま深いしわを眉間に刻んだまま動かなかった。


「ふぅぅ……。落ち着け!」


 息を吐き出した省吾は、戦闘中以外では珍しく腹からよく響く低い声を出し、全員の口を閉じさせる。


「この場は、鬱憤を晴らす場じゃない。現状では、まだ対策も立てられないようだ。なら、話し合いは次だ。情報は、漏らさない事だけを誓って解散。いいな?」


 直視すれば、呼吸が止まってしまいそうなほど目付きがきつくなった省吾の言葉に、簡易の会議室は静まった。無理矢理その場を抑え付けた責任として、事前にガブリエラ達と話し合っていた方針を、省吾は喋り始める。


「敵は、おそらく異世界に逃げたはずだ。時間……は、もう関係ないかもしれないが、再度の時間介入をされないように、ネイサン達を捕縛もしくは始末する」


 反乱軍の者達だけでなく、参謀達もネイサンの支配を壊した省吾には逆らおうとせず、素直にうなずいた。


「その為には、ネイサンの能力について知る必要がある。異世界の都市についてもだ。ケイト達は引き続き調査。他の者は、継続して町の……いや、兵士達の混乱収拾を」


 会議の場に第三世代の者達や、班長、参謀達全員が出席していないのは、首都以外の都市が混乱したせいだ。首都にいる者のほとんどは、ガブリエラに従ったが、他の都市を支配する兵士達の多くは反発した。


 ネイサンの作ったノアの世界に順応している者達からすれば、奴隷として扱っている者を対等に扱うだけでも、受け入れ難いらしい。会議に出席していない参謀や班長達は、現在各都市に血が流れないように、二班に分かれて奔走している。そして、その護衛を洗脳の解けたフィフス達が行っていた。


「異論は…………ないな。では、解散だ」


 首都内だけでも問題が山積みになっている為、参謀や班長達は解散の言葉で、すぐに部屋を出て行く。


「ネイサンの能力……。やはり、ダニエル様に近い、洗脳と考えるべきでしょうか?」


 参謀の中で唯一席を立たなかったギャビンは省吾に顔を向け、ネイサンの能力について問いかける。


「おそらくな。ただ、俺のいた過去ですら、暗示や幻覚を見せる能力者は幾人もいた。その手の能力者は、種類も多いはずだ。ダニエルの症状を見る限り、タイプは違うかも知れないぞ」


 母親の車椅子を押す為に、ガブリエラの後ろに回ったヤコブも足を止め、ギャビン達の会話に加わった。


「多分だけど、限られた人数だけを完全に支配してしまえるんじゃないかな。ダニエルのように、大勢を半強制的に誘導するタイプじゃないと思うよ」


……それで、王を必要としていた、というのが自然か? しかし、デビッドはダニエルと違っていたしな。


 ネイサンと戦う事を考えたギャビンは、フィフスや省吾が操られる事を恐れ、対策は出来ないかと考える。


「サイコガードで、それは防げるのでしょうか? 兄王様」


「あ……兄王はやめてよ。ギャビンさん。ヤコブでいい。えと……多分だけど、相手がテレパシーを延長した能力を使うなら、多少は防げるはずだよ」


 まだ十分すぎるほど混乱しているが、平和へと向かい始めた世界を変えられたくないギャビンの目線は、ケイト達に向く。


「カーン殿。ご気分の優れない所申し訳ないが、時間は関係ないのでしたか?」


「ん? ああ。急いだ方がいいのは間違いないだろうが、時間は関係ないはずだ。俺達も、そこは確認中でな。未来は一つではなくてだな……」


 セーラがカーン達に教えた時間介入の法則。それは、間違えてはいない。しかし、半分にも満たない不完全なものだった。時間介入に関係なく、偶然の重なった未来は枝分かれしており、分岐点が数え切れないほど存在している。世界には元々並行世界が存在しており、時間介入はその世界を増やす事になると、カーンは説明した。


「えっとだな。それで、並行世界の……世界にも強弱があるらしくてな。強い世界は弱い世界を淘汰するらしい。残れる世界は、限られてて……」


……並行世界? 世界を消す? 可能性? 異世界? 駄目だ。よく分からん。


「なるほど……」


 腕を組んで黙って聞いていたギャビンが、意味ありげに呟いた事で、省吾はほぼ反射的に問いかける。


「ギャビン。お前、わかるのか?」


「いえ、分からない事が分かりました。残念ですが、私は過去の世界で教育を受けた貴方よりも、学はありません」


 ヤコブ達も話を聞いていたが、ガブリエラの顔が青くなり、頭を押さえた事で口をはさむ。


「あの、ママが疲れたようなので、僕達はこれで」


「あっ、お待ちください。私もお手伝いします。では」


 頭を下げてギャビンが立ち上がり、ガブリエラの乗る車椅子を押して、ヤコブと共に退室した。


「悪いが。もう少し待ってくれるか?」


「あっ! はい! 失礼しました」


 ガブリエラ達が退室した事で、もういいだろうと考えた使用人達は、部屋を片付ける為に入室する。しかし、オーブリーとケイトがまだ動けそうにない為、省吾は入ってきた使用人達を退室させた。


「ふぅ……」


 省吾の溜息を聞いたカーンは、オーブリーの肩を抱いたまま、顔を上げて申し訳なさそうな目線を送る。ケイトとオーブリーは、この世で一番信頼していた人に嘘をつかれていた事で、落ち込んでいた。カーンだけは、実母から迎えに来ると嘘をつかれ、戦場に置き去りにされた過去があり、ショックに耐性がある。


 鼻をぐすぐすと鳴らしている二人の女性を理解する為に、マークやフランソアに騙されていればと省吾は考えた。そして、腕を組んで口を開く。


「以前……話したと思うが……。俺にも、父や母と呼べる人がいる。父はもういないが、母とおじさん二人になるか? まあ、その人達が俺にある依頼をしている」


 世界大戦の終了後、フランソアの家で身内だけのパーティーが開かれ、その場にはコリントやランドンも来ていた。そして、最後まで最前線で戦い続け、包帯を巻いた姿ではあるが、まだ井上と名乗っていなかった青年も出席している。


 立食式だったパーティーで、軍服を着た省吾は冷めて人が手を出さなくなった料理や、元々熱くないサンドイッチ等を食べていた。痛めた片腕を吊るし、包帯だらけの省吾がどれだけ頑張っていたかを、集まった者達は知っており、誰も好奇の目で見たりはしない。


 マードック達、フランソアに育てられた幼馴染と取り留めのない会話をしていた省吾だが、包帯でぐるぐる巻くになっていた手の中には、常に銃が握られていた。気を緩めれば何があるかも分からないと考える省吾は、家の外に特務部隊を潜ませ、自身の緊張もほぐしてはいなかったのだ。


 酔ってソファーで眠る者が出るほど、パーティーが終盤に差し掛かったところで、フランソアが席を外した。トイレだろうと思いつつも、警護の為についていった省吾は、同じようにフランソアを心配したらしいコリントとランドンに書斎の前で鉢合わせる。


 気まずい表情で固まった三人は、自分の書斎で夫と子供の写真を見ながら泣いているフランソアの声を聞き、壁にもたれかかった。三人は息を殺して喋らず、天井や床に目線を向け、女性の嗚咽を聞きながら苦しかった戦争を思い出す。


 あまり長くない時間で涙を止めたフランソアは、扉の外にいる三人に気付いており、入ってくるようにと声をかけた。ばつが悪そうな顔で入室した省吾に向かって、フランソアは自分達三人が、世界の頂点を一時的に預かると宣言する。それを当たり前だとしか思えなかった省吾は、フランソアから自分に向き直ったコリントとランドンを、不思議そうに見ていた。


 フランソア達が省吾に伝えたかったのは、自分三人が最高の権力を持った自慢などではなく、新たな仕事の話だ。自分達が完璧ではないと分かっている三人は、間違えた道に進んだと省吾が感じた場合、殺してでも止めろと笑顔で依頼する。


 本当に笑っていながらも、省吾になら喜んで殺されようといった三人の目は、寒気を感じるほど真剣だった。勘違いだけは勘弁してほしいと、いつもの様にコリントの冗談で締められたその場の事を、省吾は昨日の事であるかのように鮮明に覚えている。


「先生は、自分を含めた人間は誰しも、間違えるといった。この言葉は分かるか?」


 それでは省吾が騙されていないと思えたオーブリーは、涙を服の袖で拭い、充血した目で睨んだ。オーブリーが言葉の意味を理解できていないと感じた省吾は、目線を逸らさずに言葉を続ける。


「この言葉の裏にはな。何があっても、お前は道を踏み外すな。そして、自分達の命という重荷を預ける事を、許してほしいだ」


 きょとんとした表情で、カーンまで首を傾げた為、省吾は左手で頭を掻きながら、説明を続けた。


「お前達の母は、嘘をついていた。それは、確かだ。だが、お前達を救い、育てた愛に嘘があったと思っているのか?」


 首を左右に振った三人を見て、省吾はうなずいて見せる。


「正しく育ったお前達を見ていれば分かるが、俺もそこに嘘はなかったと思う。セーラの正しさは、お前達自身のはずだ。止む無くなら、人間は嘘をつくんだ。誰でも」


 セーラとの楽しかった思い出が蘇ってきたケイト達は、それまでとは違う理由で目頭を熱くした。


「母が間違えたなら、母の正しく育てたお前達が正せばいい。母を騙した相手が憎ければ、俺が敵を討ってやる。無理強いも良くないが、今はお前達の力が必要だ。頼む」


 口を押えて泣きながら何度もうなずく三人を見て、省吾は立ち上がる。そして、外で待っていた使用人達にもう少し待ってほしいとだけ声を掛け、立ち去る。


 首都解放後、三日ほどしか時間は経過していないが、死に向かう毎に意思が強くなっている省吾の体を、金属生命体達が支えていた。まだ折れているはずの右腕や、痛めているはずの左足は、正常にしか見えないほど、きちんと動いている。歩くだけで気を失いそうな痛みを発してはいるが、それを顔に出さない省吾の寿命に気付ける者はいない。


……うん? あれは、確か。


 各都市の話し合いをする為に、参謀達のいる部屋へ向かっていた省吾は、救護室の前で足を止める。


「もう! 無茶しないでよねぇ」


 ノアに染まったフィフスの支配する都市で小競り合いが発生し、ハンナを庇ったエミリが包帯を腕に巻いて、救護室から出てきた所だった。救護室前には、都市へと出ていた他の能力者達もいた。怪我をした者や疲弊した者は、一度首都に帰る手はずになっているのだ。


「ごめんね。でも、どこも、異常ないって。へへっ」


「何よりだ」


 悪戯でもしたかのように笑っていたエミリは、背後から届いた省吾の声でびくりと体をはねあげた。


「あ! ああ、あの! 大丈夫です! こんなのかすり傷です! あははっ」


 頬を染めて振り返ったエミリは、包帯を巻いた腕を自分で叩き、怪我の具合を誤魔化すように笑う。


「それは、いいことだが……。患部を叩けば、治りが遅れる。止めるべきだな。後、すまないが……現地の情報をくれないか?」


「はい! えと……」


 エミリとハンナはすでに省吾を仲間だと認めており、隠す事なく都市での交渉状況や、発生した戦闘について説明した。


「あそこは、全員フォースだから抵抗はなかったわね。でも、奴隷を解放する代わりに、今までの生活を保障しろって、言ってきたわ」


……まあ、想定内だな。フィフスや参謀に逆らえるのは、フィフスだけだ。


 各都市だけでなく、首都内でも元々使用人などになって働いていた者は問題ない。だが、一生働かなくてもいいと思っていたフォースの中には、不満を漏らしている者はいる。


「あっ! あと、農場を占拠しようとした者達は、うちの別働隊が取り押さえました。農場の部隊からも、問題はないと定時連絡を受けてます」


 食料が豊富にあり、超能力者のいない農園が狙われる可能性は十二分にあり、今はノアの兵士達が護衛についていた。


「そうか……。頑張ってくれているな。ありがたい。お前達も、体を休めてくれ。先は、まだ長い」


「あっ! あの! 井上様! あの……お怪我の方は……」


 労いの言葉をかけて立ち去ろうとした省吾に、エミリは声を掛ける。そして、立ち止まった省吾に潤んだ瞳で問いかけた。ハンナの幼馴染である男性は、省吾よりも軽症であるにも関わらず、まだベッドから起き上がれてもいない為、心配するのは当然だろう。エミリだけでなく、ハンナも何故省吾は動けるのだろうと、頭から足元まで撫でるように見つめていた。


「問題ない。後、呼び捨てて構わない。井上でも、省吾でも、エーでも……エースでも好きに呼べばいい」


 振り向かずに軽く手を挙げた省吾は、そのまま参謀達が話し合いをしているはずの部屋へ向かって歩いていく。その省吾にどう声を掛けていいか分からなくなったエミリは、数日前まで敵であり、命懸けで戦った男性の背中を見送る。


「エミリ? 顔……真っ赤だよぉ?」


 ハンナの意地悪くも聞こえる声で両手をばたつかせたエミリは、最終的にその両手で顔を覆う。


「人の趣味にケチつけたくないけど……。あれは、直接教えないと無理じゃない? これだけあからさまなあんたに気付かないしぃ……」


 もう一度遠ざかっていく省吾の背中に目を向けたエミリは、想いをよせる男性の顔を脳裏に浮かべたが、そこで顔の赤みを消す。


「まあ、真面目そうでぇ……。強いし、悪い奴じゃなさそうだけどさぁ……。って! えっ? 嘘! ごめん! ごめん! あの……」


 エミリの目に涙が溜まっている事に気が付いたハンナは、口が滑ったと焦り、相手の両肩を掴んで謝ろうとした。だが、エミリからの言葉はハンナの想定外だったらしく、目を細めて首を大きく傾げる事になる。


「違うの……。ちょっと……あの人の……目を思い出しちゃって……。あの……胸が苦しくなって……」


 恋煩いにより、情緒が不安定になっているのだろうか程度にしか、ハンナはエミリのいった意味を考えられない。


「あの人の目……黒くて……広くて……吸い込まれそうで……」


 確証は一切ないようだが、超能力者特有の優れた直感で、エミリは省吾の瞳から何かを感じ取ったようだ。


「真っ直ぐ前を見てるのに……未来を……明日を見ていない……。そんな気がして……」


「ちょっ! ええぇぇ……。なにそれ? 大丈夫なの?」


 エミリが胸元を掴みながらしゃがみ込んでしまい、ハンナは顔を異性に見せられないほど歪め、友人を見下ろす。


 都市での戦闘により負傷したノアの兵士や反乱軍の者が、三人ほど救護室に入って出るまでエミリは沈黙を続けた。そして、胸の痛みが和らいだところで、顔を上げて作り笑顔を待っていてくれた友人に向ける。


「ごめん。大丈夫。でも、もう少し……。お見舞いは、先に行って」


「え? いいの? ああ、うん。分かった。駄目そうなら、テレパシーとばして」


 顔を青くしながらも笑顔でうなずいた友人を見て、ハンナは一人にした方が良いのだろうと判断した。そして、想い人の寝ている部屋へと向かって行く。


「はぁ……。あの子……精神的にもろいんだか、強いんだか……。はぁ……えっ?」


 何度も溜息をつきながら、長い宮殿の通路を歩いていたハンナは、参謀達のいる部屋から大きな声が聞こえ、素早く身構える。


「私は反対です! 嘘は必要かもしれませんが……それでは、あまりにも……」


 部屋の中で大きな声を出していたのはギャビンであり、各都市へ伝える情報の点で省吾と意見が合わず、声を大きくしていた。


……なんだかんだで、こいつが一番頑固だな。


 立ち上がって呼吸すら乱すほど興奮したギャビンと違い、省吾はいっさい顔色を変えず、自分の意見を説明する。


「俺が何者か……。これは、最終的に時間移動の話に繋がる。これを知った者が、悪用を考えてしまうのは、当然じゃないか?」


「しかし! 貴方が、死んだ事にするというのは……」


 ギャビンは省吾を尊敬するほどに認めており、その功績を後世まで語り継ぎたいと提案していた。その際に、省吾は黒幕だったネイサンと戦った怪我で、自分が死んだと広めてほしいと願い出たのだ。


「時間移動の誘惑は、洒落じゃすまない。俺だって、本音をいえば生き返らせたい人はごまんといる。だが、その危険性も分かっているから、しないだけだ」


 省吾は首都解放後、怪我の療養もあるが、人々に姿を見られたくないという思惑から、宮殿を出ていなかった。


「お前が気に病む事じゃない。俺のわがまま……ネイサンを追い出した、報酬って事で納得しておいてくれないか?」


 エミリが感じた通り、死への恐怖さえ抱いていない者の目は、深淵のように暗く深い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ